第十二話 五条国の戦い
五条国へ入り流浪していた大庭景虎は、清和家先鋒を率いるのが「謀反人」清和光延であるとの報に激昂し、ついに朝頼への忠義を捨てる決意を固める。自身と同じく愛宕大権現を信仰する僧兵を率い、朝廷軍として清和家へ攻撃を加える。
一方、京では五条国での清和家の敗戦を知った篁清季は、未だ姿を現さない鬼の子有恒を焚きつけるべく蔵馬寺を焼き討ちし、そして自身の孫竹仁を帝として践祚させ、清和朝頼を朝敵と認定させる。
大庭景虎は西南へ向かい、五条国へ入った。五条国でも朝頼蜂起の噂が流れており、今やその話題でどこも持ちきりであった。
どうやら先鋒を率いるのは前棟梁の側近であった清和光延であるらしく、その手勢は西へ進み、この五条国にも迫っているらしい。その噂を聞くや否や、景虎は喚いた。
「光延めが生きておったのか! あの謀反人めが、何故先鋒を率いておるのじゃ!」
朝頼がなにを考えているのか、景虎には理解ができなかった。朝頼の乱心を疑うほどに、それは信じられないことであった。景虎の中で朝頼という主が、完全無欠の存在ではなくなっていくのを、幸良は側にいつづけたことで、感じとることができた。
「やはり血筋で選べば、贔屓や誤りが起こるのでござりまする。殿、やはり我々が西へ向かうのは正しき決断にござりました。某は、清和家を見限りましてござりまする!」
「噂といえど、火のない所に煙は立たぬ。此度ばかりは某も……河内の者どもや清和の我が殿が……憎う感じるわ……! 何故裏切り者を重用し、某を探さぬのか!」
景虎の中で、武士というものの本質が見えた。所詮は、御味方や自らの御家のために、より遠くの存在を利用する。その利己的な野心を秘めたる者こそ、偉大なる武士として誉れを与えられるのである。そんな武士の在り方など、まっぴら御免であると、景虎は思った。
武士は己を知る者のために死する。それが景虎の武士道であった。自らを支え、助けた者に尽くすのが、力を持つものの御役目であると、そう信じていたのである。
「朝頼公は我が殿にあらず。某は……これを討ちとうござる……!」
「為朝様の許へ向かう意味が変わりましたな、我が君」
「いかにも。力を持ってもなお戦わず、皆を捨て安息の地を得た為朝殿はもはや、武士にあらずや! 某は力をつけ、この謀反人集いし清和家を、誅伐致さん!」
景虎は、忠義心を捨てた。見捨てた者どもへの意趣返しであった。
幸良にとっても、それは望ましいことであった。それでこそ我が君であるという思いに、彼の心は満ちていた。
帝も、清和朝頼も、清和為朝もない。ただそれらと、鵄錦や為朝のような、自らを蔑ろにした者どもへの怒りと失望だけが、景虎を奮いたたせた。
彼の烈火の如き心を鎮たのは、道中に宿泊を受け入れてくれた千羅という名の寺であった。奇しくもその寺もまた、愛宕権現を祀る寺であった。
「住職よ、雨中に宿とは、まさに渡りに船。この景虎、心底より感謝申し上げなん」
「良いのですよ、大庭殿。あなた様は愛宕権現の威信を高める御方。字を読めず、仏のお言葉を知ることもなく、救われることさえ望めぬ民草。そんな哀れなる方々へ、愛宕権現は命と栄誉を守護する有難い仏様なのだと、目に見える形でその心へ訴えかけるあなた様は特別な賓客にございますよ」
「なれども今は、半身さえ動かせぬ。もう愛宕権現を名乗ることさえ、無礼千万であると……感じておりまする」
