第二話 忠義
左大臣中条乙麻呂主催の歌合に出席した篁清季は、恋と風雅に酔う貴族社会に倦みつつ、鳳凰院と円華、そして力石実友らの思惑を冷ややかに観察する。
そのころ、京に留め置かれていた清和義朝は、藤咲頼秀から帝を奉じて鳳凰院を討つ謀反への参加を迫られる。武士の世を構想する清季の策と、帝救済を掲げる頼秀の急進策の板挟みとなった義朝は、最終的に「忠義」の名のもとに決起を決断。子・悪来太郎義平とともに三条御殿を急襲し、円華を陵辱、鳳凰院と左大臣を拘束して京を掌握する。
京は正統の名分を失ったまま、武士と武士が刃を交える寸前まで緊張を高める。
理と策を重んじる清季の「忠義」と、帝を救わんとする義朝の「忠義」。異なる道を選んだ二人が、ついに対峙しようとしていた。
清季は左大臣中条乙麻呂が催した歌合に出席したのはいいものの、言うも言われぬ退屈さを感じていた。貴族の誰かしらが和歌を詠んでは、それを批評する。鳳凰院や乙麻呂までもが、季節や恋の詩に胸を打たれている様が、清季の目には滑稽に写った。
男が多くの女性と関係を持ち、浮名を広めることは名誉であった。色好みと称されるは、それだけ和歌の美しさや床の上手さが際立っているという賛美の意味なのである。
ある貴族が詩を読んだ。
「逢ひ見ての、後の心にくらぶれば、昔はものを、思わざりけり」
それは恋心を詠った詩であった。
貴方と一夜を過ごしてから感じるこの切なさをを思えば、今まで過ごした夜など、何の思いもない遊びであった。
その意味を読みとった鳳凰院は、貴族の顔を凝視していた。清季は一瞬、その意味が理解できなかったが、すぐに合点がいった。その貴族、力石実友少納言は、円華と一夜を共にしたという噂が流れていた。円華に和歌を詠み、返歌には、その和歌の出来を褒めながら距離を縮めようとする、なんとも積極的な詩が詠まれたのだという。
眉も白くなった老齢の鳳凰院が、円華の心を離すまいと、若い貴族を睨みつけている。その強欲さに清季は、もはや嫌悪感すら覚えた。
清季とて、京きっての色好みとして浮名を流している。しかし、その強欲により乱を招いたという汚点を残しながら、女子の尻を追いかける無様を晒す鳳凰院とは、まったく異なる存在だと、自認していた。
鳳凰院は、権力を傘に、女子を食いあさるのみである。今は亡き正妻であっても、彼に惚れてなどいなかったというのは、今や誰もが知るところである。
しかし清季は異なる。真に女子を惚れさせ、伝統に従い、正妻とした。篁時子は、器量も家柄も良い女子ながらも、武士であるとして見下されていた当時の清季を心の底から愛し、家族の反対を押しきってまで清季と結ばれることを選んだ。
時子は清季の好意を引こうとし、詩を送ったことがあった。
「心あてに、それかとぞ見る、皇の、光添えたる、竹やりの士よ」
ふと目に止まった輝きを放つ貴方は、神々しく竹槍を手にした、篁様でしょうか。
時子は貴族として、武士を貶す身分に在りながらも、清季への好意を伝えることを惜しまなかった。清季もまたその思いに心惹かれ、夜這いをし、家族となった。
世間では円華こそ真の想い人であると邪推する者もいる。しかし清季にとって円華など、鳳凰院に取りいるための、駒に過ぎなかった。鳳凰院に好まれる人間を演じるため、円華を通して、彼のことを知ろうとした。円華は清季にとって、ただそれだけのための存在であった。
