マフィオソ
私は片倉 莇。
晴れて新大学生の者だ。
言い訳かもしれないが、去年は部活もあり勉強には時間を割けられ無かった為、志望校全てに不合格通知が送られて来た。
だがなんとか宅浪を1年続け、血のにじむ努力で最難関国立のH大学に合格。
晴れ晴れしい入学式を終え、今日は講義があるため大学へ寄ったのだ。
私は金が好きで、好きで好きでたまらないので学部は商学を選択。
こうして講義室の扉の前にいるだけでもワクワクしてしまう。
______と。
1人浮かれている最中。
横の休憩所に、眇眇たる少女がいた。
「____なんだあいつ」
サラサラとした繊維の白い髪に、私より形の良い高い鼻。
派手すぎない落ち着いたワンピース。
彼女は、日本人では無かった。
と、彼女に見とれた後。
その子は何人かの男に囲まれていたのに気がついた。
彼女は笑顔を保ちつつも、これ以上ない程迷惑そうなのを私は感じ取った。
そして男のある一人が彼女に触れた瞬間。
私は、私の悪に呑み込まれた。
「帰れ、ごみめらが」
少女に触れられた手を掴み、握りつぶす勢いでこう暴言を吐いてやった。
しばらくの沈黙の後、男達は苦渋の表情を浮かべその場を後にした。
掴んだ手は振り払われ、怒りの目を向ける男。
あぁ。
何度見た光景だろうか。
個人的な怒りに身を任せ、場を凍りつかせる光景は。
少女も私の顔を見て、唖然としている。
そしてごちゃごちゃ頭ん中で考えた末、最終的にこう思うわけだ。
やらなきゃよかった、と_________
「すごい!」
「...あ?」
「だから、すごいって言ったの。
1人でみんな追い払っちゃった」
「...」
「ありがとう____!」
2010年4月。
感謝と共に魅せられたその彼女の笑顔は
花が咲くような、可憐で美しすぎるもので
衝動的に支配したくなるような、そんな危険な匂いを発していました。
「___そうか、じゃあな」
「あっ、ちょっと______」
____私は彼女の呼び声を振り切り、さっさと講義室に入っていった。
「_____はぁ...」
席に座り大きなため息を漏らす。
そしてそのまま机に突っ伏した。
「...」
だってもう、普通の顔を保てない。
突っ伏した瞬間、普段の目つきの悪い顔は崩れ落ち
私は紅潮しニヤついた顔に変形した。
なんだあの危なすぎる笑顔は。
可愛すぎる。
目元が完全に閉じてないで少し空いてるのもなんかちょっとエロいし、頬をほんのり赤めてんのもやばい、
ヤバすぎる。
そして、もう一度見たいと中毒症状が出てるのが一番危ない。
「(くそ、これじゃ講義に集中できねぇじゃねぇか...!)」
_ _ _
_ _ _ _ _ _ _ _
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「____終わったか」
結局脳裏に焼き付いたあの子の笑顔を何度もフラッシュバックさせながら講義を受けたが、なんとか終わらせることができた。
帰ろうと思い講義室を出た瞬間、真横にその少女が壁に寄りかかっていた。
「あ、やっと出てきた」
「なんでここに居るんだよ、お前」
「なんでって、名前聞こうとしたらすぐ中に入って行っちゃったし」
「___名前なんて聞いてどうする」
「お友達なれるよ」
「友達?」
「そう。
ねぇ、なってくれるかな」
「____勝手にしてくれ」
「やった!
私アリアンナ。アリーって呼んでね」
「片倉莇」
「へー、あざみかぁ。
男の癖に名前は女子っぽいんだね」
「女だわコラ!
男じゃねぇよ!」
「あ、ごめんなさい!
私てっきり男だと_____」
「でもほんとだ、胸結構あるものね」
「判断基準そこかよ」
「____ねぇ、なんで私を助けてくれたの?」
「どうもこうも、助けたかったからに決まってんだろ」
「...なんでって聞いてるんだよ?
