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第七話 桃紅

 桃の花咲く桃紅城で、流人の身となった清和朝頼は、目代の娘である雅子へ、家族愛と忠義は同じであると語る。


 一方京では、篁清季が娘・紀子を帝の許嫁とし皇室の外戚の地位を得るも、重季亡き後の嫡子である次男・宗季の軟弱さに失望し、武士の世の創世の志を、東国武士に託すこととなる。

 桃紅城は篁条家の先祖が造りあげ、今や近畿と東国を繋ぐ城であった。田舎でありながらも、華のある城である。幾千代も栄える桃源郷を夢見たこの城には、桃の花が咲きほこっていた。

 朝頼は風に流されて散った桃色の花弁を眺めて、故郷の桜を想起していた。雪溶けて桜が咲く季節となり、父や兄弟と共に団子を食べた記憶を懐かしんでいると、雅子が側にやってきた。

「桃の花がお好きなのですか」

「いいや……思いだしておったのです。父や兄弟、家来衆と花見を致した記憶にござりまする。朝敵のことを懐かしむなどと、御無礼仕った」

「家族に朝敵もなにもございませぬわ。だって、どこの家族も同じですもの」

「同じとは如何様な意味にござりましょうや」

わらわは、人前に出るために父上や母上からは、作法や和歌を覚えろときつく言われております。しかし家の中では、和気あいあいとしながら同じ米を食し、汁を飲んでおります。それは篁清季様や、京の貴族の方々であっても同じこと。家の中では……敵も味方も、朝敵も臣下もありません」

「先日、篁条の屋敷に参った際も、時勝殿から家族のように扱っていただきましてござる。某、ちと辛うござる」

「何故にございますか……?」

「家族にもなれず、武士として語らうこともできぬ某は、いかなる恩情やお情けをかけていただこうとも、朝敵の子として卑しくひれ伏さねばなりませぬ。恩情に報いることも叶わず、増々この胸の痛みは強くなり申す」

 雅子はこの恋煩いが、朝頼の悩みになっていることを悟って歯がゆかった。朝頼に寄りそい、独りではないと知ってもらえれば、幾ばくかの心の支えになるやもと自惚れていた。

「お気を害しましたならば、お詫び申し上げまする」と言い、朝頼は礼をした。心が揺れ、おどおどとする雅子に寄りそい、手を取った。

 雅子の中で、知らず知らずのうちにこの朝頼という色白で細身の若武者が、みかけよりもずっと脆い心の人間なのだと勘違いが起こっていた。しかしこの朝頼は気丈であった。見かけよりずっと心は逞しい男なのだと、雅子は悟った。

「家族のように接していただき、心底より感謝申し上げ奉りまする」

「知りとうございます」

「何を知りとうござりまするか?」

「もっと朝頼殿のことや、清和のご家族のこと、近くも遠い故郷のことをでございます」

「某は東国に生まれ申した。気候穏やかなりし日であったと聞いておりまする。父はそのころ、乱れる東国にて戦ばかりであったそうですが、お祝いの文を届けてくれたと、母上の由良御前はそう教えて下さりました」

「朝頼様はよく、お父君のことをお考えになっております。私は女子故、父親を主とも武士道の達人とも尊敬しながら、家族として想うその複雑な心が、難しく感じております」

「難しいことにはござりませぬ。父上は優れた家来衆に囲まれた人徳ある人で、祖父が京で乱を起こし朝敵となった折りは、自らは朝廷の臣であると証明すべく、祖父為義と共に朝廷へ攻めのぼろうとした家族を討ちましてござりまする。実弟さえも、例に漏れず討ちほろぼしましてござる。父上は、家族か武士としての忠義か、順番がござった。自ら身を粉にすることは当たり前で、その上で、どの道を行くべきか、常に見極めておったのでござりまする。その一生には常に、道理の二文字がありましてござりまする」

 順番という言葉を聞き、雅子は聞かずには居られなかった。朝頼の人生に、家族の二文字があるのか否かである。

 朝頼は必ず、父義朝や清和の御家が謗りを受ければ、憎悪に満ちた顔を浮かべる。そのときは穏やかでも、人影に隠れ、まるで復讐に燃える般若のような面相になるのである。

 そのおぞましい顔に雅子は恐れることはなかったが、とにかくその顔が朝頼の本性である気がしてならなかった。つまりは、父の汚名を晴らすことが、その生涯の御役目となっているのではないかと、不安に思ったのである。

