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#6 守護天使

 今まで、数多くの戦いを経てきた。

 死を覚悟したことも、一度や二度ではない。

 それでも、ヴォイドは謎の黒い怪物を前に、感じたことがないような恐怖を感じていた。

 攻撃が通らない。力が足りないとか、そんな感覚ではなかった。硬いから弾かれたのではなく、それ以上先に進めないから阻まれたような感覚だった。


「黒いノイズ……」「……トリガーかな?」「データクラッシュしてる?」

 二人に分裂したダブルが交互に口を開く。

 それを否定するように、ベクターは首を横に振った。しかしそれは確証があるというより、信じたくないという仕草だった。

「こんなデータクラッシュ、見たことねぇぞ。データが壊れて動けなくなったり、消えることはあっても、暴れ出すなんて……」

「ヴォイド」「何か感じる?」

「……ああ」

 ダブルの問いかけに、ヴォイドは小さく頷いた。

 肌がひりつくような感覚はずっと続いている。あの怪物は、確かに何かしらのバグの産物なのだろう。全身がノイズに呑まれてなお動けるなど、到底信じ難いことだが。

「一体、何が起こってやがる……?」


 ザリガニ型の怪物が、持ち上げた腕を振り下ろす。三人はそれぞれ別方向に飛びのき、先ほどまで彼らがいた場所の地面には蜘蛛の巣状の亀裂が走った。アスファルトの地面が容易く割れても、腕を覆う甲殻には傷ひとつつかない。三人は追撃を警戒しつつ、飛んでくる石の破片を避けながら間合いを保つ。

 この甲殻の硬さも異常だ。

 データクラッシュに巻き込まれると身体に石材や金属のデータが混ざることもあるが、それでもあの勢いでアスファルトに叩きつけて無傷なのはおかしい。

「ベクター、探している奴は何かトリガーを持っていたのか?」

「ただの『変形』だよ! 自分のボーンを伸縮させて手足を伸ばすだけだ! こいつの硬さとは関係ない!」

「手がかり無し、か……」

「……ったく、どうやって戦えっていうんだよ!」

 二人に分裂したダブルが背中合わせに構える。ベクターは近くのバス停シェルターを刀で切り裂き、破片をトリガーで浮遊させる。


 二人が持つトリガーは「複製」と「ベクトル操作」だ。

 自分自身や触れた物の複製を生み出すダブルと、力の向きや強さを制御して好きな方向に吹き飛ばすベクター。どちらも対人性能は高いが、メインは物理攻撃だ。この相手に有効だろうか。

 今のところ、この敵に物理攻撃は一切効いていないように見えるが……。


 しばし思案を巡らせ、ヴォイドは自身のトリガーを起動させた。銃声が響き、体の感覚が消えていく。彼は薙刀をダブルの片割れに託して、怪物に向けて駆け出した。

「少し持っててくれ」

「……どうするん?」

「『壁抜け』を試してみる。離れていろ」

 足の裏で地面を弾くように、少しずつ加速していく。敵の攻撃は強力だが大振りだ。自力で回避し、トリガーには頼らない。ペースは落とさず、最低限の動きで攻撃を掻い潜り、ザリガニの懐に入り込んだ。突き上げてくる触覚を躱し、胴の中心に向けて掌底を打つ。右腕が黒いノイズの塊に叩きつけられ…………そして弾かれた。

 攻撃が通らない。「壁抜け」を使ってもすり抜けなかった。それはつまり……。

「ロールバック処理……空間そのものがバグってるのか」


 この世界のあらゆる物体は、どこにいるかという位置座標ステータスを持つ。

 X軸、Y軸、Z軸、三つの数値で物の位置が決まる。この数値に足し算や引き算をして自分の居場所を変更するのが「移動」という行動だ。

 もちろん、この位置座標の数値にも限界がある。十分に大きな枠は確保されているが、仮に世界の果てに触れた場合、つまり移動しようにも移動先が存在しない場合には、強制的に直前の居場所へと戻されるロールバック処理が起こる。