詠みあいがあった日の夜、円華は自らの屋敷である三条御殿から、清季の屋敷である六波羅御殿まで牛車で押しかけた。知恵者である円華は、連日清季の元を訪れれば彼が鳳凰院から逆恨みされることを理解していた。そのため、高貴な身分には似つかわしくないボロボロの牛車で訪ねては、清季と密かに愛を育んでいるつもりであった。
二人だけの一夜を過ごし、円華は日が昇る前に三条御殿へ戻ろうとした。
「もう行ってしまうのか円華」
「分かっておろう、日が昇れば顔を見られる」
「さりとて、そなたをもっと抱いていたいのだ」
「今宵はここまでだ清季殿……そなたも分別を弁えて夜を過ごすべきだな」
「離れとうないと、たまには本音を言えば良いものを」
「戯言を申すな。そなたと違い、私は多くの男に求められておるのだ」
本音では清季だけを愛していた。だが、仏僧であるが故に、人の妻にはなれない。清季をひとり占めにはできない。しかし清季は自分を愛してくれているという実感はあった。
彼女はそれが、清季の本音だと信じていた。
「清季よ、熊野詣へ行くそうだな。参詣する道中、私のことを思いだすのだぞ」
「無論だ。忘れたくとも忘れられはすまい。いつも某の胸の内にそなたは居る」
円華は蝋燭の火に照らされぬように、顔を隠した。そして影の中で、照れわらいをした。
そしてぶっきらぼうに「ではまた来るぞ」と言いはなち、六波羅御殿を後にした。
義朝は京の北に位置する蔵馬山から、京を眺めた。やはりこの京は、整然としていて感嘆してしまう。東国の城は、武具や籠城のための食料を積んだ砦が、周囲の地形を有利にするように築かれている。そして砦の下に武家屋敷が広がり、更に外側の野に田畑を中心とした村が並ぶ。歪つであり、とにかく蝦夷や魑魅魍魎を撃滅することを第一とする造りとなっている。
「ここに魑魅魍魎が来ても、高低差がなく、巨木も岩石もない。戦えぬな。だからこそ、征夷大将軍が鬼門城で魔を祓う必要がある訳だが……坂東武者の猛者どもが内輪揉めを起こしたりはせんだろうか」
気掛かりなのは、棟梁なき坂東武者どもが、互いを守りながら戦っていけるのかということであった。
坂東武者はそもそも、清和氏を中心に形成された集団であった。遠い昔、鬼や魑魅魍魎といった魔物が畿内に入りこみ乱暴狼藉を働く百鬼夜行というものに、帝や貴族は悩まされていた。朝廷の陰陽師は風水の理に従い、魔物が入ってくる鬼門、つまり東北方面に盾を置く必要があると考えた。奏上されたその案を受け、時の帝である清和天皇は武勇に優れる実子を臣籍降下させ、坂東へと遣わした。それが、坂東武者の祖にして清和氏の祖である清和頼信であった。
頼信は現地の荒くれ者や盗賊、一部の蝦夷を屈服させ、朝廷に帰順させることで一大武士勢力を形成した。それが今の世に坂東武者と呼ばれる存在であり、彼らの手によって築かれた鬼門城を中心として、坂東や緑奥地方は東国という形で秋津州に組みこまれた。
坂東武者はそういった経緯で生まれたため、貴族でありながら武装した武人で構成される、鬼門城を根城としている鎮守府とは毛色が明らかに異なった。乱暴者の無頼ばかりで、義朝という血筋と力を認めた棟梁が居なくては、些細なことで反目しあい、血で血を洗う争いを行いかねないのである。
彼らの棟梁として立ちつづけた清和氏でさえ、義朝が弟の義賢を討伐したように、常に親類縁者でその地位や富を巡って殺しあいを続けてきた。それはもはや、坂東武者の習わしであるとさえ言われる気質であった。
「それのみならず、緑奥の武人らも気掛かりだ。緑奥藤咲氏は今や……秋津洲から別れた外国のようなもの。この機に乗じて攻めてきたりはせんだろうか。はたまた、義賢の子である義仲も、鬼頭などと名を改めておる。鬼の頭など、真ふざけた名だ。朝廷に仇なす人ならざる者として、緑奥藤咲氏や蝦夷、鬼なんぞと手を組んだりはせんだろうか……」
