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最終話

 魑魅魍魎に蹂躙された鎮守府は、それらを祓うべく川を決壊させ、将軍ら共々水底に沈む。


 東国の勢力均衡が崩れたことで、緑奥藤咲氏は最大勢力の鬼頭義仲を恐れ、清和朝頼と結ぶ。やがて五条国・不死川にて、朝頼率いる清和軍と篁信清率いる朝廷軍が激突する。

 清和家優勢に傾くも、その背後では鬼頭家の呪詛の余波から溢れだした魑魅魍魎の大群によって、戦場は混沌に包まれる。清和家劣勢の流れを切り裂いたのは、かつて京で生き別れた朝頼の弟・牛若――蔵馬遮那王有恒であった。

 鬼門城は死屍累々としていた。城内にて湧きでた魑魅魍魎を祓い、なんとか陥落は阻止した。しかし、ここから城外に犇く魑魅魍魎を祓う余力はなく、もはや陥落は時間の問題となっていた。一網打尽とする起死回生の策はなかった。鎮守府将軍渡辺歳綱は、亡き征夷大将軍坂上叶麻呂のような、高大な光明力を有してはいなかったのである。

「載足よ、多くの死者を出し、某の龍まで用いて戦い、城内の鬼を祓うことはできた。なれども祓いきることはできなかった。この数日の戦は、この鎮守府始まって以来の、恥に相違なかろう。この有様を見たら、大将軍は何と仰られるであろうか」

「某ともども、怒髪天を衝かれましょうなぁ」

「ここで、潔く自刃致すか」

「我々は武士ではありませんぞ、将軍。この期に及んで嘘は不要にござりますれば、本音でお話致しましょう。将軍は慈悲深き故、武士団に肩入れをし過ぎと心得まする。自刃など、我らにとっては何の誉もありませぬ。死ぬまで戦うことこそ、生粋の守り人にござりましょうぞ」

「坂東武者と渡り歩く貴人たる、大将軍に憧れてしもうたのじゃ。それが、某の生きる指針であった。故に……坂東武者に呑まれぬよう、ようよう彼らを見すぎたのやもしれぬな」

「一介の武人として、坂東武者の才は認めまする。なれども……彼奴らは野蛮ですぞ。まるで悪人じゃ。なれども今こうして、城を失おうとする我らを思えば、善の道や八百万を信奉する正しさだけで御役目を全うできるほど、乱世は甘くはなかったのやもしれませぬな」

「某は目が覚めたわ。正しさなくして勝利する意味もない。某は諦めぬぞ。如何にして魑魅魍魎に抗おうかのう、我らが最高の矛、巨勢載足よ」

「青龍にござります。光明力なくば顕現できぬ龍とは異なり、我らには天然の青龍がおりまする」

「川か……。川を決壊させ、城を沈めるのか」

「城を沈め、荒ぶる鬼を鎮めるのでごさりまする。生きのこることと相なれば、祠を立てて御味方を祀りましょうぞ。もし死することと相なれば……その水の下で我らは、永遠に……八百万と共にこの韓国からくにの大地を護る神となりましょうぞ……!」

 歳綱は有力貴族の面々を集め、決死の覚悟で水攻めを行うことを告げた。 

 不満を抱く者は多かったが、歳綱は頭を下げて詫びた。歳綱は、この事態を引き起こしたのは、自らと道嶋御盾の責任であると考えていた。鬼頭義仲という男の力量を見誤って侵攻を許し、更に有効な手立てを打てず、城内で鬼を産ませてしまうという前代未聞の醜態を晒したのは、一重に神力の権限を預かる二人の責任であるという理屈であった。反感を抱き最も異議を申したてたのは、佐伯美能さえきみのうという若武者であった。彼は人当たりの良さや何でも器用にこなす器用さがあり、目下の貴族貴族武者から絶大な人気があった。それのみならず、確かな弓の腕から、鎮守府内の坂東武者や、人の好き嫌いが激しい巨勢載足からも好かれる、人徳の士であった。

