第十話 恵我の地
流人の清和朝頼は、反篁挙兵の機を窺っていた。そこへ望仁親王の令旨が下り、篁清季討伐の大義が整う。篁条時勝は朝頼の謀反を詰問するも朝頼は「主は天子にあり」と説き、朝廷への忠義を掲げる。時勝もまた朝頼を旗頭として主家である篁家への謀反を決断する。
そして時勝は、隣国・恵我国を攻略し、朝頼の寄って立つ地盤とする策を示す。
一方、清季への復讐を誓い蔵馬を出奔した遮那王はその名を有恒と改め、兄朝頼を求めて東へ向かう。
河内義家の家人である坂東武者の柴葉は、桃紅城にて、ことある毎に朝頼と接触していた。自由がなく、決められた範囲の中でうろうろとしている朝頼を見つけるのは、簡単なことである。
「朝頼様、柴葉にござりまする」
「おう、いつも寸分の狂いなく、この時間じゃのう」
「この時間ならば、朝頼様がこの川辺に御座すことを知っております故」
「商人姿が板についてきたのう」
「武士の心を忘れぬため、常に懐には短刀を忍ばせておりまする」
家来としての在り方に拘り、妙に固い紫葉を前にすれば、朝頼は自ずから気さくに話しかけなくてはならないという気がしてしまう。朝頼は元来、冗談や小言は言わない性格であった。しかしながら、今は自分らしさに拘っていては、前に進まない気がしていた。棟梁として生きるためには、役割を演じなくてはならない。朝頼は、いつから自分がこの柔軟を身につけたのか、分からなかった。
「河内一門は今、金銀を売り、武具兵糧を蓄えておりまする。美浦一門や足利一門も説得し、皆一様に、朝頼様を旗頭とする準備が整うておりまする。長きに渡った雌伏の時も、いよいよ終わりにござりまする」
「某は流人。反篁の旗頭となりて、立つこととならば……篁条時勝殿を殺さねばならぬのかのう」
「やむなきことと心得まする。篁条守殿は、道理を弁える優れた御仁と、我が友より聞きおよんでおりますれば、某、篁条守様は主家を裏切ることは……なきものと心得まする」
「その友とは、清和の者か。時勝殿の許へ篁家に身を寄せた清和の武士が来たと、小耳に挟んだ」
「左様にござりまする。清和氏を守るべく、敵に降った忠義の士にござりまする」
「その者はいつか取りたてようぞ。そのためにも今は、時勝殿を……説きふせねば。亡きものとするは、忍びのうござる」
「我が友清和光延は今、清和氏棟梁河内義家殿並びに鎮守府将軍渡辺歳綱殿による嘆願書を持って、京へ上っておりまする。その目的は、篁家討伐を志す武士が集っている旨を、反篁の意思を持つ宮様へお伝え申し上げるためにござりまする」
「つまりは令旨を賜ると?」
「ご明察にござりまする」
朝頼は、時勝を殺さずに済む方法を見つけられたことに、笑みが零れた。
十八歳となった遮那王は、髪を伸ばしていた。蔵馬の和尚と話しあい、寺を抜けることにしたのである。
「諸国を放浪し、知見を広めとうござりまする。拙僧の中に流れる武家の血が、馬に乗り広い天下を駆けめぐれと叫んでおりまする」
「武士ならば一つの地に留まりとう思うのではございませんか、遮那王よ。一所懸命。一つの所に命を懸けるというのが、武士の本懐であるはず」
「真、和尚には口では敵いませぬ」
「本心は別にあると見えましたよ。困りましたなぁ。遮那王はただの僧侶にあらず。あなたを外へ放ったと知られることあらんか、我らは皆、太政官殿にどのような仕打ちを受けることになろうや」
「脅されておるのですか」
「実にも。由良御前と遮那王の身にもしものことあらば、この首で贖わねばなりませぬ」