「かようなことはありませんぞ、景虎様。良いですか、強さとは何か、あなた様は勘違いをしておいでだ。強さとは武、のみにあらず。心の強さが、肝心要です。心敗れしは、手足があれども死体と同じく。心敗れざるは、手足なくとも、気高き戦士」
「体が弱り、いつの間にか心さえ、弱っておったのでしょうか」
「其は、雨のせいにございましょう。夜のせいにございましょう。あなたの心の灯火は、今も揺らめいております」
「某は、この体で戦をし、敵を討とうと思うておりまする。仏様に頂いたこの命を、武士の誉れに賭けて、捨てさろうと思うておりまする。つまらない意地のようにも、都合を顧みて道を逸れた者どもへの、意趣返しのようにも思えまする。生き様を見せつけ、真の武士の何たるかを、示したいのでござる」
「仏は心に宿ります。人の心、物の心、木々の心に、大地の心。あらゆるものの中心に、仏はあまねく宿ります。あなたの生き様を否定する者がいようとも、その者はきっと、仏のことを知らぬのです。人を信じますな、ただ己の心に宿る仏を、信じなされ」
「迷いが晴れた思いが致しました。まるで、冷水に打たれた如き気分にござる。住職殿の説法、死ぬまで忘れることはありませぬ。重ね重ね、感謝申し上げなん」
「人は皆、旅人です。迷い疲れて夜が訪れたなら、いつでも寺へ参られよ。仏は心を強くし、道を歩む力を、与えて下さります。それすなわち、あなた様の力そのものにございます」
翌朝、景虎は歩みだした。杖を突き、足を引きづりながらも、自らの足で動きだしたのである。景虎の進退は極まっていた。
景虎は五条国にて、篁家の家人と合流することとしたのである。義朝への忠義のため、正道を踏みはずした朝頼を討つ腹積もりであった。
「清和光延を討ち、桃紅城へ攻めいって朝頼公を討つ。叶わぬであろうが、立ちどまりはせぬわ」
「某もお供致しまする、我が君。五条の篁家を率いるは、篁家先代の清季卿が弟君にして今は亡き信季公の嫡男、信清公にござる。齢三八にして、二十万石の石高を有する近畿武士一のやり手にござりまする。今はまだ、当主宗季公の命令がなく軍勢は足踏みをしておりますれば、先鋒に加えていただけましょうぞ」
「すべてを片付けた暁には、津々浦々を旅して、海の向こうへも渡ってみようぞ幸良よ」
「その夢、共に叶えましょうぞ」
本名と出自を隠した二人は、篁信清の軍に合流した。そのとき二人の許には、二人の心意気に共感した僧兵数十名が、供回りとして加わっていた。
不条理を正すべく、篁や清和という巨悪に立ちむかおうとする景虎に、心服したのである。それは、俗世に於ける武家の家格や東国武士団の威名を除いた、大庭景虎の武勇と愛宕権現への信仰心に心惹かれた、真の配下であった。
皇紀一八二八年 三月
朝頼は桃紅城にて、ついに清和家先鋒と篁家の先鋒が会敵したとの報を受けとった。天下に、篁家と清和家という武家の二大巨星が雌雄を決するときが来たのだと、知らしめたのである。
「先鋒に裏切りの心配はあるまい。さりながら……篁条国内にて地侍どもが、我らに反旗を翻すことは、なきにしもあらず」
朝頼の懸念は、すぐに現実のものとなった。同月、先鋒の一進一退の攻防の末に膠着状態に陥ったことで、これを好機と見た篁条国衆が反乱を起こしたのである。
元より、東国武士団を除けば、清和家軍は士気が低かった。主家に弓を引くなど、常識でいえば、およそ忠義とは呼べないものだからである。その状況下で朝廷の後ろ盾を持つ篁家が、討伐に動いたとなれば、それに呼応することこそ忠義と判断する者が現れてもおかしくはなかった。