東国に跋扈する、朝廷にまつろわない人々である蝦夷や、人の成れの果ての姿である邪悪な存在である鬼。そして人の怨念や神々の怒りによって発生する負の権化である魑魅魍魎ならば、鎮守府や坂東武者の力で退けられる。しかし、朝廷に対し不穏な気配を漂わせる鬼頭家率いる坂東武者や緑奥藤咲氏といった武者どもが、その知恵を使い狡猾に攻めてきたとき、果たして義朝の家来衆は団結しつづけられるのか。義朝は不安に駆られた。
「やはり帰るべきか。城を奪われた釈明は済み、もはやここに御役目は……」
義朝の独り言に対し、誰かが背後から「ありまするぞ、兵馬司殿」と言葉を重ねた。義朝が振りかえると、そこには藤咲頼秀の姿があった。
義朝は摂政の藤咲頼秀という高位な存在が、京の外で自分に話しかけてくるなど、思いもよらなかった。義朝は、驚きのあまり挨拶を忘れて立ちつくした非礼を詫びた。頼秀は笑って許し「そちと二人で話したき儀があってのう」と告げた。
「何故にござりましょう?」
「そちを誘うために決まっておろう。ここは寺がある。京を出て偶然出会しても怪しまれぬ良き場所よのう」
「誘うとは……計略にござりましょうか」
「察しが良いのう。これから詳細を話そう。逃げはせなんだな」
義朝に選択肢はなかった。朝廷の官位というものには絶対的な力関係があることを義朝は痛感した。頼秀の計略とは、帝のために謀反を起こすというものであった。帝の側に仕えて信頼を得るなどという冗長なことはせず、帝を戴き、朝廷にて専横を極める鳳凰院を朝敵とし討つというその計略に、義朝は困惑する他なかった。
「よもやここまで聞きおよんでおいて、断るとは申さぬな、兵馬司殿。おいそれと帰しはせぬぞ。そちの兵馬司という官位も、清和宗家や武士団棟梁の地位も、我の一存ぞ。そちは鳳凰院にも嫌われている故もう……立つ瀬はないぞよ」
「実を申さば、篁中納言様からも計略を授けられてござりまする。時が掛かろうとも、その方が藤咲様の計略よりも思惑通りになると考えておりまする」
「清季めが考えることなど、たかが知れておる。彼奴は確かに武士にしては頭が切れる。さりとて、彼奴が目指すは武士の世。我には関係なきことなりけり」
「言上いたしたき儀がござりまする」
「よいぞ」
「五年前、朱雀上皇様が乱を起こされし砌、我が父と叔父は、戦を知らぬ上皇様の意見に従ったがために、若き篁中納言様に敗れることと相成り申した。それ故、無礼を承知で言上仕りまする。この京は戦に於いて勝機を掴み辛い地形にござりまする。勝てるか分からぬ戦を起こすは、兵法に反しまする。勝敗は戦の前に決するものなりと兵法にある通り、天の時が訪れるまで待つべきと存じ奉りまする。然るに、藤咲様が武士の世に関心あらざるとて、篁中納言様の計略を採用なさるべきと存じ奉りまする」
それから義朝は、清季が語る、鳳凰院と帝のどちらが権力を握ろうとも武士の世が訪れる計略を説明した。清季が、不要な貴族を京から追放した上で、頼秀に政を担って貰おうとしているという説明も、余すことなく行った。しかし頼秀は、承諾しなかった。
「なれども、其は冗長ぞ。我には時がないのじゃ……。坂東の荒くれ者であるそちに教えてしんぜよう。藤咲氏は一枚岩にあらず、多くの分家が、我の地位を奪わんとしておる。藤氏長者という地位をな」
「つまるところ……」
