第十一話 進撃
鎮守府将軍・渡辺歳綱は令旨に従い出兵を決断し、貴族でありながら武勇に優れた巨勢載足を派遣する。だが載足は東国武士団を嫌悪し、神仏習合にも反発する古風な信念の持ち主であり、その存在は清和家軍に不穏な影を落とす。
一枚岩と言えず中でも、桃紅では朝頼のもとに東国武士団をはじめとした諸軍が集結し、五千の大軍で恵我国を侵略、掌握する。
一方、京では清季の孫篁是重が、令旨の存在に気づき、望仁親王を討たんと御殿を襲う。
鎮守府の渡辺歳綱は、鎮守府将軍として令旨に従うべく、出兵のとり決めをした。戦備えは十分であり、日取りもすぐに決まった。しかし、誰を鎮守府閥の帥として送るべきか、迷った。
「多治比濱鳴を送れば、形部と呼ばれ、朝頼公の戦いに支障が出よう。さりながら……副将軍にして城代にしたい道嶋御盾を送れば、死ぬこともありけり……」
鎮守府があくまで家来ではなく、武家の棟梁と横並びであると示せる威厳を持ちながらも、柔軟に共闘を図れる武人が、鎮守府にはいなかった。
やむなく、歳綱は巨勢載足を派遣することにした。載足は貴族でありながら、鎮守府が召しかかえる坂東武者と深く交わる、剛の者であった。武人として、先の鬼門の城の戦いにおいても活躍し、数多の鬼を滅し、叶麻呂大将軍が龍となったのちは、北門にて更なる敵の侵入を抑えるべく見事に指揮を取った武人であった。
しかし載足は、叶麻呂や歳綱への忠義心が強すぎるあまり、人徳がある義朝や人たらしの重永を除いて、東国武士団を大いに嫌っている人物であった。
「炎龍重永殿が参陣されたる由、ここにも一報届いてはおるものの……」
載足が東国武士団を嫌う理由は、もう一つあった。それは、仏の存在であった。
「本地垂迹し、この秋津洲においては、古の神も仏も、今は同じ存在として等しく森羅万象を守り司る存在であるが……」
生粋の武人である載足には、幼少のころより知りつくした神が、渡来の仏と同じはずがないという、強い信心深さを持ちあわせていた。
そういう考えを持つものは、数百年前までは京を初めとして、秋津洲中にいた。有識者の中でも、仏が現れたからこそ神々が怒り、百鬼夜行や天変地異、飢饉や大陸諸国の侵略を招いたのだと考える者は、一定数存在していたのである。
しかし、それらの災いは仏が渡来する以前から存在していた。また仏の信仰によって大陸諸国と共通概念を有するようになり、それを基盤として新たなる学問を理解するに至り、政や技術は洗練され、大陸諸国との友好を勝ちとり、秋津洲は更なる発展を迎えた。その事実が廃仏派を淘汰し、今や秋津洲では、神仏は同等に崇め奉られる対象となっていた。にも関わらず載足は、仏を毛嫌いしていた。
鎮守府は、東国に於ける神々を祀り、霊的な面で京の盾となる御役目が主でありながら、蝦夷や賊のような人間とも戦う武人の集団でもある。秋津洲の軍は諸外国とは異なり、武具の進化も少なく、兵法も何百年と大きく変化はしていなかった。そのような環境が、載足には、古来の在り方を続ける美徳を植えつけたのだと、歳綱は考えていた。
「何も起こらねば……よいのだが」
歳綱はため息を漏らした。鎮守府の主としての責務に、彼は疲れだしていた。
桃紅にて朝頼は、続々と集結する軍を迎えいれていた。
篁条時勝の子である篁条時利、吉時兄弟率いる篁条軍もまた集結、あるいは国境に潜んだ。
こうして、朝頼は自らを頂点とする軍勢を手にしたのである。その数は、五千にも及ぶ大軍であった。
「朝頼様! 家来の小佐田佐吉にござりまする! お久しゅうござりまする!」
「佐吉か! 我が友よ……!」