時勝は、自らの所領から反乱が起きたことに対して、深く詫びた。そして深く土下座し、自らは誓って家来であることを示した。
朝頼は元より、時勝に落ち度がないことは理解しており、土下座をすぐにやめさせた。そして現実的に、いかなる手段を講じるべきかについて談義すべく、桃紅城にいる有力家人どもの招集を、時勝に命じた。
「此度は、この巨勢載足が篁条国内の見回りを終えて、この桃紅城へ帰着した直後に起きましてござりまする。篁条国衆はこのときを待っておったのでござりましょう。されば、この載足が手勢を率い、謀反人の首をことごとく刎ねて朝頼公へ献上仕る」
「否、その儀に及びませぬ」
朝頼は、載足の提案を断った。それは、五条国での戦況が膠着していることに由来していた。このまま進展がなければ、篁家は必ず、帝の綸旨で清和家を朝敵と認定した上で五条国の地侍を初めとした諸国の武士を御味方とするであろう。朝頼は、そのとき必ず載足も清和家を討つべく動きだすと、睨んでいた。ゆえに、載足を桃紅城から外へと出す訳には、行かなかったのである。
「御味方の裏切りを鎮めるには、裏切りの流れを断つ忠義の士を、討伐軍の帥と致すべきにござりまする。つまりは、この朝頼の直参からというのが、筋にござりまする」
「さればこの載足は、出る幕がありませぬな。して、誰を帥に致す思しめしか」
「河内炎龍重永にござりまする。少ない手勢で、この桃紅城にほど近い砦にて守りを固めてくれており申した。我が父が供回りをしていた猛者にして、優れた知者であることも鑑みれば、一軍の帥とするに不足はござりませぬ」
朝頼の提案に、時勝や載足を始めとして、その場にいた全員が同意した。
しかし当の重永だけは、条件を付けた。
「殿は軍を率いて、東北へお逃げくださりませ。聞けば五条国における我が方の先鋒は総勢三千に対し、篁家の先鋒は総勢八千。単に数の上だけでも、敗れさる危険は言うに及ばず。されば、殿には東北へお逃げいただき、美浦御厨にお入りくださりませ」
「何故、美浦御厨になるのじゃ」
「その旨は、美浦殿より言上頂きとうござりまする」
美浦利明は両拳を床に突きながら「構えて言上仕りまする」と言った。齢五五でありながら、その声は力強かった。
「東国に、不穏な気配これあり。それすなわち、鬼頭義仲の調伏なり」
その言葉を聞き、朝頼は全身に緊張が走るのを感じた。調伏とは、呪いのことである。神々に祈祷を行い、対象をその力で呪い害するのである。
義仲は朝頼と歳も近く、従兄弟という関係でありながら、武の面に於いて、自らとはまったく対極にいる存在であると、朝頼は考えていた。その事実が、朝頼の中で義仲を恐怖の象徴にさせていた。
聞けば、父義朝が災禍によって討たれるように運命をねじ曲げたのも、この義仲であるという。それを教えてくれたのも、八百万に通じる美浦利明であった。
「我が父を呪殺したあの義仲が……此度の狙いはこの朝頼とは!」
「実にも。さりながら、それのみならず。ここではよく感じることはできかねるものの、京へ向けた強い呪詛の力を感じまする」
「其は剣呑至極。鬼門城を超えて、京を呪うなど」
「それ故、真実を知らねばなりませぬ。そもそも、今や傑物たる坂上大将軍はすでに薨去なされ、城の力が弱まっておりまする」
載足は話を遮るように口を出した。それは、力が弱まっているという言葉を、否定せんがためであった。