「藤咲氏の繁栄など我に関心はない。中条乙麻呂左大臣も、愚僧の円華も、藤咲氏。それで分かろう。我の望みは、我が生きて藤氏長者である内に摂関家の隆盛を取りもどし、歴史に名を刻むことに他ならぬわ」
つまるところは、ワガママである。大義なき乱を起こそうというその浅ましさに、義朝は憤慨した。重い装いの老人に、数人の取りまき。今なら殺せると、義朝は思った。刀など抜かずとも、目の前の老人の細首をねじ切り、残りは一人づつ、山からなげ落とせば良い。
しかし反射的に動きそうになった体を、義朝は抑えた。今ここで人を殺せばどうなるか、考えるまでもない。ここは人が意味もなく殺される東国ではないのだ。検非違使に囚われ斬首されることになれば、清季の大志を果たせないどころか、尊敬を失い、坂東武者が後継者争いを始めてしまう。
しかし話を聞いた以上、大義のために我慢をすれば良いというものでもない。義朝は自分が刃を向けられることなく、窮地に立たされたことを理解していた。
「兵馬司、一つ問うぞ」
「なんなりと」
「その方の主は清季中納言か、はたまた内裏様か」
「無論、内裏様にござりまする」
「内裏様は、父君の白虎上皇や皇叔の朱雀上皇のように、偽りの帝としてやがては捨てられる存在なのかと、常々不安をお零しあそばされておる。これは摂政である我にのみ零した本音ぞ。内裏様をお救い奉れるは我々のみ。藤咲氏の繁栄に興味などなけれども、内裏様の心のしこりを除かんとするこの思いは、偽りなき本音じゃ。共にお救いいたそうぞ」
帝を主と仰ぐ気持ちは、多少なりとも教養を積み、秋津洲に報国しようという気概を持つ義朝には、他のどの武士よりも強かった。そして頼秀が語った帝への忠義心が、本物であることも、彼には理解できた。
頼秀が五年前、清和為朝らと共に朱雀上皇を担いで乱を起こした理由は、不憫な朱雀上皇を鳳凰院からお救いするためだったということは、誰もが知ることであった。
鳳凰院は当時の今上天皇であった白虎天皇の正室を犯し、やがて生まれたのが皇太子の晴仁、後の朱雀であった。白虎天皇は自らの子ではないからと、朱雀を遠ざけた。やがて白虎が上皇となり朱雀が践祚したが、鳳凰院は蛮行を政敵に誹られるようになり、やがて蛮行の生き証人である朱雀さえ居なければと思うようになった。そして朱雀天皇を廃位、上皇にさせて政から遠ざけた。
流行り病により鳳凰院が病に倒れ、白虎上皇が薨去したのち、朱雀上皇は院政を敷き政に関われることを喜んだ。しかし鳳凰院は寛解し、見舞いにも来ないばかりか勝手に院政開始に備えて参議を選んでいた朱雀を恨み、京から追放することを決定したのだった。
朱雀在位中の摂政、上皇に御成りになってから蔵人頭として仕えてきた頼秀は、その決定に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。そして、当時京に居た忠臣かつ東国武士団棟梁の為義を誘い、鳳凰院を討伐しようとして兵を動かしたのであった。
「篁中納言の考えでは、鳳凰院様が薨られたのち、太政大臣として政治を取りしきる由と。さりとて、同じく重臣たる中条大納言が、鳳凰院の遺志を次ぎし砌は如何んと成すのか。新たなる傀儡を即位させしとき、如何んと成すというのか。そのとき、武士の世は来るやも知れぬが、内裏様の世は来ぬ。もう一度問うぞ兵馬司よ。そちの主は篁中納言か、内裏様か」
義朝は返答に窮し、黙りこんだ。
数日後の夜、義朝の子、悪来太郎義平は叫んだ。
「お気は正気ですか! 父上!」
「ここは壁が薄い。外へ漏れでるぞ」
冷静に咎める義朝に、義平はなおも捲したてた。