「敵を滅ぼしても自らが滅べば意味がありませぬ。この美能、名家佐伯の名を捨てて、死にものぐるいで戦いまする。弓が折れれば剣で戦い、手足を失うてでも歯で戦いまする。血にまみれ卑怯な手を使うてでも、敵を祓いまする。故にどうか……どうか……将軍やこの城だけは、明日以降も御役目を果たされますよう、願い申し上げまする……!」

 その言葉に、美能の配下の武人らも感極まりながら、口々に「願い申し上げる」と言った。

 美能は線が細く、手が長かった。故に弓隊を率いていたのだが、神力が宿った矢を射抜く数百の武人ともども、心酔する美能に続いて血を流す剣での御役目を担う腹積もりであった。

 しかし載足が歳綱に代わり、待ったを掛けた。そして「どう足掻いても変わらぬのじゃ」と諭し、滅多に見せない優しい笑みを見せた。

「皆よく戦った。その上で、我らは敗れた。ここは一つ渡辺歳綱将軍の決断に従い、華を添えてやろうぞ。運命を共にし、今日の日の勝利を手にしようぞ」

 美能は「しからば、承服致した」と告げ、歳綱もまた「しからば」と告げ、準備に取り掛かった。

 解散したのち、美能はすぐに載足に駆けよった。

「載足様、道嶋少宮司は何処におられますのか」

「東の魔を祓う柱と御成あそばした大将軍に、城を沈める旨をご報告しておる。今や高天原に御座す大将軍に、この葦原中国より、最後のご報告だ」

 美能は泣きくずれた。その涙は悔しさから溢れるものであった。男として感情を堪えることなど必要なかった。これで最後なのである。一度敗れされば、二度目はないのである。

「この生涯では……国に、天子様に奉公できたのでしょうか。殺めたすべての命に報い、秋津洲の誇りある貴族としての御役目を果たすことができたのでしょうか。長き鎮守府の終わりに、吾の名は相応しいものであったのでしょうか」

「この載足、自らの価値は後世が決めることと心得る。今は泣け、美能よ。我らに明日はなくとも、永遠に御役目を果たそうぞ」


 隠された部屋に魑魅魍魎が入りこむ前に、歳綱は命を下した。死する前に見あげた太陽は、天照が手招きするようだと感じられた。

 川を決壊させ、鬼門城はたちまち、水流に飲みこまれた。現世に留まる怨念は浄化され、城の内外に犇きあっていた魑魅魍魎は、そのすべてが祓われた。

 長きに渡り朝廷による東国支配の要となっていた鬼門城は、水の底に沈んだ。

 その報せは方々に大きな動揺を生んだ。



 数日後、緑奥城にて鎮守府の壊滅を知った良彦成衡は、東国の事変に神妙となった。普段は恐ろしいほどに能天気で、主からも邪険に扱われることが多い彼であっても、事の重大さから神妙にせざるを得なかったのである。

「殿様、この成衡は今、身が震える思いにござります。鎮守府が滅ぼされた今、東国の均衡は崩れさり、殿の命令によって盟約を結んだ鬼頭家は、東国統一に王手を掛け、我らは次なる鎮守府になりかけておりまする」

「鬼頭家を、あの若武者義仲めを、見くびっておったわ。そのほうは頭中将大伴望久と共に、我ら緑奥藤咲氏の国を生永らわす策を講じよ」

は今、鬼頭家を手打ちとすることに決めましてございまする。幽世より魔の者を呼びよせる摩訶不思議な力には、大いなる代償を伴うことを、我が師加茂宿禰は教えてくれました。思うに、鬼頭義仲には災いが降りかかるかと」 

「よもや鎮守府が捨て身の一手を打ち、自らの魑魅魍魎がすべて祓われるとは、思いもよらなかったであろう。それを鑑みれば、彼奴は最後に勝者として生きのこることはないやもしれぬな。義仲は窮地に立たされたと見よう」