 「何にもぶつからずに移動できる」はずの壁抜けが通じないのは、壁の向こう側に「移動できる空間がない」からだろう。


「ただのボーンの変形だって? なにをどうやったらこんなバグり方するんだ」

 壁抜けが通らないことは、二人も見えていたらしい。ベクターは冷や汗をかき、ダブルは二人揃って青ざめた顔をしている。ヴォイドはトリガーを解除して、ダブルに預けていた薙刀を受け取った。

「ど、どうするん、これ?」「流石に、無理じゃないん……?」

「いや、まだできることはある……はず」

「……とりあえず、ヴォイドくんは下がれ。あれだけのノイズの塊だ、一度バグってる身体でこれ以上触れるのはまずいだろ」

「駄目だ。あれにただの物理攻撃は効かない。お前らだけじゃ勝ち目はない」

「……で、でも」「ここから、どうすれば……」

 敵から目を離さないようにしながら、ヴォイドは必死に頭を巡らせる。

 少なくとも、撤退は論外だ。こんな存在を放置しておくわけにもいかないし、下手に撤退しようとすれば街に誘導することになりかねない。この場でどうにかする必要がある。しかし、相手にこちらの攻撃は通じない。どうすれば、あの怪物を無力化できるのか。


「……脳幹を破壊できれば、もしかするかもしれない」

 現実の脳と仮想の体を繋ぐ、「脳幹」と呼ばれる部位。

 この世界の生物全てに共通する急所だ。

 自立行動をするものには、必ず体のどこかにこの部位が存在する。それを破壊できれば、あの怪物も動けなくなるはずだ。場所は大体首の付け根辺りにあるはずだが……。

「脳幹って……どこを狙えばいいんだ?」

「普通に、頭の付け根じゃないん?」

「いや……さっき掴まれかけた時、ハサミの内側に眼球が見えた。多分、あっちが頭だ」

 肌を迸る電流に導かれるように、ヴォイドは左のハサミを指さす。

 全身がノイズに呑まれた中で、あれだけが黒く染まらずに人間の部位らしい形で残っていた。おそらく頭部も、そして脳幹もあの近くにあるはず。

 問題は、脳幹の場所に至る道が存在しないことだ。

 脳幹以外の場所に触れた瞬間にロールバック処理で強制的に外へと弾かれてしまう。脳幹に到達するには、目的の場所へピンポイントで出現するしかない。例えば「転送」のトリガーによるワープのような、移動経路をすっ飛ばした攻撃方法が……。

 ……なるほど。


「……ダブル、いまベクターが浮かべてる破片、どれくらいまで複製できる?」

「それくらいシンプルな物なら……」「……千倍くらい?」

「十分だ。自分の複製は解除しておけ」

 二人のダブルは同時に頷き、鏡写しのように揃った動きで互いの背中を預ける。黒いノイズの中で二人の体が溶け合い、彼女は元の一人に戻った。

 彼女が破片を増やす間に、ヴォイドはベクターにも指示を出す。

「ベクターは一分後に破片を飛ばしてくれ。当てることは考えなくていい。雑に拡散させろ。あと、破片をダブルに複製してもらったら二人とも全力で逃げろ。車もベクトル操作で回収していけ。多分あの位置だと巻き込まれる」