なんで理由以外の回答が返ってくるのかな」
「(意外と毒舌だなこいつ...)」
「私は女が好きなんだ。
だからタイプのお前を助けた。それだけだ」
「そっかぁ。じゃあ尚更あの時あざみを呼び止めた方が良かったね」
「は?」
「なんならそのまま一緒にどこか行けばよかったかも」
「___何言ってんだお前」
「それより、日本人じゃないだろ、お前」
「イタリア人だよ。交換留学で来てるの。
白人は嫌いだった?」
「いいや、別に。それより人種や肌色で好き嫌いを決める奴の方が嫌いだ」
「そっか。優しいんだね、あざみは」
「さっきの見てもそれ言えんのかよ」
「それと、聞きたいんだけどなんで講義室の外で待ってたんだ」
「あ、言うの忘れてた。
そっか、そうだよね」
「あのね、私のこと助けてくれたお礼がしたいの。
料理を振る舞おうかなって。シェフが」
「いらない。別に馴れ合う気はないからな」
「あ、あざみ______」
あーあ、意地張って断っちまった。
なにやってんだよあたしは。
____どっか行けばよかったかもって。
どこに行くつもりだったんだ、あいつは。
「......まさかな」
_ _ _ _ _ _
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _
さてと。
初めての講義だったし、大分体力を消耗したから、寝るとするか。
あー、昼寝が一番気持ちがいい。
夜寝る時より意識が遠のいてくのがはやい...
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「______...んがっ」
「あ、起きた?おはよ、あざみ」
「...お前...なんの真似だこりゃあ..」
「大丈夫、怖くないよ。
もうすぐヘリポートまで到着するからね」
目を覚ますと、轟音が鳴り響く 赤いランプが点滅する薄暗い空間に私は横たわっていた。
なんだか空間が揺れているようで気持ち悪い。
しかし、後頭部には柔らかい感触があり、最悪の空間のはずなのに、どうもそれのおかげで自身の体が安らいでいるようなのだ。
「お加減どう?
膝枕って言うんでしょ、これ」
「___なんだ、夢かこれ」
「ううん、これは夢じゃないよ。
言ったでしょ。あざみを家に招待するって」
「誘拐だろこれぇ...」
脳が危険を感じ、身をよじらせて寝ていた体を起こそうとした。
が
どうも身体が思うように動かない。
「くっそ...」
「あぁ、だめだよ動いたら。
まだ麻酔が体に残ってるんだから」
「麻酔、だと....」
「もうすぐ着くから、あと10分くらい待って」
「てめ...覚えとけよ....」
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「目標到着!緊急治療室へ急げ!」
「ちょ、待て!あたしは別に治療するまでも....!」
「黙れ!これもお嬢の命令なんだよ悪いなばかたれ!」
喰らえ、と言わんばかりに雑に口元に押し付けられた酸素マスクで無呼吸状態になりかけた私は、こいつらが本物の医者ではないと気づいた。
というより、こんな雑な医者が居てたまるか。
そんな最中、お嬢と呼ばれるアリーは私に蝶のように手をヒラヒラさせて見送った。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「おぇ...なんで消毒ばっかしてくんだよあいつらは」
緊急治療室(?)から開放されるやいなや、また彼女は扉の横に寄りかかって私を待っていた。
「おい、マジでなんなんだてめぇは。
私をどうしようってんだ」
「だから言ったでしょ。
お礼だよ」
「ふざけんな、私を家に帰せ_____」
彼女に近寄ろうとした瞬間、視界が一瞬にして闇に飲まれた。
力の抜けた私を彼女は肩で支え、小さな心地の良い声でこう囁いた。
「ごめんなさい、うちの部下が麻酔を打ちすぎたみたい。今ベッドに寝かせてあげるね」
そう言って、彼女の呼び声でさっきの医者もどきが移動式ベッドを高速で滑らしてきて、私を雑に横に倒した。
「悪いけど、会場にはこの様子で来てもらうね」
「(もう好きにしてくれ...)」
半ば諦めながらその少女の言う会場に二人して入っていった。
勢いよく扉を開けると私達は大きな拍手に包み込まれた。
「なんだぁ...こりゃ」
「みんな、私の家族だよ」
「...どこの金持ちのお嬢だ、お前」
「それは後からわかるよ、絶対にね」
「それよりさ、カニリゾット食べない?