「窮鼠は猫を噛みまする。如何なる攻撃にも備えるべく、鬼頭家の方角に式神を配置し、幽世からの攻撃の備えと致しまする。それ故、他の方角より迫る災いに、備えられませ」

「今ばかりは無理をせず健康に気を使おうぞ。民にも半年間の納税の免除をし、不眠や過労から魑魅魍魎が湧きでることを阻止しよう。さて望久よ」

「ここにござります」

「小鷹城の多治比形部濱鳴の許へ行け。使者として、共に鬼頭家の脅威に備えようと働きかけよ」

「幽世から現れた魑魅魍魎の大群が鎮守府を襲ったことは、濱鳴めも知っておりましょう。さすれば何故、盟を結びながらも鎮守府へ救援に駆けつけなかったのかと、彼らの怒りを買いましょう。我らは鎮守府に並ぶほどの、陰陽道の大家にござります故、死力を尽くせば止められたやもしれぬ」

「そこはそのほうのやり方に任せよう。金銀や米、作物、木材に砂鉄、仏像も香木も茶葉も、絹も毛皮も、なんでもすべて好きに使え。生きのこることが肝要じゃ。なんとか、上手く頼むぞ」

 望久は、無理難題を押しつけられた気分になった。緑奥藤咲氏一の武門の名家として、貴族武者に恐れを抱く必要などないと、自らに言い聞かせる他なかった。

 しかし、緑奥国という一地方にて侍所の長であるだけの自分と、坂東武者きっての荒くれ者であった大庭景虎を退け、朝廷より形部の官職を与えられた濱鳴は、自らよりも格上であると思わざるを得なかった。心が、恐れから震えていた。


 濱鳴の許を訪ねた望久は、渡辺将軍らの弔問に参列するという名目を用いていた。しかし濱鳴はそれが口実であることは見ぬいており、弔問が終わった後に着替えてから会った。

「もう少し早う参っておれば弔問に間にあいました所、騙馬では足が遅く、申し訳の言葉もござりませぬ」

「其はよろしゅうござります。それから、要件は承知しております大伴中将望久殿」

 濱鳴は、さっさと要件を話せと急かすように、ぶっきらぼうに告げた。

「さすれば申し上げまする。鬼頭義仲に抗うべく、我らは共に、清和朝頼に与するべきと心得まする」

「ほう……清和朝頼とは意外なるものですな」

「我ら緑奥藤咲氏も、鎮守府も、朝廷の臣下。鬼頭義仲が行いし蛮行は、臣の道を逸脱せしもの。其は謀反に他なりませぬ。さりながら我らは単独で義仲を討つことも叶わず、朝廷もまた寺を焼き天子様を害した大罪人によって支配されておりまする。我らは篁憎しと立ち上がった清和朝頼と共に戦かい、ゆくゆくは、もはや人外の域に片足を入れた鬼頭義仲をも討ちほろぼすのでござりまする」

 東国の事変から話を飛躍させることで、緑奥藤咲氏もまた朝廷の意に従わない存在であるという事実を霞ませ、大義のために戦おうとけしかけた。望久なりの、説得の術であった。

 濱鳴は、望久の腹のうちを見透かした。しかし緑奥藤咲氏という姑息な連中への怒りよりも、大義のために戦うことが、事態を好転させる策であることには同意し、共に手を結ぶことを決めた。

「貴殿らの耳にもすでに入っているものと心得まするが、近畿の五条国では、同地も有する加騨かだ守信清が、家人や付近の武家、銭で雇った賊をまとめて手勢を整えております。加えて清和家方も東国武士団、篁条家、筬谷家を動員し、五条国へ再度侵攻する構えにございます。その数、一万五千対七千。清和家は劣勢ですぞ。真に、緑奥藤咲氏は御味方となるのでござりまするか」

「真にござりまする。我らは常に清和家の友にござりまする。それが鬼頭義仲の父義賢殿から、清和朝頼公に変わるだけのことにござりまする」

「二言はありませぬな」

「武士に二言は、ござり申さず」



 朝頼は清和家を表す白旗を掲げながら、威風堂々と西進した。数ヶ月前まで、数十人で洞窟に潜んでいたころは、誰も想像もつかないほどの大軍である。朝頼に仕える誰もが皆、手柄を求めて意気揚々としており、兵数を覆す可能性は十分にあった。