「和尚には、やはり本当の理由を申しとうござる。この遮那王、諸国を巡りて、篁清季討伐の仲間を募るつもりにござりまする」
「ようやく本心を話してくれましたか。しかし太政官殿を討伐とは……やはりあなたは……」
「鬼の子にござる。怨念に囚われし、鬼の子にござる」
「いいえ、それは鬼の証左にはなりません。人こそ、愛のために心を乱し、憎悪を抱くもの。その執着があらゆる苦しみの元となり、人の生涯を煩悩に満ちたものとするのです。この世こそ地獄。この世こそ修羅であると、恐れ多くもこの愚僧はそう考えているのです」
「和尚とこの寺の僧だけが、ここ遮那王を人間として扱って下さりました。どうか長生きしてくださりませ。往生するとき、すべてを終わらせた某がその傍らに立っていとうござりまする」
「楽しみにしていますよ、遮那王よ」
遮那王は蔵馬寺を出る際、新たに名を名乗ることにした。月が満ちた秋の夜、涼しい風と紅葉が、後ろ髪を引いた。しかし地団駄を踏むつもりもなく、遮那王は下山した。
「京へ入れば、寺を抜けたことが知られてしまう。某は……東へ向かわねばならない。兄上は今いずこにおられるのか。幾人かいた兄の内、覚えているのは朝頼だけ。幼き時分に、でんでん太鼓であやしてくれた兄上だけ」
遮那王は東へ向かった。いくつかの国を越えて、河内国へ入ろうと思った。河内国は父と共に美田を眺め、餅を食べた記憶があった。だから、父の親類縁者を辿って、兄の消息を知れると思ったのである。
「そうとあらば……まず向かうべきは、五条国か」
遮那王は昼間、物見を兼ねて外へと歩いて進んだ。下界の人々の暮らしぶりを眺めているだけで、新鮮な気分であった。民から聞こえてくるのは、重たい税で生きることに精一杯という愚痴ばかりであった。領主である貴族の悪口こそ聞こえてきても、篁清季を謗る者はいなかった。
「諸悪の根源というに、誰もその名を挙げぬ。知らぬのか、はたまた、口ばかりで世の中を変えようとはしておらぬのか。民とは、こんなものか」
秋津洲には、皇室や貴族、武士を合わせたよりも遙かに多い民がいる。それだけの数がいながらも、彼らは抑圧に抗うことをせず、甘んじて今の暮らしを受けいれていた。
やがて、遮那王は悟った。民にとって、誰が秋津洲の朝廷を支配しているかなど知る由もなく、刀を片手に税を徴収する直垂を纏う武士と、その武士を従わせる貴族こそが、この世の頂点に見えてしまうのである。
僧に囲まれ、勘違いをしていた。人は生まれながらに人になる訳ではなく、知識を得て初めて、人となれるのである。それならば、自分自身は並の人間よりも、人間といえるのではないかと、そうも思った。
五条国は、豊かでも険しくもない土地が広がり、町や文化が発展している訳でも、土民や捨て子が溢れて魑魅魍魎が生まれるような土地でもない。そんな、普通がまかり通る世界でも、童が童を虐め、女が女を虐める。そして男は賭博にのめり込んで揉め事を起こし、男同士で殴りあって、最後は女や童を泣かせるのである。
「人と鬼、どう異なるのであろうか。何故、某は堂々とこの姿を晒せぬのか」
牛若は五条国の小城、鷲羽城へ入った。ここは最近になって果実の栽培で村となり、やがて公家が税を取りたてるべく城を作って、武士が目代として民を睨むようになっていた。街の茶屋は小さかった。きっと、外で茶を飲んで休むことも容易ではないのだろうと、遮那王は思った。
「旅のお方、どちらまで行かれるんだい」
「東に参ります。兄に会うためにござります」
「東は戦で荒れて、大変でしょうなあ。お兄さんは元気なのかい」