新鮮なワタリガニを仕入れたの」
「カニは嫌いだ...」
「いいからいいから、はい」
そういって彼女は寝たきりの私の口元にワタリガニのリゾットを無理やり押し込んだ。
「....うごっ、お"ぉ"____」
「どう、おいしいでしょ?」
「てめ、嫌いっつったのが...!____」
「_______」
...なんだこの美味いと言えと言わんばかりの視線は。
80、いや100か。
なんでこの会場にいる全員に見つめられなきゃならないんだ私は。
「(...どんだけ影響力あるんだよ、こいつ)」
「お、美味しいです。」
「わー、良かったぁ。
私この料理すごい好きなんだ。もっと食べて食べて」
「____ぉ"お"お"ぉ"...!(ゾウアザラシ)」
あぁ。
私はこんなよく分からない容姿だけ素晴らしいガキにカニで殺されるのか。
私が何をしたと言うんだ。
「___(クソ、外見だけで決めたらダメだってことをよく思い知らされたな)」
「あ、そうだ。お母さんに会わせなきゃ」
「お、お母さん...?」
「そうだよ。多分奥の部屋にいると思うから、一緒に行こ」
_________________
「お母さん、いる?」
「_____アリー、待ってたよ。
...そして君が噂の」
「アリーを助けてくれた男か」
「女です」
「あ、ごめんね」
少し掠れた低く、落ち着いた声だった。
煙草の臭いが充満した部屋に、一人の貫禄のある女性が椅子に腰かけている。
黒が良く似合う人で、黒のストレートヘアに、ほぼ黒色のようなセピア色のスーツを決めた落ち着いた身なりをしていた。
ストライプのネクタイをしていて、中には白のスーツを着ている
「(美人な人だな...)」
「アリー。悪いけど、今からこの子と話があるから、ちょっと席を外してくれないかな」
「わかった。じゃあまたね、お母さん」
アリーが出ていく様子を優しい笑顔で見守るその人は、部屋で2人になった瞬間顔色を変えた。
「まぁ楽にしてってくれ。今日のパーティの主役は君なんだから」
「いえ、私はただ誘拐された____」
「そうだ、君葉巻は吸うか。
丁度キューバのいいやつが届いたんだ」
「す、吸いませんが...」
「そうか。まぁ物は試しだし、経験として1度吸ってみるといい」
そういって、その"お母さん"と呼ばれる女性はシガーカッターでもう一本の葉巻の先端を勢いよく切り落とした。
そして、寝たきりの私に近づいてくる。
その瞬間。
その"お母さん"から濃厚な甘く重い匂いが鼻腔を掠めた。
「申し遅れたが、私はカルロッタ。
これでもここ、ポッジョーリ家当主だ。ひとつよろしく頼むよ」
「あ、その、よろしくお願いします」
カルロッタの甘い匂いに圧倒され言葉が詰まる。
「(___なんだこの脳みそが掻き回されるような気分は...この人がいるだけでクラクラする。
...でも、妙に心地よいのは何故だ)」
「___ふふっ、いい顔だね。
私の香水が刺さったか。はたまたこの葉巻に脳を打ちのめされたか」
「どちらにしろ、嬉しいね。
葉巻を理解出来るやつは大勢いるが、私の香水を理解してくれるやつは少数派だよ」
「更に気に入った。君のこと」
「もっと嗅がしてあげたい所だが、まずは葉巻の味を知るのが先だ」
そういって、カルロッタは私の口元にさっきのカニとは打って変わって優しくくわえさせた。
「いいかい、これはタバコじゃないから煙が肺に流れる前に吐き出すんだ」
「じゃあ、いくよ」
そういって彼女は私の両頬をがっしりと手で押さえつけ、彼女の火のついた葉巻の先端を私の葉巻の先端にじっくりと焼き付けた。
「______!」
「(もう10秒経ったはずだ...!10秒...!
ちょっとこれ長すぎ_____)」
「_______!?!?」
もう終わりかと思い油断してた。
10秒が過ぎ、12秒目に差し掛かったかと思えば今度は直でキスをしてきた。
「___はぁ。不意打ちはね、10秒が過ぎた後に必ずするようにしてるんだ。もうそろそろ終わりだろうと思ったその直後に思いっきり熱いのをぶち込む。
そうすれば、面白いことに相手の脳みそがゼリーみたいに蕩ける」
あ、やば、これ頭の中真っ白になる_____。
しかも舌まで入ってないかこれ..?