「南無八幡大菩薩。我が清和家に敵を打ちやぶる力をお与えくださり感謝申し上げ奉りまする」

 朝頼は天を見上げて、信仰する武神の八幡大菩薩に祈った。篁家を討伐するため、出陣に際して寺にも参拝し、戦勝祈願をした。この戦が、清和家の趨勢を決めるということは、誰の目にも明らかあったが、朝頼自身、この戦が今後二百年の歴史を決することになると覚悟していた。


 五条大橋を含む三方向から五条国へと侵攻した朝頼は、自ら本隊である美浦家、甲武家、足利家の軍勢を率いていた。東北より山越えを行った朝頼であったが、道中で篁軍と遭遇することもなく、無駄に兵を疲労させただけであったと思った。

「戦上手の時勝殿は、雅子ともども篁条国で後詰めとして待機させておる。今ばかりは、某が兵を戦わねばならぬのじゃ。いちいち、悩んではならぬ」

 朝頼には強い御味方がいた。それは父をよく支えていた河内八幡太夫義家の存在であった。蜂起の際は重鎮の甲武兄弟の諍いに睨みを効かせるため、所領の河内国から動けなかった。しかし八百万の神々を特に信奉する甲武諏訪太夫吉國が鎮守府の弔問を理由に、城を出て小鷹城へ向かった。つまり吉國が兄の河内新羅太夫吉光を襲わないことを意味していた。

 それは朝頼と吉光にとってまたとない好機であり、天の巡りあわせに思えた。

「我が方の軍神、八幡太夫義家がおれば……兵力差は覆せようぞ」

 義家率いる分隊は、山越えの後に広く展開しながらより西側に位置する丘の方へと向かった。

「蠱毒の戦、正攻法で破れると思うことなかれ」

 義国は久々に武士らしく戦働きにて奉公できることを、心底より喜んでいた。

 一方で五条大橋を通った第二軍を率いるのは筬谷広胤率いる筬谷家、篁条家の軍勢である。山越えをした清和家本軍の側面を守りながら、敵が大橋を渡って東方の篁条国へ攻めいるのを防ぐ御役目を担っていた。

 そして第三軍は、河内炎龍重永率いる重永直参数百による、いざという時のための決死隊が、東南方向から侵攻して、朝廷軍の背後に布陣した。

「殿が朝敵であろうとも、勝てば良い。さすれば、次に錦の御旗を掲げしは我々ぞ。殿……この炎龍重永、いざとなればこの五条の山林をすべて焼きつくしてでも、篁率いる朝廷軍の主力を叩いてみせまする……!」


 朝廷軍を率いる篁信清は、太政大臣清季の命で、近畿篁家を中心に、近畿、畿内諸国の国衆を率いて五条国内、不死川にて布陣した。

「知っておるか藤孝よ、この不死川はかつてこの地で大規模な百鬼夜行が起きた際、この広大な川がすべて魑魅魍魎や鬼によって満ち、終わりには殺された者どもの骸で川が堰きとめられたのだ。無惨なものであろう」

「何故かような田舎にて、百鬼夜行が起きたのですか」

「篁忠門が世を乱した砌、其に乗じて近畿中の民草がこの地に集ったのじゃ。この地に、かつてないほどの憎悪が満ちたのであろうぞ。結界もない田舎町が賑やかさをもったが故に、地獄のごとき惨劇となったのじゃ」

「我らは其を再現致そうということにござりまするな」

「左様。清和の東戎どもに、吠え面をかかせてやるわ」

 茶を啜り話しあうこの二人は、菓子をも頬張りながら、月を眺めていた。まったくもって、この戦は余裕であると考えていたのである。篁の家人の士気は高く、数も多い。そこに鬼頭家という強い御味方が、幽世に潜んでいるのである。

