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#10 SIREN

◆◆◆


「……要するに、コイツを消せばいいんだな?」

 渡された写真の、赤いペンで印が付けられた男を指差す。テーブルの向いに立つ男は頷くが、一方で隣の小男は全力で首を横に振った。バン、とトランクテーブルを叩いて小男が立ち上がると、拠点代わりのキャンピングカーが縦に揺れた。目の前のラム酒がグラスから溢れそうになり、彼は露骨に顔を顰める。

「ちょ、ちょっと待ってほしいっス! コイツはマジでやべーっスよ、やめた方がいいですって!」

「んだよ、怖ぇのか?」

「そ、それは……」

 すっかり腰の引けた横の仲間とは対照的に、向かいの屈強な大男は毅然とした態度で酒を煽る。

「リスクが高いのは承知の上だ、兄弟。だがその分のリターンはある。そいつから奪えるデータに加えて、奴が提示した報酬も付いてくる。俺らの夢を叶えるには、それくらいのリスクは負うさ。なぁ、姉御」

 大男が、彼の後ろに目を向ける。トレーラーハウスの扉が開き、長身の女性が乗り込んできた。山道を突っ切ってきたのか、靴とズボンは落ち葉と土で随分汚れている。差し出された酒瓶を疲れた顔で煽ると、荷物を床に投げ出して空いたソファにふんぞり返った。

「別に、来たくないなら来なくていいよ。今回は許す」

「おいおい、珍しいな」

「相手が問題じゃない。依頼主の方だ。アイツはどうにも匂う。ただの狩りじゃ終わらないかもしれない」

 珍しく戦いに消極的な彼女に、男三人は揃って顔を見合わせる。最初に口を開いたのは、向かいの男だった。手にした酒瓶を掲げ、口角を上げて笑って見せる。

「姉御。俺たち、ずっと一緒に戦ってきたじゃねぇか。作戦は常に四人一緒だ」

「その通りだぜ。あの仮面野郎が何を企んでいようと関係ねぇ。もし何かやってくるようなら、アイツも殺りゃいいだけだ。あの悪趣味な彫刻で無駄になってるデータに加えて、アイツが独占してるエリアも手に入る。一石三鳥だぜ」

 彼も頷き、向かいの男に習ってラム酒を照明に翳した。二人が差し出した乾杯の間に、恐る恐るではあったがもう一つのグラスが加わる。随分と手が震えていたが、目を見れば存外に落ち着いていた。

 小さな失笑を挟み、女性もソファーから立ち上がり酒瓶を高く掲げる。

「……アタシたちの街に」

「俺たちの街に!」

 キャビンの内に四人の掛け声と乾杯の音が響く。それぞれが自らの酒を喉に流し込んだ後で、彼はリーダーの女性に問いかける。

「んで、作戦はどうすんだよ。いつも通り、俺の『加速』を使うのか?」

「いや、今回はそれだと上手くいかないだろうね。相手はどうやら相当なメモリの持ち主らしい。三倍速でも素の演算性能で反応してきかねないよ」

「ヒュー、ヤベェな」

「あぁ、ヤバイ。だからコレを使う」

 女性は投げ出した荷物を拾い上げ、中身を机の上にぶちまける。入っていたのは投擲用のナイフとミリタリージャケットだった。

「アイツからせびってきた。オマエの『加速』に加えて、これで二重の奇襲を仕掛ける」

「ほぉん、トリガーを仕込んだ装備か。ナイフの方が『停滞』で、ジャケットの方が……『透明化』と。あの野郎、良いもん持ってやがるじゃねぇか」


◆◆◆


 目を覚ますと、手が届きそうなほど近くに天井があった。頭をぶつけないよう慎重に体を起こして、二段ベッドの上段から降りる。細長い仮眠室には壁際に彼が寝ていたものと同型の二段ベッドが四つ並び、それらの中心にはメモと書類が山積みになったテーブルが置かれ、入り口の方に姿見の鏡が一つ立てかけてある。

