もしもシンデレラが、王子ではなく魔法使いに恋をしたら
「時間内に仕事が終わらなかったですって? バッカじゃないの?」
「本当にお前は愚図な子ね、シンデレラ。罰として今日の晩飯は抜きよ!」
ガミガミと怒鳴るお義母さまとお義姉さまは、まるでおとぎ話の小鬼のようだ。
……なーんて、口に出せば三日くらい食事を抜きにされかねないから、絶対に言わないけどね!
ぎゃんぎゃん文句を言い続けるお義母さまとお義姉さまに背を向け、キッチンへと向かう。
そこで私を出迎えてくれたのは、この家で唯一話の通じる家族。
「お帰りなさい、エラ。買い出しありがとうね。お母様とお姉様が怒ってたけど……大丈夫?」
「あはは、ちょっと失敗しちゃって……夕飯抜きにされちゃった」
「そうなの……後でこっそり何か部屋に持っていくから、待っててくれる?」
「……ありがと、アデリーナ」
お義母さまとお義姉さまにバレないように小声で礼を言うと、もう一人の義姉さま――アデリーナは申し訳なさそうに微笑んだ。
私が小さい頃、この屋敷は幸せに満ちていた。
頼もしいお父様に、優しいお母様。使用人もたくさんいて、私は貴族の娘として何不自由ない暮らしを送っていた。
そんな幸せが崩れ始めたのは、お母様――私を産んでくれた本当のお母様が、流行り病で亡くなってからだ。
私もお父様もものすごく泣いたし、落ち込んだ。でも、いつまでも泣いてばかりいたらお母様が心配してしまうかもしれない。
きっと、お父様にもいろいろ思う所があったんだろう。例えば、私の教育とか将来のこととか。
枕を涙で濡らす頻度が少なくなったころ……お父様はとある未亡人の貴婦人と再婚した。
連れ合いを亡くした者同士、助け合っていきましょう……という感じだったんだろうね。
夫人には二人の娘がいた。
私は一人っ子だったので、一気にお姉さんが二人もできたのです!
上の姉の意地悪なヒルダに、下の姉の優しいアデリーナ。末っ子になった私はエラ。
両親の見ていないところでヒルダと喧嘩をして、アデリーナに宥められて、そんな感じでしばらくは楽しい日々が続いた。
事態が急転したのは、お父様までもが事故で亡くなってからだ。
お父様がいなくなってすぐに、お義母さまは「優しく賢い継母」の仮面を脱ぎ捨てた。
毎晩毎晩屋敷に客人を招いて、豪勢なパーティーを開いて夜中まで騒ぎまくる始末。
そんなことを続けていれば、当然たくさんあったお金だって消えていく。考えればすぐにわかることだよね。
「やめて」って泣いても、私の言うことなんて聞いてくれるわけがなかった。
完全にこの家を食いつぶしたら、次のタカリ先でも探すつもりなのかもしれない。まるで疫病神だ。
そんなわけで、現在我が家は没落まっしぐら!
たくさんいた使用人は去ってゆき、今では私とアデリーナが使用人のように働き、何とかこの屋敷を維持している。
はぁ、私の人生……どうしてこうなっちゃったんだろう。
お父様が亡くなってから、お義母さまはあからさまに私を冷遇するようになった。
そんなわけで、今の私の自室は不便な屋根裏部屋だ。
長い階段を上り、たどり着いた屋根裏部屋の粗末なベッドに倒れ込む。
「はぁ……お腹空いた」
気を抜くと、ぐぅ……とお腹が大きな音を立ててしまう。
掃除に、洗濯に、皿洗いに、水汲みに……無駄に広い屋敷をを維持していくのは大変だ。
何とか踏ん張っているけど、たまにこうして仕事が間に合わなくて、お義母さまに罰を言い渡されてしまう。
まぁ、そんな時は優しい方の義姉さまが助けてくれるんだけどね!