「鳳凰院様に弓を引き、戦を起こそうなどとは、正気の沙汰には思えませぬ!」
「義平! 殴るぞ!」
「殴られても問いつづけまするぞ父上。先代の棟梁であったお祖父様は西へ流され、棟梁の地位は失墜し、東国は乱と相成り申した。父上もその動乱のなかにて要らぬ苦労をし、某と共に戦った弟の東冠長朝長は討死したのですぞ!」
「よくよく承知しておる。倅を失った痛みはまだ癒えてはおらぬ。我が弟義賢もそれに端を発して謀反を起こし、某は弟を殺せと命令を下した。身内を失う痛みは、嫌というほど思いしっておるわ」
「しからば何故か! 乱心なさったか!」
「然にあらず!」
義朝は台を手のひらで叩きながら、小さくも鋭い声で、乱心を否定した。義平は気迫に狼狽え、黙った。
「内裏様は、秋津洲の国体。その前では武士も貴族も平民でさえも、皆等しく内裏様の子、天照大御神の子じゃ。今上の内裏様のみならず、何代にも渡り、その国体が鳳凰院に辱めを受けておるのだ。お助けせねば、武士の恥ぞ」
「忠義のため……と申されまするか。しからば……もはや何も申し上げませぬ。この悪来太郎義平、先鋒として鳳凰院の首を刎ねて御覧に入れまする」
「それでこそ坂東武者じゃ。我らは父の為義や叔父の八紋蛇為朝らとは異なり、戦を支配して必ずや鳳凰院を討つ」
「御意……!」
数日を経て用意を終えた義朝は、鳳凰御殿を主とした院政の拠点であり、上皇のその名の由来でもある鳳凰院を中心に、京で戦火を巻きおこす旨を藤咲頼秀へと伝えた。
夜、東国より引きつれていた三十人の武士を率い、屋敷があった田村坂から出陣した。
彼らが第一に訪れたのは、三条御殿であった。
「音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは東御曹司、東国武士団棟梁、清和兵部司義朝なり! 朝廷を私し天子たる内裏様を虐ぐ逆賊、鳳凰院雅仁並びに左大臣中条乙麻呂、並びに仏僧円華こと藤咲梢を討伐いたさん!」
名乗りを上げた義朝は、三条御殿の侍従や僧兵がわらわらと御殿から出てくる姿を眺めていた。目測で、およそ五十の兵が居たが、恐れなどあるはずもなかった。
「者ども! 朝廷のために奮起せよ! 掛かれい!」
義朝の声で坂東武者は意気揚々と三条御殿へと突撃を開始した。射かけられる矢に怯むこともなく、御殿の外に居た僧兵を蹴散らし、下馬して颯爽と御殿に雪崩こむ。侍従の女衆であっても見境なく斬りつけ、蹂躙してまわった。
「よせ悪来太郎、御味方がおるのだぞ!」
「これで死ぬとあらば武士の名折れにござりまするぞ、父上!」
悪来太郎義平が火矢を放つと、たちどころに火が燃え上がった。坂東武者どもは熱がる味方を声高に笑いながら、なおも歯向かう敵を容赦なく襲った。
衣に火がついた僧兵や近習は、魔の手から逃れようと、次々と井戸へ身投げした。
その様を、坂東武者は指を指して笑った。戦慣れした彼らにとって、自ら高所より飛びおりる人々は酷く滑稽に映り、失笑する他なかったのである。そして坂東武者どもは、三条御殿の中で人を探しはじめた。この御殿の主である円華を捕まえるためである。
「晒し首にしてやらねば、頼秀様はご満足せなんだ」
「義朝様へ報告! 屋敷の中に円華の姿がございませぬ!」
「井戸へ身投げしたのではあるまいな」
「身投げしたのは、侍従や僧兵ばかりでござりまする」
「早い内に逃げたか。まだそう遠くへは行ってはおらぬ。見つだして、必ずや捕まえるのだ!」
円華は京から抜けだし、蔵馬山の麓にまで辿りついていた。
