表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/14

第八話 鳳凰院の死

 朝廷は東国を制御するため、渡辺歳綱を鎮守府将軍に任じる。征夷大将軍ではなく常設の将軍位としたのは、強大な軍権を世襲させぬための貴族側の牽制であった。


 一方、蔵馬寺で牛若改め遮那王は、天狗・法眼のもとで神通力と剣術を修め、父を殺した篁清季への復讐を胸に力を蓄える。法眼は彼に、いずれ天下を揺るがす強者となることを示唆する。

 すぐ近くの京では、鳳凰院の遺言に従い篁清季が太政大臣に就任する。

 時が流れ、朝廷は清季が提案した東国を手懐けるための策に従い、渡辺歳綱を鎮守府将軍に任命した。これは、蝦夷や魑魅魍魎を討伐する際に臨時に任命される征夷大将軍とは異なり、常設の将軍位であった。

 未だ、東国には蝦夷や魑魅魍魎の脅威が残っており、征夷大将軍が任命されることは、何ら問題のないことであった。

 しかしこれは強い権限を持つ征夷大将軍の位を、一軍勢である鎮守府に世襲させたくはないという、京の貴族が弄した小細工であった。

 歳綱は内心は不服でありながらも、その勅命を拝命した。彼の右腕である道嶋御楯は、今は雌伏の時であるからと、勅使が伝える勅には一切の異議を申したてず、従うように進言していた。歳綱もそれを受けいれ、鎮守府一同が朝廷の臣下であるという姿勢を改めて示したのである。

 乱の鎮圧に貢献した多治比濱鳴は朝廷より、小鷹城の城主に任命され、そして形部の官位を賜り、多治比形部濱鳴となった。

 これには、義家ら東国武士団の重鎮は腸が煮えくりかえる思いであった。形部は元は刑罰を取りしきる官位であったが、現在は兵や治安維持をも司るものとされており、官位としては有名無実なものとなっていた。それは義朝の官位であった兵部司も同じではあったが、問題は、形部の方が高い官位であり、その俸禄も多いことにあった。つまり朝廷は、東国武士団を舐めくさり、幾度も功績を立てた義朝よりも、一度の戦で功績を立てただけの濱鳴を重用したということになるのだ。

 勅使が帰ったのち、河内義家、重永兄弟は、談義していた。

「兄上、この朝廷の対応を如何が思われるか」

「決まっておろう重永。朝廷は清和氏や東国武士団の排斥を狙っておるのじゃ。この河内八幡太夫義家、黄泉国の義朝殿に顔向けができぬ」

「さりながら、濱鳴殿も歳綱殿も、我らと同心しておりまする。官位ごときで、朝廷に尻尾を振る愚か者ではありませぬ。今は辛抱し、やがて京で鳳凰院や篁清季を討つのです」

「無論そのつもりよ、案ずるな。我らは東国の仲間じゃ」

「今兄上の領地にて匿っている景虎ら一党は、如何致しましょうや。養うには数が多く、農民のように働かせようにも、朝廷の官吏や遊山中の豪族に見られては、生きていることが知られてしまうやもしれませぬぞ」

「鷹狩にも行けず、不満も溜まっておろう。気分で謀反を起こされても困るが……いやはや、この期に及んでそれは考えづらかろう。幸い、某は河内守かわちのかみの目代に任命され、一帯の豪族の動きにも制限はかけられる。誰も、景虎殿らに近づけまい」

「天運が我らに味方しておりまするな兄上」

「して、廿楽城との内通の件、首尾は如何か」

「紀古春殿もまた、道理の通じる御方。鳳凰院の専横に関しては、我らと同心いただけ申した。なれども……篁家を逆賊とは考えてはおられぬご様子でした」

「古春殿は清和氏ではなく、また坂東武者でもない。我らとは見ている景色が異なるのであろう。それはやむを得まい」

「さりとて、武士であることを捨てた清季めが、帝のために立った武家の名門の棟梁である義朝殿を殺したのですぞ」

「そう怒るな重永よ、帝は幼齢であった。当時はまだ鳳凰院の専横という事実が、事実のように見えにくかったころ。そのようなときに皇室の鳳凰院に弓を引いたとあらば、それが正しいことであったのかは、意見が別れるところであろう。頭を冷やせ、怒りすぎては、事をし損じるぞ」