「宜しいか、武士団のお歴々はご存知なきものと心得るが、鬼どもの攻撃を許して一度は破れた鬼門城の結界。これは今や、坂上大将軍のご遺体によって元に戻っておりまするぞ。まず、清水に浸された鬼の心臓を神器の剣で突きさし、それを鬼門の方角たる東北に置きまする。そして棺を裏鬼門たる西南の方角に置くことで、魔の者は東国より西へは入りこめぬ。それ故、美浦殿の懸念は、ご無用と心得まする」
「命ある者、いつかは朽ちはてまする。光明力が常人のそれとは比べ物にならなかった坂上大将軍とて、ご遺体に残る力は徐々に失われまする」
「さりとて美浦殿、それは数百年は先のことにござりましょうぞ」
「否! 生まれながらの貴族殿にはお分かりいただけぬじゃろうが、世は不条理に満ちておる。生きるため、悪に染まらねばならぬ世にござる。それ故、鬼や魑魅魍魎は増える一方にござりまする。坂上大将軍は、この上なく善の心に満ちた強き御仁にござりました。なれども、もはや坂上大将軍が三人いても足りぬほど、東国は死と悪意が満ちておりまする。美浦御厨に我らが棟梁をお招きし、祈祷を致さねばなりませぬ!」
「祈祷をして、如何んとなすおつもりか」
「緑奥藤咲氏と手を結び、共に義仲を牽制せねばなりませぬ」
毒にも薬にもなる緑奥藤咲氏と共に、東国の危険の種から、悪の華が咲くことを止めようというのである。
美浦家が東国有数の神主家系であることを鑑みれば、その意見は戯言として一蹴できるものではなかった。
載足は利明、並びに重永の意見に対し「承知仕った」と答えた。
そこには、叶麻呂の「緑奥藤咲氏と手を取りあい、小鷹城を鎮守府の者が抑える」という遺言を守ろうという、密かな思いもあった。
五条国で激突する篁信清率いる手勢では、数万の軍勢を存分に用いた、側面、背面攻撃にて清和家軍を翻弄した。しかし篁家軍には士気の面で問題があった。
篁家は栄華を誇る名家であり、京育ちの武士がほとんどであった。この戦で各手勢を率いる篁家の武士らは、近畿の武士を上手くまとめきれず、軍中には不満が積もりつつあった。
「我らは篁家であり、朝廷の追討士ではない。朝敵討伐の勅命が下っておらぬ現状は……篁家の者に帥をさせねばならぬ……!」
このとき、篁家は近畿に迫った反乱軍の鎮圧という名目で、地侍や農民などを率いていた。
「内側から崩れるよりも前に、敵を打ちくだかねばならぬ……!」
そんなひび割れた大軍の中で唯一、一糸乱れぬ結束で戦う手勢があった。それは、五条国の僧兵集団であった。
「戦神愛宕権現を祀る僧兵ともあれば、さすがの強さよのう。その帥は半身が動けずと申しておったが、愛宕権現の生きうつししとして崇められ、百人にも満たぬ配下を、万夫不当の猛者に変えておる」
側面攻撃を行うその僧兵集団は、篁家や地侍の手勢が敗走してもなお、単身で進みつづけた。そしてついに清和光延本隊を、軍勢から切り離すことに成功した。
「このまま敵の帥を討つことあらんか、我が軍は敵を殲滅できようぞ!」
信清は、この僧兵集団の活躍に一抹の期待をするようになった。
僧兵を率い死力を尽くす大庭景虎は、御味方が脱落していく最中にあっても一切の怯みを見せず、ただ前進した。狙うは、清和光延の首ただ一つである。
光延がいる本陣は、山の上で孤立していた。下山のための道はすでに絶たれ、あとはこの景虎と正面衝突をして力づくで道を開く他なかった。
「出てこい光延! この謀反人めがぁ! !」
「愛宕権現景虎殿。ここで会うは天の定め……。いざ参らん!」
光延、兼延は後方の吉継と合流すべく、下山を開始した。
