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第五話 鬼の仕業

 緑奥城の藤咲氏は、百鬼夜行によって領内の落城を招く。そして鬼頭義仲軍来襲し、清原(藤咲)望衡は南の鎮守府との連携を決断する。


 一方、小鷹城では渡辺歳綱副将軍が、大庭景虎と対峙する。坂東武者流の威圧は逆効果と見た歳綱は、鎮守府の貴族武者・多治比濱鳴を前面に出して持久戦で士気を削る策を採るなどするが、義仲の動向を警戒し、共に景虎と攻撃していた河内八幡義家を鬼門城救援に急行させる。

 緑奥城では、城主の望衡もちひらが溜息を吐いていた。「また城が落ちたか」という呟きに、右腕である成衡なりひらは、ニヤリとしていた。

「大伴中将は弁明すべしと心得まするが」

にも。中将よ、此度は城の規模が大きいゆえ、流石に無策とは思わぬが。その上で百鬼夜行に遭ったこと、釈明してみよ」

 望久は、震えていた。それは怒りによるものであり、その矛先は成衡へと向いていた。

「良彦成衡殿……そなたは某が遣わした人夫を、それも大勢の若い男を、祭祀のためなどと申して緑奥城に戻しよったな!」

 鬼気迫るその声に、成衡は驚き、目を丸くしていた。主である望衡から向けられる疑念の目に、成衡はオドオドとしながら、言い訳をしたさそうに口を尖らせていた。

「成衡殿! そなたは何故、城の防備を外すような愚かな真似をしたのか! 申開きをせぬか!」

「其は仕方なきことぞ……! 収穫後は、神々へ感謝の祀を行わねばならぬ。神仏の御加護なくして、これまで、そしてこれからの繁栄はない。人夫を集めしは無理からぬことではないか」

「目先の危険に対処せねば、これからの繁栄などないではないか!」

 あからさまに瞬きが多くなり、動揺している成衡。そんな成衡を見た主の望衡は、下らない足の引っぱりあいのために城を灰にしてしまった成衡に対し、激昂した。

 しかしそこに、物見による急報が届けられた。

「急報! 西方より鬼頭義仲の軍勢が迫っております!」

 その報は、この足の引っぱりあいに終止符を打った。主の望衡は「すぐさま陣を敷け! 迎えうつのだ!」と指示を出した。続けて「中将! すぐさまつわものどもを率いて戦え!」と叫び、すぐさま「成衡! 御神体を焼かれぬよう、ぬかりなく守りを固めよ!」と追加の指示を出した。

 成衡は、御神体を手に取り、そのまま山中にある古い御殿まで逃れた。

 しかし待てど暮らせど、戦の音は聞こえてはこない。何事かと思い、恐る恐る御殿から出て西方を見ると、義仲の軍勢は布陣したのみで、まったく動く気配はなかった。

「どういうことだ……彼奴らは戦いに来たわけではないのか」

 成衡は気づき、思わず高笑いをした。

 彼は、祈祷のお陰で、義仲らが動けないのだと悟った。義仲の軍勢の中に祟りが起き、戦どころではなくなったのだと信じてやまなかった。


 義仲の軍勢が退くと、成衡は、祭祀のお陰だと言いはった。その軍勢に鬼が含まれていなかったことも、彼の主張に信憑性を高める結果となった。

 成衡は貴族らに支持され、その影響力は望久を上まわった。

「大伴望久中将、この麻呂が居らねば、灰になるは緑奥城であったやもしれぬぞ」

 なおも成衡は望久をまくし立てた。

 望久は、口篭ることしかできなかった。

「もうよい、成衡、望久両人とも大義であった。何はともあれ、いつまた義仲めが攻めてくるか分からぬ。これからも各々の御役目を果たせ」

 主として望衡は、どちらの尊厳も保ちながら、二人の足の引っぱりあいを止めた。そして「かかる事態に相成りし今、南との協力は必須。成衡よ、すぐさま書状をしたため、鎮守府の大将軍へ送るのだ」と、次なる行動を決断した。



