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3.桃の王子

 セルフィールの森に隣接する、砂漠の王国モンブール。

 第二王子シリウスは、目の前の来訪者に頭を抱えていた。


「兄様、困ります。モンブールに戻る時は、事前に連絡をしてください。……何度言えば分かって頂けるんですか」

「寂しいなぁ。そんな冷たいこと言わないでよ」


 悪びれた様子もなく、リンクがニッコリと笑う。


「血がつながった兄弟なんだし、何も困る事ないでしょ?」


 本来リンクは、モンブールの王位継承権を持つ第一王子だった。

 密かに隣国パシモンの王女と通じ、家出同然にモンブールを出てから何年も経つ。


「今の兄様は、モンブールではなくパシモンの次期国王です。前触れなく、突然僕の部屋に現れたら、困るに決まっています!」


 声を荒げるシリウスとは対照的に、リンクがゆったりとソファへ腰掛ける。


「だって、ココはボクの実家だもの。弟の部屋に遊びに来るだけなのに、誰の許可がいるの?」

「ああ、いつもこれだ。少しは自分の立場を自覚してください」


(自覚なんて、あるに決まってるじゃない)


 困り果てたシリウスを眺め、リンクの胸はくすぐられるように疼いていた。


 国王似のリンクとは違い、王妃似のシリウスは、澄んだ青い瞳にクリクリとした金色の癖毛が可愛らしい。

 その可愛い顔を困らせて歪ませる事が、リンクにとって最高の娯楽だった。


「そんな事言わないでよ。今日は面白い物を拾ったから持って来てあげたのに」


 リンクが指を鳴らすと、半開きの扉から従者が姿を現した。

 面影がシリウスに似ている彼は、名前をマルコという。パシモンで見つけたお気に入りの従者らしく、リンクはどこに行く時もマルコを連れていた。


 マルコがカラカラと音を立て、布が被せられた台車を運んで来る。想定外に大きい荷物に、シリウスがぽかんと口を開けた。


「に、兄様。こんなに大きい物を拾ったんですか?」


 マルコが一礼をして部屋から出ると、リンクが手招きでシリウスを呼び寄せる。


「そうだよ。シリウスは小さい頃から桃が好きでしょ?」

「ええ、桃は好きですが……」


 首を傾げるシリウスがリンクの横に立つ。リンクの言う通り、シリウスはある時から桃を好んで食べていた。


「ふふ。ボクね、桃を見つけたんだ」

「あ……桃の苗木ですか!」


 砂漠が広がるモンブールでは、桃は貴重品で入手が難しい。

 リンクがにっこりと笑い、それを肯定と取ったシリウスが期待に目を輝かせた。


「あ、ありがとうございます!」


 頬を綻ばせるシリウスが可笑しくて、噴き出すのを堪えたリンクが顔を引き攣らせる。


「残念、少し違うよ。でも、似たようなものかな」

「……似たようなもの?」


 クツクツとリンクが笑い、シリウスが眉をひそめる。それはリンクがシリウスを困らせる直前に、いつも見せる表情だった。

 リンクが勢いよく布を捲ると、一瞬でシリウスが青褪める。


「……え?」

「どう、可愛いでしょ。シリウスにあげるよ」


「待ってください。ど……どういう事ですか?」


 台車には苗木などではなく、小さな檻が置かれていた。檻の中で枷と鎖に繋がれた少女が、虚ろな目で項垂れている。

 着古されたボロボロの白いワンピースは、返り血を浴びたように所々黒ずんでいる。


「桃だよ。シリウス、桃好きでしょ?」

「ふ、ふざけないでください! 一体、どこが桃なんです!」


 怒りに声を震わせるシリウスに向かって、リンクがカラカラと爆笑する。

 腰まで伸びる髪の根本は黄色く、毛先にかけて赤い。髪色は確かに桃の実にも見えた。リンクなら髪色が桃に似ているというだけで、人攫いをしてもおかしくない。


「兄様、これは『拾った』ではなく『攫った』です! 犯罪ですよ!」


 怒鳴り声に驚いたのか、女の子がゆっくりとシリウスに視線を向ける。