 この戦に敗けるはずはなく、どこまで徹底的に叩くことができるだろうかと信清は考えていた。

 戦を前にしながらも、信清に焦りや不安は全くなかった。しかし、彼を現実に戻す報告が京より届けられた。

「宗季中納言様より書状が届きましてござりまする」

「あぁ……兵糧の件か」

 兵糧は信清の悩みの種であった。このとき西国では、旱魃による飢饉が発生し、多くの民が飢え死にする事態となっていた。畿内の国衆が戦に加わったことも、京のための口減らしという側面があった。そのため信清は、敵をすぐにでも打ちはたし、篁条国や恵我国、坂東の田畑を得る必要があった。

「まぁ……勝てば良いのじゃ。そうじゃそうじゃ」

 彼は戦の前に、悩んでも仕方のないことで心を乱したくなかった。彼には合理性や多少の冷静さがあったが、それ以上に、慢心があった。

「我が方は有利な地ですでに布陣し、敵も着陣しておる。まず敗けはせぬ。戦は近く、あとは叩くだけなれば……」

 そのときであった。笹紋の旗を掲げる清和家本軍、並びにその西方に布陣していた、鳩紋の旗を掲げる河内家勢が一斉に火矢を放ったのである。

 方々から「敵襲じゃ!」と叫び声が轟き、太鼓や銅鑼が響きわたった。

「ついに始まったか。北側を半分半包されていることは分かっておった。いまさら焦ることはない。迎えうつのみじゃ……!」

 攻撃を受け、反撃をする形で信清は攻撃の命を下した。

 火矢を放ちかえす朝廷軍であったが、その攻撃に際して、信清は自軍が致命的な過ちを犯していたことを悟った。

「何故かように一箇所に固まっておるのか……昼間は広域に布陣しておったであろう!」

 戦に不慣れであった篁の家人を中心にし、戦の最中にありながら、夜な夜な賭けや舞に勤しみ、布陣の密度に綻びができていたのである。

「これでは攻められてはひとたまりもないぞ……いっそ固まって突撃……いいや難しい。我が方は平地にして敵は高地。攻めあぐねて屍を重ねるは必定ぞ……!」

 信清の判断は早かった。信清は家人を除く近畿武士に命じ、西方の丘を迂回するように命じた。信清は家人の数の力を頼りに、時間稼ぎにのみ徹する算段であった。

 しかし火矢により周囲の視界が大いに開けた時、戦況が大いに悪化していることを悟った。

 五条大橋を渡った清和家別働隊が、東方の広域に布陣していたのである。

「東より敵が迫っているとは知っておったが、あと三日はかかるはずであった。もそっと早うに橋を陥としておくべきであったか……! 西方は不死川……乱戦に備えて平地を抑えたことが裏目に出たか……!」

 西の不死川が天然の要害となり、退路は南方のみに絞られた。怖気つくものが出れば、あとは底に穴が空いた湯呑みから白湯がこぼれ落ちるが如く、陣は瓦解する。

 戦が始まって早々に、信清は窮地に立たされていた。

「何故じゃ……何故鬼頭家は敵の背後を襲わぬ。まさかあれだけの貢物をしておいて……土壇場で約束を反故にしよったか!」


 この時鬼頭家は、幽世を通じて五条大社の鳥居から現世に戻っていた。しかしながら、魑魅魍魎の大群を操るばかりか鎮守府にてそれを発生させるという呪詛を敢行したツケが回り、軍内に疫病が蔓延する事態に陥っていた。