 追討使となった渡辺歳綱副将軍率いる討伐軍は、小鷹城を占領する大庭愛宕権現景虎との睨みあいとなっていた。

 歳綱は幾度も、景虎へ降伏勧告を行った。戦上手である義家のやり方に従い、歳綱は、力を背景とした態度を示した。いつでも攻めほろぼしてやるという脅しをかける方法は、義家ら河内氏同様、清和氏の分家である大庭家の景虎にとって、むしろ戦を前に高揚する行動であった。つまり、大庭家の武士どもを震えあがらせようという義家のやり方は、逆効果に終わってしまったのである。

 大庭家は小鷹城にて一致団結し、この守りやすく攻めがたい城で、数の不利を覆して戦おうという士気の向上を見せた。


 長い睨みあいの中で、歳綱は焦りを感じだしていた。

「西方は如何が相成ったか……緑奥城まで義仲が攻めいりながらも、すぐさま退いたと聞く。そののち、義仲は何処へ消えうせたのか……」

 その問いに答えたのは、重永であった。

「もし仮に鎮守府が攻められたとて、敗けることはありませぬ。堅固な鬼門城と、武芸に優れし武士が数多おりまする」

「こちらにも巨勢載足こせののたりを初めとした、優れた公家の武人がおる。貴族でありながら、剛の者ぞ。甲武諏訪太夫吉國らも、城におる」

「左様にござりまする。我らが目指すは、正面の敵の駆逐のみにござりまする。背に起こることなど、関わりのなきことと、心得まする」

「うむ、そなたのお陰でモヤモヤが晴れたわ。さすがは、義朝殿の右腕であった男じゃ」

「ただの相談相手にござりまする。参りましょう、いよいよ寄手を進めるときにござりまする」

 討伐軍は寄手である多治比濱鳴たじひはまなりの軍勢を前へと出した。濱鳴は鎮守府の貴族で、坂東武者ではなかった。これは歳綱副将軍が、叶麻呂大将軍から賜った、鎮守府の手で小鷹城を奪還するという密命を守ろうとしての采配だった。だがこれは効果覿面であった。

「大盾構え! ジリジリとジリジリと近づくのだ!」

 力ずくで攻めたてる坂東武者のやり方は、坂東武者である景虎には通用しない。だからこそ、勢いがなくとも、傷が浅く済むような攻めかたをする濱鳴の戦いかたに、景虎は頭を悩めた。

 景虎は、自分が坂東武者らしい戦いかたをすれば天下一であることを知られているから、鎮守府をぶつけられたのだと悟った。重永によって、戦いかたを絞られているということが、よく分かった。

 日が落ちれば、濱鳴は無闇矢鱈に攻めいることはせず、静かに引いていった。

 景虎はその戦いかたを、勢いを挫いて士気を下げる舐めた戦いかただと認識していた。濱鳴に対して、段々と腹が立っていった。ここで引きこもっていては、恐れを成したと思われ、味方に見限られてしまいかねない。時間をかければかけるほど、闘いに敗けずして、戦いに敗ける可能性が高くなるのだ。

 何より、景虎自身が敵を撃滅したくてうずうずしていた。濱鳴の首を肴に、酒を呑みたかった。

「幸良、明日の正午、撃ってでようぞ」

「それが宜しいかと存じ奉りまする。多くの武士が、あなた様が弱腰であると陰口を叩いております故」

「しからば、全軍で撃ってでようぞ。敵の数は少なく見積っても、こちらの倍はおろう。すべてを討つことはできずとも、正面の多治比濱鳴などという貴族武者を、殺すことくらいはできようぞ」

「そののちは如何致しましょうや。小鷹城を守ったとて、敵を打ちはたさねば戦いは終わりませぬ」

「西の敵は、その間に何をするであろうか」

 景虎が気にしているのは、義仲のことであった。戦の最中となれば、義仲はそれを絶好の好機と睨んで攻めいってくる。そうであれば、今は闇雲に義仲とのあいだに位置する鎮守府という敵を、滅ぼすべきではないとも思ったのだ。