朝頼と佐吉は六つしか歳が変わらず、家は主従の関係にありながら、兄弟のように親しくしていた。
「義朝様や悪来太郎様は……無念にござりました……!」
「この無念、必ずや晴らそうぞ。憎き篁は……この朝頼が討ちほろぼしてくれるわ……!」
朝頼は自らと同じく、父兄の不幸を悼む忠義の士がいたことを、心の底から嬉しく思った。互いの頬を伝う涙は、悲しみと決意を含む涙であった。
桃紅城城下には、あらゆる感情が渦巻いていた。誰もが朝頼らのように、純粋な思いで仇討ちを志す訳ではないのである。
載足はほくそ笑んでいた。その目線の先には、足利吉氏の弟である今川本氏がいた。
載足は本氏の面を見て、笑いが止まらなかった。
本氏は次第に、気分を害して眉間にシワを寄せた。
それを見た載足は、口を閉じ、何度も頷いた。
載足は供回りに「眉間が広いゆえ、あやつは嘘つきぞ」と告げ口をした。
それから暫くして、各軍勢の帥が城に上がり、御殿の中で一同に会した。
あくまで時勝は、朝頼の補佐役に徹した。朝頼は時勝に立てられながら、軍議を上手く執りおこなった。
そして、利明率いる美浦家勢が先発として恵我国を攻め、主城である恵我城を包囲し、吉氏率いる足利家勢は後発として小さな村々や山楼を攻めおとしながら、敵が恵我城の包囲を解こうと出撃したところを奇襲することとなった。
吉時率いる篁条家勢の半分は、恵我城の主な兵站である海沿いの村々を制圧することとなった。
この采配は、朝頼の思しめしが大いに反映されていた。
「時勝殿、載足殿は足利本氏公を見下しておる。其許にはその理由が解せるか」
「某には解り申さず」
「載足殿は武士ではないゆえ、武士を見下しておるのじゃ。己が武力や知力がなくとも、御家の力で威張れる武士をのう。就中本氏殿は、当主の舎弟でありながら未だに目代として領地も賜れず、身分上は一介の家人に過ぎぬ」
「とどのつまり、載足殿は我らをも、どこぞの下郎などと思っておるのでありましょうや」
「さりとて武人。武を示す者は認めるのであろう」
「しからば、殿も武をお示しくださりませ」
「無論、その必要がある」
十余日の戦いの末、完全なる奇襲であったことも幸を奏し、朝頼率いる清和家軍は恵我城を包囲、恵我守伊東資親を討ちとることに成功した。
桃紅城にて朝頼は、戦勝の報を受け、胸を撫でおろした。それは、一歩前進したことに対する安堵と、篁条国にて反乱が起きなかったことに対する安堵であった。
篁条にて反乱が起これば、載足率いる鎮守府軍が、朝頼を見限り、東国へ戻る恐れがあったのである。
「時勝殿、鎮守府は武家以上に朝廷に近き存在なれば、反乱を未然に防ぐというお題目でこの篁条の国中を巡らせたのは、此度の挙兵が朝廷のたてであるということを分かりやすく国衆に知らしめる、良き策であったな」
「殿の提案でござりますれば、この時勝は平伏するほかありませぬ」
「そこまで言わずとも良い。時勝殿、鎮守府は朝廷の東国支配の要でありながら、蝦夷や魑魅魍魎などの敵とも戦い、東国武士団とも近しい所。載足殿は、公家由来の貴族として当然の如く宮様の令旨に従って動かれたが、同時に、太政官を初めとした朝廷の多くの官吏に謀反を起こしているお立場。我ら武家よりも、その謀反は後ろめたさを感じるものであろう。故に我らが取るに足らぬ存在と感じれば、東国へ戻ったであろうな」
「それは某も同じく懸念してござりました。伊東家の謀反は、事実無根。令旨に従うだけならば、東国武士団の棟梁が立つために、我らの戦に参加する義理はないばかりか、真の謀反を起こしている我らの背を撃つことも辞さぬ構えであったろうと心得えておりまする」
