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#12 Runaway

 仮面の男が指し示した方には、大きな両開きの扉があった。

 蹴破るようにその先へ飛び出すと、そこには直線に伸びる廊下がある。ダマスク柄の壁が延々と続いた先、突き当たりにはまた同じような装飾のドア。振り返っている暇はない。足を止めずにひたすら走る。


 ジャラン、ジャラン。

 カツン、カカッ、コツコツ、カツン。


 タップを刻む蹄の音と床を擦る鎖の音が徐々に大きくなっていく。

 どうにか追いつかれる前に二枚目の扉にたどり着くと、もう一度力任せに扉を蹴り飛ばす。

 次の部屋は、手術室とも研究所ともつかない奇妙な部屋だった。中央には複数のベッドと無数の手術道具が乗った器械台がある一方で、部屋の壁面には無数のコンピューターと液晶のディスプレイが並んでいる。

 だが、その奇妙さなど気に留めている暇はない。近くの器械台を後ろの怪物に投げ飛ばし、素早くベッドを飛び越える。

 道を遮る器械台を避けると同時に、背後で轟音がした。頬を鋭い何かがかすめる。先ほど乗り越えたベッドの足だった。バリボリと何かが砕けて潰れる音が聞こえる。何が起こっているのかは知りたくもない。

 電動ベッドを盾にヴォイドは壁の近くまで逃げると、ナイフを引き抜き、壁を這うディスプレイのアームを叩き切った。支えを失った旧式の機器たちが次々と倒れこんでくる。その下をスライディングで抜けると、蹄の音が少しだけ遠ざかった。

 今のうちだ。

 立ち上がった先に現れた次の扉のノブに手をかける。

 しかし、開かない。

 向こう側から鍵がかかっているらしい。

「……クソ、開け! 開けよッ!」

 ぶち破ろうと、扉に体を叩きつける。一回、二回……次第に鍵は歪んでいくが、同時に背後からは着々と怪物の足音が近づいていた。

 三回目。ようやく扉の鍵が壊れた。勢いあまって彼は次の部屋に放り出される。

 前のめりになった姿勢をどうにか引き戻して顔を上げると、そこには首のない男……いや、例の仮面の男が立っていた。

「全く、乱暴だね、キミは」

「お前……!」

「だが、その表情は悪くない。僕の私物を失うに値する画だよ。さぁ、もっと素晴らしい画を見せてくれないか?」

 バァン、という銃声とともに再び男の姿が消える……だけに留まらなかった。

 突然床が傾いて、足が滑る。気が付けば部屋自体が90度傾き、彼は部屋の奥へと落下を始めていた。慌てて何かを掴もうとするが、両手はどちらも空を切る。彼はそのまま、何も見えないほど真っ暗な部屋の奥へと飲み込まれていった。

 落ちて、落ちて、落ちて……。

 突然現れた床に、彼はうつ伏せで叩きつけられた。

 衝撃で一瞬息ができなくなる。吸い込んだ空気と出ていく空気が気管で混ざり合い、喉が擦り切れるほど激しくせき込む。だだっ広い暗闇の中に、彼の咳と罵声が響く。

 ようやく正常な呼吸を取り戻すと、彼はゆらゆらと立ち上がった。

「クソが……一体、何がどうなってやがる」

 辺りは暗闇のベールに包まれている。床は白と黒のタイルが交互に敷き詰められ、かろうじて暗闇を貫通して見える白色の正方形だけが床と方向を定義していた。

 暗闇に目が慣れていくにしたがって、徐々に見える床の半径が広がっていく。

 端が見えないほど長い正方形の配列が続く空間。しかしそこはただ空っぽの空間ではなく、あたりには無数の「何か」が立っていた。

 動く気配はない。殺気も感じない。少なくとも敵対存在ではなさそうだ。

 だが、その「何か」の全容が見えてくると同時に、敵と対峙するときとはまた別の恐怖を覚えた。

「これは……マネキン? いや、彫刻か……?」

 薄い灰色のドレスを纏い、踊るように片手を天へ伸ばす女性のマネキン。最初はそんな風に見えた。だが、近づいてみてようやくわかる。そのドレスはすべて血の気が失せた人間の体でできていた。フリルスカートは無数の足、コルセットは互い違いに重なり合う両腕、それらが黒いノイズでつなぎ合わされ、自分は上品なドレスだと言い張っている。

 ……趣味が悪い。

 これを作ったのもあの仮面の男なのだろうか。服の展示なのか、中身も込みでの展示なのか。どちらにせよ冗談にも良いものとは言えなかった。

 暗くてはっきりと見えないが、周囲には目の前の彫像と同じような影がいくつも見える。人型のものから、何を模したものか想像もつかないものまで、シルエットだけでもより取り見取りだ。