「かつては鬼が我らを助けておったのか……生き物と魔の者の境の存在が、天然の結界であったとは思いもよらなんだ……!」

 義仲軍は戦場にほど近い五条大社から動けず、自壊した。

「頼みの綱は水没する前に幽世へと逃れた魑魅魍魎ども。自力で歩きここまで辿りつけるか否か……信じるほかあるまい……!」


 朝頼は慎重であった。しかし朝頼は自身の石橋を叩く性格を知っていたが故に、各別働隊の帥には「必要があれば臨機応変に包囲を崩してでも攻めよ」と指示を出していた。

 それを踏まえ第二軍の筬谷家、篁条家の軍勢は、帥である広胤の命令で早々に突撃を行っていた。

 大鎧姿の騎馬武者が、坂東武者の名誉に懸けて、一斉に突撃を開始した。

「かかれぇ! 殿のため、武功を立てよ!」

 武芸に秀でる坂東武者は、馬上から弓を射て、逃げまわる篁家方の武士を射抜いた。武士の中の武士である彼らは、武士の魂と呼べる弓の名手揃いであった。それは常日頃より、袈裟懸け、流鏑馬、犬追物という騎射三物と呼ばれる弓の武芸の鍛錬に励んだ結果であった。篁家方の矢はまともに当たらず、当たったとしても大鎧によって防がれてしまう。大勢がここに高速で駆けながら、逃げまどう武士を明確に射殺していく様は、もはや戦ではなく一方的な殺戮と呼べるものであった。


 明け方となり、朝廷軍はついに岩や木陰に隠れることを諦め、戦意を完全に喪失した。

「逃げるなそれでも朝廷の命を受けし武士か! 逃げるでない!」

 信清の制止は無意味であった。彼の慢心の根拠の一つとなっていた士気の面に於いて、彼は思い違いをしていたのである。

 朝廷軍の半数を占める篁家は戦をよく知らない武士の集まりであり、戦をお祭り感覚で捉えていた。武勇伝を作るために訪れただけの彼らにとって、死と苦痛が隣あわせの戦場は耐えがたい場所であった。

 不死川の水鳥が飛びたつ騒音から逃れるように、ある者は西の不死川を渡り、ある者は南へ逃れた。

 朝敵の誅伐に失敗し、大命を果たせなかった信清は逃げることを拒んだ。

「いっそ討死いたそうぞ……!」

 だが息子の藤孝がそれを阻んだ。

「今死んでも、朝頼を伐つことは叶いませぬ! 命を己のために使うなど、忠義にはあらずや!」

「黙れ藤孝! こんなときだけ武士道を語るか!」

「とにかく今は退かれよ! 今は堪えて、もうひと合戦!」

 信清は栗毛に跨って刀を手にして、御味方に続いて退いた。名もしれぬ坂東の豪傑の槍によって死ぬことはなく、敗将の汚名を被りながら生きながらえることを選んだのである。



 本陣が壊滅したころ、西方より河内家を攻めるべく迂回していた近畿武士もまた、坂東武士の名門である河内家の軍勢に敗れ、その大半が敗走していた。

 その中であっても、死を恐れず果敢に突撃しつづける集団がいた。それは愛宕権現の名が記された旗を掲げる、景虎の手勢であった。

「仏を騙る神を祀りし仏敵の蠱毒よ、迦楼羅の炎で、家人ともども焼き殺してくれん!」

「見覚えのある顔と思えば……そうかやはり生きておったか。敵として戦場で相見みえたならば、手合わせ致す! 弓構え! 放てい!」

 河内家の戦い方は槍や刀ではなく弓の部隊が大半であった。毒を用いた矢を放ち、生きのこった敵を少数の槍隊で討ちとるというのが、彼らのお家芸なのである。

 僧兵は馬にも乗らず、その足で丘を駆け上っていた。しかし彼らは、弓に強かった。彼らは武士とは異なり、大盾を構えて進み、その矢を防いでいたのである。

 しかし数の力と、木製の盾に染みこんだ毒を吸いこみ、次第に多くの僧兵が倒れたが、神輿に担がれながら元武士らしく弓を射掛ける景虎は、しぶとく生きのこった。その傍らには、槍を振るう小柄な男、鎌村幸良の姿もあった。

「我こそは清和朝頼が家来、河内八幡太夫義家なり! 者ども、助太刀無用!」

「我こそは愛宕権現景虎が家臣、鎌村幸良なり! 我が主君に代わって、斬りすて御免!」

 義家は下馬して、槍を捨てた。そして刀を鞘から抜きとり、幸良へ向かって駆けだした。幸良の背後で、景虎が弓を構えていることには気づいていた。

 勝負は一瞬であると、義家は察していた。

「取った!」

 義家は刃が交わる直前、刀の向きを変えて幸良の脚部を斬った。同時に、大鎧の兜で幸良の刃を受けとめながら、勢いそのままに頭突きした。そして刀を捨て、後方に倒れこむ幸良の体を掴んだままそれを盾とし、景虎の許まで駆けよる。二歩の距離まで近づいた直後、景虎が弓を射るよりも早く幸良の刀を抜きとり、景虎を斬りふせた。