「東国武士団が某を棟梁として纏まるならばと、黙認してくれたのじゃ。だがようやく、某を殿とした清和家の軍勢が恵我国を抑えた。某の力を、鎮守府へ知らしめたこととなる。喜ばしいのう。事実として、清和氏の東国武士団が、再興したのじゃ。なれども……急がねば。急がねばならぬ」
朝頼が焦る理由は、本題である京への攻撃が遅れれば、令旨の存在が篁家に発覚し、望仁親王が討伐されてしまう危険がさらに増すからである。
そうなれば、篁家が天皇の名の許に清和氏を朝敵と認定し、諸国の武士や鎮守府、さらには漁夫の利を狙う鬼頭家や緑奥藤咲氏が戦を仕掛けてくる恐れがある。
「殿、我らの戦は始まったばかりにござりますれば、焦りは禁物にござりまする。これより、恵我守の謀反を未然に防いだ旨を書状に認め、名目上の帥であった我が倅の吉時を恵我守に任命して頂くよう、天子様へ奏上仕りまする。同時に、宮様へ、我が殿清和朝頼を恵我守に任命していただくようにと密書を送りまする。天子様には宮様と共に朝議にて篁家を欺きあそばしになり、真の恵我守を殿とする勅書を密かに下賜して頂きましょうぞ」
篁条家が神速で恵我国を掌握し、鬼頭義仲や京の篁家がその動きを知ったころには、既に横槍を入れることができない状況であった。
清季は事の次第を知ったとき、内心、驚きに満ちていた。
「光延が望仁親王様に令旨をお出しいただこうと動いておったことは知っておったが……急展開じゃ。まさか篁条時勝までもが、一気に朝頼の味方につくとはのう……」
武士の中の武士、それが清和氏である。その御曹司となれば、忠義に厚い時勝でさえも魅了し、味方としてしまうのである。
「恵我を陥すとは首尾良きことなれど……是重を必要以上に焚きつけてしまうのではないか……? あやつは篁の雄牛ぞ。暴れれば、誰が止められようか」
清季は仏門に帰依したことに加え、四六という高齢となり、家督を嫡男の宗季へ譲っていた。しかし宗季は公家らしい性格であり、その甥である是重が、武家としての役割の一切を担っていた。
是重は憤怒し、当主である叔父の宗季へ、今すぐ乱を平定すべきであると主張した。
隠居した清季は悪い予感が当たったと思ったが、病を得たために、強く止めることはできなかった。
「叔父上! 望仁親王が、諸国の清和氏に向けて令旨を下されたと、京中にて噂になっておりまする。新たな敵が沸きたつ前に、宮様の首を刎ねるべきと心得まする……!」
「な……なんと不遜なる物言いか是重……! 宮様を害し奉るなど、この宗季、恐れ多く、できるはずもないわ!」
「恐れながら申し上げまする! 敵は今はまだ小さくとも、予断を許さぬ時節にござる。かくなる上は宮様までも害し、反旗を翻した者どもを一人残らず獄門に処して、領地や京にてその首を晒す他ないと思うておりまする!」
「な……それしか……もうないのか……?」
是重は流感に掛かった清季へ望仁親王を害し奉る旨を報告し、清季の制止を振りきって御殿を襲撃した。しかし望仁親王は、襲撃に備えてすでに御殿を脱し、京を離れて東へと逃れていた。是重はこれを襲撃しようと軍を整えるも、宗季は出撃に待ったをかけた。
「今は占いにて凶と出ておる。出れば敗ける!」
「占いで勝機を逃すと申されるか、叔父上!」
「神仏の意向を無視する訳にはいかぬわ! 太政官を排出した名門としての自覚をお持ちなされ是重よ。其許は田舎武者ではないのだぞ!」
是重はやるせなさから雄牛のように叫び、自らの太ももを拳で殴った。
宗季が警戒するのもまた、道理に適っていた。篁家お抱えの陰陽師にして、朝廷の陰陽寮の頭土御門道陽は、清和義朝の死の原因に、呪術的な力が関わっていたことを見ぬいていたのである。