「朝頼様は、義朝様の雪辱を晴らしたいのでしょう。そのように……お見うけいたしました」

「屋敷の中と言えども、言うに憚られる儀にござりまする」

「壁に耳あり障子に目ありと申しますが、この篁条家はこの地の目代。その屋敷ともあれば、誰も聞き耳を立てることは相叶いませぬ」

「なれども、天が見ておいでにござります」

「ならば尚更、本心をお明かし下さりませ」

 朝頼は、女子に口では勝てないと思い、観念した。

「武士とは何か、某は篁家の来歴を学ぶ中で、こう悟ってござりまする。武士とはすなわち、皇室という御家の守り人。家族を守る道理と、武士の道理は、分けるべきにあらず。武士が一致団結し、内裏様を共に御守りすることが、唯一の道にござりまする」

 朝頼は、にやりとした。その言葉は、彼が志す武士の世を表していた。はっきりと言葉にはしなかったが、帝を守ることと武士として家族を守ることが同義というのは、彼が清和氏の棟梁となり、秋津洲一の武家になることを意味していた。

 朝頼は流人として生きることを辛いと感じていた。父の無念を晴らせず石を投げられることが、兎にも角にも辛かった。ならばこそ彼は、どうすれば父義朝が討たれずに済んだのか、どうすれば自分はその轍を踏まずに家族や武士の生き様を守れるのかということを、繰りかえし繰りかえし考えていた。そうして見つけた答えが、自らが正当な棟梁となり、今度こそ帝の懐刀として京に勢力を構えるという形であった。

「朝頼様は……本当にお強い心をお持ちなのですね。私は篁条の人間でありながら、広い天下のことなど知らず、興味関心もありませぬ。なれども朝頼様は流人の身でありながら、新しい世の中を夢想しておられまする」

「夢物語で終わらせとうはござりませぬ。そうとあらば某は……時が来れば、花を咲かせとうござりまする」

 桃色の花弁が舞っていた。雅子の目には儚く、この恋が桃の花と共に、散りゆくものである気がして、胸が痛くなった。



 京で篁清季は、鳳凰院との交を更に強めていた。きっかけは、清季の正室である時子御前が病没した際、彼は図らずも時子を看取ってしまったことにあった。死者と同じ部屋に居たとなれば、清季は穢れてしまったのである。京ではこの穢れの連鎖を恐れ、穢れが払われるまで長いあいだ、隔離されるというのが、陰陽道的な決まり事であった。

 清季は現実主義であり、身分や穢れ、呪いといった見えない概念を信じてはいなかった。しかし幸運なことにこのとき、鳳凰院が時子御前と同じく流感を患ったのである。

 鳳凰院は祀を司る貴族の長として、呪いや穢れを誰よりも信じていた。そして鳳凰院から見れば、図らずも穢れてしまううっかり者の清季が、またしてもうっかりで穢れの連鎖を作り、自分にも災いが降りかかったように捉えることができた。つまり鳳凰院は、天が清季と自らを近しい存在であると認めたのだと、そう考えたのである。

 清季はこれを利用した。

 書状にて、天が認めた縁ならば、両家の縁をさらに深く結ぶべきだと伝えたのである。鳳凰院は喜び、まだ年端も行かない帝の許嫁に、清季の娘の紀子のりこを求め、清季はこれに応じた。こうしてついに清季は、帝の外戚として、自らの血を皇族に交えさせることに成功したのである。

 清季は鳳凰院の回復後、鳳凰院の指示によって帝が発した綸旨を受け、権大納言に位を進めた。

 中条乙麻呂亡き後、鳳凰院は清季を最側近として寵愛し、清季は面従腹背した。

 このころ、鳳凰院は藤咲氏を排除し、帝を完全に掌握していた。その鳳凰院はすでに高齢であり、清季は鳳凰院が老衰し没したのちに、帝の側近として政を掌握すれば良いと考えていた。

 当初より清季が夢見ていた時は、刻一刻と近づいていた。しかし彼は、力を欠いていた。それは無論、清和義朝のことであった。清季が危惧したとおり、義朝亡き後の東国は乱れ、多くの血が流れた。坂東武者は個々の強さは西国武士に勝るとも、連携できなければそれぞれで撃破され、大業は成せない。