「便りもなく、どこにおるのかも分かっておりません。ただ、東にいると、そう思ったのです」
「良い弟さんだねぇ。上等な布を頭に巻いてるけど、上方から来たのかい?」
「実にも」
「なら、やっぱり戦があるのかい?」
店主の女は、やたらに質問攻めをしてくる。しかし、戦とは何のことだろうか。遮那王は、質問で返した。
「戦があるのですか?」
「ここより東南の篁条国で、東国の御曹司である清和朝頼君が流人として流されてるらしいんだけど、その御曹司が篁条守を誑かして、東国の武士と一緒に京を攻めようとしているらしいのよ」
「それは、真か……! どこでそんな話を……!」
びっくり驚嘆する遮那王を見て、店主の女は笑った。そして「これでもアタイは商人よ。情報は銭を得る要なんだから」と言った。
店主に別れを告げ、遮那王は東北へ向かうのを辞めた。
「目指すは東南。篁条国だ」
遮那王に迷いはなかった。足取りは軽かった。やがて、河内国から幾つかの国を跨いで流れる大河の支流、五条川へ辿りついた。これを渡れば、兄朝頼がいる桃紅城は、目と鼻の先である。
橋に架かる五条大橋を渡る際、対岸から一人の男が向かってくることに気づいた。
「やけに大きい。そこのお方、端へ寄ってはくれまいか。ぶつかってしまうではないか」
その問いに、男は答えなかった。
男は質問で返してきた。
「その頭に被せる布を取っていただこう」
遮那王は、身構えた。何故この男は突然、頭の布を取ろうとするのか。まるで、角が生えていることを、知っているかのようだ。
「何故、取らねばならぬのか」
「そなたが何者か知りたき故。取らぬならば、力づくで脱がせるのみ」
「乱暴はよせ。傷つけとうない」
「傷つき首を刎られるは、そなたぞ……!」
男はその巨体を軽々と動かし、距離を縮めた。
「刀を抜けい! 強者よ!」
「そうか……そなたが……! 面白い!」
遮那王は男の正体に気づいた。この男こそ、蔵馬天狗の法眼が愛弟子、鵄錦である。それならば、刀を抜くのはつまらないと思った。遮那王はこの決闘を楽しむべく、変装用の龍笛を吹きながら、鵄錦の薙刀を華麗に避けた。橋を飛びまわり、時には鵄錦の頭を蹴りつけるなどして、余裕の姿を見せつけた。
「楽しくなってきたわい! 鬼の子よ!」
鵄錦はその圧倒的な体躯から繰りだされる強靭な一撃で、橋に大きな切り傷をつけながら、遮那王の背を追って薙刀を振りつづけた。片手でも丸太の如き柱を斬りこわすその膂力で、右手左手を巧みに入れかえながら、縦横無尽に動きまる遮那王の衣服を斬った。
「捉えた!」
鵄錦は足を踏みこみ、遮那王の背を狙い、薙刀を振りかぶった。
次の瞬間、遮那王は笛を吹き、風を起こした。その風は、鵄錦を木の葉のように吹きとばし、橋に叩きつけた。
自らが切りきざんだ橋の破片が、鵄錦の背に刺さっていた。痛みに悶えながらも鵄錦は跳躍し、迫る遮那王をかわした。
抜刀した遮那王の刀は橋に突きささるも、すぐさま刀を抜きとった。そして鵄錦が振るった薙刀を、その細く小さい腕で防ぎきった。
刀から火花が散った。汗を流した鵄錦の目の前には、微笑む遮那王の姿があった。月夜に照らされた遮那王の麗しき顏には、懐かしき青い目と、鋭く尖った角が生えていた。
鵄錦は遮那王を蹴とばし、橋をたたき斬った。橋はついに割れ、遮那王は足場を失った。鵄錦は石つぶてで遮那王に打撲の怪我を与え、神力で飛びさるのを防いだ。
「やんぬるかな鬼の子よ! 溺れ死ねい!」
遮那王は流れが急な川へと落ちた。しかし、鵄錦は胸騒ぎがして、周囲を見渡していた。次の瞬間、遮那王が背後の川から飛びだし、鵄錦を斬った。その一撃は、鵄錦の辻斬りよりも強く、深い傷をつけた。これが決定的となり、鵄錦は橋の上に倒れこんだ。