「あっ______」
「はぁ、悪いね。これから仕事があるから今日はここまで」
「そんな顔しないで。
かっこいい顔がすごいことになってるよ」
「さぁ、会場に戻りなさい。
仕事が終わったら、また相手してあげるから」
「は、はいぃ...」
ドアに手を掛けた瞬間、ちょっと待てと背後から呼び声がしたので振り返る。
カルロッタにより投げられた何かを受け取った私はそれを水平にして近くで見てみる。
すると、透明な碧色の液体が入った小瓶であった。
「それ、私と同じ香水だ。
君も気に入ってくれたみたいだし、出会いの印として一本あげよう。
5000ドルはくだらないから、無くさないようにね」
失礼します、と一声かけてドアを閉める。
足がフラフラだが、麻酔が切れてきたみたいで歩くことには差し支えなかった。
「あー...家に帰してくれって言うの忘れた..」
そうだ。私は今、ここはどこでどういう人間に囲まれているのかすらわからない。
「そういえばポッジョーリ家がなんだとか言ってたな____」
「______まぁ、好きにしていいって言ってたし、なんかテキトーにあのバーで____」
「...君があざみか。何か飲むか?」
「えっと、じゃあこのザクロジュースってのを」
「ちょっと待ってな」
「_______」
「ビッチが」
「...」
「ザクロジュースはフェラチオした後のビッチが口直しに飲むもんだ」
「____気にするなよ、隣のこいつは昨日ポーカーで大負けしたんだ」
「はい、ザクロジュース。
もし良かったら席を変えるが______」
「いやいいよ、それよりグラスをもうひとつもらえるか?」
「?...ほらよ」
「恩に着るよ、それじゃあ______!!!」
"ガッシャァァ__________"
「___このフェラチオ野郎がてめぇが私のしゃぶれボケ...!!!!!」
そういって、私は隣のフェラチオ野郎の顔面に思いっきりもうひとつのグラスをかち割ってやった。
「___おいおいおいおい」
「よせ!」
バーテンダーは私を掴んで制止しようとしたが、悪に完全に飲み込まれた私は誰にも止めることができない。
そして、それだけでは飽き足らず、ザクロジュースの入った"私のグラス"もこめかみ辺りに殴り割った。
もうこめかみからは頭蓋骨が丸見えだし、そいつは犯されてる女みたいに目が半目だった。瀕死ってやつだ。
だが、その様子が私の悪を肥大化させ、興奮させた。
辺りに散らばったガラス片を広い躊躇なく首横と右目ん玉を2回ずつほど刺して顔面に唾をかけてやった。
「___ハッピーか!?あ!?
ハッピーだろクソ野郎が」
「____やっぱり、あざみ。君はヤクザだ」
「...!」
バーの奥の薄暗い場所から声が聞こえる。
姿は見えないが、あの落ち着いた声はカルロッタに間違えなかった。
そして、私は彼女の声を聞いてようやく我に返り落ち着きを取り戻した。
「___本当に、なんて言ったら、いいかわからない。人を、やったのか、この私が」
「そうだよ。君がやったんだ。
人間ってのはこんな風に重要箇所を潰されると、二度と日の目を自由に歩けなくなる。
それは再起不能のサインでもある」
「つまり、君は人一人の人生をめちゃくちゃにぶち壊してしまったというわけだ」
「だから私は君をヤクザといったんだ、あざみ」
「_____」
「こんな非人道的行為は許されない。そう思わないか?」
「____はい...」
「___だが、私が許そう」
「...え?」
「君はこんな世界を知ってるかな。
誰これ構わずいたいけな子供までも殺しても許されるイカれた世界を」
「...」
「闇の世界だよ。
世間では裏社会やら言われてるがそんなものじゃない。冷酷に人を殺せる、所謂"ヤバい奴"がのし上がる世界だ」
「そんな冷酷な組織のボスが私、ポッジョーリ家のドン・カルロッタだ。詳細を省いてごめんね」
「ドン...えっ?」
「マフィオソって言えばわかるかな」
「あぁー...」
やっと腑に落ちた。
この大人数。この圧倒的統制感。そして資金力。
ようやく腑に落ちた。
こいつらはマフィアだ。
そしてマフィオソってことは、シチリアンマフィア。ここはイタリア。
だから新鮮なワタリガニなんか食えたのかもしれない。
だがそんなことどうでもいい。
