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#4 センダイ・シティ・ブルース

 中々起きてこないフロートに毛布を掛けなおして、ヴォイドは部屋を後にする。

 朝6時半、空は十分明るいが、もう少し寝かせていても誰も文句は言わないだろう。

 エレベーターで一階に降り、玄関口から外に出ると冷え切った北風に出くわした。暦はまだ九月の末、道端の銀杏もまだ緑色で木枯らしには早いように思えるかもしれないが、この街の冬はこんなものだ。


 エリアNE24、センダイ市。

 電脳世界アルカディアの中でも北東の端に位置するエリアだ。

 他の都市勢力と比べると規模はだいぶ小さいが、侵略も支配もされずに長く独立を保っている。その理由となるのが、山と海に囲まれた攻めにくい地形と支配価値の薄い辺境の立地、そして冬の寒さだった。

 気温はそれほどでもないが、山から降りてくる風が非常に冷たい。

 ヴォイドは寒いのが苦手だった。なぜ電脳世界で凍えなけりゃならぬのか。そんな疑問の答えはこの街の設立者曰く「風流だから」らしい。理解しがたい話だ。


 少し多めに白い息を吐くと、彼はいつもの道を逸れて地下鉄の入り口に足を向けた。

 改札のスキャンを通り抜け、ホログラムの広告がギラギラと光る階段を下る。襟を正しながらドヤ顔でこちらを見る伊達男に、化粧品を片手に肌をなぞる美女、満月のような菓子を手にした女性の浮世絵、どれも早朝の網膜にはキツ過ぎるほどに眩しく騒がしい。

 光から逃げるように斜めの天井から目を逸らすと、今度は少しくすんだ蛍光色が目に入った。安っぽい布をくるまり床に転がる細長の形をしたそれは、どことなく色鮮やかな芋虫を思い出させる。床に直接寝転がる彼らを踏まないように踊り場を進むと、芋虫の一匹の外皮がはがれて、中からいくつかのキューブが飛び出してきた。

 立方体が一つ、直方体が三つ。もぞもぞと動いて初めて、それが頭と胴と両腕なのだろうと分かる。立方体の頭の正面と思しき面がヴォイドの方を向いて、呆けた様子で話しかけてくる。

「おぉ……アルト、久しぶりだなぁ。随分と背が伸びたのお」

「おい爺さん、俺はあんたの息子じゃないぞ。しっかりしろ。しかも一昨日も会っただろうが」

「…………?」

 聞こえていないのか、それとも数秒前の記憶もまともに保持できないのか。胴も手足も限界までポリゴンが削られた見た目から察するに、持っているメモリの量では自我を維持するのでギリギリなのではないだろうか。

 何度も話しかけられすっかり顔見知りになった直方体に別れを告げて、ヴォイドは改札を通り抜ける。

 地下のホームには、仮装大会かと見紛うほどに多種多様な容姿が揃っていた。肌の色の違いなど些細なもので、毛皮だったり鱗があったり、中には金属やセラミックの肌をもつ人もいた。そしてそんな目立つ面々に挟まれる様に、平凡な容姿の四角い瞳をした人々が混ざっている。せめて目を合わせないようにしながら、彼は来たばかりの列車に乗り込んだ。


 南北線をセンダイで降り、仙石線に乗り換えてツツジガオカ駅へ。目的のホームから階段を登り、地下の改札を抜けるとほぼ同時に、彼の目の前に半透明なホログラムが浮かび上がった。