「激しい戦であった。鵄錦殿。某、今宵の如き甘美な戦いは、この先一生なきものと感じている」
「冥土の土産に、名を聞かせ給うれ。秋津洲一の強者よ」
「蔵馬遮那王有恒。鬼の子にござる」
「悔いもない。この首、刎られよ」
「それは惜しむ。代わりに、某に誓え。その命でもって、某を守りぬくと。天下を彷徨う鵄錦は某が討ちとった。今日からは、その命を某が預る」
「御意……!」
有恒は強い味方ができたことを喜んだ。そして鵄錦を引きつれ、桃紅城へと進んでいった。
有恒が鵄錦を五条大橋にて仲間に引きいれていたころ、朝頼は篁条の屋敷で、時勝より詰問を受けていた。その周りでは、刀を拵えた侍が、二人を囲んでいた。侍どもの直垂には、皆一様に、篁条家の家紋である三つ鱗紋があった。
「東国武者と密通をしておる件、申開きしていただこう朝頼公。商人の真似事をさせながら、如何様な謀を致しておったのか」
この期に及んでも朝頼は、神妙な面持ちであった。斬り殺されかねないこの状況に、彼は一切の不安や恐怖を感じてはいなかった。
「申開き致しまする。某、流人の身にありながら、夢を見ておりまする。朝な夕な、滅亡したに等しい我が清和家の、再興を夢見ておりまする。幸い、かつての家来筋が某に父義朝の跡を継がせようと、尽力してくれている故、某、いつか篁家を討つべく、東国の家来筋とよく会合してござりまする」
「朝頼公、その正直さは感心致しまするが、貴殿は流人であり某は監視役。我が主家を討つべしと思しめしあらば尚のこと、貴殿に罰を与えねばなりまする。そのお命を頂戴し、乱の種を未然に防がねばなりませぬ」
「一つお忘れなきよう。某が死ねば、東国武者は再度、棟梁の座を巡って乱を起こすことと相なりましょう。某は死を恐れは致しませぬ。なれども、某のこの命を無下に捨てるつもりもありませぬ」
朝頼は立ち上がった。そして時勝の許まで歩みよった。その堂々たる気迫に時勝は圧倒され、「斬れ」と命じることができなかった。
朝頼は時勝の眼前にて着座し、時勝に尋ねた。
「篁清季は今、朝廷を専横して、天子様をも蔑ろにしておりまする。天子様はまだ若年ゆえ、自ら動くことはできませぬ。周りの貴族どもも、所詮は篁家滅没後にその座を狙う狼ゆえ、信じることはできませぬ。唯一、天子様のお心に寄りそいし望仁親王様が、諸国の清和氏に篁家を討てとの令旨をお下しにおなりあそばされました。それにより、今や多くの清和氏、それに連なる同門の武士どもが、篁家を誅伐せよと叫んでおりまする。某が立たずして、誰がこの大義を果たせましょうや」
「篁家は、我らが主家にござる! 討伐致す思しめしあらば、我らはそれに抗うのが家来の務め!」
「お目を覚まされよ時勝殿! 我らが主は誰にござりましょうか!」
「其は……天子様に他ならぬ……!」
「お膝元の京はおろか、御殿たる内裏宮さえ、篁家によって固められておりまする。天子様は今や籠の中の鳥。月に隠れた金烏にござる。某はこの現状を正さんがため、兵を挙げとうござりまする! 其の大義を阻み逆賊の御味方となるなるば、この朝頼を今すぐ斬りすてられよ!」
時勝は言葉を失った。朝頼から放たれる覇気に圧倒されてしまったのである。
「皆の者、刀をしまえ。某は腹をくくったぞ。篁条家は、天子様のために篁家を討つ。宮様の令旨に従い、反篁の旗頭には、清和朝頼公を頂戴致す」
家来は刀を下ろす者、主の鞍替えに動揺する者と様々であった。