 清季は西国一の武家である篁一門の主であったが、清季が京で成り上がる過程で、一門の多くが清季の威を借りた貴族と成り下がった。唯一、武家としての気風と実力を持ちあわせていた嫡男の重季が義朝に討ちとられた今、もはやこの篁家に強者つわものの武士はいなかった。

「重季さえ居てくれればのう……義朝殿と共に、武士らしく散ってしもうた……」

 悲嘆に暮れても、故人は帰らない。生老病死は当人のみならず、傍に居る人でさえも苦しめると、清季はしみじみとしていた。

「光延よ、この歳になっても、苦しみは絶えぬな。むしろ痛みは増しているように感じる。愛別離苦は、殺生を御役目とする我らが克服できぬ痛みやもしれぬな」

「権大納言様でも、苦しまれるのですか」

「然もありなん。某とて、人であるぞ」

「清季殿も、内裏様も、鳳凰院様も、三者三葉の痛みや苦しみをお抱えでいらっしゃいます。位人臣を極め、誰しもが憧れる御方であっても、同じ苦しみを感じていらっしゃる。それが幸か不幸か、某には図りかねまする」

「図れる者はおるまいて……。よいか光延よ、釈迦は生まれることさえも苦しみであり、生まれることは喜ばしいことではないとも仰った。生まれること、老いること、病を得ること、死ぬこと。その全てが苦しみなのだと。どれだけ栄華を極めようとも、苦しみから逃れることはない」

 清季は、位人臣を極め、志のために邁進しようとも、次々と現れる悩みに疲れはてていた。ようやく帝に接点を持ち、権大納言の地位に登ったとて、後ろ盾となるはずだった東国武士団は乱れ、自らが従える篁家はもはや武家ではなくなっている。

 八方塞がりの今、望みは一つであった。

「この首を……くれてやろうぞ」

 微かに口から漏れたその言葉に、光延は息を飲んだ。死んでもらうと言われたと思えば、今度は死ぬという。何を考えているのか分からない。だが、清和氏の名誉のために生かされたこの命を、いまさら清和氏に泥を塗るために使われるとは思わなかった。ともあれば、誰のために命を使うのか、光延は分からなかった。


 桜が散ったころ、清季は蔵馬山を訪れていた。このごろ、清季は仏の教えに熱心であった。死を意識したことがこれで初めてであったわけではない。苦しみに悩んだのも、これが初めてではない。だが今は、解脱というものに強く興味を引かれていた。解脱とは、人が死んだのちに生まれかわる輪廻転生の輪から抜けだし、苦しみの連鎖を断ちきることを意味していた。

「清季様……剃髪し仏門に入られれば、もう女人を抱くことも殺生を致すこともできかねますぞ」

「構いませぬ和尚殿、某は武士としての御役目を終えてござりまする」

 熱心に学ぶ中で清季は、入道の名を与えられた。これは、剃髪した高貴な身分の人間へ与えられる名であった。

 清季は今まで以上に蔵馬へ足繁く通った。鳳凰院もその心掛けを殊勝と感じていた。

 時代は末法であった。末法とは仏教の開祖である釈迦の入滅後、三千年を経て訪れる世界のことで、この世の終わりを意味していた。秋津洲中で乱や飢饉、洪水に地震、噴火が相次いでいた。

 天下一の武家の当主が仏門に帰依し、共に解脱を祈るというのは、鳳凰院にとって心強かった。

 だが清季の真意は他にあった。それは、蔵馬寺へ足繁く通い、ある人物に会うことである。その相手は何を隠そう、牛若であった。

「牛若殿、お母上はお元気になさっておるか」

「いいえ、母上は今流感を患っておりまして、療養なさっておりまする」

「左様か……病とは、かくも広まるものなるか」

「このころ、中納言様は山へいらしても、母上にお会いになろうとなさいませんでした。何故にござりますか」

「母上に会いに来たわけではないないからじゃ。そして某は中納言ではなく、権大納言となった」

「御無礼仕りました。お詫び申し上げ奉りまする」

「これこれ、童がかように畏まらずとも良い。しかし殊勝な心掛けじゃ。そなたがこの山を駆けずりまわっておったころは、お父上のことをお忘れになり、自らが誰であるのかを忘れてしまったのだと思い、悲しくなったものだ。だがそなたはやはり、清和の鬼ぞ」