そんなことを考えていると、トントンと、小さく扉を叩く音が聞こえた。
この控えめなノックの音は、まさに優しい方の義姉さま――アデリーナだ。
「はいはーい!」
義母さまにバレないように小声で返事をして、扉を開ける。
そこにいたのはやっぱり、小さな木のトレイを手にしたアデリーナだった。
トレイの上には、具材たっぷりで美味しそうな野菜のスープが乗っている。
あぁ、またお腹が鳴っちゃった……。
「ごめんね、遅くなっちゃった。こんなものしか用意できなかったけど……」
「ううん、何か食べれるだけでも有難いよ。でも……食材が減ってたら、アデリーナがお義母さまに怒られない?」
「裏の畑で採って来た野菜だから大丈夫よ。お母さまも、畑になってるカボチャやニンジンの数までは把握してないもの」
顔を見合わせて、くすりと笑う。
アデリーナが怒られないなら一安心。ありがたくいただきます!
「おいしーい♡」
「石灰を畑に撒いて耕すと、作物がよく育つって本で読んだの」
「アデリーナは勉強家だね」
豪遊大好きな義母やヒルダ義姉さまと違って、アデリーナは質素な読書家だ。
最近は家庭菜園にはまっているらしく、日々研究に余念がない。
ある意味、あの二人を反面教師にしてるのかもね。
「……ごめんね、エラ」
悲し気な声が聞こえて視線を向けると、アデリーナは何故か泣きそうな顔をしていた。
「お母様とお姉さまのせいで、あなたにこんなに苦労をかけて……」
「もう、それはアデリーナのせいじゃないでしょ!」
「でも、二人がこの家の資産を食いつぶさなかったら、エラには素敵な縁談が決まっていたはずよ。もしかしたら、王子様にだって見初められるかもしれない。あなた、とっても可愛いんだもの」
大真面目にそんなこと言うアデリーナに、私は苦笑してしまった。
アデリーナ、それは身内の贔屓目ってやつだよ。
「いつか王子様が、ねぇ……」
昔は、そんな風に夢見た時期もあった。
絵本の中のお姫様みたいに、いつか王子様が迎えに来てくれる。
……なーんて夢物語よりも、今を生き抜く方が大事だから!
「王子様ってフランシス王子? この前の式典で一瞬見えたけど、着てる服がすごく高そうだってことしかわからなかったよ」
売ったらいくらになるのかなー、とか考えてしまって、王子様本体にはそこまで注意を払っていなかった。正直顔もよく覚えていない。
そう言うと、アデリーナは少しだけムッとしたような顔をする。
「お召し物も素敵だったけど、フランシス王子はすごくかっこよかったのよ?」
「えー、アデリーナってああいうのがタイプなんだ」
「ち、違――」
「あー、赤くなってる!」
「……もう! 姉をからかわないの!」
赤面するアデリーナに、私はついくすくす笑ってしまった。
いつか白馬の王子様が迎えに来てくれる……なんて、もう叶わない夢は見ない。
「王子様なんて贅沢は言わないから、どこかの貴族のお坊ちゃんとか、やり手の商人とかと結婚できたら楽なんだけどね」
「できるわ、エラは可愛いもの」
アデリーナ、やっぱりそれは身内の贔屓目だよ。
◇◇◇
「くっ……こんなの絶対嫌がらせだ……!」
「庭でボタンを落としてしまったから探してきなさい」なんて気取った口調でお義母さまに言いつけられて、その場で助走をつけて殴らなかった自分を褒めてやりたい。
そもそも、本当にボタンを落としたのかも怪しい。
適当にいちゃもんをつけて、右往左往する私を見て楽しんでいるとしか思えない。
「はぁ……」
疲れたので、大樹の下で一休み。
鳩が集まって来たので、エプロンのポケットに入れていたおやつの小さな豆を分けてやる。
くるっぽくるっぽ言いながらコツコツ豆をつつく様子を見ていると……急に、頭上からくすくすと笑い声が聞こえた。
「誰っ!?」
不審者!? 泥棒!!? 雀の涙ほどのうちに資産に手を付けようなんて、絶対に許さない!
捕まえて血祭りにあげてやるっ!!