道陽は、生者が立ちちれない世界である幽世に繋がる力を持っていた。それは彼の出身地が、幽世と現世の境界線が曖昧である緑奥であったからだ。緑奥で嗅ぎ慣れた怨念の匂いが、義朝の死にまとわりついていた。つまり義朝の死は、式神を用いた呪い、調伏が行われた結果であった。
「是重殿をお止めになられたる段、構えて御礼申し上げます。これで、憎き緑奥の藤咲氏が我らを謀る隙を奪いましてござりまする」
「藤咲氏はちょこざいだ。朝廷にとって獅子身中の虫でもある。彼奴らが術で京を呪うことは断じて許さぬ」
「手前が、それを防ぎまする。この道陽は緑奥にて藤咲氏の存在意義を否定し、破門になった身。さりながら、陰陽師一門で最も優れた弟子であると、我が師、加茂宿禰にお墨付きをいただいておりまする。手前が生きている内は、この京に百鬼夜行は起こさせませぬ」
「さりとて、道陽殿。緑奥にて権勢を誇る緑奥城代良彦成衡は、お主と学友であったというが、彼奴は鬼をも退けたというではないか」
「幾年か前、棟梁の座を巡った東国の乱が起こった折のことにござりまるすな。其は、間違った物の見方と存じまする」
「どういう意味か」
「確かに成衡には優れた術と深い見識がありまする。さりながら、近年、人為的に大きな陰陽的淀みを感じたのは、清和義朝の死に際と、北斗七星の剣が成った際、そして坂上叶麻呂大将軍の死に際にのみ」
「つまり……成衡は何も致してはおらぬと……。取りもなおさず、緑奥は愚かなるものだ。田舎武者たる鬼頭義仲に、踊らされたに過ぎぬのか」
「さりながら、油断は禁物。敵を侮らず、手前に緑奥からこの京を護る御役目を、どうぞお与えつづけてくださりませ」
「お主を罷免するなど、ありはせぬ。我は、いつか緑奥藤咲氏を討ち、篁の天下を畿内の外にも広げる所存。力を貸してくれい。そして大志が叶うとき、必ずや緑奥守にお主を任じるよう、天子様へ奏上致そうぞ」
「ありがたき幸せ……!」
翌日の朝議において、篁家当主の宗季は、太政官清季の代理としてその権力を行使して参議を黙らせた。その上で、篁家が利するように堂々と主張した。
帝は誰を伊東氏の後任にすべきか決める立場ではあったが、篁家へ歯向かう力は持っていなかった。
「天子様のお耳にも入っていることと存じまするが、望仁親王様は、君側の奸たる篁家を誅伐せよとの檄文を、諸国の清和氏に発布するに至りましてござりまする。此度、恵我守を誅伐せしむる武者の中には、清和氏が含まれたる由。篁条守は己が嫡男を次の恵我守へ任命願い奉る旨を奏請しておりましたが、清和氏との繋がりをもった篁条吉時めを次の恵我守に任命あそばされませぬよう、構えて願い上げ奉りまする」
「宜なるかな。恵我守は遥任された目代にして、国司にあらず。わざわざ、篁条時勝の推輓せる者を、恵我守に任命することを朕は望まぬ。国司は常にこの京にあらしゃるものなれば、国司の公家に武家を推輓させ、遥任させるべし」
「承知致しましてござりまする」
帝は望仁親王が京落ちしたことを知っていた。篁家は、自らを守るために、誰がこの秋津洲の主であるのか忘れている。帝は、内心で憤慨していた。望仁親王が生きるために京を落ちたことを知っている帝は、篁家の魔の手が迫る前に、これを排除しなくてはならないと思った。つまり、篁家をこの京から追いだせば、今度こそ親政を始めることができると、そう思ったのである。
大庭景虎は、東国の異変を知り、ついに自らも立つべき時が訪れたのだと喜んだ。しかし、腹心の鎌村幸良は、涙を流した。それは喜びからではない。己の卑しさを、嘆いたからである。
