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#7 パプリカ

「それで、ハッカー君。義手の調子はどうだい?」

 洗浄屋は工房の机の上でバラバラになった機械を弄りながら、机の隅に浮かべたホログラムに語り掛ける。通話相手のフロートはしばらく無言で義手をカタカタと鳴らした後、カメラを切っていることを思い出して「上々だよ」と声を上げた。

『前のやつとはちょっと感覚が違うけれど、これにもだいぶ慣れてきたかな』

「それは良かった。ギアを摩耗しにくいものに変えたから、今度はもうちょっと長く持つはずだよ」


 彼女が付けている浮遊型の簡易義手は、洗浄屋が作った代物だ。

 失った身体を取り戻すまでの仮の腕のつもりだったが、予想以上に身体の修復に手間取ってしまい、一部の部品を交換しながら今に至るまで使い続けられている。

「……しかし、数年間のタイピングでギアを磨り潰すとは。生身の頃に腱鞘炎になったりしなかったのかい?」

『腱鞘炎はなかったけど……肩凝りは酷かったかな。博士課程の頃から整体のお世話になってたし』

「そういえば研究所に居た頃も通っていたね。てっきりその胸が重たいせいかと思っていたが」

『そ、それは……あるかもしれないけど……』

 昔から彼女の肩凝りは相当酷いものだった。肩の痛みで食事が辛いという意味不明な状況になったり、ヴォイドに肩を揉んでもらおうとしてあまりの硬さにドン引きされたりという場面を何度も見たことがある。

 懐かしい話をいくつか思い出し、洗浄屋は口元に小さな笑みを浮かべた。


「ところで、義手はそのままのやつで良かったのかい? 私の工房ならもっとちゃんとした義手だって用意できるよ。それに、いつまでも松葉杖ってのも不便だろう。義足も用意した方が……」

『……うん、そうした方が生活しやすいとは思うけど……その方法だと跡が残っちゃうし……』

 フロートの場合、通常の方法で義手を装着することができない。ノイズに侵食されて変質しただけで、元の腕のデータは「システム上では正常」な状態で残っているのだ。今の簡易的な物とは違う普通の義手を付けるには、肉体データを置換するサイボーグ化のような手段を取ることになる。

 確かにデータを改変してしまえばその痕跡は一生残るし、本来の腕に戻すことも難しくなる。正常な肉体と違う不都合も色々と起こるだろう。だが二人の間にはそれ以上に別の理由があるように思えてならなかった。

「……壁抜け君のために、かい?」

『…………うん』

 その理由は、洗浄屋にも容易に想像がつく。実に歪で、傍から見ていればもどかしくて仕方ない理由だ。

『ヴォイドの気持ちは私も分かる。ヴォイドも、私ほど派手じゃないけれど身体をノイズに侵食されているから。普段は肌の出ない服や手袋で上手く隠しているけれど、時折首筋や手首に黒い痣が見えると、胸がきゅっと締め付けられるような気がするの。ああ、これは私のために負った、私がいなければ無かった傷だったんだ……って』

 二人が消えない傷を負った、ある集落でのデータクラッシュ事件。用心棒の一人だったヴォイドは集落を守るため絶望的な戦力差を相手に戦い、メモリに過剰な負荷をかけて、越えてはいけない境界を越えた。そこまで追い詰められてなお戦った理由は、彼に守るべきものがあったからだろう。

 だが、それは本当に彼女のせいなのか?

 守られる側が悪かったのか?

 洗浄屋は首を横に振る。そんな雑な理論で片づけてしまっては、あまりに二人が可哀そうではないか。二人がどれほどお互いを大切に想っているのか、ずっと近くで見続けてきたのに。

「そんなもの、彼の為になるとは思えないけどね。そもそも『私がいなければ』って言うけれど、彼の隣に別の女性がいる場面とか、君は耐えられるのかい?」

『うぐっ……!』

 今、想像で傷付いたな。そんなに嫌か。

「大概、面倒な奴だな、君も」

『……自覚はあるよ。でも……』

 彼女は何かを言おうとして、それでもその後は続かず言葉に詰まる。

 フロートもヴォイドも、互いの傷で互いを縛りながら、その傷に向き合う勇気を出せずにいる。自分のせいで付いた誰かの傷を直視するのは辛いことだ。

 それでも、と洗浄屋は思う。

「……過去も、傷も、消えるものじゃないよ。だけど、辛い過去も時間が経てば受け入れられるようになるのと同じで、深い傷だっていつの日か『そんなものだ』『そんなこともあった』って思えるようになるんじゃないかな。少なくとも君と壁抜け君なら、そんな風になれると私は思うんだ。