 今度は宣伝広告ではなく、職場の同僚からの通信だった。萩とカッコウの紋章から、やけにイントネーションの弱い男の声が聞こえてくる。

「ヴォイドくん、聞こえる? 悪いんだけどさ、ちょい早めにこっち来てくれんかな。北の巡回してる奴の帰りが遅いみたいでさ。人が必要かもしれん」

 ヴォイドは少し眉を顰め、歩くペースを上げた。「必要かもしれん」とは言いつつも通信相手の男は確実に人手が必要そうな慌ただしい口ぶりだった。

「俺とベクターが捜索隊か。仰々しい面子だな」

「ダブルちゃんもいるぜ」

「……随分だな。了解、十秒以内に着く」

「んぁ、待て。やっぱいつも通りで……」

 何か言いかけていた相手を無視し、通信を切る。

 スタートの合図のように銃声が鳴り響くと、ヴォイドは階段の方へと駆け出した。スピードを上げて階段を二段飛ばしで駆け上がり、突き当たりに見える踊り場の壁に飛び込む。真っ白な壁は水のように彼の体を受け止め、彼は地中へと放り込まれた。

 壁の向こう、世界の裏側に広がるのは、空と同じ色をした無限遠の奈落だ。地面で蓋をされた虚空には、天井から伸びる地下施設の裏側が巨大な鍾乳洞の如く垂れ下がっている。奈落へ誘う重力に逆らい、彼は地中のパイプや配線を蹴って、垂直に上昇していく。やがて緑と土色が入り混じる天井が近づいてくると、彼は大きく手を伸ばし地面を掴んだ。

 体を地面の上まで持ち上げ、宙返りをして着地する。

 たどり着いたのは、センダイ市防衛隊の兵舎前。緑豊かな広場の端に、カッコウの紋を掲げるレトロな洋館が立っている。

 洋館の扉の前には、呆れたような表情を浮かべる男の姿があった。

 後ろに高く結んだ長髪をいじりながら、男は口を開く。

「お早い到着で」

 2メートルはありそうな長身とポニーテールにまとめた長い赤毛が特徴の男だった。肩掛けコートの下から覗く手には、リストバンド風にアレンジされた腕章が嵌められている。腕章には「H・ベクター」という名前と識別ID、そして背後の洋館と同じカッコウの紋章が見える。この街を外敵から守る、防衛隊員の証だ。

「急いだ方がいいんだろ、ベクター?」

「別にトリガーを使えとまでは言ってねぇのよ。今日は徒歩通勤だと思ってたんだ。『壁抜け』は特にリスク高いんだから、そうホイホイ使うなって。なぁ、ダブルちゃん?」

 ベクターは背後に見える西洋館を振り返る。

 木製の扉が開き、一人の女性が外に出てきた。

 腰まで届く二つ結びの長髪と、漢服風にアレンジされた軍コートというこれまた特徴的な恰好だ。ゆったりとした袖を纏めるように右の上腕にはカッコウの腕章が安全ピンで留められている。

 腕章に縫われた名前は「R・ダブル」だ。

 彼女は長い前髪の下からヴォイドの顔を見て、次に彼の足元を見て、最後にベクターに冷ややかな目を向けた。

「ベクターも、人のことは言えないけぇ。無意味に使うのも、問題じゃ。でも、息抜きに空を飛びたいって使うのも、どうかと思うの」

「息抜きは必要だろ。ダブルちゃんもよく暇があれば裁縫してるじゃん」

「それはそれ。リスクを楽しむのは、バカのすることじゃ」

「馬鹿ってなんだ馬鹿って」

「バカと煙は、高いところが好きじゃけぇの」

「ひどくねぇ?」

 たどたどしい喋り方ながら、なかなかにキレのある毒舌だ。流石に長くなりそうな予感を感じて、ヴォイドは会話に割って入った。

「急ぐんだろ? 北のどこだ?」

「イズミの方じゃ」

「状況は?」

「今朝の北ルート巡回チームだった一人が0243の個人チャットを最後に連絡途絶。0300の全体チェックでロストを確認した。位置データも移動ログもロストしてる」

「……なるほど」

 イズミか。交易路なども特にない場所だ。珍しい。

「移動は車だな。ったく、朝から迷子探しとはなぁ」

「ただの迷子ならいいがな」

「……そーだな」


 指先で鍵をくるくると回すベクターを先頭に、三人はそれぞれの荷物を背負って駐車場に向かった。案内されたのは五人乗りのオーソドックスなハッチバックだ。他の二人が荷物を後ろの荷台に積み込む中、荷物が細長いヴォイドだけは鞄を抱えて後部座席に乗り込む。