「肝に銘じまする、兄上」

「分かれば良いのだ、賢弟よ」

「紀殿は、廿楽城より桃紅城へ坂東武者数名を忍ばせる際に、商人としての通行手形を発行してくださる由」

「篁条の地で我らに味方してくれる武士が居ることは、得がたい幸いぞ」

「如何にも。我らが棟梁様をお迎えすべく、抜かりなく備えて参りまする」

 東国武士団並びに鎮守府の目的は、天下を争うことであった。天下とは即ち、京とその周辺である畿内である。君側の奸を取り除くベく戦を起こす。その御旗として、東国武士の棟梁が必要であった。


 桃紅城では、何も知らない朝頼がただ、どのようにすれば父の仇を打てるかと、思案していた。彼の中で、父の無念を晴らす願いと、それに相反して何も成せない流人としての自分が葛藤して、やがて疲弊した。心が乱れ、次第に彼は、空想の世界に閉じこもるようになった。清和という名が、誇大され、自分自身はいつか龍のように飛びたつ雛なのだと思いこむようになった。

「雌伏の時ぞ。今や地に落ちたるこの名も、いつか天下に燦然と輝く名となろうぞ」

 一人でいるあいだ、朝頼の心は支配されていった。目の前は曇り、もはやそこにある紅の桃でさえ、彼の目には映らなくなった。色鮮やかな城は、灰色の生ぬるい囲いとなっていた。

 しかし雅子が現れると、たちどころに世界は色づき出す。雅子の笑顔は、遠くの世界に行ってしまう彼の心を、現世に留めてくれる光であった。

 雅子は自ら作った団子を朝頼へと渡し、彼がそれを頬張るのを見ていた。雅子はそうしているのが好きだった。ずっとこうして居られればいいなと、そう思った。

「このごろ、朝頼様をお訪ねになる人が居ると耳に致しました」

「そんなことはありませぬ。ただ、東北より参った商人が、よく道を尋ねてくるだけのことにござりまする」

「商人は、流人に声はかけませぬ。朝頼様の気配が、流人のそれとは異なるということでありましょう」

「心強き言葉、感謝申し上げまする」

「そういえば、父が朝頼様を家へお招きするようにと申しておりました」

「左様ですか……では参りましょうぞ」

「さりながら……! もう一時、桃を眺めて居とうござりまする」

「しからば、お供つかまつらん」

 朝頼は、雅子が顔を赤くしてまで言うので、共に居るべきなのだと思った。しかし、時勝は自分の監視を司る役人であるため、本来ならば招集の命令に逆らうことすら好ましくはない。

 朝頼は、ほんの少しだけ二人で過ごして、すぐに時勝の屋敷へ向かおうとした。

 しかし雅子は、ソワソワして自らの側を離れたそうな素振りを見せる朝頼に話を振り、側に居られるように苦心した。

「空が黄色く黄昏れてまいった。某、そろそろ館へ」

「朝頼殿は、朝と夜のどちらがお好きですか」

「どちらの方がなど……考えたこともござりませぬ。強いて申さば……夜にござる。夜は不思議と、檻の中で一人にならねばならぬというのに、一人ではないという気がより一層強まるのでござりまする。空に浮かぶ星から、父上が見守ってくれているという安心感が、胸の中に満ちるのでござりまする」

「私は……夜は嫌いです」

「其は何故でありましょうや」

「夜は……会いたい御方が離れていくから。また会えるのか分からず、今生の別れになるやもしれませぬ。さりながら、朝は好ましゅう思います。また会いたい御方と、お会いする事が叶うから」