 こんなものがまだあるのか。

 顔を顰めながら歩いていると、


 ガシャン。


 何かに躓いた。

 振り返ってみれば、そこにはカメラのついた三脚が倒れている。

 カランカランと暗闇に響く金属音。そしてその音が止まると、遠くの方からまた別の音が聞こえてきた。


 ジャララ、カツン。

 ガコン。


 鎖と蹄の音を聞いて、慌ててマネキンの背後に隠れた。

 暗闇の中から灰色の手が伸びてきて、地面に転がる三脚を掴む。持ち上げ、ひっくり返し、細部をじっくりと観察するように三脚が空中で二転三転する。こちらには気が付いていないようだ。

 ほっと息をついたその時、頭上で異音がした。

 反射的に音がした方へと視線を上げる。

 ギギギ、という耳障りな摩擦音を立てて、マネキンの首がこちらを向いていた。


「……こ、コ」


 その瞬間、真っ赤なランプが彼を照らし出した。

「……ッ‼」

 弾けるように立ち上がり、踵を返してランプの反対側へと駆け出した。

 背後から鎖と蹄の音、そして重々しいプレス音が追いかけてくる。暗闇の中から現れるマネキンを右へ左へ、捕まるわけにはいかないという直感に駆り立てられひたすら走る。向かうべき方向どころか今走っている方向すらあやふやだが、暗闇の中でかすかに見えるタイルの模様を頼りに進んでいく。

 かなりの間走り続け、息も絶え絶えになってきた頃、ようやく暗闇の中に扉が見えた。縋る思いで扉に突撃し、向こう側へと転がり込む。そこにあるのは椅子一つない殺風景な部屋。反対側の壁にはまた別の扉が見える。急ぎ部屋を横切り、反対側に見える次の扉へ。

 そして、また直線状の廊下に出た。洋風の細長い道の向かい側には、また両開きの扉がある。

 胸の中に沸いた冷たく暗い感情を抑えつけ、そんなはずがないと言い聞かせながら廊下を駆け抜け、扉を開いた。

 辿り着いたのは、最初の部屋だった。

 椅子やスポットライトまでそのままだ。唯一違う点として、彼が拘束されていた椅子の背もたれに一枚の紙が貼り付けられている。

 もう力の入らない足でどうにか椅子に歩み寄り、紙を手に取る。

 10センチほどの長方形の厚紙。そしてフェルトペンで書かれた「Dead End」の文字。

 その文字を見た瞬間に、胸の中でさまざまな感情が湧き上がった。困惑、怒り、絶望、恐怖、さまざまな感情がないまぜになり、衝動的に手に取った紙を破り捨てる。

「クソがッ‼」

 暗い部屋に絶叫が響く。

 その瞬間、部屋に異変が起こった。壁や床に亀裂が入り、全てがボロボロと崩れていく。足場を失った彼はなすすべもなく、そのまま床下の暗闇へと飲み込まれた。


 落ちて、落ちて、落ちる。

 どれほど経っただろうか。目の前に赤色の絨毯が現れ、床に仰向けで叩きつけられる。衝撃が体を押し潰し、骨が異音を立てて軋む。全身を苛む痛みに苦痛の声を漏らしながらふらふらと立ち上がると、どこからともなく拍手が飛んできた。

「素晴らしい。キミもなかなかの逸材だね」

 先ほどまでの部屋とは違う、豪華絢爛なホール。その中心に、あの仮面の男が立っていた。

 男の背後には、赤いベールを被った巨大な何かが展示物でも飾るかのように置かれている。男とベールには複数の照明がさまざまな方向から当てられ、まるでステージか何かのようだった。

 仮面の男を睨みながら、ヴォイドはふらつく足を前に進める。

 既に体力は限界で、体もボロボロだ。ぐっと歯を食いしばり傾きかけた上体を起こす。

「どうだい? 僕の作品は気に入ってもらえたかな」

「FALSEだ‼ ふざけるのもいい加減にしろ‼」

 余裕綽々といった様子の男が、少しばかり固まった。

 そして実に楽しそうに肩を揺らす。

「そうか、それは残念だ。キミなら気に入ると思ったんだがね、ヴォイド君」

「戯言はいい。単刀直入に聞くぞ。フロートはお前が攫ったのか?」

「…………それは、自分の目で確かめるのが一番だ」

 言うや否や男は後ろを振り返り、背後の何かを覆い隠すベールを引き剥がした。

 赤い布の下から現れたのは、本物と見紛うほどに精巧な彫刻だった。紙吹雪のように舞う無数のトランプ、服を着込んだウサギやにやけ笑いを浮かべる猫、そしてそれらの中心には隻腕隻脚の女性が逆さまの状態で浮かんでいた。

「フロート!」

 ヴォイドは驚きの声をあげる。

 彼女は名前を呼ばれてもピクリとも動かない。まるで時が止まったかのように空中で静止している。呼吸すらせずに虚空を見据えるその様は精巧な人形のようだ。だが、その姿は間違いなく作り物ではない、フロート本人だった。