 鏡の前に立ち、映った姿を確認して、ヴォイドは安堵の息を吐いた。

「……また他人の夢だ」

 鏡を見て身だしなみを整えながら、まだ微かに記憶に残る顔を順番に思い出す。

 彼らは、この前倒したばかりの盗賊たちだ。フロートに渡した「透明化」のトリガーの、元々の持ち主。彼らはあのトリガーを「依頼主から手に入れた」と言っていた。俺を倒すように依頼してきた人物から……。

「奴らのターゲットは俺だった。なぜ俺を狙った? わざわざ俺を指定する理由がどこにある?」

 職業柄、ヴォイドは怨恨の類を買いやすい方だが、あの依頼がそんな感情的なものだとは思えない。少なくとも、あの記憶の中であの盗賊はそう考えていた。

 「壁抜け男」の名前は知られているが、それでも彼自身はただの兵士だ。特別なデータや権限は持っていない。シンや市長と比べれば、彼のみをピンポイントで狙う価値は薄いだろう。

「……まさか、あのバックドア付きのトリガーを街に入れるためか? 奴らの依頼主が、俺か、俺に近い誰かを狙うために……?」

 与太話としか思えない。あの記憶もただの夢だ。酔っていた感覚も乾杯の時の高揚もしっかりと覚えているが、それでもただの夢以上の何物でもない。実在した人物の視点だったが、あれが本当に事実だという証拠などどこにもない。

 だが……。

「……もし、この道がフロートへ繋がっているかもしれないのなら……その可能性が少しでもあるのなら……」

 ヴォイドは鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。

 眠る前に緩めた襟のチャックの隙間から、首の左側を覆うように黒い痣が広がっていた。

 普段は服装で隠しているが、彼の身体も既に半分近くがノイズに侵食されていた。肩や脇腹には金属や石材といった異物が混ざっているし、左腕は色のデータを失って影すら付かない純白の物質と化している。いつも厚手の手袋をしている左手は、手袋を取って良く見ると明らかに右の手と大きさが違っていた。

 フロートと違って、欠損はしていない。若干麻痺しているような感覚はあるが、それも戦闘には不安を感じる程度で、日常生活は問題なく送れている。しかし、鏡に映った自分を見るたびに、彼女から奪ってしまったものを思い出して胸が締め付けられる。

 まだ、何も返せていない。

「……諦められるかよ」

 髪をかき上げ、コートを羽織り、普段の格好に戻ったヴォイドは鏡の前を離れた。テーブルの上に置かれた荷物を細長い鞄に詰め込みながら、無秩序に散らばっていた紙をまとめて端の方に積み上げる。昨日、一昨日で集めた情報たち。役立つものは少ないが、興味を惹かれるものはある。

 特に気になるのは、あの盗賊四人組の情報。

 どうやら、286号……NE286号道路の辺りにごく最近現れた奴らのようだ。あの記憶で見た場所も、おそらくその道路のどこかなのだろう。

 あの場所を探れば、何か情報を得られるだろうか。


 荷物整理が終わり、最後にシンから貰った拳銃を手に取った。

 彼女が言っていたトリガーを軽く調べた結果、銃身を通った弾丸を銃口の先の地点へとワープさせる代物だと分かった。遮蔽の向こうから射撃を通したり、着弾のタイミングをずらしたりといったことはできそうだが……強いというよりめんどくさいタイプの武器に思える。

 持っておいて損はないかもしれないが、それだけだ。

 ひとまず拳銃を懐に収め、身の丈ほどの細長いバッグを背負って、ヴォイドは部屋を後にする。

 手元にホログラムを開けば、時刻はまだ朝の五時半。窓の外は澄んだ藍色で、街に人の気配は全くない。外の寒さを覚悟しながら廊下を進みエントランスホールに出ると、そこには既に二名の先客がいた。