両軍は山中にて衝突した。足場の悪い隘路で、倒木や岩を用いて、敵を奈落の底へとたたき落とす。鏑矢が甲冑を射抜き、倒れた御味方にぶつかり、崖を落ちていく。阿鼻叫喚の戦闘の中、光延と兼延は青毛の愛馬を蹴り、突進した。その正面には、道を塞ぐ輿に鎮座する景虎、その傍らには槍を手にした幸良の姿があった。
「我こそは清和恵我守が家来、清和光延なり!」
「我は愛宕権現景虎なるぞ!」
「出あえ候えい!」
「いざ! !」
幸良は、景虎めがけ馬上より振りおろされた光延の槍を槍ではじいた。兼延の槍を景虎は軍配で受けとめるも、兼延の槍が抜けぬあいだに、幸良は兼延を刺し殺した。
「兼延! !」
「行かれよ父上! 我らが勝ちにござる!」
兼延の命と引きかえに、光延は走り去った。
最後尾にいた景虎と幸良は、追跡を諦めた。
「我が君、是は清和家傍流、大河内家の当主にござりまする」
「この首を手柄とし、この愛宕権現の名を天下へ示すのじゃ。僧兵を募り、朝頼を討つ、同心の御味方と致さん」
美浦御厨へ一時的に逃れることとなった朝頼は、この逃避行に際し、時勝や雅子を桃紅城へ残すこととした。先鋒や反乱鎮圧軍に対し、これが敗走ではないと強調する必要があったからである。
出発まで残り二日と迫ったとき、最悪の知らせが届いた。五条国にて先鋒が敗れ、恵我国の国衆が離散し、数千の軍勢が塵と化したのである。
「殿、急ぎ我が所領、美浦御厨まで参りましょうぞ!」
「承知しておる。時勝殿、戦のご采配はよしなに」
東北へ逃れる朝頼に成りかわり、篁条国内の反乱鎮圧や、五条国より迫る篁家への対処の一切は、時勝が取り仕切ることとなっていた。
「殿、ご武運を」
「そなたにも……!」
数日を掛け、美浦御厨へと逃れた朝頼は、天の怒りを感じた。石橋山を越えている最中、豪雨が行軍の足を止めたのである。
「川の増水に、土砂崩れとなれば、この山間を通ること能わぬ。利明殿、何故に天はかかる仕打ちを某に致すのか……!」
「天変地異のことごとくが、必ずしも天の意志にはあらず。この利明は、長く神仏をお祀りさせていただき、その摂理を悟りましてござりまする。知らぬことのすべてが、神仏の思しめしに思えてならぬのは人の性なれど、今は心を挫くときにはござりますまい」
「実にも……。兎にも角にも、少数で美浦御厨へ先に入り、戦備えをさせねばならぬ」
「殿、それは何故にござりましょうや」
「天の意志にあらずんば、其は誰の意志にありや。其は、義仲のものぞ。美浦御厨は、足利城同様に、その力が強いゆえ清和家直参ではなく中立に近い。そう、父より聞きおよんでおる。清和家累代の家来にありながら、一時は群雄として、横にならび立った武門の名家。強き御味方として、また同時に敵となりうる存在として、ようよう学んでおる。しかして、かの地に、かよう風雨が起こることなど、ありはすまいて」
「実にも……。この美浦御厨近くは、風雨が荒れることはありませぬ。されば、これはこの風雨が収まりし時……」
「義仲めが襲いかかろうぞ。御厨の神力を奪い、鬼門城を破る呪詛の力とされる前に、戦備えをせねばならぬ!」
利明、佐吉は二百の手勢を率い、決死の行軍を始めた。たどり着くかも分からぬ行軍は、離脱者を多く生む。そのため、裏切らぬ忠義の士のみが、この御役目を担って出発した。
洞窟の中で待ちぼうけの朝頼は、またしても夢想の世界へと入りこんでいった。幾日も幾日も、風雨が過ぎさるのを待ちながら、じめじめとした洞窟の中で、ゆらめく松明の火を眺めるだけの時間が、彼に幻を見せたのである。
「そなたは天女か。真にかような存在がおったとはのう……」