 幸良は、暴力一辺倒の景虎が目の前の敵に縛られず、広い視野で戦をしていることに驚きを隠せなかった。景虎は当に虎であった。出会ったころから今に至るまで、武辺者として最も強い敵と戦いつづけ、そして義朝家来衆一の武辺者として名を馳せた。そんな景虎が、今となってはよく人を纏めあげ、苦手であった守城戦さえこなしている。

「あなた様は……真の棟梁と成りうる存在やも知れぬ……」

 思わず幸良の口から、言葉が零れた。その言葉を口にしたとき、ほんの少しの疑問も伴っていた。しかし頭の中でその言葉が反芻され、五秒と経たずに確信へと変わった。

 幸良は三七の歳で、義朝と同じ年に生まれたが、二五のとき初めて義朝と会った際には既に、彼とのあいだにあった差を感じとっていた。それは王佐の才の有無であった。

 そのとき感じた差を、今は目の前に居るこの景虎に感じていた。景虎は歳上だが、坂東武者らしく知性も品性もない男である。どちらかと言えばこの獣のような男が、幸良は嫌いであった。だが嫌いでありながらも、憧れに等しい感情が、幸良の心を埋めつくしていた。

「我が君」

「我が君など、なんの真似だ幸良よ。我らの君は、内裏様だ」

「いいえ、貴方様は我が君にござ候。義朝君がかつてそうでありましたように」

「その言葉を聞けば、義朝殿は怒り其許を殴ったであろうな」

「そうであろうとも、某は偽りの言葉を嫌いまする。権威のみで何の助けもおくれあそばさぬ内裏の、何を敬えと申されるか。其の何をもって、君となすべきにありましょうや。帝だから、神の血筋だから、秋津洲の主だから。かかる幻想に等しき理では、承服致しかねまする。ただの子供で、歳を取れば鳳凰院のような老獪な人に成り下がるのみにござ候」

「其許の勇気は、弓や槍相手のみならず、内裏を謗り神々を怒らせることさえ厭わぬのじゃな。その小さな体に秘めた勇気は……他の誰も及ばぬものなり」

「言うは易きもの。態度で示さねば、意味がござり申さず。内裏や鳳凰院、貴族は敵にござりまする。篁清季も例外にあらず。義朝君は馬鹿の一つ覚えの如き忠義を貫き、内裏のために落命なされた。すべては、武士が貴族や皇族の手下であるが故に起きたことにござりまする」

「義朝殿は篁清季殿をお慕いいたしておった。その大志に惹かれておった」

「なれども清季は義朝君をお救いせず、自らの家名を高めるため、そのお命を奪った。今や大志を忘れ、その生まれの運を活かして京にて良い暮らしをせんがために暴挙を致す男に、武士の世など創れませぬ。清季は小物にござりまする」


 篁清季は、篁家当主として武士でありながら中納言という高貴な官職にまで登ったことで、当代きっての英傑との呼び声が高かった。しかしその栄誉は彼自身の功績だけで、勝ちえたものではなかった。

 彼の生家である篁家は、内海と呼ばれる畿内近くの海で、海賊を討伐することで名を挙げた、武家の名門であった。

 清季の祖父である篁正盛たかむらのまさもりの代で、その名誉は他の名誉ある武士とは格別のものとなった。【北面の武士】という、上皇の守護を担う名誉ある武士となり、若き鳳凰院を守護を担う一員となったのである。

 その子である篁唯盛たかむらのただもりの時代に、篁家は隆盛を迎えた。海賊が減った内海にて盛んになった商いは、多額の税収を齎したのである。内海の大部分を領有した篁家は、並の田舎貴族を凌ぐほどの金を手にし、一門の教育に力を入れた。そんな時代に、清季は生まれ育ったのである。

 彼は、海賊討伐のために船の上で過ごした時間よりも、京で文化的な暮らしをした時間の方が長かった。

 彼は確かに武士であった。しかし確かに、貴族でもあった。金と武力、京住まいらしい教養と武士らしい気概があれば、彼が堕落した貴族の世界で成りあがるのは難しいことではないだろうと、多くの武士は妬みも含めてそう思っていた。