 その顔に生気はない。死を待つだけの少女に、シリウスは心臓が握り潰される程の衝撃を受けた。


「ああ、ごめんね。兄様、なんて酷い事を……」

「いやだなあ。犯罪なんて人聞きが悪いね。耳をよく見てよ」


 リンクが格子から手を入れて少女の耳を引っ張った。その形状に驚いて、シリウスが目を見開く。

 尖った耳先は、少女が妖精だという事を示していた。


「ボクはただ、死にかけた妖精を拾っただけ。むしろ、この妖精の恩人だよ?」

「よ、妖精が森の外に?」


 人間を嫌う妖精が、妖精王の加護を持つ森から出る事は滅多にない。リンクが我関せずと肩をすくめる。


「さあ、迷子じゃない? 悪い奴に捕まっていた所を偶然見つけて、ボクが助けてあげたの」

(……っていうの、ウソだけどね)


 リンクが内心ペロリと舌を出した。

 妖精は人間の言葉が分からないし、反論もしない。真剣に適当な嘘を信じるシリウスが面白くて、リンクの胸は再びくすぐられていた。


「兄様、すぐ森へ返しましょう。妖精王様に知られたら、何が起こるかわかりません」

「わっ、待ってよ! その前に、見て欲しいモノがあるの。まったく、何のためにボクがこんな妖精を連れてきたと思っているの」


 リンクが慌てて檻の扉を開けると、妖精が虚ろな目でリンクをじっと見た。


「昨日のアレ、もう一度見せてよ」


 リンクが妖精のお腹にトンと指で触れ、指で桃の形を作ってニンマリ笑う。

 昨日何度も蹴られて腹部はかなり腫れている。軽く触れられただけで痛みに顔を歪めた妖精は、リンクの意図を汲んで桃を生んだ。


「はい、よくできました」


 リンクが嘲笑うように妖精を見下ろし、桃を拾って振り返る。シリウスは想像以上に驚いていた。


「も、桃? 桃を、この子が出したんですか?」

「そうだよ、コレ『桃の妖精』みたい。そんなくだらない妖精、ボクも知らなかったけどね」

「桃の妖精……!」


 絶句するシリウスに、リンクが桃を渡す。


「食べてみて。すごく不味いから」

「不味い? そんなはず…………う」


 言われるままに桃を齧り、その硬さと苦さにシリウスが口を押さえた。

 口に含んだ欠片を必死に飲み込もうとしても、苦すぎる桃を胃が受け入れず何度も押し返される。


「ね、不味いでしょ? でもその内、甘い桃が作れるようになるかもしれないから、しばらく部屋に飾るといいよ」


 セルフィールの森に隣接するモンブールでは、妖精を聖なる使いとしている。何とか桃を飲み込んだシリウスがリンクを睨みつける。


「飾るだなんて、妖精を何だと思っているんですか!」

「何って、妖精は妖精でしょ? しかも役立たずの能無し妖精。じゃ、ボクは帰るから」

「ま、待ってください――」


 慌てるシリウスに、リンクが満足そうに目を細める。


「何? 妖精はシリウスにあげるから、後は好きにしなよ」

「違います! 枷の鍵を渡してください!」


 鍵をうっかり持ち帰り、パシモンまで取りに来させようと企んでいた。リンクが、心で舌打ちをする。


「残念、気づいちゃったんだ」


 小さな鍵をわざと遠くへ放り投げると、リンクは部屋を後にした。


◇ ◇ ◇


 上機嫌なリンクの様子に、マルコが首を傾げる。


「何か良い事でもありましたか?」

「ふふ、とても楽しかったからね」


 シリウスがあれほど怒ったのは珍しい。その姿は、これまで以上にリンクの心を揺さぶった。


 きっとシリウスは妖精を森に返そうとするはず。でも残念ながら、そこまで命が持たない程度に痛めつけてある。


(妖精が死んだ瞬間の、絶望した顔も見たかったな)


 名残惜しそうなリンクを、マルコが不思議そうに覗き込む。


「リンク様、シリウス様に一体何を贈られたんですか?」

「ふふ、内緒だよ」


 リンクはマルコとシリウスを重ね、にっこりと笑った。

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