「我が君をけしかけ、強さを求めさせたがために、鵄錦と戦かわせてしまいましてござりまする。そのせいで我が君の半身は動かなくなり、この幸良、己が夢のために武士としての我が君を害し奉ることとなり、嘆くほかありませぬ……!」
鵄錦の薙刀に貫かれた景虎の右脚部は、麻痺していた。もう馬にも乗れず、金で雇った家来に腰を担がせてようやく移動ができる有様であった。
恥を忍んですすり泣く幸良に、景虎は叫んだ。
「自惚れるな幸良よ! 鵄錦と戦いしは某の意思なれば、そなたの言葉に唆されたものにあらず!」
「我が君……!」
「半身を失っただけで、某の武士としての生き様が終わったなどと、たわけたことを申すでないわ!」
景虎の猛々しさは、失われてはいなかった。その覇気は、幸良を奮いたたせた。
「この幸良、武を極め、我が君の右腕いや、半身になってみせまする!」
「その意気じゃ幸良! 漢が人前で泣くものではないわ!」
二人は笑いあった。そして景虎は、これからのことについて幸良に語った。
「そなたはかつて、某を君主として天下を争う夢を語ってくれたのう。某は西へ向かい、視野を広げ、夢を見てみたかった。なれども、これから畿内と東国で、天下を二分する戦が起こるであろう」
「実にも。篁家ほどの巨大な武家を相手に戦をするとなれば、多くの武士を巻きこむ大戦になりましょう」
「某はこう思う。今、朝頼公のために立っても、河内義家、重永兄弟はおろか、鎮守府の者どもよりも重用されることはないと。それは……面白うない。いっそのこと、このまま死んだふりをして、西へ向かおうかのう」
「西とはつまり、篁家へ寝返るのですか?」
「これはしたり。其許ともあろう者がなんと視野の狭い。もっと西だ。筑紫洲、つまり為朝様がおられる西の島へじゃ」
筑紫洲は、かつては筑紫という王国が存在した島であり、今は大宰大弐が支配する、秋津洲の一部であった。西国の大部分を形成する地域でありながら、海の向こうの外国や海賊、魑魅魍魎等の強大な敵からの侵略に備えることが多いため、太安の京や緑奥の京ほど京文化は華咲かず、いまだに野蛮な地域として畿内の貴族からは蔑まれていた。
しかしながら、海の向こうの強国に備える防人の存在や、また皇室の祖先が天孫降臨を果たした葦原中国の存在などにより、秋津洲にとって筑紫洲はただの田舎と呼べる土地ではなかった。
「為朝様は今、生きておるのだ。筑紫洲においては将軍と大臣の役目を一手に担う大宰大弐を殺し、今や防人や筑紫武士を従える王だ。為朝様と共に、一旗揚げてみるのも面白かろうて」
「某は我が君にどこまでもお供致しまする。善は急げと申しまする。早速、この河内国を抜け、西へと参りましょう」
時勝は、奏請した書状の返答が朝廷より届いたため、謹んでそれを賜った。そして勅使が帰京したのち、朝頼に状況が芳しくない旨を伝え、今後を話しあうほかなかった。
「朝廷は伊東氏の謀反を未然に討伐した功績を讃えはすれども、恵我守の任命については、一言も触れてはおりませなんだ」
「篁家が令旨の存在を知ったか……!」
「さすれば……宮様が襲われたということになりまするぞ。生かしておくはずがありませぬ!」
「篁家は諸国の清和氏を朝敵とするか。篁条国も恵我国も放棄して逃げなくては……篁の大軍が攻めてまいる」
「其はなりませぬ! かような真似をいたせば、載足公が我らを襲い、篁条国が乱れまする」
時勝は神妙にし、朝頼へ伝えた。
「恵我国の地より、京へ攻めのぼられませ……! 今すぐに!」
逡巡する朝頼であったが、勝てない戦ではないとも思い、腹を括った。
「篁条国も共に、反篁の旗を掲げて戦うてもらおうぞ。清和家の再興を天下に知らしめ、篁家を討たん!」