 幸良は、清季が口にする志は、義朝が抱くに相応しい志であると思っていた。そのため、義朝亡き今、武士の世などというものは、永久に訪れないと思っていた。

「義朝君は知勇と仁徳を兼ねそなえた御仁にござりました。河内家や甲武家を筆頭に、優れた武士は大勢居ようとも、義朝君のように君主の器を備えた人間はおりませぬ」

「某は……義朝様と同じであると……?」

「左様にござりまする。あなた様は……鎌村柵の金と、大庭家が祀る寺社による神仏の御加護、加えて、勇気がござりまする。勇気一辺倒のその他の清和氏と一線を画す、王佐の才をお持ちでござりまする」

「義朝様には、確かに王佐の才がござった。人とは異なるものが、その胸に宿っておった。某は篁清季を良くは知らぬが、義朝殿と共に京にて清季と過ごしたことがある河内の義家と重永は、二人は同じ目をしていたと語っておったわ。清季は道を誤ったが……某ならば同じ轍は踏まず、義朝様の道を行ける」

 幸良はその言葉で、笑顔になった。そして改めて「我が君」と呼び、再び笑った。

「この小鷹城を初めに、分裂した義朝君の旧領を回復なさりませ。西へ進み、追討使の渡辺歳綱副将軍を討ちはたし、朝廷に帰順する旨を伝えるのです。そののち、鳳凰院より院宣を貰いうけ、義仲をお討ちになりそののち、北上して藤咲氏を討伐し、南へ進みましょうぞ」

「それが良さそうであるな」


 翌朝、景虎は自らも騎馬し、城から吶喊した。城に僅かな守衛のみを残し、全力で濱鳴を討ちはたす心構えであった。

 しかし濱鳴は全力で応戦した。指揮を執るのが貴族武者と言えども、鎮守府には地侍である坂東武者も多く、槍や刀での斬りあいにはめっぽう強かった。

 景虎は手こずり、焦りが募った。大きな谷の裏に隠れている後詰めの大軍が、義家に率いられて城を狙う可能性が高いのである。今小鷹城を失うことは、逃げ場を失い離散することを意味していた。それを防ぐべく、景虎は苦渋の決断を下した。

「撤退せよ! 小鷹城へ退けい!」

 まだまだ戦っていたい大庭方の坂東武者は、聞こえない振りをして突撃を繰りかえしていた。砂塵が舞い、怒号が鳴りひびく戦場においては、人の声など聞こえないものであり、死を恐れない坂東武者は戦の最中に命令無視をすることが度々あった。

 だからこそ、景虎は有りえないほどの大音声で、叫んだ。

「今退かぬものは斬首である!」

 その声に驚いた大庭方の坂東武者は、しぶしぶ退いていった。

 日が暮れるころ、城へ戻った景虎であったが、夜になっとも義家が現れる気配がなく、訝しんだ。


 そのころ、義家は密かに戦場を離れていた。鎮守府より救援要請があったのである。鬼を率いる義仲により鬼門城を攻められ、なんとか城壁や、戦上手である甲武新羅丞吉光率いる軍勢により、ギリギリで持ちこたえている状況であった。

 義家軍は数日掛けての急行軍であったが、小鷹城にて負傷者が出なかったことが幸いし、昼夜をかけての行軍でも脱落者は出なかった。

 鬼門城は一部に火の手が上がり、一日でも遅ければ陥落寸前という状況であったが、当に九死に一生を得た。敵の撤退は一時的なものであると分かっており、城内は体制の立てなおしを急いだ。