「朝は某の夢を覚まして、懐かしい日々を遠ざけては再び、暗く重い感覚が体に覆いかぶさるようになりまする。雅子様とは真反対にござりまするな」

 雅子は言葉を失い、二人のあいだに無言の時間が流れた。雅子は諦めた。やがて朝頼は「御免」と言い、時勝の許へと向かっていった。

 一人残された雅子は、切なさを感じていた。ただ側に居たいだけなのに、それすら満足には叶わない。朝頼は自分を嫌ってはいないように感じるが、それすらも、やはり流人と配流先の領主の娘という力関係から、そう演じられているだけなのではないかと考えてしまう。きっと、好かれてはいないだろうと、そうも思ってしまうのである。

 しかし、信じたくはなかった。好ましく思われているのだと、そう思いたくて仕方がなかった。

「あなたが流人でさえなければ……もっとあなた様の幸せを願えるというのに、それすらも憚られてしまうとは……!」

 雅子は、朝頼に幸せでいてほしかった。そしてもしできることならば、その側で笑っていたかった。朝頼の般若のような人相が消えうせた、幸せが満ちる世界にて、住人として居つづけたかった。

「こんなにもお慕いする御仁など、二度と私の前には現れない」

 目の前で桃の花が散った。嫌な予感がした。

 雅子は決心した。いつか朝頼のために、この身を粉にしてでも、世界を変えようと決心したのである。何をすべきか、何ができるのかなど分からない。しかし、強くそう思った。



 皇紀一八二五年


 歳月が流れ、牛若は十六の歳になっていた。このころ彼は僧侶としての名を賜り、遮那王しゃなおうと名を改めていた。日がな一日、経を読み、精進料理を食し、寺を掃除するだけの日々。しかし彼の一日は、夜になってから始まると言っても過言ではなかった。

 夜な夜な寺を抜けだし、山を駆ける。天翔る龍のように、俊足で走りぬけ、木々を登って、崖を下る。彼には人ならざる力が備わっていた。それはすべて、蔵馬の天狗より教わった秘技であった。

「上手くなったな、遮那王。そなたは覚えが早い」

「まだまだ遅いくらいじゃ。某は、討たねばならぬのだ。篁清季を……!」

「この数年、そなたはその思いに駆られてここまで神通力を使いこなしてきた。だがまだ焦るな、時はまだ訪れてはおらぬぞ、遮那王よ」

 遮那王は復讐心に支配され、その胸に燃ゆる炎がゆらめくがままに、いつか来るそのときのために鍛錬を積んでいた。そして、人を超越した存在にしか用いることができない力である、神通力を体得するに至っていた。