朝頼は動きだした。疲れきった兵馬に鞭を打ち、すぐさま京を攻める軍を整えた。その急な動きは戦好きな坂東武者を喜ばせたが、恵我国より手勢に加わった近畿武士らは、強い疑念を抱くようになった。それは、朝頼が彼らの裏切りや離反を警戒して、先鋒としたことにあった。先鋒とはつまり、一番槍として敵に突撃していく御役目であり、最も死傷者が多くなる。恵我国の国衆は、朝頼が自分たちを捨て駒として、恵我国を政のみならず、血や文化までも完全に東国のそれに塗りかえて乗っとろうとしているのだと考えたのである。
足利吉氏は、朝頼のこの急な動きから、この清和家軍の足場が揺らいでいることを悟った。圧倒的な戦勝により、より大きな敵に狙われたのだろうと、察しがついたのである。
「およそ、令旨の存在が発覚したといったところであろうのう。討たねば討たれる。戦とは勢いのままに行うべきものなれば、この機を逃さず攻めのぼるのは道理。さりながら……急ぎすぎておる」
吉氏の懸念は、未だこの清和家軍が一枚岩になっていないために、戦の趨勢によっては、軽度な敗北でも、再起不能なまでに追いこまれてしまう危険を孕んでいることであった。
「ここで終わりとは……なりますまいな、我が殿」
吉氏は悪戯に運に賭けるのは好きではなかった。
「本氏よ、其許は手勢を分けて、恵我の国衆と共に先鋒に入れ。先鋒が総崩れとなるは、我が方の総崩れを意味する」
「如何ほど引きつれまするか」
「数は少なくて良いが、精鋭を連れてゆけ。大河内兼延や吉良吉継の手勢じゃ」
大河内兼延は吉氏の直参であり、足利一門の中でも特に武士としての誉れある若武者であった。加えて、兼定の実父は清和光延である。朝頼が特に信頼する人物ともあれば、手柄を与える機会を与えるという名目で先鋒へ加えやすかった。
光延は清和家の家人であり、その裏切りの後に一家は離散して行方知れずとなっていた。だが光延の長子は、大河内家を興した光延の大叔父である為延が子を成さず逝去したために、大河内家で養子となっていたのである。それが今、大河内家当主として忠義心篤く戦に臨もうとする若武者、大河内兼延であった。
兼延は大河内家に養子として迎えられたときから、嫡男として厳しく育てられた。
傅役の吉良吉継は、兼延が自身よりも主家の清和家に近い血筋であることを顧みず、己に課せられた御役目を果たすべく、
時には殴り罵倒しながら育て上げ、兼延は誰もが認める猛者となっていた。
兼延は、養父と共に同じ軍で戦うとなればいつも、武者として弱さの欠片も見せなかった。しかし今回ばかりは実父を帥として、朝頼のために戦えることに感涙し、この戦で命を落とそうとも悔いはないという思いであった。
また光延も、真の主に御役目を賜り、感無量であった。実子と抱きあい、共によく戦働きしようと誓いあった。彼の、清和のために清和を捨てた苦渋に満ちた日々が、ようやく実を結んだのである。
光延は先鋒の大将として、二千五百の兵を率いて西進を開始した。光延の甲冑には、東国武士団並びに清和家を現す白地に、清和家の家紋である笹紋が記されていた。そして軍勢の中にも、白旗や笹紋の旗が翻っていた。
意気揚々と西へ進む清和家先鋒は、勇壮たる姿であった。その中には、足利家当主吉氏の弟にして今川本氏の兄、吉良吉継の姿があった。吉継は吉良荘の主として、領民からも好かれる武士であった。しかし真の領主である貴族に対し、誰よりも不満を溜めこんでいた。領民に対して傍若無人な振るまいを極める貴族を、いつかこの手で、殴り殺してやりたいと思っていた。子供のように泣きわめきながら死にたえ、その首が領民の前に晒されることを夢にまで見ていた。