 城内に入った義家は甲武新羅丞吉光を見つけるや否や、蹴飛ばして胸ぐらに掴みかかった。

「御辺が居りながら、何故かような惨事と相成ったか!」

「御辺も見たであろう! 鬼が来たのだ! 魔の者が鬼門城の結界を破るなど、思いもよらなんだ!」

「鬼など知ったことか! 御辺はそれでも坂東武者か!」 

 歳綱副将軍は、鬼気迫る義家のその態度を見て、当に戦狂いの坂東武者であると思った。鬼や義仲という共通の敵を前に、内側にあった不穏な気配はなくなったと思ったが、義家という毒を入れたことで、再び城内にも仲間割れの気配が生まれてしまった。歳綱はやはり義家を、蠱毒であると思った。

「おやめなさい」

 そう言ったのは叶麻呂大将軍であった。

「義朝殿ならば味方を労えども、罵倒はせなんだった」

「某は義朝殿には遠く及ばぬ故」

「その言いよう、慮外ながら、棟梁の地位を小鷹城に立てこももりし大庭景虎に譲らんと欲しているように聞こえるのう」

 その問いに答えられる義家ではなかった。彼には弟の重永のような賢さはなかった。あるのは死を恐れぬ勇敢な突撃のみであった。

 ようやく義家が黙ったので、歳綱副将軍は咳払いをして注目を集めた。

「叶麻呂大将軍を寝所へお連れせよ。祈祷なくして、鬼の攻撃を防ぎきれなんだ。義家殿、此度は大軍勢での急行、感謝申し上げなん。城の守りは甲武吉光、吉國兄弟や、巨勢載足こせののたり殿らで間にあわせまする。しばらくお休みいただいたのち、山中に潜んでいただきとうござる。しかして、挟みこんで敵を討ちましょうぞ」

「承知仕りました。なれども……いいや、何もござらぬ」

 義家には不満があった。戦の最中であれば、誰もが心中穏やかではいられない。義家は、戦となれば高揚してしまうものだったが、今回はそうではなく、不安を感じていた。

 鬼が鬼門城の結界の内に入ったという危機は、明らかに神通力のような目に見えない類の力が働いているからに他ならない。義家にも、それ位の予想はついていた。そんな中にあって、元よりあった甲武兄弟の不和が、いずれ最悪の結末を誘引することにならないかと、不安が募っていたのである。

 甲武兄弟の不和は昔からあった。しかし義朝という頭の手腕で、上手く利害の調整が機能して、反乱を引きおこすことはなかった。しかし現状は異なる。義朝はおらず、敵は複数であり、魔の者に対しては絶対の防御を誇るはずの鬼門城さえ、陥落寸前となったのである。

「諸行無常か」

 義家は呟いた。何もかもに亀裂が入り、ギリギリのところで立っている。そんな気がしてならなかった。



 甲武諏訪太夫吉國は夜の内に、山中に潜むべく武士を小分けにして城を出ていく義家の軍勢を見ていた。やはり数が多い。それだけの武士を従えられる求心力や、財力。家名というものが、眩しく見えた。

 甲武家は清和氏の分家であった。しかし甲武家が治める甲武国かぶのくには丘陵地であり、面積に対して田畑が小さく、従える武士が少なかった。武士を集めるには、食うに困って土地を捨て、賊と化した者どもを赦し、力で服従させるということが多かった。その甲斐あってか、甲武家の武士は忠誠心が強かった。やはり、本来ならば死罪となる賊に身を落としながら、武士として御役目と報酬を与えられるという恩は、大きなものだったのだろう。

 武士として、吉國のその武勇は、兄の吉光を上まわっていた。吉國自身は、個の武勇では吉光に勝るばかりか、義朝家来衆一の武辺者と名高かった大庭景虎にも、引けをとらないと自負していた。しかし大庭景虎とは異なり、吉國には強い劣等感があった。それが、兄の吉光の存在であった。自らは父と正妻のあいだに生まれた長子でありながら、嫡男ではないのだ。先に生まれた河内家の三男吉光が、養子として甲武家に来たがために嫡子にはなれなかったという劣等感が、彼を常に苛だたせていた。その劣等感が、彼に苛烈さを与えると同時に冷静さを奪い、大庭景虎のような棟梁の器へと化ける妨げとなっていた。