私がここに連れてこられた理由は、単にあの少女の手荒なお礼なのだと思っていた。
だが今の状況を見て、何か違う理由がある。
そう私は疑って仕方がなかった。
「ひとつ聞きたいんですが、これ、私の為に開催されたパーティという名目に過ぎない"何か"だと思います」
「"何か"とは?」
「これはあなた達をマフィアだと理解したからこそできる推理なのですがね」
「___ほう」
「これは、人命を使ったなにかの試験に思える。
本当にイカれているが、顔に泥を塗られたらその報復をする意思があるかないか。
そんな試験に思えた」
「もしこの推理が当たっていたのなら、私に謝罪をして欲しい。ひとつは私の手を血に汚したこと。
もうひとつは、私のことを誘拐したこと。
マフィアになんかなりたくないし」
「...」
「...ふふっ」
するとしばらくの沈黙の後、注目していた大勢のギャラリーが一斉に笑いだした。
「...はぁ?」
「いや、ごめんね。
アリーの話を聞いてただけだと単にお勉強ができる子かと思えば、素晴らしい頭脳をお持ちの子だった」
「大当たりだよ。
これは私たちの間で報復試験と呼ばれるものでね。
君はヤクザの基質があるとアリーから聞いたものだから、試してみたかったんだ」
「もう宴会は終わりだ。
みんな気をつけて帰れ」
そうカルロッタが言うと、大勢のギャラリーはザワザワと何か話しながら正面のドアから帰って行った。
「...やっぱりな。
私はマフィアになる気は無い。
帰らせてくれ」
「まぁ待って。別に君をマフィアにする気はないよ。
確かにうちの組に入れたいが、イタリア人しか入れないことになっている。先代が決めた忌まわしいルールだ」
「なのでこうしないか。
君をアリーの用心棒として雇うっていうのは」
「用心棒???」
ようやくバーの奥から顔を出してきたカルロッタは、
近くにいた部下に椅子とテーブルを用意させてそこに腰をかけた。
「そんな顔しないでくれ。
あくまでこれは謝罪の意を込めた楽な仕事だよ。
毎日アリーのそばでこの子を見守っていて欲しい」
「もう面倒ごとは御免だ。あなたにも関わりたくない」
「月収10000ドル」
「は?」
「別に驚くことは無い。
この世界は毎日このくらいの金が動いてる。
君の働きぶりに応じて給料アップも望めるよ」
「...怪しい。なんでガキの子守りにそんな値段も払えるんだ」
「私の子だから」
「_______」
「君は私のような人間を非常識極まりない極悪な外道と勘違いしているようだけど、全くと言っていいほど違う。実際そんなやつばかりだが」
「子を愛して、仲間も愛する。だが嫌でも決められた規則は守り通す。そして山のような金を稼ぐ。
これが私の生き方だし、そう生きるしか無かった」
「それで、どうする。
やるか、それとも_____」
「やる」
「______ふふっ、ありがとう」
「今のでだいぶ心境が変わったように見えるけど、なにかあった?」
「別に。子を愛する気持ちは尊敬しただけ」
「____それはありがたい。
じゃあ、今日は泊まっていくといい。
一応だけど、君の親御さんにも国際電話で連絡を」
「いい」
「___いいのかい」
「私に、親はいない」
「...そうか。だから________」
「...あぁ、ごめんね。
部屋は正面の大階段を上がってすぐのステンドグラスが埋め込まれたドアがあるから、そこに行っててくれ。中にシャワーもあるから、その血を流してきなさい」
「はい」
階段の脇で煙草を吸っている人を横目に階段を上がっていく。
まるで宮殿にでも来たかのようだ。でもシャングリラの光が眩しすぎて、体が疲れて仕方がない。
そして上って正面。羊が草原の上で泣いているステンドグラスが視界に入った。
と、同時に
白い髪のあの少女がまたまた壁に寄りかかっていたのが目に入る。
「___アリー」
「あ、やっと名前で呼んでくれた。
私あざみのこと待ってたんだよ____」
「私をここに連れてきたのは、あの女の命令か」
「え?」
「命令、って、どういう____」
「とぼけるなよ、私にあんな試験をさせる為にここに連れてきたんだろ...!」
「ちょ、ちょっと。落ち着いて____」
「利用されてるんだよ、お前。
この組織の利益になるような奴を探してきて、テストして」
「子を愛してるだと?