「御家とは、名もなき領民によって支えられる。武士でも、血でもなく、田畑を耕し、魚を獲って、牛馬と共に暮らしながらも時には戦に駆りだされるその百姓どもが、某らの威厳と尊厳の土台なのじゃ」
吉継は吉良家を、百姓を労わる家にしたいと考えていた。そのためには、戦で功を立て、多くの領地を持つ必要があった。そうすれば、いざというときに公家と事を構えることができるからである。百姓のためならば、自らが開いたこの吉良という御家が潰れても構わない。その気概は当に、義士と呼ぶに相応しかった。
篁条時勝は、清和家が浮き足立っているという不安を感じる朝頼を安心させるべく、申し出をおこなった。
「殿、この時勝より一つ、ご提案したき儀、これあり」
「敵を討つ策でござるか?」
「否、これは、味方を磐石となす策にござりまする。細かく申し上げれば、この篁条家と、清和家のことにござりまする」
「如何なる策がありや」
「婚姻にござりまする。朝頼様と、この篁条の女子が婚を通じれば、我ら篁条の忠義はおろか、篁氏の分家たる我らが率先して降りしことを知れば、味方は我らに対する疑念を捨てさり、天下は朝頼様の御威光を目の当たりとすることになりまする。この策、お容れいただきますよう、構えて願い上げ候」
「そのような女子とはもしや……」
朝頼の脳裏には、雅子の姿がよぎった。いつも側に侍り、笑顔を見せてくれた、たった一人女子。それこそ、篁条家と清和家を結ぶ架け橋であった。
「雅子の意向を気にしておられるのか、殿」
「実にも。かの御方は、某の情けない流人の姿を、誰よりも側で……見えおられた。いつ何時も……」
雅子の思いに、朝頼はようやく気づいた。家族とは何たるか、愛情とはなんたるか、それを教えてくれた雅子こそ、正室とするに相応しい女子であると、朝頼は思った。
狭い一室に呼ばれた雅子は、礼をし、向かいあう父と想い人の顔を一瞥した。
「雅子、某は決めたぞ。そなたを我が殿の正室としてお迎えいただき、我が篁条家が清和家の御味方である旨を天下へ知らしめる。拒むことは許さぬ」
雅子は目を丸くして、固まった。そして少しして、頬がさながら桃のようになった。
「承知……仕りました……父上。朝頼様。どうぞよろしくお引きまわしのほどを」
時勝と朝頼ともども、ボソボソと呟く雅子を愛しいと思った。
時勝は、ようやく肩の荷が下りた気持ちであった。のうやく、本来の御役目に専念できるという安心感があったのである。
朝頼は翌日の朝、寝所を出て暁を眺めた。その美しさを感じることができるのは、やはりすぐ側で眠る雅子の姿があったればこそであると思った。
「まだ夢の中か。魂蔵にて、心ゆくまで休まれよ」
朝頼は、雀の囀りに心穏やかとなった。思えば、いつも聞こえるこの囀りに心を満たす思いとなったのは、いつぶりであろうか。
朝は彼にとって、眩しすぎた。灰色の世界で悪戯に陽の光が差すだけで、不快であった。昼に雅子が訪れるときだけ、朝頼の世界に色がつくのである。
朝頼は、雅子を不思議な存在だと感じていた。有難い存在と感じてはいたが、次第に不快感が増し、苦しくなる。自分は雅子が嫌いなのかと、思うときもあった。
だが今こうして共に夜を過ごし、目覚めた朝に、朝頼は自分の真意を悟った。
「某はそなたに恋慕しておったのじゃ。そなたの愛情が、我が心の闇を照らしておった。なれども流人。篁条の娘を想うなど、天地が許さぬ大罪にござる。愛しさゆえに、某は苦しくなっておったのじゃのう」
小さく呟きながら、朝頼は再び、寝所の雅子を眺めた。
「夫婦となりて、共に清和を名乗り、長く長く生きながらえようぞ」