「この時勝、太政官殿へと忠義をすべて捨てさる。某に従わぬ者は篁条の武士にあらず。反目する者あらば、今ここで某自ら斬りすてる!」
その怒気は家来の闘志を奪うに至った。戦いに敗れて、新たな主家に従う。ここにいる者はすべて、篁条譜代の家来でありながら、家ではなく篁条時勝という武士に忠義を尽くす武士であることを、誰もが再確認した。
「時勝殿、城内に潜伏する坂東武者を館へ召しだすべきと心得まする。我らには時間が幾許もありませぬ」
「承知しておりまする。篁清季が宮様を襲う前に、兵を整えて京へ攻めのぼらねばなりませぬ」
「憂慮致すべきはそれだけではありませぬ。令旨にて激を入れられたのは清和氏。そこには支配地の拡張を虎視眈々と狙う鬼頭義仲めも含まれておりまする。彼奴は京のお歴々には緑奥守として、朝廷の臣下に見えておりましょう。なれどもその実、彼奴は東国武士に仇なす鬼であり、緑奥の山楼のみを有する獣にござりまする」
「先を越されては、京は今よりも悲惨なこととなる……ということにござるか。……我らは、急がねばなりませぬな」
朝頼は立ち上がり、今すぐにでも館を出て家来を呼びに行こうとした。しかし時勝は「暫時!」と叫び、呼びとめた。
「まだ話は終わってはござりませぬ。一つ、某より提案がござりまする」
「承りまする」
「朝頼公には、寄って立つ地が必要と心得まする。この篁条の地は、篁氏の土地。目代たる某の命に従わず謀反を起こす者あらば、無論これは某が討ちほろぼしまする。さりながら、殿は清和の流人。心から殿に従う武士が幾人おりましょうや」
「東国の武士が従いまする」
「さりながら、鬼頭義仲や大庭景虎の如く、純粋な家来と呼べぬ野心家が何処に潜んでおるか計りしれませぬ。あにはからんや、寝首を掻く輩を防ぐには、主としての力量を今一度天下に知らしめる必要これありと、心得まする」
「しからば、何処かを某の手で陥し、足場となすべしとお考えか」
「実にも。しかして、良き地がござりまする」
時勝は家人に地図を運ばせ、畳の上に広げた、そして扇子で地図を叩き、場所を示した。
「篁条国の隣、恵我国にござりまする。この地は、篁条の東南に位置して、広い海に面しております故、交易による益がありまする。海賊の討伐に雇われた坂東武者も多く、この者らを直参とするが吉と」
「果実が実る豊かな土地とも聞きおよんでおりまする。時勝殿、よき提案、感謝申し上げまする!」
朝頼は館の外で、柴葉をはじめとした坂東武者を招き、時勝と共に今後の方針について協議した。
そして、篁条全域が清和朝頼の支配地となったことは速やかに河内義家や渡辺歳綱の許へ伝えられた。
「殿、此度ばかりはこの時勝、少々武者震いを起こしておりまする。主家を討つための戦とは……。鎮守府と東国武士団が御味方になるとあらば、我らが篁条の武士らも、みだりに乱は起こしますまい。破竹の勢いで、恵我を掌握致しましょうぞ」
「これもすべて、時勝殿のご決断あったればこそ。新たなる主家として、この朝頼、心底より感謝申し上げまする!」
「ありがたき幸せにござりまする。本心を申し上げれば……某、安堵しておりまする。宮様の令旨により、娘や家来らに不和が起こることなく事を纏めることができましてござりまする。それに加え……」
「それに加え、何であろうか」
「高揚しておりまする。この時勝には、篁家のような燦然と輝く大家にならび立つ機会など訪れるはずもないと、諦めており申した。さりながら、今は殿をお支えし、新たなる時代で功を立てる機会を授かりましてござりまする。是は、幸いに他なりませぬ。武士として武功を立て、歴史に名を残せるやも知れぬこの情勢、高揚してしまうのも無理からぬことと存じまする」