「おいおいおい、本気かよ?」

 唐突にヴォイドが出してきた奇妙な作戦に、ベクターは顔を顰める。完璧に理解したというわけではないようだが、それでも大まかな流れは察したようだった。

「いくらなんでも危険すぎる。オレは反対だ」

「大丈夫だ。壁抜けがある以上、俺には当たらない」

「そうじゃねぇって。ほら見ろ、ラグくなってきた」

 ベクターはそう言って、破片を複製し続けるダブルを指差した。

 彼女の周囲の風景が、パラパラ漫画のようにカクついている。複製しているものが金属片やガラス片など光を乱反射する物ばかりなのだから当然の結果だろう。

 最初はキョトンとした顔で指示に従っていたダブルも、次第に不安が顔に出始める。流石にこれ以上は危ないと、ヴォイドは「もう十分だ」と合図した。

「データクラッシュしてもおかしくねぇぞ」

「それでいい。バグにはバグをぶつけるんだよ」

「ウソだろ……ったく。ダブルちゃん、もう行くぞ」

 彼女は首を横に振ろうとしたようだったが、次の瞬間にはもう目の前からいなくなっていた。ベクターの姿もすでにない。あまりに世界のカクツキが酷いせいで、彼らが立ち去るのも見えなかったらしい。

 ふぅ、とひとつ息を吐いて、ヴォイドは怪物のいる方へと振り返った。


 ここまで世界に負荷をかけるのは、初めてかもしれない。

 確かに後ろを振り向いたはずなのに、網膜が背後を映すまで一秒以上もかかる。自分がどちらを向いているのかも、どんな姿勢でいるのかもあやふやになり、次第に自分自身の感覚が疑わしくなってくる。

 これでいい。

 この周囲のエリアは今、起こる現象が複雑すぎて物理演算が間に合っていない状況にある。ロールバック処理は物理演算の中でも特に優先順位が低い後付けの安全装置だ。風景の描写ですらこれほどまでに演算が遅れていれば、位置座標のロールバックなど間に合わない。不可侵領域も弾き返される前に通過できる。

「さあ……準備はできているか、甲殻類」

 ヴォイドはいつも羽織っているコートを脱いだ。薙刀も捨て、ノイズで真っ黒になった左手を晒す。

 何も見えない。何も聞こえない。だが、狙うべき場所は感覚で分かる。この身体を蝕むノイズが、哀れな同類の居場所を教えてくれる。

「勝負といこう。どっちが先に、壊れるか」


 停止した世界に、スタートの合図のように銃声が一つ響いた。

 鋭い殺気を感じた。攻撃がくると分かった。左手を大きく振りかぶる。地面を蹴る。振り下ろされるハサミの中の、存在しない空間に存在する何かに手を伸ばす。

「ウオォラァァァァッッ‼」

 肌の上を駆ける電流が最も強くなる瞬間、左手だけ「壁抜け」を解除する。生温い何かがヴォイドの手のひらに触れた。掴んだそれを力任せに引き剥がし、握り潰す。握った手を振り上げ、手の中の残骸を地面に叩きつける。残骸の中から黒いノイズが溢れ、ヴォイドの視界を覆った。何も見えない、何が起きているかもわからない中で、渾身の力で掴んだものを押さえつける。



【……兄ちゃん……兄ちゃん! 見てくれよ、これ!】


 真っ黒な世界に、誰かの声が響く。

 誰の声だろう。


【Any%レースのトロフィーだ! おれ、優勝したんだよ! 兄ちゃんの買ってくれた義肢のおかげだ! ほら、賞金も沢山貰ってきた。焼肉行こうぜ、焼肉。今日は食べ放題だ!】

【SSSリーグでチャンピョン獲ったんだ! やっぱ脳幹アクセラレーターが強かったよ。ちょっと高かったけど、兄ちゃんに相談してよかった! ほら、これ、賞品だった超ハイレゾスピーカー、おれからのお礼だよ。兄ちゃんの好きなバンドの曲も本物のライブみたいに聞こえるんだ!】

【おれ、次の防衛戦、前線に出ることになったんだ! 相手はあのセントラルだけど……兄ちゃんがくれたトリガーがあるから大丈夫。きっと、たくさんのメモリを奪って帰るから。そうしたら、そうだね、もっと北のセンダイにでも行こうか。モフモフの猫でも飼ってさ、しばらくのんびりしようよ。あっちはきっと夏もそんなに暑くないよ!】


 ザザザッ。


【……兄ちゃん……本当なの?

