8.シリウスの恋
女の子はシリウスの耳が尖っていない事が不思議でたまらないらしく、シリウスの耳を強く引っ張り始めた。
「い、いたいっ。僕の耳、尖らないよ! 僕、人間だから」
シリウスが何を言おうと、女の子はただ首を傾げるだけ。
「困ったな、言葉が伝わらないんだ」
「自分は人間だから耳は伸びない」と全身でジェスチャーをしてみると、その間抜けな動きが可笑しかったのか女の子がクスクスと笑いだす。
心が折れていたシリウスも、その笑顔に釣られて笑みが零れた。
「ふふ。分かってくれたのかな。変な妖精」
しばらく一緒に笑った後、女の子はシリウスが持っている妖精石に気が付いた。
途端に目つきが険しくなった女の子が手を差し出し、シリウスも迷う事なく石を渡した。
「ごめんね。僕、してはいけない事をしたんだ」
最初はシリウスも妖精石を道具としか見ていなかった。でも妖精にとって、石は道具ではない。人間だって、墓を荒らされていい気はしない。
女の子は泉のほとりに、その妖精石を埋めた。
「勝手に持って来てしまって、ごめんなさい」
シリウスは近くに咲いていた花を添えて妖精石に謝った。女の子も同じ花を添えると、手についた土を泉で洗い流す。
シリウスも同じように手を洗うと、妙に安心してお腹が大きく鳴った。
その音に驚いた女の子が、噴き出すように笑う。
「は、恥ずかしいな。ずっと、何も食べてないんだ」
森に入って数日は経過している。シリウスがお腹を押さえて笑うと、女の子は両手を差し出して桃を生み出した。
「わぁ、すごい!」
月明りに照らされた女の子の髪の毛は、近くで見ても黄緑色だった。桃が作れるこの妖精は、聞いた事も無いけど『桃の妖精』なのだろうと理解した。
「これ、もしかして僕にくれるの?」
シリウスが桃と自分を交互に指差すと、その意味が伝わったようで、女の子はコクコクと頷いた。
「あ、ありがとう!」
すぐに桃を頬張ると、口に広がる甘さに凍りかけていた心も溶けるように温かくなった。その桃は、これまで食べた何よりも美味しかった。
「……おいしい! こんな桃、初めて!」
頬を紅潮させて喜ぶシリウスに、女の子はどこか誇らしそうにはにかんだ。
◇
桃を食べ終わると、シリウスは再びジェスチャーで森の出口を聞いてみた。
意図が何とか伝わったのか、女の子は立ち上がって付いて来いとでも言うように手を振った。
しばらくついて行くと、とある場所で女の子が立ち止まる。
「ここが、出口なの?」
周囲には木々しかなく、到底出口には見えない。
不安気なシリウスを見て女の子はクスクスと笑い、来たばかりの方向を指さした。
「あれ、道を間違えたのかな」
またしばらく歩くと再び女の子が立ち止まり、今度は違う方向に歩き始める。その後も、女の子は立ち止まっては方向転換を繰り返した。
次第に、同じ所をぐるぐると回っているだけに感じられてきた。
助けるふりをして、人間をからかっているのかもしれない。押し寄せる不安に負けてシリウスが立ち止まると、女の子が手招きでシリウスを呼び寄せた。
「そこに、何かあるの?」
シリウスが近付くと、人差し指を口に添えて女の子が大きな葉を持ち上げる。葉の下には、一瞬見落としてしまいそうな、透き通った銀色の美しい花が生えていた。
「花だ。……気づかなかった」
女の子はシリウスが花を認識できた事を確認すると、花弁が垂れている方向とは逆を指さして歩き出した。
しばらく歩くと、再び女の子が立ち止まり足元を指さした。そこにも透き通る銀の花が生えていて、同じように花弁が垂れていない方向へと歩き出す。
「あ。この花と逆の方向に、出口があるんだ」
シリウスが興奮気味に叫ぶと、女の子が人差し指を口に添えた。
「そうか。これ、人間には内緒なんだね?」
言われてみると、銀の花は道標のように点々と生えていた。認識阻害がかけられているのか、意識を集中しないと見つけることはできない。
「ようし、次は僕が見つけてみる」
シリウスと女の子は、遊ぶように競争するように、銀の花を追いかけた。
◇
――気が付くと、空が明るくなっていた。
真っ暗だった森の先に、光が差している。
「で、出口だ!」
シリウスが出口に気が付くと、女の子は歩みを止めて手を振った。
「ありがとう、キミのおかげだよ!」
この女の子に出会わなければ、シリウスは既に空腹で野垂れ死んでいた。
あの銀の花も、きっと人間には教えてはいけない秘密。それでも花の存在を教えて、シリウスを出口に送り届けてくれた。
それに二人で花を探している間は、寂しいどころか楽しくもあった。シリウスが女の子の手をしっかりと両手で握る。
「また、キミに会えるかな」
女の子にシリウスの言葉は伝わらない。女の子がキョトンと首を傾げる。
可愛らしい仕草に、思わずシリウスはその頬にキスをした。
「僕、キミが好きになっちゃった。絶対、また、会いに来るから!」
女の子は真っ赤になったシリウスの顔が可笑しかったのか、クスクスと笑い手を振った。
◇ ◇ ◇
あの時、何故シリウスが森にいたのかは未だに分からない。
シリウスは眠ったモモの頭を膝に乗せ、その髪に優しく触れた。
髪は黄緑色ではなく、熟し始めた桃のように赤みがかっている。
「何度も会いに行ったけど、森には入れなかったんだ」
あの時の妖精が恋しくて、シリウスは桃を毎日食べるようになった。桃を食べている間は、妖精との思い出に浸る事ができた。
モモはシリウスに会った事すら忘れているかもしれないが、シリウスはモモを忘れた事が一度もない。
「僕、ずっとキミが好きだったんだ。……会いたかった」
眠るモモの頬に、シリウスはそっとキスをした。