1.桃の妖精
妖精が住むという、セルフィールの森。
聖地として崇められる広大な森は、代々『妖精守』と呼ばれる人間だけが足を踏み入れる事を許されていた。
人間を嫌う妖精達が森から出ることは少なく、妖精守以外にその姿を見た者は殆どいない。
◇ ◇ ◇
セルフィールの森の一角に、木の洞を利用して作られた小さな牢がある。
平穏な森に似つかわしくない物騒な牢に、一匹の『桃の妖精』が幽閉されていた。
妖精は通常『火』『水』『風』に属し、その能力を自由に扱える。
このいずれにも属さない『桃の妖精』は、その名の通り桃の実を作る以外に能がない。さらに桃と同様、妖精王に食べられる事が運命とされていた。
この幽閉されている妖精の名を、モモといった。
モモがまだ小さい頃、一度森から逃げ出そうとした事があった。
妖精王は、妖精達にとって絶対的な存在。妖精達はモモが二度と逃げないよう、妖精王が食するその日まで、牢に閉じ込める事を決めた。
モモが「逃げるつもりはなかった」と弁明しても、誰もその言葉を信じようはとしなかった。
◇
小さな牢でモモは蹲るように顔を塞ぎ、ただ食べられる日を待っていた。
(いつになれば、終われるんだろう)
何度そう考えたのかも分からない。生きる意味を見失うには、充分すぎる年月が流れていた。
『モモ、今日もまだ生きてるか? 餌の時間だぞ』
牢に木の実がパラパラと投げ込まれ、モモが顔を上げる。格子越しに、見知った赤髪の妖精が顔を覗かせていた。
彼は同じ頃に生まれた『火の妖精』で、名前をシミリという。
小さい頃モモはシミリと仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。でも、モモが牢に閉じ込められて、その態度は突然冷たくなった。
『お前さ、いつ妖精王様に食べられるんだ? 餌をやるのも面倒だし、早く食われればいいのに』
妖精は声ではなく、心で会話をする。
シミリの言葉がモモの心に冷たく突き刺ささる。それでもモモは、虚ろな目でただ頷いただけだった。
食べられれば命は尽きる。そうすれば楽になる。
いつこの苦痛が終わるのか、それはモモ自身が一番知りたい事だった。
『反応もなしか。つまんねえの』
シミリはモモを一瞥すると、踵を返して姿を消した。
牢に入れられて最初の頃は、シミリから酷い事を言われるのが悲しかった。でも何年も経つと、何も感じなくなった。
『終わりたい』
ただ意味のない日々が続くだけなら、早く生を終わりたい。
モモは蹲るように顔を塞いだ。
◇
深夜――。
異変に気付き、モモが顔を上げた。
いつもは静寂な森が、妙に騒がしい。獣が暴れるような激しい物音と、妖精たちの恐怖に満ちた言葉がモモの心に突き刺さる。
『こんな所に、人間!? 妖精守じゃない!』
『に、逃げろ……!』
『早く攻撃を!』
『赤い星だ! 前の集落もこいつらに――』
何かが起きているのに、牢からの視界は狭く状況がわからない。いつしか妖精たちの言葉は消え、鉄の匂いが充満した。
(……嫌な感じがする)
恐々と外を覗き込んでみると、格子越しにヌゥと人間の顔が現れた。驚いたモモの体がビクリと跳ねる。
月明りに照らされたその顔はべったりと血で染まっていた。目が合った瞬間、人間が薄気味悪い笑みを浮かべる。
『……な、何?』
牢は狭く逃げ場はない。人間が格子の隙間から腕を入れ、モモの頬を触わる。
「へえ、酷い姿だが生きてんのか。そのまま、大人しくしろよ」
人間は道具袋から黒い紐を取り出すと、モモの首に巻き付けた。黒い紐に触れた箇所から、急激に力が抜けていく。
『な、何、これ!?』
モモが紐を取ろうとすると、人間の太い腕がモモの頭を掴んで壁に押さえつける。
「動くな、大人しくしろ」
『……あ』
腕に彫られた赤い星を模した入れ墨が視界に飛び込み、モモが言葉を失った。
最近、森で『赤い星』に妖精が襲われるという噂が流れていた。ただ、それ以上の情報はなく、それが何なのかは分からなかった。
(この人間、『赤い星』だ)
今更気づいても、モモに為す術は何もない。
人間がモモの頭を押さえつけたまま、器用に黒い紐の端を絞って固定させる。
「おい、こっちに一匹いたぞ!」
どこかに向かって叫ぶと、人間は斧を取り出して牢を壊し始めた。斧が降り降ろされる度に、斧についていた鮮血が牢の中に飛び散った。
「……あ? 木の中に妖精がいるのか? 間違えて殺すんじゃねぇぞ」
現れた別の人間の腕にも、赤い星の入れ墨が光る。
「殺さねぇよ。仲間を閉じ込めるとは、妖精も酷い事をするもんだな」
「いや、俺達より酷かねぇだろ」
メキメキと鈍い大きな音を立て、長い間モモを閉じ込めていた牢が壊れていく。人間がモモの髪を掴み、外へと引きずり出した。
外の光景を目の当たりにして、モモが目を見開いた。
そこは既に、血の海だった。
妖精は死ぬと結晶化し、『妖精石』と呼ばれる輝く石になる。血の海に、沢山の妖精石が月の光を浴びて輝いていた。
散乱する妖精石から伝わる妖精達の無念が、モモの心に刺さる。地獄のような光景に吐き気が込み上がり、蹲ったモモの髪を人間が乱暴に掴み上げる。
「待てよ。何だ、この髪色。……『火』まで赤くねえな」
「『風』の緑髪にも見えねぇ。まさか、出来損ないか?」
「これじゃ売り物にならねえな。どうする、殺すか?」
しばらく考えていた人間が、周囲を見渡し軽く舌打ちをする。
「いや、今回は数が少ねえ。連れ帰って、売れ残れば殺そうぜ。……妖精石を削って装飾品にでもすれば、はした金くらいになるだろう」
「いいよなあ、妖精ってのは。出来損ないでも金になれるんだから」
人間たちは爆笑すると、大きな麻袋にモモを詰め込んだ。
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