「こちらにて僧兵に匿って頂きましょうぞ。三条御殿とは異なり、数百の僧兵が山頂にて守りを固め、御身をお守りくださりましょう」
「見よ……あの野蛮な坂東武者どもを……炎に照らされた井戸を見よ……皆次々と体を投げ入れておる……! 敵の手に掛かり死ぬよりはと、自ら死を選んでおるのだ」
「あぁ……お労しや。円華様、供養はのちほどいたしましょう。先をお急ぎくださいませ」
「もう動けぬ……。息も絶え絶えであるぞ……そちに頼む」
「なんなりと」
「ここに穴を掘りなさい。そして拙僧を埋めなさい」
「ご自害なさるのですか!」
「たわけ! そちは山を登り僧兵を呼びなさい。拙僧はここに隠れ、助けを待つ。さぁ早う穴を掘りなさい!」
円華は掘られた穴のなかに身を入れ、土を被せた。土は木の根に絡まり、闇夜や落ち葉も相まって上手く身を隠しきれた。
円華は僧兵の助けを待った。待つあいだは一瞬にも永遠にも感じられた。心の内で経を唱えながら、目を瞑り、ただ無事を願った。
やがて大勢の足音が響きだし、その揺れで土がくずれ落ちた。土が掘りかえされ、体の熱を冷ます風が、汗まみれの円華に吹きつける。瞼の上から、月夜に照らされていることが分かった。
円華が目を開けると、そこには自分の姿を眺める数十人の坂東武者の姿があった。穴から引きずりだされ、無理矢理に口吸いをされ、衣を剥がされ、犯される。ここは地獄かと思いながら、ただ泣きさけぶ他なかった。
心の内で「清季! 清季!」と叫ぶも、思いは届かず、ただ坂東武者の高笑いのみが周囲に響いていた。
春竹縄のころ、桜が綺麗な白昼だった。熊野詣の道中の村で、清季は、村人から献上された魚を食していた。この魚は、清水流れる川の側を進んでいたとき、跳ねて清季の牛車に飛びこんできた。村人はこれを、川の神に招かれた吉兆であるとして、調理して献上した。清季は丁度昼食の時間だったこともあり、たまには京の逸品ではなく、下々の食事も摂ろうと思い魚を食べていた。
出された玄米は、普段は白米ばかりを食べている清季には不思議な食感に思えた。そして、出される漬物なども、どれも味が濃くて繊細さの欠片もなかった。
「我が祖父もかような物を食しておったのかのう、重季」
嫡男の重季は清季の言葉に、頷いた。
「我らが祖先も、畿内に近き内海にて海賊討伐を行っておりました故、かように塩の味が濃い魚を食していたものと心得まする。某は京の飯は好きではありませんぬ。味が薄く、作法ばかりに気を取られて、まったく楽しみがありませぬ」
「そなたは母に似て美しいが、見かけに寄らず、心は武士そのものであるな。父は嬉しいぞ。弟らは皆……自らを貴族と思っているかの如き振るまいだ。このままでは、京に巣食う魑魅魍魎に成りさがったと、義朝殿やその倅どもに笑われてしまうわ」
そう言って、清季は笑った。今義朝は何をしているのだろうかと、清季は思った。そのとき、京より早馬が駆けつけた。
「急報にござりまする! 篁中納言様へお目通りを!」
「慌てふためき何事じゃ。参詣中であるぞ、静かにせい」
「御無礼仕った。何卒ご容赦を!」
「よいよい。して何用じゃ」
「清和義朝並びに藤咲頼秀が乱を起こしましてござりまする! 京に火を放ち、円華様を陵辱したのちに晒首とし、その日の内に左大臣、そして鳳凰院様を捕え、内裏宮に幽閉しておりまする!」
清季は怒りに震えた。頼秀が義朝をけしかけ、取りかえしのつかないことを起こしたのだと、悟ったのだ。
清季は茶碗を床へ叩きつけた。そして「この愚か者めが!」と義朝を詰った。