 清季の言葉に、牛若は色々と引っかかった。

「お父上と申されましたが、権大納言様は拙僧の父ではあらぬということにございますか」

「左様じゃ。誰がかように申したのじゃ。由良御前か?」

「いえ、誰もそうは申してはおりませぬ。しかし母上と二人きりでお会いになるのは、権大納言様のみでございました。拙僧は、権大納言様の落胤であると考えておりまして」

「落胤などと、無用な言葉を教えよって……和尚から、かように低俗なことをどれだけ教わったのだ牛若よ。そなたは、高貴な人間であるのだぞ」

「和尚殿からではござりませぬ……拙僧は、天狗より教わりましてござりまする」

「な……天狗とな……!」

 牛若は何度も天狗と会っていた。そして、その何百年、何千年という長きに渡る生のあいだに見聞きしてきた人の世について、牛若は教わっていた。そして彼は、人の愚かさや、家族の結びつきが人を大きく、そして強くするということを学んでいた。

「お教え下さいませ、拙僧の父は何者でござりますか。そして……何故、拙僧だけが天狗と会うことができるのでしょうか。和尚は仏のことしか教えてはくれません。しかしこの世は、神仏のみが形作るものでもござりませぬ」

「よいか牛若よ、そなたの父は清和兵部司義朝と申す者だ。我が友にして、勇猛果敢な坂東武者の棟梁であった、当代きっての傑物ぞ」

「父は鬼だったのですか。拙僧と同じく、角が生えていたのでござりますか」

「然にあらず……。そなたの父は、紛うことなき人間であった。そなたは、母の由良御前が鬼に拐われたのちに産まれた子である。物知りなそなたに嘘は通用せぬと見受けた故、あえて憚らずに申す。そなたは、真の父は鬼であると思ったであろうが、鬼が人と同じ産まれ方をするとも限らぬ。我らはまだ、鬼を理解しておらぬのだ。故に、某は断言する。そなたの父は義朝であり、母は由良御前だ。鬼の血は混じっておっても、それは父にあらず。その証拠にそなたは、義朝殿と同じ目をしておる。鋭くも優しい目を……!」

 牛若にも、真相は分からなかった。鬼は人が憎悪を募らせ、その怨念から出たる存在であるとされているが、このよつに数が増えた理由には合点がいかなかった。つまり鬼はどのように増えるのか、誰にも分からないのだ。

「父は今、何処におられまするか」

「黄泉の国じゃ。命ある者は辿りつけぬ、天の国じゃ」

「何故、黄泉の国へ行かれたのですか」

「某が討った」

 牛若はハッとして、清季を凝視した。清季は、淀んだ目をしていた。

「何故……討ったのでござりまするか」

「義朝殿は、内裏様へ弓を引き朝廷へ謀反を起こした朝敵ぞ。牛若よ、そなたは鬼の血を引きながら、朝敵の実子でもある。故に幼くして寺へ預けられ、剃髪し読経をさせられておるのじゃ。そなたは朝敵の子。その恥を一生涯、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 清季の容赦のない言葉に、牛若は瞬きさえ忘れ、息をするのもおぼつかなくなった。牛若はそれからのことをよく覚えていない。それから、清季は姿を現さなくなった。牛若の憎悪ばかりが募り、清季を殺したいという思いが強くなっていった。


 流感を治した由良御前が久方ぶりに牛若と再開するやいなや、彼女は牛若を指差し「角が大きくなった」と呟いた。由良御前は牛若を、恐れるようになっていった。

 由良御前は牛若が父を忘れ、ただの童になってしまったことを嘆いていた。しかし、父の仇討ちをしようと復讐心に燃える牛若が、その怒りを増大させるごとに伸びる角と、やけに人間離れした色の白さには、さすがの由良御前も恐れを抱くほかなかった。自らを拐い、拷問を加えた鬼。その鬼の血が、色濃く現れたのである。その存在は、当に穢れそのものであった。