 君は、どう思う?」

 洗浄屋は握ったペンチを工具箱へと収め、ホログラムの方を振り返る。

 だが、その問いかけにフロートの声は返ってこなかった。

 代わりに返ってきたのは、ザザザ、という耳障りな雑音のみ。

「ハッカー君? ……フロート?」


------------


「下がってくださ……危険です……黒……近寄らないように……」

 自分が発する声のはずが、ヴォイドには随分遠くに聞こえた。グラグラと揺れる視界の中、囂々と響く野次馬の喧騒をかき分け、彼は今朝通ったばかりの道を逆向きに進む。野次馬の最前列にいた男は、記者か何かだろうか、一眼レフのカメラを抱えたまま腰を抜かしていた。

「下がっていてください。巻き込まれるかもしれません」

「あ、あぁ……悪いんだけど、手を貸してくれないかい? 腰が抜けてしまって、立てないんだ」

 ヴォイドが手を差し出すと、男は震えの止まらない手でそれを取った。一度はふらふらと立ち上がり、何かに躓いてまた転んだ。彼の足元を見ると、レンガの一枚がリンゴの皮のような質感に変わっている。靴の形に凹んだ地面は果肉のような薄黄色に変色していた。

「……酷ぇ状況だな。だいぶデータが混濁してやがる」

 少し遅れてやってきたベクターが、黒いノイズに包まれた街を見渡しながらつぶやく。

「ヴォイドくん、こっちはオレがやっとく。先に中心へ向かっててくれ」

「……あぁ」

 通路の封鎖や他の処理は彼に任せて、ヴォイドはノイズが渦巻く嵐の中へと足を踏み入れた。


 データクラッシュを起こした街並みは、無機物と有機物がコラージュのように入り乱れていた。人差し指の柱が支える廃墟や、花束が垂れ下がる街灯、自分の首から生えた一輪車を漕ぐ女性に、手首足首のタイヤで路上を走り回る電球頭の男。狂気に走った芸術家が薬物をオーバードーズしたとしても、もう少し理性的なものが出来上がるだろう。そう思えるほどに目の前の景色は狂気的で混沌としていた。

 最初は歩いていたはずなのに、次第に歩みが早くなり、気がつけば全力疾走していた。荒い息で朝に通った道を逆走して、いつもと同じ場所で立ち止まる。

 恐る恐る視線を上げると、そこにはノイズで真っ黒に染まったマンションの残骸が立っていた。

「……フロート……フロート……‼ 無事でいてくれ……‼」

 暖簾のようにヒラヒラとなびく自動ドアを潜り、エレベーターのボタンを叩く。しかしプラスチックのボタンは半固形の脂のようにベタリと指先に張り付いて、昇降機はびくともしない。ヴォイドはエレベーターを諦め、非常階段を駆け上がる。白と黒の段差を踏むたびに、螺旋階段にピアノの音が鳴り響く。ドレミファソラシドレミファソラシ……、音階を何度も繰り返して、ようやく彼はフロートが待っているはずの階層にたどり着いた。

 いつものドアを、いつになく慎重に開く。

 照明が不安定に点滅する廊下に、彼はぎこちない笑顔で呼びかける。


「……ただいま。帰ったぞ、フロート……なぁ……」


 廊下を抜けて、居間の扉を開く。

 そこには、何もなかった。

 おかえりも、いつもの笑顔もなく、ただ黒いノイズが部屋中を覆っていた。

 ただ呆然と、ヴォイドは部屋を彷徨い歩く。窓際のソファには、一本の松葉杖。それを手に取って、彼は力尽きるように崩れ落ちた。


「ここで待ってるって、約束だったろ……」


・防衛隊新人隊員のメモ「義肢/肉体置換データ」

アルカディアにおいては肉体の欠損もメモリを消費して治せるため、義肢の需要は身体機能の向上や拡張機能の搭載を目的としたものが主流となっている。要するにサイボーグ化だ。

フロートさんのような治せない欠損により義肢を使う例は稀な方になる。

義肢メーカーはセントラルなど戦争が多く軍需が盛んな地域に多い。また根本の仕組みが同じ肉体置換データも扱うメーカーが多く、民間需要はこちらの方が高い。

義肢は既にある四肢に置換するだけでなく、新たに三本目・四本目の手足として取り付けることも可能。聞くところによると増やした腕の操作感は「腹筋にセンサーを付けてゲームするような感覚」らしい。

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