 おれのメモリのために、味覚も、嗅覚も、聴覚も、触覚も……全部売ったって……今まで、売った分の感覚は目で補ってたって……。もう目が見えないから、何も感じられないって……この声も、聞こえてないって……】


 ザザザッ。


『お兄さんの五感を、取り戻したくはないかい?』

【…………もちろん】



 やがてコマ送りの視界が少し滑らかになり、視界のノイズが晴れていく。

 ヴォイドの左手が掴んでいたのは、真っ白なマネキンの破片だった。

 顔を上げて周囲を見渡せば、先ほどの怪物はもうどこにもいない。黒いノイズも数千倍に増殖された破片も消え去って、無人の街には真新しい戦いの痕跡が残るだけだった。

「…………終わったか」

 バラバラに砕けたマネキンの破片を漁り、一番大きかった拳大の破片を手に取る。残った砂塵の中にちょうど破片を包めそうな布を見つけて取り上げると、見覚えのある布地の端にカッコウの頭が刺繍されていた。ヴォイドはそれで丁寧に破片を包み、小物入れに収めた。


 投げ捨てたコートと薙刀を拾い上げ、元の格好に戻る。

 ベクトル操作を使うにしても、車を使うにしても、帰るにはベクターを呼び戻す必要があるだろう。ヴォイドはホログラムを開き、退避させた二人に通信を繋ぐ。

「片付いた」

『そうか……。まぁ、なんだ、説教は後にするとして……ヴォイドくん、ありがとうな』

『まだ、何か残っとるん?』

「残骸は、な。何か情報が残っているかもしれないが、元には戻せないだろう」

『……そう……』

 データを奪われたり、失ったりした者でも、新たにメモリを割り当てれば多少は復元できる可能性がある。手足を欠損しても他がある程度残っているなら、膨大なメモリと時間を費やせば復元できるだろう。しかしこれほどしかデータが残っていないとなると、元通りにするというのは望み薄だ。

「……どのみち、あんなバグを起こした時点で封印処分されるのは確実だ。バグが再発する可能性だってある。変に希望を与えるより、何が起きたかもわからないまま眠れる方がずっとマシだろう。だから……あまり気に病むなよ」

『……うん、そうかもな。OK、今からそっちに向かう。できるだけ回収していこう。悪いが、隊長に報告しておいてくれるか』

「了解」

 二人との通信が切れた後、ヴォイドはホログラムを操作して別の人物へと通信を繋いだ。普段は忙しいはずの人だが、今日は珍しくワンコールで壮年の女性の声が応答する。

『ヴォイド君かしら?』

「はい。隊長、行方不明の隊員について報告が……」

『ちょうど良かった。他の二人にも伝えて。問題発生よ』

「はい?」

 普段はおっとりとした調子の彼女にしては珍しく、今日は随分と強引に話を進めてくる。

 あの怪物以上の問題事なんてそうありはしないだろう、そう高を括るヴォイドを裏切るように、通話からは予想外の内容が飛び出した。


『ヒロセ町付近で大規模なデータクラッシュが起きたの。あの辺りに住んでいる人たち……それにフロートちゃんとも、連絡が取れなくなったわ。三人とも、すぐに戻ってきて頂戴』


・防衛隊新人隊員のメモ:「ヴォイド先輩」

セントラルから警戒対象として特別な名前を与えられた「異名持ち」の一人。膨大なメモリによる身体強化と高速情報処理、「壁抜け」や武術の練度の高さを活かして戦う、基礎力が高いタイプの人。

ベクター先輩の評価は「ハイスペ脳筋」らしい。曰く「作戦の成功率が80%を超えればあとの20%は筋肉でどうにかなるって考えてる」とか。「透視」のトリガーを使わずに人力構造解析とその場の勘で「壁抜け」を使いこなしているあたり、何となく同意できる。

ちょっと近寄りがたい雰囲気があるけれど、話すと意外と普通の人だった。


追記:先輩と話してからフロートさんにトリガーを見て貰った時、だいぶ強めの圧を感じた。もしかしてあの人、独占欲強い?

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