 父義朝を思いだし、復讐に燃える坂東武者らしい武士の目をした鬼の子が、これからどんな怪物になってしまうのか、不安で仕方がなかった。

「やはり鬼も人の成れの果て。鬼の血が混じって芽吹いた命は、ゆがんでおる。もはや人ではない。恐ろしや……あの子は、我が子ではなくなってしまうのじゃ……恐ろしや」

 部屋の中で一人、由良御前は震えていた。


 京の六波羅御殿へ戻った清季は、光延と抹茶を酌みかわしていた。彼は、牛若の中に確かに芽生えた憎悪が、日に日に増していくのを感じていた。角が大きくなり、その目には時折、強烈な何かが光る。それは快楽にも、殺意にも捉えることができるもので、一言では形容しがたい何かであった。

「光延よ、某の倅をここへ呼んでくれぬか」

「宗季殿にござりましょうか」

にも。そなたとあまり話をする機会はなかったと存じるが、傍から見て、宗季はどのように映るであろうか」

「篁家を継ぐに値する御仁と心得まする」

「亡き重季と比ぶれば、如何であろうか」

「元来の武家としては重季殿、貴族化した公家としては、宗季殿と心得まする」

「某もそう心得えるが……そうかそなたも同じ思いか」

「はっ。宗季殿には重季殿ほどの武芸や、何でも食らい生き延びようという、逞しさがありませぬ。さりながら、宮中のしきたりや、茶や舞、蹴鞠の作法に精通し、人に好かれる才がおありです。お身体の弱さから病にかかりがちな一面はあれども、その人としての魅力で、重季殿以上のご人徳がおありと心得まする」

「しかしそれでは困るのじゃ。そなたとは、宗季と友になって欲しい。坂東武者たるそなたから武人としての心構えを、宗季に教えてやってはくれぬか。焼け石に水とは思うが、今のままではいかぬのじゃ」

「焼け石に水とは、如何様な意味にござりまするか。宗季殿とて武家の人間。侍にござりまする。時をかければ、必ずや武人としての血が騒ぐようになりましょうぞ」

「時がないのじゃ、光延よ。時さえあれば、かように苦悩はせなんだ。……請けおってくれるな」

「御意、すぐに宗季殿をお連れいたしまする」

 光延に連れられて六波羅御殿へやって来た宗季は酔いつぶれていた。どうやら、女官と戯れ、淫乱な句を詠みあっていたらしい。

 清季は激怒した。そして宗季を殴りつけた。

「愚か者! そなた明日はそなたの祖父唯盛の命日なるぞ! 朝より寺へ参拝いたすと申したであろうに、何たる酔いつぶれようじゃ! それでも武士か!」 

 宗季は、はっとして、鼻水を垂らしながらひれ伏した。何度も詫びながら、赦しを請うた。

「ご寛恕賜りますよう、何卒、何卒……! 此許が悪うござり申した……!」

 変わり身の速さは、貴族らしいさかしさであると、清季は思った。篁家の次期当主でさえ、この有様である。先祖の霊を慰めることよりも、目の前の快楽を求めるその卑しさと浅ましさが、武家としての篁家を没落させたのだと絶望した。もはや、武家としての栄光は再興できないのである。清季が京で成り上がるとともに、京の毒気は確かに西国武士一の名家を、京の酒池肉林に溺れさせ、骨抜きにしてしまった。

 清季は足早に立ちさっていった。そして、頼りになるのは東国の坂東武者のみであると、改めて心を決したのであった。



 鳳凰院の流感は癒えたが、その高齢の身体は元通りとはいかなかった。息切れや痰は以前よりも増し、もはや息災とは言えない状態となっていた。 

 朝議にて鳳凰院は貴族らに心配されながらも、東国よりもたらされた慶事に心を踊らせていた。

「小鷹城にて大庭景虎は滅ぼされ、首を刎られたとな。追討に貢献した鎮守府の渡辺歳綱や、東国武士の河内義家らには恩賞を与えよ。それから、逆賊の首も届いておるそうな。ほれ、清季、検分せよ」

 箱を開け、青ざめた武者の首を検分した清季は察した。これは、大庭景虎の首ではないとすぐに分かったのだ。似てはいるが、歯並びや耳の形が、僅かに異なっていたのである。

 しかし清季は「逆賊の首に相違ござりませぬ」と言った。鳳凰院ら貴族は安堵し、口々に景虎らを逆賊と罵り、渡辺副将軍や義家を追討使に任命した鳳凰院を、まるで討伐した張本人であるかのように褒めたたえた。