天女は誰もが見惚れる絶世の美女であった。騒々しい雨の音が反響し、冷えが不安を高める。そんな状況でも、その天女を眺めているあいだは、暖かく、心が満たされる思いがした。
しかし夢想癖があった彼にとって、目の前に現れる天女が幻影であることは分かっていた。自らに死が近づいていることを悟ったのである。
故に彼は叫んだ。
「ひれ伏せい!」
突然の叫び声に、周囲で朦朧としていた侍どもは、目が覚めた。
「某を誰と心得るか。某は清和天皇が皇子、清和信頼が嫡流にして東国武士団棟梁清和兵部司義朝が嫡子、東国武士団棟梁清和朝頼なるぞ! 無作法な立ちふるまい無礼千万! 斬りすてるぞ!」
その鬼気迫る言葉に、侍どもは土下座した。そして、諦めていた心に、恥ずかしさが満ちた。この期に及んでも未だ諦めない主人を前に、誰もが武士らしく闘魂を宿すに至った。
洞窟の入口から、声が響いた。
「誰ぞがおるのか。出てまいれ!」
声の主は、朝頼らがいる奥の方まで入りこんできた。その足音と影は、数人のものであった。
やがて姿を現したその声の主は、大鎧姿で鏑矢を背に背負った、武士であった。武士の背後には、愛宕権現の文字の記した旗を掲げる僧兵が、数名並んでいた。
その姿を見た朝頼方の侍は堂々と居並んだまま、神妙な面持ちで「名を名乗れ、無礼であるぞ」と告げた。
この期に及んでも恐れを知らず、よく統べられた侍に、僧兵らは恐れいった。この侍どもの中心で岩に着座する若武者は並外れた傑物、将器であると、誰もが察したのである。
「御無礼仕ってござる。某、大庭愛宕権現景虎が家来、梶景親にござる。五条国にて戦功を立てられた景虎殿に惚れ、家来としてお仕え致しましてござる」
「どおりで聞き馴染みのない名であるな。景虎の家来でありながら、何故ひれ伏さぬ。某を誰と心得るか」
「御名を頂戴致したく存じ奉りまする」
「東国武士団棟梁清和朝頼にござる。控えよ、痴れ者めが」
景親の目的は、朝頼の首を取ることであった。数の上では、勝てると思った。しかしながら、戦うべきではないと思った。
自らが愛宕権現に心酔しているのと同じように、ここにいる侍どもが、この若武者に心酔していることが見て取れたのである。瞬き一つせず、おち着きはらっているようで殺気に満ちている。一度刀を抜けば、一糸乱れぬ動きで死を恐れぬ突撃をしてくるであろうことは、容易に想像がついたのである。
「我が殿、愛宕権現景虎は、朝頼様の首を刎ねよとお命じになりましてござる。なれどもこの景親、ただいま、恐れを成してござる。平たく申さば、ビビってござる。加えて……胸の高鳴りもまた感じておりまする」
「何故か」
「某は武士として、強き御仁の許で戦功を立て、我が弱小の梶家を強くしとうござりました。義朝様亡き後、弱くなった東国武士団に未来はなきものと思うておりました。さりながらこの景虎、真理を悟りましてござる。朝頼様こそ、義朝様の再来。どうか生きのびられませ……。しかして、いつかまたお会いいたしましょう。そのときは共に、篁家を滅ぼさんと、京へ昇りましょうぞ……!」
景親は僧兵どもを説得し、その場を離れた。僧兵どもには不満を抱く者も少なからずいたが、景親は、愛宕権現の真意は不条理を正すことであると説得し、不条理の権化である篁家の討伐のため、清和朝頼を見逃して、去っていった。
足利吉氏は、河内重永と共に反乱を鎮めるべく南へ下った。
「さすがは炎龍重永殿、炎を巧みに用いた戦をなさる。風も木も、すべて意のままに操っておるかのようじゃ」