そんな思いを込めて頭上を仰ぎ見て、私は驚きのあまりその場にひっくり返りそうになってしまった。
「こんにちは、綺麗な心を持つお嬢さん」
いつの間にか、大樹の枝に黒ローブを身に纏う、見知らぬ青年が腰掛けこちらを見下ろしていた。
どう見ても不審者……なのだが、何故か私は彼に見惚れてしまって、何も言えなくなってしまう。
彼はにっこりと私に笑いかけると、ふわりと地面に降りてくる。
「訳あって、しばらく君の行動を観察させてもらったんだ。その結果、君は国を統べるプリンセスになるにふさわしい人物だと確信できた」
青年は妖しげな笑みを浮かべて、私を見つめている。
その顔立ちはあまりにも整いすぎていて……正直なところ、私は彼の話などほとんど頭に入らなかった。
彼がパチンと指を鳴らすと、ふと足元の地面から何か小さなものが浮かび上がる。
そっと手を伸ばせば、それは私が探している義母のボタンだった。
「本当に、あったんだ……!」
「これで、少しは君の憂いも晴れたかな?」
青年が首をかしげるようにして笑う。
その瞳に見つめられると……何故だか無性に頬が熱い。
「あの、今のは……?」
「驚かないでね、僕は魔法使いなんだ」
この国で魔法使いと言えば、お城に勤める超エリート職だ。
目の前の青年はお城勤めじゃなさそうだけど……そんなことはどうでもよかった。
私はただ、いきなり目の前に現れ窮地の私を救ってくれた魔法使いに、心を奪われていたのだから。
「だから、ダイヤの原石のようなお嬢さん。僕が、君の願いを叶えてあげる」
彼の美声を、意味のある言葉として処理するのは時間がかかった。
えっと……願いを叶えるとかなんとか。これって、私の願いを叶えてくれるの!?
そんなの、一つしかないじゃない!
「結婚してください」
ぎゅっと青年の手を握ってそう申し込む。
その言葉が予想外だったのか、彼は驚いたように目を見開き、奇声を上げた。
「ヴォア!?」
あぁ、驚いた時の奇声もとっても素敵です……♡
◇◇◇
「落ち着いてよく聞くんだ。君にはプリンセスの素質がある。だから、王子と結婚して王妃になれるんだよ!」
「魔法使いさんのお好きな食べ物は何ですか? 私はパンプキンプディングです♡」
「オーケー、サンドリオン。一旦落ち着いて深呼吸しよう。はい、吸ってー、吐いてー」
魔法使いさんの言うとおり、すーはーと深呼吸をしてみる。
はぁ、私の心配をしてくださるなんて、なんて素敵な方なのかしら♡
ちなみにサンドリオンっていうのは私のことね。「灰かぶり」っていう意味なんだって。
お義母さまたちにそう呼ばれるとイライラするけど、彼に呼ばれるとドキドキしちゃうから不思議だね。
その後も魔法使いさんはいろいろと説明してくれたけど、彼の優しい笑顔や、甘い声や、どこか色っぽい仕草にドキドキしっぱなしで、ほとんど内容は頭に入ってこなかった。
「もう少しで、君は誰よりも幸せな女の子になれる。だから、今はいい子でいるんだよ。すぐにまた会いに来る」
「本当ですか!? 嬉しい♡」
「あぁ、それじゃあまたね。僕のサンドリオン」
魔法使いさんは優しく私の頭を撫でると、箒にまたがって雲の彼方へと消えていった。
「はぁ、夢みたい……」
この世界にあんなに素敵な人がいるなんて!
これが恋なのかしら。あぁ、世界が輝いて見える!
「ラララ~あなたの瞳に見つめられるだけで~♡」
溢れる想いの丈を歌に乗せると、あたりに小鳥やウサギたちが集まって来た。
ふふ、みんな私の初恋を応援してくれてるのね!
「エラ! 何を騒いでるの! ちゃんとボタンは見つけたんだろうね!?」
「えぇ、お義母さま。ご所望の品ならこちらに」
恭しくボタンを差し出すと、お義母さまは明らかに言葉に詰まっていた。
まさか、私が見つけるとは思ってなかったようだ。
なんだかいい気分!
◇◇◇
「灰の中から豆を見つけ出せって、なんの罰ゲーム!?」
もはやただの嫌がらせでしかない。いや、前からわかってたけどね!
お義母さまとシャリーナは街へお出掛け。アデリーナは私を手伝うって言ってくれたけど、それじゃあ嫌がらせにならないからお義母さまたちに拉致されて行った。
はぁ、帰って来るまでに終わらなかったら、今日も夕食は抜きかな……。
荒れてガサガサになった手で、灰をかき分ける。
すると、私の手にそっと誰かの手が重ねられた。
「可哀そうなサンドリオン。それでも苦難に耐え忍ぶ君は美しい」
「うひゃあ!?」
驚きすぎて心臓が爆発するかと思った。
慌てて振り返ると、そこにはずっと待ちわびた姿が!