「遮那王よ、そなたの力には、もはや人間は誰も太刀打ちはできぬ。そなたは、神にも等しい力を手にしたのじゃ」

「しかし某は知っておる。幾年か前、鬼門城にて鬼の王である童子が殺され、王に従っていた鬼もことごとく滅せられたと」

「それは、彼奴らが己の力を出しきれぬ、輩に過ぎなかったということだ。群れるは弱者よわもののみよ」

「それ故、そなたは群れぬのか。天狗もまた魑魅魍魎の類とあらば、百鬼夜行のように、群れを成してしかるべきもの。なれども某は、そなたしか天狗を知らぬ」

「天狗は他にもおる。なれども今となっては、信じられるのは己のみと心得ておる。そなたもいつか、そう思う時が来ようぞ」

「其は真か。武士は群れるものじゃ。それゆえ、強い」

「それならば、武士は強者つわものにあらず。強者は一人でも、千軍万馬を破るものぞ」

「其は人のことか、あるいは天狗か」 

「人のことだ。そういう英雄を、目にしたことがある。そして、そなたにもまたその気配を感じておる」

「今まで、何故そなたが某の前に姿を現し、多くのことを教えてきたのか、ようやっと合点がいったわ。某を、その強者にするためであるな」

「左様。今さら断るそなたでもあるまい」

「無論、そうじゃ。なにを教えてくれるのじゃ」

「剣術、というものだ」

 剣術というものを、遮那王は知らなかった。戦とは、槍や薙刀を持った兵が、その長い刃で敵から距離を取りながら戦うものである。その刃が密集し、敵の逃げ場をなくせばその分勝機は高まるものであり、それ故に戦は数が勝負の要となる。それはこの蔵馬の僧兵から学んだ兵法に、そのように記されていたから知っていることであった。

 剣は刀のことであり、古来より狭所や斬首の際に用いる武器。極めるべくもないものであった。しかし天狗は、それを用いるべしと言うのである。

 遮那王の目には、奇怪に写っても致し方ないことであった。

「遮那王よ、そなたは、縦横無尽に駆けまわる力を手にした。薙刀や槍では、その俊足を活かせぬ。刀を手にして、敵がそなたに気づくよりも前に、その命を断て」

「さりとて、ここは寺。刀などどこにあろうか」

 遮那王がそう言うと、天狗は笑い、手に持った羽扇を仰いだ。すると風が吹き、どこからともなく刀が降ってきた。

「それを使え、遮那王よ。そして僧侶と共に兵法を学び、この法眼ほうげんと共に、剣術を学べ」

 刀を持った遮那王は、天狗の法眼と共に闇夜にて刀の術を学んだ。小さき者の戦いかたを学び、彼は舞のように刀を振るった。

「遮那王よ、そなたは、太古の昔にこの法眼がこの地に隠した兵法書を見つけだすのだ。さすればそなたは……いつか天下を揺るがす強者となれようぞ」

「天下を揺るがすは本望にあらず。某はただ、篁を滅ぼしたい!」

「それだけがそなたの生涯と、思うことなかれ」

 閃光のように、遮那王の刀が月光を跳ねかえして姿を現す。その様子は、傍から見て、人が振るった刀に反射した光だとは思えない刹那のものであった。

 逃げる天狗の法眼は、分身したと思えば姿をくらまし、入れかわり立ちかわり遮那王を翻弄した。

 遮那王もまた、それに負けじと速度を早めて、天狗に刃を入れこもうと振りつづけた。

「よいか遮那王よ、よく聞くのだ」

「命乞いか、法眼よ!」

「然にあらず……! 天下に、そなたの好敵手を置いた。幾年か前、その者に天下の名剣を与えた。その者はそれを用いて秋津洲中を彷徨い、天下一の強者になろうとしておる」

「強者に相応しき者がこの遮那王の他にあるならば、何故この遮那王にも剣を教えるのか」

「この法眼、珍しく好奇心に駆られてしもうた。武神の如き大男と、小柄な鬼の子。その戦いを見てみたいと思うたのだ」

「その者は如何様な男だ」

「そなたと同じく、僧じゃ。僧兵で、今は諸国の猛者を殺してまわり、その剣を奪う怪物となっておる」

「真、妙な輩を世に放ってくれたものよのう。某が戦に身を投じらば、いつかその者と巡りあうであろう。その戦いを、しかと目に焼きつけるのだな!」

 遮那王がそう言うと、法眼は笑いながら、羽扇を振った。神通力によって大風が吹き、遮那王は山へ叩きおとされた。闇夜に響く笑い声は、次第にカラスの鳴き声に変わり、まるでこれまでのことが幻であったかのような気がした。

 天狗の法眼が去るときは、いつもこうだ。だから初めのころは、夢を見ていたのだと思う遮那王であった。しかし、今宵だけは異なった。遮那王その手には、確かに刀が握られていたのである。