 その有様を、清季の侍従として共に参内して眺めていた光延は、清季が何故自分をこの場へ連れてきたのか理解できた。貴族というものが、この秋津洲の膿であることを、見せようとしている。この膿を取りのぞくためならば、大庭景虎が死んだことにして東国が安定したのだという嘘を吐くことも厭わないのだという、清季の覚悟が垣間見えたのである。

 過去に言われた「死んでもらう」という言葉の真意を、このとき光延はようやく悟った。京の膿を取りのぞくため、東国武士の大軍を京に招きいれようというのだ。自分はその橋渡し役であり、死んでもその御役目を果たさなくてはならないのだと、悟ったのであった。

 鳳凰院は咳きこみながら、鬼頭義仲が鬼門城に攻めいった件にも触れた。「父に続けて緑奥守にしてやったというのに、やはり清和は逆賊か」と軽蔑しながら吐きすてる鳳凰院に、清季は同調していた。

 同調するその姿も、光延には、嘘の姿であることが分かっていた。

「緑奥の藤咲氏どもも、鎮守府を助けるために武士を出したりはせなんだという。一度は鬼頭と戦をする構えであっというから、味方同士ではないとは思うが……分かりやすく鎮守府へ攻めいらぬこの逆賊の方が、もはや鬼頭よりマシとは、世も末よのう。すべての地を鎮守府が治めてくれれば、かように難儀することもないというのに、坂東武者は易々とは滅ぼせぬ猛者揃い。東国は平らかにならぬのう。のう、清季」

にも。鳳凰院様の心中、察するに余りありまする。さりながら某は、東国が荒れたのちは、新たなる棟梁を据えるまで、乱は続くと考えており申した。かように早く決着が着きましたること、これもすべて鳳凰院様のご威光によるものと存じ奉りまする」

「余の威光とな?」

「御意。東国が乱るるは棟梁が亡き者となったことに所以がありまする。さりながら、東国が乱れつづければ、討使が錦の御旗を掲げて討伐に来ると悟ったことで、あの山猿たる鬼頭でさえも退きましてござりまする。漁夫の利を得るは、京の西国武士。その事実を早々に知らしめたる鳳凰院様のご叡慮こそが、乱を鎮め奉ったものと、某は心得まする」

「さればそれは、そちのお陰でもあろうぞ。西国武士を強大なものと天下に知らしめるは、篁の存在あってこそ。篁なくば、西国武士は有象無象が群雄割拠していると、東国武士に舐められていたであろう」

「勿体なきお言葉、痛みいりまする」

 存外、清季の目は淀んだ。この目はこの朝議で見せた、唯一の本音であった。篁に武士としての誉はすでにないという、清季唯一の弱音でもあった。



 内裏宮にて帝は、入内させた篁紀子と共に、庭を歩いていた。苔の生えた灯篭は若き二人を照らした。

「日が落ちようとしておるのう、紀子殿」

「はい、内裏様」

「紀子殿。この内裏宮では、朕を内裏様などと呼ばずともよい。朕と此方は、夫婦なるぞ」

「さりとて……わらわがやんごとなき御方の諱を呼ぶなどと、恐れ多きことにござりまする」

「此方の父は、権大納言の篁清季入道ぞ。やんごとなき血を引く御方がかように謙遜しては、朕はたれに心を許すべくもない」

 帝は、若くとも聡明であった。そして鳳凰院とは異なり、篁清季は将来自らの助けとなる人だと確信していた。藤咲氏が先帝に取りいって政を私し、やがて落ち目となったことを帝は学んでいた。賢い清季はその轍を踏むことなく、自らに忠誠を誓ってくれると信じてやまなかった。その娘である紀子は、当に、鳳凰院から政を取りかえす篁家と皇室の架け橋であった。

「それに朕は、此方を愛しく想っておる。かような想いを抱くは、此方が初めてなるぞ」

「内裏様が……私を愛しくお想いなのですか」

にも。故に、願わくば朕を、かくも敬うことはない。徳仁のりひとと諱で呼んではくれまいか」

「御意にござりまする……徳仁様と、お呼び奉りまする」

 緊張し、震えながらそう言った紀子を、帝は愛しく思い、高らかに笑った。

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