「防衛隊に共用の車なんてあったんだな」

「いいや、こいつはオレの私物。汚すなよ?」

「わかってる」

 ファストトラベル機能がある電脳世界においては車も娯楽品……というわけでもない。

 一部の人間にとって車は重要な移動手段だ。


 プログラムにバグは付き物。事故のリスクがあってもそれに釣り合う利便性があるなら利用するのが世の常だろう。しかしトリガーが絡むと話は変わってくる。

 トリガーの事故はその性質上、大規模なものになりやすい。

 特に有名なのは、「データクラッシュ」と呼ばれるものだ。

 黒いノイズが自分自身のみならず周囲の人や環境までも巻き込み、あらゆるデータが無差別に書き換えられ、シャッフルされる。巻き込まれてしまえば意識が残るのすらもはや奇跡で、酷い例では全身が床のタイルと入れ替わりバラバラになったなんて話もある。

 あんなもの、直に見ればトラウマになるのは必至だ。

 良い品質のトリガーなら対策はしているが、それでも事故の起こる確率はゼロではない。無茶なグリッチを使うほど、複数のバグでメモリに負荷を強いるほど、事故の確率は跳ね上がる。そのため、トリガー使いの移動はメモリへの負荷が小さい車や電車、徒歩が基本だ。地に足の着いた移動方法は電脳世界でもまだ需要がある。

 まあ、ベクターの場合は娯楽品としての意味が強そうだが。


 ダブルは助手席に乗り込み、ベクターが運転席に着く。随分と小慣れた運転で車は駐車場を離れ、イズミという地区への道を進み始めた。

 普段は電車か徒歩移動のヴォイドにとって車に乗るのは久しぶりだ。思い返せば最近はバスもあまり乗っていない。普段は車外から聞くだけのエンジン音に耳を傾けながら、ヴォイドは窓枠に頬杖を突く。

 ……マニュアルか。今時珍しい。

 どことなく趣味を感じる車内を観察していると、ミラー越しにベクターと目が合った。

「なぁ、ラジオ付けていいか?」

「ニュースか?」

「いや、ダテさんの番組」

「ご自由に」

 べつに耳にラジオを直繋ぎすればこんな風に聞く必要はないだろうに。

 そう思いはしたものの、ダッシュボードに置かれたラジオのどこかノスタルジーすら感じるデザインを見て口に出すのは止めた。あれではイヤホンジャックすら付いているか怪しい。

『……ザザザ……西南地方では未だにセントラルと南部連合間の抗争が……タ写真展、せんだいメディアテークにて……ザザザ……ラッシュを凌いで、コマ投げッ、っとここで反撃のペイルライダァッ……ザザザ……』

「……前は見て運転しろよ?」

「大丈夫だって」

『……あー、それでは次、P.N.明智バーニング光秀さんからのお便りです』

「ああ、これこれ」

 西方訛りの語気が強めなMCがゆっくりと寄せられたハガキを読み上げていく。随分と威厳を感じる低い声だったが、ラジオの内容はというとハガキもMCも真面目な語り口で多種多様なジョークをマシンガンの如く連射する、なんともシュールなものだった。

 ダテ氏のサンライズラジオ……記憶が正しければ西北地方の都市にある放送局の番組だったはず。

「この番組も、随分と長寿じゃなぁ。ウチらがこっち来る前から、あったやんな?」

「そうそう。向こうじゃ毎週の楽しみだったなぁ」

「ウチの部隊でも、聞いとった奴がおった気ぃする。喋りが特徴的じゃけぇ、よく覚えとる」

「セントラルに攻め込まれた時は、もうこの番組も聞けなくなるかと思ったなぁ。とはいえ、今はあの街も平和になった。属州にはなっちまったが、変わらずダテさんの声がこっちでも聞けるのは嬉しいもんだ」