「どうだい、素晴らしいだろう? 渾身の力作だ」

 男は自身の成果を見せびらかすように両手を広げる。その誇らしげな態度が、既に臨界点を超えたヴォイドの怒りに油を注ぐ。衝動的に腰のベルトからナイフを引き抜くと、刃先を彼に向けて怒声を上げる。

「彼女に一体何をした⁉」

「何って、作品として保存しただけだよ。これから彼女は僕の作品として、美しく生き続けるんだ」

「ふざけるな! 彼女を元に戻せ!」

 手にしたナイフを逆手に構え、投げる。

 しかしナイフが届くより先に彼の姿は黒いノイズとなって消えた。それと同時に、ホールの隅に首無しのタキシード姿が現れる。次のナイフを手にヴォイドは袈裟に切り掛かるが、銃声と共にナイフは空を切った。

「危ないなぁ、大事な作品たちが傷付くじゃないか。もう少し大人しくしてくれないか」

 もう止めよう、とホールの反対側で彼は両手を持ち上げる。

 ヴォイドは構わずナイフを振りかぶり、助走をつけて彼に飛びかかる。

 交渉決裂。やれやれと男は首を振って、指を鳴らす。右手がノイズに包まれ、彼は両手を仮面の前に構えた。

 強烈な閃光がヴォイドの視界を白く染める。

 次の瞬間、ヴォイドは壁に叩き付けられていた。


「…………?」

 何が起こったのかわからず、磔のような姿勢のまましばらく呆然とする。手足を動かそうともがいてみるが、鎖できつく縛られていてびくともしない。よく見ると鎖は固定されている訳ではなく、ただ壁に触れているだけだ。明らかにおかしな見た目だが拘束は異様なほどに強固で、鎖は軋むどころか揺れ動くことすらしない。

 困惑するばかりのヴォイドを眺め、仮面は楽しそうに揺れ動く。

「キミも、なかなか良い作品になりそうだ。

 よし。この状態を崩すのは勿体無い気もするが、キミをより素晴らしい素材にするためだ。彼女を少しだけ解放してあげよう」

 男はヴォイドに背を向けて、空中で静止するフロートを見上げた。

 突然、静止したノイズの彫刻が動き出す。宙に浮かぶトランプや猫、そしてフロートも動きを取り戻し、重力に導かれて絨毯の上へと落下する。

 透明な拘束からフロートは、しばし状況が飲み込めずにあたりを見渡していた。だが、仮面の男と目が合うや否や怯えた声を上げる。義手も松葉杖も無くまともに動けない状態ながら、それでも男から距離を取ろうと必死に後ずさる。

「フロート‼」

 ヴォイドの叫びに気づいたフロートの目線が、仮面からヴォイドに移る。少しの硬直の後、彼女の目に驚きの色が混じった。

「……まさか、ヴォイド? どうして……?」

 唖然とした表情でヴォイドを見つめ、やがて何かを察すると、先ほどまでの怯えた様子から一転し、彼女は強い怒りの視線を仮面に向けた。システムの壁を破る銃声が響き、彼女の周囲から黒い炎が立ち上る。

「彼に、何をしたの⁉」

「別に何もしていないよ。“まだ”ね」

「……っ、あなたの好きにはさせない!」

 フロートは右手を持ち上げ、ヴォイドの方へとかざす。突然「壁抜け」が強制発動し、彼は拘束から解放された。ヴォイドはフロートへと駆け寄ろうとするが、その行く手をノイズの壁が阻む。

 強引なシステムへの介入……ツールも使わずにそんなことをすれば、負担が大きすぎて長く保つはずがない。一瞬でヴォイドは彼女の意図を察した。抵抗するように壁を叩くが、「壁抜け」でも抜けられないロールバック処理が彼を無慈悲に跳ね返す。

「ヴォイド、逃げて!」

 見えない何かがヴォイドの体を後方に弾き飛ばす。再び「壁抜け」が強制発動し、彼の体はホールの壁をすり抜けた。幾つもの壁を貫通してもなお勢いは止まらず、身体はフロートから遠ざかり続ける。もう何をしても、何を叫んでも彼女には届かない。それでもヴォイドは手を伸ばし、遠くの彼女へと必死に叫ぶ。


「フロート、待っていてくれ‼ 絶対に助けに行く‼ お前がどこに囚われていようと、どんな檻の中だろうと……俺は、必ず辿り着くから‼」



挿絵(By みてみん)

・防衛隊新人隊員のメモ:「センダイ防衛隊」

センダイ市の治安維持、および外的からの防衛を担う集団。市の運営を担う市役所の内、防衛部門の下に属する。防衛部長を兼任するシン隊長がトップを務めている。

現在所属する人数はそれぞれ戦闘や見回りを行う戦闘隊員が48名、危険な対象の調査や後処理を担う支援隊員が35名、事務関係の職員が10名(各部門に忙しいと分裂する人がいるため暫定値)。その他に、洗浄屋やフロートさんのような外部の協力者が数十名ほどいる。

どの部署でもかなりの高給だが忙しい。休日はしっかり貰えるが、土日出勤や急な呼び出しも多め。

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