 このころ、京では不穏な動きが広がっていた。それは、帝を手中に収めた篁清季の存在を亡きものにしようとする、貴族たちによる画策であった。その企てを主導するのは、清季によって上皇の側近の立場を失った中条家の者であった。乙麻呂亡き後、中条家の当主となった嫡男の憲麻呂のりまろは、その座を奪いかえそうと躍起になっていた。武家の篁一族が清季を後ろ盾として朝廷で幅を効かせている現状を面白くないと感じる貴族は多く、藤原氏の分家である中条家を好まぬ者も、武家よりはマシだと考えその企てに加わっていた。

「篁を京から一掃せねば、京内における麻呂たちの権益も奪われかねぬわ」

にもにも。武家は遠方で血を流しておれば良うものを。異国より集めた銭を広め、秋津洲の物の値打ちを統一した。その功で帝に取りいるなど恐れおおいことを……成り上がり者は誅伐するでおじゃる」

「見よ、竹の箸が割れたわ。篁の終わりを暗示しておるようじゃ」

 貴族の中に広がっていた鬱憤は、瞬く間に反篁の勢力を拡大させた。


 清季がその動きを察知したときには、その企てが既に大規模になっていたころであった。このとき、西国では朝廷に仕える武士が寺を焼いたことに怒りくるった仏教勢力が、朝廷へ強訴を起こしていた。それを知った中条憲麻呂は、その責任を一介の武士から清季の責任にすり替え、篁討つべしと多数の仏教徒を京へ招きこんだのである。

 神輿を担ぐ僧兵は清季の首と、寺の再興を要求し、篁家の屋敷である六波羅御殿を囲んだ。

「さすがの手際よのう。陰謀を得意とする貴族のお歴々には、この手の企みでは敵わぬわ。のう宗季、是重これしげ

 息子の宗季は、篁家の公家筆頭として、面目ない顔をしていた。しかし、亡き長男重季の息子の是重は、ただ大笑いするばかりであった。

「貴族の企てなんぞなんら恐るるに足りず。要は、勝てば良いものと、心得まする。お祖父様」

「頼もしいものよのう。なれども、気持ちだけではやがて足を掬われるものぞ是重」

「さりとて、某は陸の戦を知りませぬ。某は内海の海賊討伐のみをしており、戦と言えば、海のことばかり考えてしまいまする。なれども、これは陸のこと。これより陸の戦を任せらるることとなった以上、敵が猛者ではなく坊主と蹴鞠の達人どもとあらば、この是重、良き初陣と心得まする」

「しからば、この僧兵ともを退けてみよ。某も門を一つ守ろうぞ」

 明朝、多数の僧兵は六波羅御殿へ攻撃をしかけ、戦となった。東門を守る清季と光延は、連戦連勝し、何度も敵を跳ねかえしていた。一方、西門を守る是重は僧兵の強さに苦戦していた。それを助けたのは、叔父である宗季であった。

 宗季は巧みな弁論で、僧兵を説きふせたのである。

「ここは京の中心地たる六原なれば、そこで諍いを起こしたそなたらを、誰も仏に仕える者とは思うまい。多くの檀家が離れていくであろう。それでもそなたらは戦うか。そこまでしてそなたらが狙うべきは、寺を焼いておらぬ篁清季で良いものか。中条家の者が、そなたらを巧みに言いくるめ、駒として血を流させているのではないか。ようよう考えられよ」

「そ……そのような儀にあらずや……!」

「されば、何故その方らは、かように震えておるのか。仏のために尽くす者は死を恐れぬもの。しからばその震え、心に芽生えた疑念にござ候わずや。血を流す前に、ようよう考えなおしてみよ。敵は誰ぞ。そなたらが求めるものは、何ぞ」

 僧兵は六波羅御殿への攻撃をやめた。そして南門を攻める、この攻撃軍の大将である憲麻呂は、退いていく僧兵を見て、篁の底知れぬ強さを思いしった。

「戦に押されていながら、瞬く間に僧兵を退けよった……真に神仏の御加護があらせられたとしか思えなんだ……。かような者どもに……勝てるものか……! 雪津奈! 鹿賀雪津奈かがゆきつなを呼べ!」