 景虎を討ちとった義家は僧兵へ大声で一喝し、愛宕権現にも勝るとも劣らぬ軍神八幡太夫の勇ましさで、彼らを硬直させた。

 すべてを失った幸良は短刀を手にし、力をふり絞って義家を蹴飛ばした。そして義家と自らを弓で狙うその家人どもに対し、叫んだ。

「これが忠義じゃ、戦いに弱くとも、その精神は誰よりも強い! 真の猛者の死に様、とくと目に焼きつけよ!」

 幸良は短刀を自らの腹に突き立て、十文字に切り裂いた。そしてはらわたを鷲掴みにして引っぱりだし、投げつけ、最後に微笑んで絶命した。

「お見事、幸良殿」

 義家はそう言って、手を合わせた。 



 戦は清和家の大勝利に終わったかに思えた。しかしここで、遅すぎる後方からの奇襲が始まった。

 鬼頭家が招いた魑魅魍魎が、幽世から続々と湧きでてきたのである。

 五条国の民がいる村や里が襲われるのが、丘や山の上から視認できた。朝頼はこれを好機と見た。

「ここで魔を払えば、誰が真の英傑か民に示せようぞ! 者ども! 心してかかるのじゃ!」

 咄嗟の判断であったが、その命が届く前から、第二軍、第三軍も動きだしていた。

 弓を用いた遠距離攻撃や高低差を利用した槍での攻撃は、彼らが手練の武士であることを民に知らしめた。

 沼や川といった天然の要害を用いて足止めをし、ひたすらに投石をするという攻撃も、単純な彼らの腕力や、弓矢や長槍との合わせ技でその威力を発揮した。だが彼らの攻撃も、突如として現れた鵺には届かなかった。

「小山の如き巨体。ざっと見積もっても三千尺(910メートル)はありそうだが……如何にして祓おうか」

 八幡大菩薩への祈祷で光明力を宿している義家の毒は、鵺に対しても一応の効き目はあった。しかし祓うには至らず、朝頼は頭を抱えていた。

 次第に、鵺の一方的な攻撃や、民をかばいながらの戦いで、武士が討ちとられていった。

「利明殿! 急いで退かれよ!」

「殿はお先に! 魔の者を祓うのは慣れております故!」

「結界はのうござるぞ! 危なき故御身を守られよ!」

 魑魅魍魎に囲まながらも、利明らは懸命に戦い、民を逃す殿しんがりの務めを果たして斬り殺された。  

 このままでは敗れさるのは時間の問題だと思われた。

 だがこの場を切りぬける打開策を持つ男が一人、この戦場には存在した。

「清季殿、恐れ多くもこの宝具、使わせて頂きまする」

 光延は後生大事に背負っていた神器、雷上動を手に取った。そして八幡大菩薩の光明力が宿った矢をつがえ、構えた。

「八幡大菩薩は魔を焼き祓う迦楼羅炎を纏う、八百万の神々。百鬼夜行を起こす悪を憎み、我にその力を貸してくださるはずじゃ」

 矢を引き、鵺に狙いを定めた。すると次第に周囲が曇りだした。

「掛けまくも畏き伊邪那岐大神。筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等」

 魔を祓う祝詞を唱えだすと、たちどころに雷鳴が轟だし、雷上動が光だした。

「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし召せと恐み恐み白す」

 鵺目掛けて放たれたその矢は、雷を纏い、鵺を射抜いた。鵺は耳をつんざくような声を上げながら燃え上がり、海の方へと落ちていった。

 鵺を祓った直後、全身に雷が走ったように、体が痺れた。そして全身が焼ききれるような痛みに襲われ、そのまま倒れた。雲が晴れ、晴天が現れた。雲間から光が刺すのを眺めながら、光延は微笑み、目を閉じた。