「平和ねぇ……」

 ヴォイドはぼんやりと外を眺める。

 一端の都市らしく並び立つビルの数々と、その壁面を埋め尽くすホログラム、そしてその灰色と蛍光色のハイコントラストを埋めるささやかな緑。そんな風景が車窓の外を流れていく。

 中でも目を惹くのは街の中心に聳える高層ビルの数々だ。他の建物より頭一つ抜けて高いそのビルたちは眩いほどに色彩豊かなホログラムを纏い、己の立場を強調するようにこちらを見下ろしている。

 言うほどこの街の外は違うのだろうか。


 ぼうっと極彩色の光を眺めていると、見られていると気づいたホログラムの一つがこちらに語り掛けてきた。

『誰しもが思い浮かべたことがある「空を飛びたい」という願い。栄天サイバネティクスの「翼」がそれを現実にします。地面を離れ、自由な世界へ。あなたも空中の自由を手にしてみませんか?』

 広告をじっと凝視すると、映し出されていた上裸の男の腕がねじれるように変形し、羽翼のような見た目に変わる。形は変わったが、色は肌色のまま変わらない。日に焼けた黄土色の翼はどことなく蝋細工の鳥を思い起こさせる。

 ……翼か。あれのことだろうか。

 それらしきものは、高層ビルのさらに上の位置にいた。街の上空を何かが飛んでいる。ここからでは黒い点にしか見えないが、確かに空中を滑空し、自由に飛び回っているように見えた。どうやら広告の売り文句に間違いはないらしい。

「……メッセージ発信型の広告か。随分とメモリが掛かってるな」

「あの広告のことか?」

「ああ。肉体置換データなんて金持ちの道楽にあんな高コストの広告までつけるとは、栄天も随分と余裕があるな……。

 ベクターは、ああいうのが買えたら欲しいか? よくトリガーで空中散歩しているが」

「いや~、べつに。翼を必死に羽ばたかせてまで空に上りたいとは思わないしなぁ。それに、あの手のデータ置換は副作用で自分の体重が減るんだ。自由に空を飛べても、地上で不便な様じゃ意味ないだろ」

「そんなものか」

「そうそう」

「……上に落ちる変態の価値観はよくわからんのぉ」

「言い方よ……まあ間違ってないんだけどさ」

 興味も失せて広告から目を離すと、耳の奥に響く声は聞こえなくなった。


 線路の下をくぐり、車は大通りが交差する十字路を曲がって北の方へ向かう。左側の車窓からよく見えていた高層ビルの林は後方に消えて、十階くらいの建物の壁が視界を塞ぐ。

『いやぁ、バーニングさん、やっぱ上司との関係は大事にした方が良いよ。常識的に考えて、うん、常識的にね……やっぱり同じ趣味を持つ人と同じくらい真逆の趣味を持つ人を見つけるのって難しいから。それが身近な職場の人って凄い幸運だと思うよ。うん、アツいね。ロウソクと同じくらい。僕はロウソクの熱さ知らないんだけど』

 広告の声が聞こえなくなって、車内にはエンジン音とラジオだけが響く。

 一つ大きなあくびをして、ヴォイドは徐々に低くなっていくビルの群れを眺め続けた。

・防衛隊新人隊員のメモ:「エリアNE24-センダイ市」

アルカディア北東地方の比較的新しい都市。

設立初期から中央地方第一都市のセントラルと不戦協定を結んでいる。かなりの僻地にあり他の都市への移動に困る点と冬の風が冷たい点を除けば平和で住みやすい地域であると評判。

そういった評判の一方で戦力は少数ながらも精鋭揃いとなっている。防衛隊には異名持ちの人間が複数所属し、それ以外の隊員のアベレージもセントラルの将校レベルに匹敵する。

……姉ちゃん、私、ここでやっていけるのかな。

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