「その勇ましさ、存分に活かして頂きたく」
「御意にござりまする……!」
河内義家は四日後、早馬にて朝頼の蜂起を知り、時が来ることに歓喜した。
「いよいよにござるな、重永よ。柴葉貞任がようやってくれた」
「大庭景虎へ早速伝えましょうぞ。時は来たと」
「そのことなれど……」
義家は、大庭景虎が大きな傷を負ったことを知っていた。無頼の僧兵により傷を負うなど、そんなことが起こるとは予想外であった。
「正に寝耳に水。家来の鎌村幸良が、何をしでかすか」
「兄上は、大庭の監視に注力下さりませ。この重永が、朝頼様をお迎えに上がりまする」
「さりとて、そなたは甲武兄弟の仲裁で忙しかろうて。一門の問題児、甲武吉國が兄へ妙なことをせぬか、ようよう見張らねばならぬ」
「事の順序を見誤ってはなりませぬ。我らの至上命題は棟梁をお守りすること」
「其許は多くの人馬を遣わすことは難しい。吉國が兄吉光を攻め、甲武兄弟が事を構えることあらば……其許の武士を用いなくてはならぬ故」
「なれども、美浦家や足利家から人馬を出させる手前、この方もそれ相応の数を用意せねばなりませぬ。ここは一つ、兄上の直参を某にお預け下さりませ。それならば、数が少なかろうとも、誠意は伝わりましょうぞ」
「数が難しければ質で補うか。河内家当主の兵を率いる帥が、当主の弟とあらば、誠意は伝わり反目は買うまいな」
河内家では内紛の火種が燻っているということを、足利家当主の足利吉氏は理解していた。そのため、河内家が多くの兵を出せないであろうということは、予想がついていた。
「義朝様のころは、かかる事態に陥ることはあらざるものを、河内家は棟梁の器にあらずや。この足利家は、家格では劣れども、石高や実力では河内家に勝るとも劣らぬ。この吉氏が次の棟梁として立つことも、できうるのではないか。のう本氏」
「何故、殿は先の乱にて大庭や河内に続いて、挙兵なさらなかったのでござりましょうか」
「決まっておろう。漁夫の利を狙うたのよ。しかし大庭がむざむざと敗れ、機会を失うてしもうた。さりながら、それは吉と出た。鎮守府は思っておったより、坂東武者と張りあえるようじゃ。遮二無二他家を攻め敵対すれば、こちらとてただでは済まなかった」
「機会を狙っておるのは、美浦もまた同じであるものと存じまするが、いつか朝頼様を排除した上で、我らが棟梁の座を得ることができましょうか」
「今はただ、従順な姿勢で戦にて功を立てるのみじゃ。朝廷との交を結び、時を待つ。我ら東国武士団に近畿や畿内、西国にも手を伸ばすときが訪れれば、それを恐れた朝廷が、必ずや清和家や次席の河内家の力を削がんとして動く。そのときまで、我ら足利は牙を研ぎ、待つのじゃ」
「つまり殿は……己の栄達ではなく、足利家の栄達を願っておられるのですか」
「実にも。長き戦いとなろうぞ」
腹心である本氏には、懸念があった。それは、足利家当主である吉氏には、子がいないことである。しかし吉氏は「種なし」と陰口を叩かれるのを嫌っており、それを口に出す訳にはいかなかった。
本氏の心の内を察してか、吉氏は笑った。
「儂の後にはそなたがおろうぞ。分家となっても、血を分けた弟。そなたの家で、足利城を足場に、棟梁の地位を狙え。時を賭け、五代ののちに、天下を取れ……!」