「お、起きてきたか、ヴォイドくん」

「おはよう。調査に行くんじゃろ? ウチらも準備出来とるけん」

 当然のように身支度を済ませて、ベクターとダブルの二人組は玄関に待ち構えていた。手帳アプリを閉じて準備万端といった様子のダブルと、まだ少し眠そうにあくびをするベクターに、ヴォイドは眉根を寄せて問いかける。

「…………なんでいるんだ?」

「防衛隊の面々は基本的に単独行動させるとロクなことにならんけぇ」

「オレらが手伝ってやろうって話さ。どうせ業務停止中で暇だし」

 最後にサラリと付け足された一言でヴォイドの顔がさらに曇る。

「こちとら真剣に調査しているんだぞ」

「オレらも真剣だよ。フロートちゃんを探すんだろ? 人手は多いに越したことはないぜ。特に、一昨日みたいな敵を相手にするならな」

 ベクターはちらりとヴォイドが出てきた仮眠室の方を見た。

 寝ている間に、あのメモを見られたらしい。昨日はほぼ寝落ちに近い形で眠りについたが、その前に無理にでもあれらを片づけておくべきだった。

「……なあ、ヴォイド。あのメモ、本当なん? フーちゃんが、本当に……?」

「…………わからない。可能性があるってだけだ」

「なら、ウチも手伝う。フーちゃんは、友達だから」

 長い前髪の隙間越しに向けられたダブルの目の輝きから、ヴォイドはさっと目を逸らした。

 正確には、可能性があると言うのすら語弊があるほどに希望は薄い。手元にあるのはこの希望を肯定する証拠ではなく、否定しない証拠だ。しかも調査対象はデータクラッシュという厄ネタの中でも最上級の代物。下手に首を突っ込ませるわけには……。

「…………はぁ。ベクター、車は出せるか?」

「おう。……なんだ、やけに素直だな」

「どうせ隊長から色々吹き込まれたんだろ? 変に断って先回りされても困る。来たければ来い」

 行くぞ、とぶっきらぼうに告げるヴォイド。ダブルは黙って荷物を背負い、ベクターはやれやれといった様子で首を振りつつもヴォイドの背中を追いかける。

「んで、行き先は? 手分けして調査するのか?」

「いや……」

 玄関の扉を開き、流れ込んでくる冷たい風に震えながら、ヴォイドはしばし考え込む。数秒ほどで一応の結論を出すと、彼はぐいと扉を強く押して二人に道を譲った。

「全員一緒に来てくれ。NE286の道を一通り見て回る」

「センダイの外? 何かアテがあんのか」

「286号のどこなん? ばり長い道じゃけど」

「わからない。だが、多分行けばわかる」

「なんだそりゃ」

 首を傾げるダブルとベクターに、ヴォイドもどう説明したものかと困惑してしまう。実際に、なぜあんな映像を見たのかはよくわからない。しかし、調べなければならないという明確な直感だけはあった。

「……車の中で説明する。とりあえず出発しよう」

 わからないことだらけ、不確定なことだらけ。しっかりと認識しようとするほど、まるでゲシュタルト崩壊するかのように自分の記憶が信じられなくなっていく。

 今は、直感に従った方がいいかもしれない。

 不安を押し殺すように強く扉を閉めて、ヴォイドは駐車場へと向かう二人を追った。


・防衛隊新人隊員のメモ:「メモリによる戦闘能力強化」

メモリで戦闘能力を強化する場合、使い道は大まかに「身体強化」と「感覚強化」の二つに分かれる。

「身体強化」は文字通り膂力や骨格の耐久力、肉体の治癒能力を高める。身体強化は動きの精度と相反し、体質にも様々な影響を及ぼすため、強化の後も修練による動作精度の向上が必須となる。

「感覚強化」は視力、動体視力、聴覚などの精度を高める。また脳機能の一部をメモリ上で再現することで思考や情報処理の高速化もできる。感覚強化の適用から長くて数か月は身体の違和感や強烈な吐き気に襲われる。

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