 篁条利時や足利吉氏を初めとした武士が戦いの中で重症を負いながら抗うも、清和家軍はジリジリと山の上へと後退していった。

 朝頼を初めとした坂東武者は思いしらされた。魑魅魍魎と今まで戦えていたのは、先祖が遺した土地と城、戦うに必要な武具兵糧が集まって初めて成りたつ芸当であり、自らの力だけではそれを成しとげることはできないのである。

 先祖や、天恵の地を与えてくれた神々なくして、自らの力はない。その当たり前の事実を前に、他所の土地で奢りたかぶり民を助けようなどと思いいたった、志だけの自らを誰もが詰った。

 そのときだった。突然の強風が一帯を襲った。魑魅魍魎が動きを止めた次の瞬間、並々ならぬ速さで動く何かが、瞬く間に魑魅魍魎を祓っていった。

「な……なんだあれは……鎌鼬が同士討ちでもしておるのか……! この……こやつは何故、我が清和家を襲わぬのか!」

 朝頼は理解に苦しみ、己の目を疑った。しかし神速で動きまわるその刃に勇気を与えられた坂東武者は、死にものぐるいで戦った。魔の存在に抗いつづけ、日が傾くころには周囲から魑魅魍魎は一匹残らず姿を消していた。

「誰じゃ……誰が、この神業を……!」

 消えゆく魑魅魍魎の微かな姿の隙間から、小さな男が、ゆっくりと朝頼の許へと歩き近寄った。

 そして、男は笹紋と白旗に囲まれた朝頼を視認し、目に涙を浮かべた。

「ようやくお会いできました……兄上。某、京にて生きわかれた牛若、今の名を蔵馬遮那王有恒と申しまする」

「牛若……生きておったのか……我が弟よ!」

 兄弟は人目も憚らず抱擁した。そして再会に感涙し、笑いあった。



 数日後、京にて敗戦の報を受けとった清季は笑った。本心は誰も知らない。しかしその笑いが図らずも力のない乾いた笑いであったことから、誰もが、絶望から笑う他ないのだと勘違いした。

「家人の大半が死に、我が甥の信清さえ行方知れず……。畿内は飢饉を乗り越える術を失った。鬼頭家は生死不明で、魔は祓われ、緑奥藤咲氏は我らを見限り勝ち馬に乗った。これは何の罪かのう。何のバチで、かような大敗を喫してしもうたのかのう」

 それから数日して、篁清季の容態は悪化した。病気がちであったことに加え、心労が祟ったのである。

 その苦労を知らない京中の人々は、寺を焼いた仏罰であると中傷した。陰陽司の土御門道陽や医者は、餓死者が増えたことで骸を埋葬できず、そこから湧きでた小さな小さな魑魅魍魎が、流感を引き起こしたのだと言った。しかしそんな事はもはや清季にとってどうでもよかった。

「暑い……兎にも角にも……暑い」

 朦朧とする意識の中で、地獄の獄卒、鳩槃荼が体を縄で縛り、自由を奪う姿が見えた。だから体が動かないのだと、そう悟った。

 目の前には、恐ろしい剣幕でこちらを睨む巨大な不動明王の姿があった。そしてその背後でめらめらと燃えさかる炎が、寺を焼いたことへの罰として、清季を燃やした。 

 全身が焼けながら、清季は笑いながら叫んだ。

「我が心を知らぬ者からの罰など、何の意味も成さぬわ!」

 睨みつける不動明王に、清季はハツラツと叫び、大音声で笑った。業火に包まれ全身が燃え上がりながらも、満足気に彼は笑いつづけた。


 白目を向きながら狂った様に笑いそして悲痛な叫び声を上げる清季に、周囲の人は為す術なく、ただ傍で涙を流す他なかった。

 やがて疲れ果てた清季は、苦しみながらも満足感に満ちた往生を遂げた。


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