これは当主吉氏の後継が、弟の本氏であると決定した瞬間であった。本氏は足利城の中心である足利荘にほど近い地域を開墾し、新たに人が住みはじめた土地の主となっていた。この地は未だ朝廷に報告しておらず、その存在は知られていない土地であった。つまりは、足利の力を真に高める隠れた蔵なのである。
その重要な土地は、足利荘にも流れる今川によって豊かな田畑を形成しており、今川荘と名付けられ、その地を治めるに当たって、足利本氏は今川本氏と名を改めていた。
「本氏よ、我らは密かに力を蓄え、天下を狙わねばならぬ。けして二心を抱きたること、誰にも悟られてはならぬ。其の儀、ゆめゆめ忘れることなかれ」
本氏は「承知」と言い、平伏した。
朝頼が立ってから七日後、美浦御厨を治める美浦家当主の利明は、河内家や足利家に先んじて出兵した。
利明は参陣させる武士の中に、小佐田佐吉を含めていた。彼は義朝上洛に際して義朝の命に従い、兵を率いて美浦御厨に参陣した清和家の家人であった。
「小佐田殿、御辺もようやく真の戦場にて槍を振るうときが来たようじゃのう!」
「左様。待ちくたびれてしもうたでござる!」
「槍は確と研いだであろうのう、小佐田殿」
「無論、銀色に眩く輝いてござる!」
「早う血を吸いたいと、叫んでおるかのようじゃのう!」
「実にも! この佐吉も危うく、戦とは武器を屋敷に飾って田畑を耕すことであると、勘違いするところであったわ!」
美浦一党の武士どもの笑い声が、周囲に響きわたった。
美浦家は清和家庶流、河内家の庶流であり、清和氏でありながらも分家としてかなり本流から遠ざかった血筋であった。しかし、清和氏の誇りを忘れることなく、大切にする御家であった。元来より清和氏が祀っている戦神たる火之迦具土神を初めとし、数多の神が清和氏に仇なすことがないように安んじる御役目を担うなどし、武具を用いずに御家を守る武士として、常に戦ってきたのである。
「武家の御役目らしくはなくとも、我らのお家芸なれば、今さら鎮守府や国司の公家衆に委ねるつもりもない。なにより、先祖代々この御役目を真面目に勤めた故、此度はこうして参陣の御役目を仰せつかったのじゃ。この利明、幸甚の至りなり!」
「さりながら利明殿、御辺ほど民に愛され神々を崇め奉ることに長けた武家が、何故に野心を抱かずにここまで清和家に尽くされるのか」
「これは異なことを承った。二心を抱く者が、清和家家来衆の中にいるものか。恨みを持つ鬼頭家の義仲らは然にあらざれども、己の野心のみで主家を襲うなど、そんなことを考える者がいるものか」
利明にとって、清和氏は忠義を守る武家の鑑という認識であった。武士は家人として主従の交を結んだ殿に従う。そして各家の当主は、家人ともども、主家の当主を殿として崇め、従う。特別な理由もなく主家に取って代わろうと画策する者など、いるはずもないと考えていたのである。
佐吉もまた、実際に謀反を企てる者の存在を、知ってはいなかった。大庭景虎でさえ、それは主である義朝に抗ったことはなく、その死後にその地位を狙ったに過ぎない。
「目が覚めた思いにござる。この佐吉、武士としての道を弁えておらなんだ」
「御辺はまだ若い。御辺は河内家の先代、義明殿の御舎弟殿が小佐田郷を切り開いて始まった一族で、この清和氏の中でも御辺の血筋は本流にほど近い。御辺には義と武を兼ねそなえた英傑の血が、濃く流れておる」
「我が祖父の話にござるな。八岐大蛇討伐にて討死した我が祖父や父のように、某は武士として恥のない生涯を送りとうござる」
「小佐田家の名に恥ぬ武士と御成になりませ……!」
佐吉は忠義を尽くすべく、馬の腹を蹴った。勇みたつ佐吉をみて、利明は「その意気にござる!」と呟き、後に続いた。