「魔法使いさん!」
「また会えたね、僕のサンドリオン」
そう言って優しく笑う魔法使いさんに、私のハートはまたもやズギュゥンと撃ち抜かれる。
最初に彼と出会ってから、まだ数日しかたっていない。
でもこの数日、私はずっと彼に会える日が来るのを待ちわびていた。
夜が来るたびに、あの日の出来事は夢だったんじゃないかって。もう彼は私のところになんて来てくれないんじゃないかって不安になって……。
でも、また会えた。彼は、私に会いに来てくれたのだ。
そう思うと、急にボロボロと涙があふれ出してしまう。
「大丈夫かい!?」
「ご、ごめんなさい……止まらなくて」
「……辛かったね。でも、僕が来たからにはもう大丈夫だ。灰の中に隠れた豆なんて、一瞬で見つけてあげるよ」
どうやら魔法使いさんは、私が義母さまの嫌がらせに傷ついて泣いていると思ったらしい。
いえ、そうじゃないんです……と言おうかと思ったけど、次の瞬間彼に抱きしめられて、そんな考えは一瞬で霧散してしまう。
「泣かないで、僕のサンドリオン」
あああぁぁぁぁ!!
耳元で囁かれる切なげな声!
私を抱きしめる腕!
全身で感じる彼のぬくもり!
それはもう、破壊力が強かった。強すぎた。
私の許容量を、一瞬で越えてしまうくらいには。
「っ、どうした!?」
心配そうな彼の声が聞こえたのを最後に、私はくらりと意識を手放してしまった。
「はっ!」
私の目を覚ましたのは、真実の愛のキス♡……ではなく、ただの時間経過だった。
慌てて体を起こすと、もう魔法使いさんの姿はそこにない。
まさか、彼が来てくれて、私を抱きしめてくれたのも……都合のいい夢だった!?
「そんなぁ……」
がくりと項垂れて……また、涙が出そうになってしまう。
でもそんな時、テーブルの上に置かれた一枚の皿が目に入った。
皿の上には……お義母さまが嫌がらせに灰の中にばらまいて、私が拾い集めるはずの豆が乗っていた。
それに……お皿の下には、一枚の走り書きが。
『また会いに来る』
その文字は私が読んだ途端に、さらさらと砂のように消えていった。
でも、私の心にはしっかりと刻まれている。
……夢じゃなかった。
彼は、私に会いに来てくれた。
私を助けてくれた。
「はぁ、好き……♡」
もう何の文字も書かれていない、走り書きとも呼べない紙切れに口づけを落とす。
今度は、もう少し長く彼と一緒に居られますように……と、願いながら。
◇◇◇
「ねぇ見て! お城の舞踏会の招待状よ!」
「そろそろ王子のお妃探しに本腰を入れるって噂は本当だったのね……。ヒルダ、わかってるわね。何としてでも王子をモノにするのよ!」
どうやらお城で盛大な舞踏会が開かれるらしく、お義母さまとヒルダは大騒ぎ。
私はと言うと、そんな二人を尻目に、いつものようにゴシゴシと床を磨いています。
あぁ、次はいつ魔法使いさんに会えるのかな……。
なんてことを考えていたらその夜、屋根裏部屋の窓を叩く音が!
慌てて窓辺に近づくと、その向こうに見えるのは待ちわびていた姿。
「いい子にしていたかな? 僕のサンドリオン」
「魔法使いさん♡」
スマートに箒またがったその姿に、私は思わず見惚れてしまう。
彼は屋根裏部屋の床に降り立つと、そっと私の手を取った。
「お城で舞踏会が開かれるって話は聞いたかな? 実はその舞踏会は――――で――のために――であって――」
あぁ、相変わらずの美声……。
私はまるで熱に浮かされたように、ただこくこくと相槌を打つことしかできなかった。
「……と言うわけで、君にはその舞踏会に出席してもらうことになる」
「えっ!?」
しまった、よく話を聞いてなかった!
えぇと……魔法使いさんのいう舞踏会って、昼間にお義母さまとヒルダが騒いでた舞踏会のことかな?
舞踏会、舞踏会……舞踏会!?