子供にこんな手引きさせて何が愛だふざけるな...!」
「____あざみ!」
その瞬間、彼女は私の血まみれのズボンにしがみついた。
「お前...」
「ごめんなさい。
"命令"とか"利用されてる"とか、本当に分からない。
お母さんが何かあざみに嫌なことをしたなら謝る。
本当にごめんなさい」
「でも、私はあざみに喜んで欲しくて今日ここに連れてきたの。この会場も私がお母さんに無理言って用意してもらった」
「途中お母さんからね、上の階に行ってなさいって言われたの。そしたらあざみの大きな声が聞こえてきて、それで_____」
「...」
「.............」
「....................っクソが」
「____お前も血付いちまったろが。シャワー浴びるぞ」
「....一緒に?」
「なんで一緒になんだよ先入れ」
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「_____ただいま、って。もう寝ちゃったか」
「じゃあ私も...」
「____おい」
「...びっくりしたよ。
まだ起きてたなら言ってくれても良かったのに」
「なんで抱きついてくるんだ」
「さっきの続きだよ」
「...」
「別にいいが、ひとつ聞きたいことがある」
「あんたは、この子を利用して私をここまで連れてきたのか」
「利用、か」
「どうなんだ」
「もしかして、私が君に試験をさせる為にアリーを使ってここまで来させた、と思ってるのか」
「...それは違う絶対違う」
「私は普段からアリーに、なにかしてもらったらお礼をしなさいと、そう教えているだけだ」
「私は子供を駒にしない」
「ってことは、私に遊び半分で試験をさせたってことか」
「さっきは家族の前だからそう言ったが、それも実際違う。
一言で言うなら、君を家族に快く迎え入れさせる為の重要な行為、だ」
「君みたいな部外者は、ここに来ると誰かがちょっかいをだす。そして最悪の場合死の可能性もある」
「だが、アリーの恩人にそんな真似は決してさせない」
「そこで、気持ち良く家族全員に迎え入れてもらうためにあの試験を実行した、というシナリオだ」
「...あの野郎は殺しても良かったのか」
「ドットのことか。
あいつは所謂この組織の癌みたいなやつで、婦女暴行、少女への性的暴行、そして極めつけは男女問わずの誘拐強姦」
「もともと人と呼べないようなやつを殺したんだ。
あざみは人殺しじゃないよ」
「...」
「____それより、さっきあざみは親がいないって言ってたよね」
「...本当はいる。でも、ろくでもない親だ」
私がそう言うと、カルロッタは私の背中を優しく撫で、忘れたい過去の古傷に触れた。
「君は、恵まれなかったんだね」
「あぁ、恵まれなかった。だから恵みは全部自分で手に入れてきた」
「...私と一緒だね」
「実はね、アリーもかつて恵まれない子だったんだ」
「昔の話、私は出張でシカゴに7日間滞在しててね」
「酷い話で、私が最初にこの子と出会った時は雨の日、ある汚い住宅地に植えられた木に縛り付けられていた」
「まるでナチスの見せしめみたいだった。
髪はボサボサだし、身体中傷まみれ。
その上自分自身を守る脂肪分の1パーセントもないように見えた」
「そしてなにより、わたしが今まで見たことの無い程に死んだ目をしてた。
この世に救いはないと実感する程にね」
「怒りに呑まれた私はその子を木から下ろしてやり、その後にナチスを銃で撃ち殺してやった。
豚みたいな男と薬物中毒の女、計2の獲物を45Magnumでそれぞれ4発ずつ」
「それだけだ」
「このことをきっかけに、私が将来ドンの座に座った時、そんなどうしようもない奴らを根絶やしにする計画を頭の中で打ち立てた」
「でも私はナチハンターじゃないし、なにより今助けたこの子を風呂に入れてあげてご飯を沢山食べさせてあげたいと思ったからそんな計画はすぐ忘れた」
「_______」
「...似てるんだな、私とこいつは」
「______そうかもね」
「...それよりも、カルロッタ。
また別の香水付けてきたのか?」
「いいや、これは時間差で匂いが変わるんだよ。
時間が経てば経つほど匂いは濃くなる」
「てことは、風呂に入ってないってことか。
近づかないでくれるか?」
「あ、ごめんね。
今入ってくるからいい子にしてて」
「...はい」
カルロッタが離れると、直ぐに温もりが消え、少しの肌寒さに包まれた。
もう分かっていたことだが、私は彼女に落とされていた。
悪人だかなんだかわからない女に。
こういう女を悪女と呼ぶのだろうか。
でも、彼女はアリーを助けただけで手厚くこの家に迎えてくれた。
そんな彼女が悪だとは...
...いや、何も言うまい。
今日学んだことはひとつ。
この世界は、善悪で語るには狭すぎるということだけだ。
「___ただいま。
どうやらいい子にしてたみたいだね」
もう一度背後から絡みつくように温もりが戻ってきた。
その頃には香水の匂いも落ち、一人の純粋な女の匂いだけが残った。
「...」
「...どうした、あざみ」
「このまま、このまま寝かせてくれ。
今日は暖かくして寝たいんだ」
「_____いいよ。
君も今だけ私の子供だね」
「_________」
この世界は善悪で語るには狭すぎる
でも、狭すぎてもいいのではないだろうか
だってこうやって、家族みたいに暖かく瞼を閉じれるのだから