牛車から出ると早馬を睨みつけながら、自らが帰京するまで検非違使に余計なことをするなという厳命を伝えさせた。
それからすぐま準備を整え、牛車の踵を返した。
嫡男の重季は、自ら乗馬し、数名を連れて駆けていった。鳳凰院に弓を引いた叛徒である義朝を討伐するべく、昼夜を問わずに駆けつづけた。重季は、戦が楽しみであった。父ほど鳳凰院を駒として見ているわけではなく、忠義心はある。その義憤もありはするが、それよりも武士として戦うことができるという興奮が、彼にはあった。
数日後、清季が京に着くころには、重季によって検非違使の武装が完了していた。後は清季の号令を待つのみである。
清季は道中の牛車で考えた。このまま乱に加勢してしまえば、鳳凰院を亡きものとし、武士の世を迎えることができる。しかしそれでは問題があった。現状は、帝による鳳凰院の討伐の詔はでておらず、これは謀反に他ならなかった。そして、幼い帝が頼秀の思惑通りに詔にてこの行為を追認する保証もなく、もしそうなれば、鳳凰院に飼いならされた貴族が取りしきる西国武士によって、東国武士に対する戦が引きおこされる恐れもあった。とにかく、準備が整っていない行動であると、断じる他なかった。
京では貴族や民の心を掴めなくては、如何ほどの武辺者であっても成り上がることはできないということを、清季は理解していた。だが武力で成り上がることを必定としている坂東武者の義朝や、その武力を背景にして、戦わずして勝つことを知らない頼秀には、長い時を掛けて確実に帝と武士の世に創るという計略が、理解できなかったのである。
「こうなればもはや……某の志も、某の代には叶わぬ夢となったか。東国は義朝殿を失い、必ず乱れる。さすれば……武士はますます野蛮だと軽んじられることとなり、武士による秋津洲の統治など、果たせるはずもなくなる」
清季は怒りと悲しみに心が乱された。だが武士として、戦に臨むべく、彼は自らの心に蓋をした。
「重季、逆賊は内裏様と鳳凰院様を手にし、我らが手を出そうものならば朝敵の烙印を押し、我らを討伐しにくるだろう」
「そうとなれば、この検非違使どもも、我らを襲いまする。我らは六原へ退き、六波羅御殿を中心に篁家のみで戦わねばなりませぬ。勝機は薄いものとなりましょう。戦の前に手を打たねばなりませぬ」
「さすがは篁家の武士だ。六原の篁家では……武士としての質が、敵方には遠く及ばぬ」
「やはり内裏様と鳳凰院様を敵の手から剥がさねば」
「如何にも」
清季は検非違使別当の権限で、表向きは京に火を着けた件で武装し、調査のための会合として検非違使を京中から集めた。当然その動きは、内裏を初めとして京の拠点をすべて掌握している義朝、頼秀にも認識されていた。
幼い帝は、親族である鳳凰院の処刑を拒んだ挙句、篁家や検非違使を排除すべく罪をでっちあげて朝敵と認定することも、拒んだ。頼秀はしつこく説得したが、帝は「可哀想だ」と言って、最後まで拒みつづけた。
一方の義朝もまた、篁重季が南門から京へ入ろうとした際、奇襲することをしなかった。坂東武者の棟梁として、武士同士の戦いの前には儀礼を行う必要があると考えたのである。名乗りを初めとして、戦いの前の儀式を行う。それが戦いの作法であり、それを疎かとすれば、周囲の武士に軽んじられ、棟梁としての威厳が霞んでしまうのだ。
「良いか悪来太郎、もうじき、清季殿が検非違使を率いて襲ってくる。質は我ら坂東武者に劣ろうとも、数は多い。正念場ぞ」
「心得ました」
両陣営は互いに、相まみえることを望みながら、そのときを待っていた。