吉氏は、重永以上に真紅の甲冑が似合う武士はいないと思っていた。炎でついた焦げもまた、亡き前棟梁の義朝が用いた黒い甲冑の魂を継承しているかの如く感じられた。
反乱を鎮めた重永は、桃紅城へ戻ろうとした。しかし、桃紅城を含む篁条国北部は、不穏な気配があることを悟った。
「吉氏殿、この南山より見てみれば、四方に果てしなく広がる快晴がよく見えるであろう。なれども北を見よ、文字通り、暗雲が立ちこめておるわ」
「桃紅城辺りに、かような悪天候は世にも珍しきことにござりましょう」
「御辺も其に気づくか。良からぬことを感じてしまう」
「こちらには、よき陰陽師も神官もおりませぬ。今は、構えてここに留まるほかありませぬな」
同年 四月
京の六波羅御殿にて、篁清季は焦っていた。甥の信清が朝頼方の先鋒を破り、篁条国へ侵攻しようとしているとの報を、受けとったからである。
幸いにも宗季は、帝から清和家を朝敵と認定してもらおうとすることに、図らずも時間をかけていた。これは、清和家に反乱を成功させて欲しいと密かに願う清季にとって、宗季の真面目さというのは僥倖であった。
清季が望むのはただ一つ、強者たる遮那王有恒が、朝頼と合流することである。
「牛若めはなにをしておるのか。何故、寺を抜けだして以降も、戦に参陣せぬのか。某への恨みが……足りなかったと申すか……!」
清季は病が重く、自らに残された時間が少ないことを本能的に感じとっていた。
清季は是重を自室へ呼びだし、密命を下した。
「蔵馬寺を焼け。付近の檀家を含め、二度と蔵馬寺が立ちなおれぬほどに、その力を根絶やしにせい……!」
「後学のため……何故かをご教示願い上げ候……!」
「蔵馬寺は、天子を守護する京の霊的な門。是を壊し奉り、天子を蹴おとすのじゃ。しかして、竹仁を、次の天子に即位させるのじゃ……!」
「竹仁皇太子殿下ならば、清和家を朝敵としてお認めあそばされまする。さすれば、清和家を討てと、諸国の武士に号令をかけることができまする!」
自らの意思で朝頼方に与した篁条家が収める篁条国や、清和家累代の家来が治める東国、また目代である伊東氏が滅んだ恵我国。この広大な地域に攻めいるには、篁家の力だけでは、確固たる勝算が得られない。加えて、現状は朝敵認定をされていない朝頼や時勝、東国武士団らの領地に兵を向ければ、篁家が悪戯に乱を起こしたとして諸国の武士が敵対しかねない。
篁家が清和家を滅ぼすには、帝を変えて、清和家を朝敵と認定してもらうことが必須であった。
「宗季は其を認める勇気を持たぬ。是重、宗季へは事後に報せよ。その際は、某の名を出しても良い」
「承知仕りましてござりまする……!」
是重は蔵馬寺を焼きうちにし、檀家を根絶やしにするため、山の下の村々でさえも燃やしつくした。生きたまま焼かれる人々の御魂を安んじるべく、読経をする者など、一人もいなかった。
是重は和尚の首を六波羅河原でさらし首とし、帝へ譲位を迫った。宗季は父清季の意向に背くことはせず、この動きを黙認した。
ついに帝は観念し、譲位を承諾した。
そして数日中に今上帝徳仁は上皇となり、竹仁皇太子は今上天皇として践祚した。
竹仁の帝としての初めの御役目は、摂政である宗季に従い、清和家を朝敵とすることであった。
「父上、この宗季とて武家の男。天子様を亡きものとし、我が御家を守るべく、幼子に文字を書かせ、大勢を葬るなど、容易いことにござりまするぞ」
宗季は涙を流した。寺を焼き、帝を廃位させ、まだなにも分かっていない幼子に人殺しの命令文を書かせる。自らの所業に、涙を流す他なかった。