 雪津奈は御輿である憲麻呂に代わり、実際に指揮を執る中条家派の武士であった。

「戻れ! 神輿を捨てて逃げうせれば、寺の再興は叶わぬぞ! 戻れ僧兵ども!」

 必死に僧兵を戦場へ戻そうとする雪津奈に、憲麻呂は掴みかかって問いかけた。

「雪津奈! 何故我らは負けておるのか!」

「申しわけござりませぬ。かくなる上は、我ら武士の力だけで敵を打ちふせてくれるましょうぞ……!」

 雪津奈率いる少数の武士は六波羅へ突撃するも、逆転した兵力差の前になす術もなく、一人残らず討ちとられた。

 陰謀に加担していた貴族の烏丸矩成からすまるかねなりは、篁家を恐れ、自らの保身のために篁家の捕虜となり、企てのすべてを暴露した。

 しかしすべてを既に承知している篁家にとって矩成の存在は何の益もなく、彼はまっ先に処断された。

 そして憲麻呂を初めとしたすべての関係者が捕えられることになった。

 憲麻呂にとってこれは言うまでもなく、死を覚悟する出来事であった。しかしそれは、自らや中条家の死のみならず、朝廷の死を意味するものと考えていた。

「かかる首尾と相なれば……もはや麻呂の死など些細なことよ。清季権大納言よ」

「まるで武士のようなお心構え。敵ながら天晴れじゃ」

「黙るでおじゃるこの奸賊清季め! 帝を手に収め、秋津洲を我がものにせんと欲する極悪人めが!」

「我が心を知らぬ者の中傷など、そよ風のごときもの。お好きなだけ喚かれるがよい。刹那の人生、あとは何をするも自由ぞ」

 清季は、朝廷の反篁派を図らずも炙りだし、一掃した。そして彼の大志を阻むのは、とうとう上皇鳳凰院のみとなった、


 翌年、ついに鳳凰院は危篤となった。天下の鳳凰院も、天が定めた齢という名の制約に、抗うことができなくなったのである。

 清季は、院近臣並びに朝廷の重鎮として、鳳凰院の寝所へと入ることを許された。

「清季、余はまだまだ生きたかった。なれども、それも叶わぬようじゃ」

「何を仰られますか。流感のとき同様、すぐに癒えます」

「余には分かる。最期が迫っておるのじゃ」

「病は気からと申しますぞ」

「其は真理なれども……よく聞け清季」

「ははっなんなりとお申しつけ下さりませ」

 鳳凰院が咳きこみながら話す中、清季は笑みが零れそうであった。刻一刻と、この老獪な上皇の死が迫っているのである。だが涙を流し、悲しむ顔をしなくてはならない。油断すれば、これまでの努力が水泡に帰す可能性がある以上、清季に抜かりはなかった。

「そなたを太政大臣とするように、内裏へ下知した。左大臣の憲麻呂は、僧兵を招いて乱を起こした。元より役に立たずただのお飾りであったし、どうでも良いがのう。右大臣の艶小路あでのこうじも役に立たぬ故、そなたが国政を握り、東国の脅威に立ちむかえ」

「その儀、しかと承りましてござりまする」

「清季よ、内裏は余を嫌っておる。天下が太平であったのは、誰もがこの鳳凰院を拠り所とし、政をしておったからであるというに、あの若造には分からぬのじゃ。無用と思えばすぐに退位させ、紀子と徳仁の子に皇位を継がせよ」

「御意にござりまする」

 清季は振りかえり、近習に指示を出した。すべてを遺言として記しておけば、役に立つこともあるだろうと思ったのである。しかし鳳凰院の次の言葉には、記されて良いものか、迷った。