 吉光さえ居なければという思いは、義朝亡き後、日に日に強まっていた。今回の鬼門城の戦いでも、もっと自身の軍勢が大きければ出撃し、河内義家の軍勢など居なくても、鬼や義仲を退けられたと信じていた。

「甲武荘を継承するのが某であれば……!」

 希少な田畑が密集する地域であるこの甲武荘だけで、広大な甲武の収穫の半分を賄っていた。

「明日の戦で並の戦働きしかできぬようならば……力不足として斬りすててくれようぞ……吉光め」

 吉國は腹に一物を抱えたまま、寝所に入った。

 吉國は布団に横たわったが、周囲の物音が気になり眠れなかった。童が走りまわるようなその音は、次第に近づき、ついには寝所の中を駆けずりまわっては、壁を叩いたり枕元で笑ったりと、あまりに不可解な状態となった。

「何者じゃ!」

 吉國は叫びながら飛びあがり、抜刀して振りまわした。蝋燭を手に持った側仕えが部屋に飛びいり、行灯に火を点けた。照らされた部屋の中に、童などいなかった。

 吉國は「明日も早い故」とだけ告げて、側仕えらを外へ追いやった。奇妙なことも起こるものだと怪訝に思いながら、再び床に就いた。すると少しして、耳元で囁き声が聞こえた。

 目を開けるも、暗闇の中に人の姿は見えなかった。

「側仕えよ」

「ここに」

「鬼などと呼ばれる魔物が、何か妖術でも使ったのかのう」

「襖を隔ててはおりまするが、皆お傍におりまする。申される通りであろうとも、恐れることなどござり申さず」

「左様であるな。誰も某に手出しはできぬな。鬼などと申しても、所詮は海の向こうの人と同じく、見た目が異なるだけの人間であろう。すべては戦疲れのせいであろうな」

 幾分か、心は安らかになった。それ以降、不思議な体験はなく、朝を迎えることができた。


 翌日、鬼や義仲は攻めてはのなかった。

 軍中では、叶麻呂大将軍、そして歳綱副将軍、鎮守府内の鬼門大社きもんたいしゃの神主である道嶋御楯みちしまのみたて権宮司が生贄を捧げて祈祷をしているからだという意見が、大半を占めていた。

 しかし現実主義の吉國は、意味がわからないと思っていた。

「坂上叶麻呂大宮司、渡辺歳綱少宮司、そして道嶋御楯権宮司などと、大層な役職を名乗っておるが……祈祷で人は死なぬわ。呪詛で死ぬのは、それを恐れる心に殺されるだけであろうぞ。それに……もし祈祷の神力が本物ならば、昨晩の出来事は一体なんであったというのか」

 見えないものを信じながら、堅固な城壁に立てこもる武士らを、吉國は情けなく思った。

 貴族は祀を大切にしているため、神仏や祖神の系譜である帝に畏怖の念を抱いても仕方がないと思った。だがしかし、その信心深さゆえに、祭祀や占いを理由にして勝機を逃すこともある河内家の武士が、許せなかった。そこには無論、兄である甲武新羅丞吉光も、含まれていた。

「鬼門城城代の巨勢載足殿へ直訴致す。何故、敵が動かぬこの好機において攻めに転じぬのか。この真奇っ怪な敵の動きの意図を読もうとせなんだか」

「吉國殿、お答え致そう。万この城の結界の補強による、鬼の」

「鬼が動けぬのだとして、何故義仲めも動かぬのか!」

「鬼の頭を名乗る義仲も鬼なれば、不思議なこともなきものと心得よ」

「たわけ! 鬼は魔物と言いながら、名乗っても鬼などと申すのか!」

「名は家や血筋を表し、その者の本質となりまする。鬼の頭を名乗り、鬼を率いて寺社仏閣を壊してまわりし極悪人なれば、彼の者はもはや人にあらずや」

「麻縄が掛けられた建物や岩を壊しても、彼奴は清和の血筋だ! 鬼ではない!」

「そなたはよく理解しておらなんだな」

「貴殿らこそ現実を見ておらぬ! よいか公家の武人ども! 我らは今、敵の策を暴かねばならぬ正念場ぞ! かようなときに何故城に籠っておるのか! 勇ましさを忘れた武人は、もはや刀を握った蛮族ぞ!」