「東国の清和や藤咲を討伐し、天下をあまねく、公家のものとせよ。従わぬ逆賊どもは……殺せ……!」

 清季はすすり泣きながら鳳凰院の耳に口を近づけ、囁くように「断る」と伝えた。

 そして驚く鳳凰院の首に手を起き、力を込めた。これ以上余計なことを話されては困るからである。

 鳳凰院は暴れるも、床の上ではなす術なく、清季の手によって殺された。簾の向こうの近習には、鳳凰院が発作を起こして苦しんでいるようにしか、見えなかった。

 清季は号泣しながら「お隠れになられてしもうた」と叫び、悲嘆にくれてみせた。



 皇紀一八二六年


 数日後、清季は勅に従って、太政大臣に就任した。それは国政を司る最高位の官職であり、征夷大将軍同様、必要に迫られて用いられる職であった。

 つまり鳳凰院は、東国の乱れは朝廷の乱れであるとし、帝を完全に掌握して宮中から天下を平らかにすべしと、清季に託したのである。清季はそれに従うつもりはなかった。だが清季は、この官職の力を用いることとした。

「天子様、この清季は、天下はあまねく天子様のものと心得まする。また右左の大臣を経ず、太政大臣となりしは、これ身に余る幸運と存じ奉りまする。かくなる上はこの清季、天子様の御世が良きものとなるよう、犬馬の労もいたわずに粉骨砕身致す所存にござりまする」

「清季入道、此方の忠義、痛みいる。若輩の身ながら此方のような臣下を持てたこと、朕はこの秋津洲の幸いと心得ておる。共に、天暦の世の如き治世を築きたきものと思うておるぞ」

「そのような大任を預かりしこと、身に余る栄誉にして、恐悦至極にござりまする。して……恐れながら、一つ天子様にお尋ねいたしたき儀、これあり」

「申してみよ」

「天子様が志す政とは如何なるものにござりましょうや」

「朕はまだ元服もしておらぬ若輩者。此方の輔弼なくば、どのような政をすればよいのかさえ、分からぬ。天暦の世もまた、猿真似すれば良いものにあらず。故に此方へ問う。朕が行うべき政とは、如何なるものにありや」

「憚りながら申し上げまする。天子様は鳳凰院様の失策を省みて、お公家による政を改め、下々を慈しむ政を執りおこうべきものと存じ奉りまする。さすれば東国を安んじ、天下は自ずから治まるものと存じ奉りまする」

「京の栄華よりも、天下を見よと申すか。再度、此方へ問う。今天下を乱すは、主に東国の武士。近畿、畿内武士の長にして、天下一の武家の主として、其を何と心得る」

「憚りながら、言上仕りまする。武士の乱れとは、それすなわち政の乱れにござりまする。公家が正しく富を分け、武家を労えば、武家は不当に商人を襲うことなく、目代として土地を治むる領民を慈しみまする。さすれば、世に蔓延りし不条理は正され、民から憎悪や怨念は消え、鬼や魑魅魍魎は生ぜずやがて滅びまする。武士は秋津洲にて土地を巡りて争うことこれなく、外国とつくにの脅威にのみ備える、真のつわもととなれまする」

「一考に値するのう、清季。この秋津洲は、天皇たる朕が知らす国なり。政のために、朕は民を知り、神仏を知り、京や公家を知らねばならぬ。さすれば朕は社稷を安んじること能う。朕を除いて、たれがこの大任、担えようか」

「鳳凰院様は大任を担えず、ただ自らのものとするばかりにござり申した。天子様がその任を担う上で、道を誤ることがなきよう、この清季はお傍にお仕え申し上げとう存じ奉りまする」

「もし朕が国の主の器ではないと思うた時、此方は朕を如何んとなすつもりか」

「考えるに及ばず。某は、天子様の御世が千代に八千代に及ぶ国家の幸いの礎とならんことを、ただ願い奉りまする」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