 吉國の激に、賛同する者は居なかった。載足を初めとして、呆れかえった顔をしていた。しかし一人だけ、異なる態度を示した。いよいよ吉國の言動に耐えかねた吉光であった。

 吉光は吉國を殴りたおし、倒れこんだ吉國の胸ぐらを掴んで馬乗りとなり、何度も何度も殴りつけた。

「甲冑を纏うて斬りあうか弟よ! 武士らしく葬ってやろうか!」

「黙れい! 大事を前に私情を挟むのか愚か者めが!」

「黙らっしゃい! 無学な馬鹿者が大将軍の成すことに口を出すからであろうが!」

 騒ぎを聞きつけた歳綱副将軍が戻り、二人を引きはがした。

「余計な面倒を掛けよって! 首を刎ねるぞ馬鹿者ども!」

 下らない諍いばかり起こす東国武士に対し、歳綱はほとほと呆れかえっていた。しかし荒れくるっているのが坂東武者らしさということを、分からない歳綱ではない。それに、頭に血が上れば却って冷静になる性格である歳綱にとって、それは特に忌みきらうことではなかった。

 しかし、叶麻呂大将軍に余計な心配事を作ることは、避けたかった。祈祷には何より集中力が肝要であり、鬼を祓うには、邪魔立てをしてはいけないと強く感じていた。

「載足殿! 吉光殿を抑えよ! 大人しゅうせい吉國殿。いい加減にせんか!」

 むしろ、歳綱は楽しむ余裕があった。だがしかし、吉國の怒りは絶えなかった。

 吉國自身、何故に今日だけはこんなにも腹が立つのか、分からなかった。どれだけ兄に対して腹の虫が収まらなくとも、暴れれば多少は熱は冷める。しかし今回ばかりはそうではなかった。

 いよいよ、吉國は引けに引けなくなって、抜刀した。理性に逆らって、「ここで御辺らを斬らねば、迷信や妖術に囚われて敵を討つ策が取れぬわ!」などと叫んでしまっていた。

 そして歳綱副将軍もまた、今までにないほどに怒りくるう吉國に対し、楽しむ余裕がなくなった。抜刀して二人が刀を向けあったとき、それぞれの家来もまた同様に武器を向けあい、一触即発の状態に陥っていた。

 そのときであった。

 襖が勢い良く開かれ、叶麻呂大将軍が姿を現した。

 歳綱副将軍はすぐさま、刀を鞘に戻して右手で握り、胡座をかいた。家来もそれに続き、まるで部屋ごと冷水を掛けられたかのように、諍いの熱は一気に鎮火した。

「甲武諏訪太夫吉國、参れ」

 力強い老人の声に、吉國は二、三度周囲をキョロキョロと見た後、誘われた襖の向こうに入っていった。


 何百もの蝋燭が灯された薄暗いその部屋の中心には、薪が焼べられた祈祷台があり、その前にて大将軍は正座をしていた。

「刀を置け、諏訪太夫。八百万の御前である」

 促されるがまま刀を置いた。

「何故、某をここへ」

「ご神託を得た。ゆえに是をそなたに託す」

 そう言って、叶麻呂大宮司は一振の神剣を渡した。

悪鬼国切あくきのくにきりだ。今宵は、その刀を枕元に起きなさい。よく眠りたくば、命に従いなさい」

 吉國は、何故よく眠れていないことを知っているのか、疑問に思った。しかし神聖な空間が肌に合わず、言うに言われぬ不快感から逃れるように、吉國は部屋を去った。


 夜、寝所に悪鬼国切を置いた吉國は、突然頭上で鳴りひびいた轟音に驚き、飛び上がった。刀は一人でに倒れ、鞘から飛びでていた。頭上に置かれていた壺が割れており、灯篭を灯して覗き見れば、そこには元はなかった黒鬼の絵が、描かれていた。


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