「わ、私……踊れ、ないかも……」
最後にダンスパーティーに出席したのは、お父様が生きていた頃――もう何年も前のことだ。
ダンスなんて、簡単なものを小さなころに教えてもらったきりで、お父様が亡くなってからはダンスに精を出す余裕なんてなかった。
今更舞踏会に出たところで、まともに踊れる自信はない。
おそるおそるそう伝えると、魔法使いさんは優しく私の手を取った。
「大丈夫、僕と一緒に踊ろう」
「ひゃっ!?」
そのまま腕を引かれ、たたらを踏むように足を踏み出す。
すると、ふわりと体が浮くような感覚。
彼にリードされるままに、私の体はいつの間にか軽くステップを踏んでいたのだ。
「これも、魔法……?」
「少しね。大丈夫、君ならすぐに慣れるさ。だって、プリンセスなんだから」
そう言って微笑む彼に、私は思わずうっとりしてしまった。
ここは広いダンスホールじゃなくて、狭い屋根裏部屋で。
オーケストラの音楽もない。私が着ているのはドレスじゃなくて粗末な寝間着だし。
でも……今までに見た、どんな舞踏会よりも素敵に思えた。
窓から差し込む月明かりが、私と彼を照らしている。
こんな時間が……ずっと、続けばいいのに。
◇◇◇
それから私は、一人の時もダンス猛練習した。
だって、あの魔法使いさんが私を舞踏会に誘ってくださったんだから!
彼に恥をかかせるわけにはいかないのである。
だがそんな時、お義母さまとアデリーナの口論を聞いてしまった。
「お母様、ちゃんとエラの分も招待状は来たのでしょう? だったらエラも出席するべきです!」
「何を言っているのアデリーナ、あの子は舞踏会に出席するようなドレスなんて持っていないじゃない! あんな襤褸切れでお城になんて行って見なさい、一生の恥だわ!」
……そうだ。私が持っていたドレスなんて、もう全部お義母さまとヒルダが質に入れてしまったんだった。
そう気づいた途端、全身に冷水を浴びたような心地がした。
駄目だ、舞踏会なんて行けるわけがない。
せっかく誘ってもらえたのに、こんなボロボロの格好でお城になんて行けるわけがない。
……最初から、無理だったんだ。
「でも――」
「いいよ、アデリーナ」
そっと、アデリーナの袖を引く。
これ以上お義母さまに逆らえば、アデリーナまでひどい目に遭うかもしれない。
それは、どうしても嫌だった。
「ドレスなら、私のを着れば――」
「お義母さまが許さないわ。だから……いいの」
ほんの少し、夢を見られただけで……私は幸せだった。
「アデリーナはちゃんと舞踏会に行ってね。それで、ちゃんと素敵な人を見つけてね」
小さくそう伝えると、アデリーナはぎゅっと私を抱きしめてくれた。
◇◇◇
浮かれた様子のお義母さまとヒルダ、それに浮かない顔をしたアデリーナが乗った馬車が、屋敷を出ていく。
私はその様子を、屋根裏部屋から見守っていた。
「……行ってらっしゃい」
さぁ、私は仕事を片付けないと!
休んでる暇なんてないない。帰って来たお義母さまたちに怒られちゃうからね!
掃除に、洗濯に、皿洗いに、水汲みに……コマネズミのように働いて。
庭の大樹の下に差し掛かった時に、ふと思い出す。
ここは……初めて魔法使いさんと出会った場所だ。
――『こんにちは、綺麗な心を持つお嬢さん』
きっと、初めて彼が声を掛けてくれた時から……私は彼に恋をしていた。
「舞踏会……行きたかったな」
豪華絢爛なお城で、彼と踊れたら……どれだけ素敵だろう。
そう思うと、心の底に仕舞いこんだはずの悲しさがあふれ出してしまう。
そっと大樹の下に腰を下ろして、膝に顔を埋める。
あふれ出した私の涙が、エプロンに吸い込まれて――。
「どうして泣いているの? 僕のサンドリオン」
頭上から聞こえてきた声に、私は信じられない思いで顔を上げる。
目の前には、優しい笑みを浮かべた魔法使いさんがいた。
「そんな、どうして……」
「僕が君を置いていくはずがないだろう? さぁ、涙を拭いて」
慌てて涙をふくと、彼はそっと私の手を取って立ち上がらせてくれる。
「サンドリオン、舞踏会へ行こう」
「で、でも……もう馬車は行っちゃったし、私……舞踏会に出られるようなドレスなんて、持ってないし……」
おそるおそるそう口にすると、魔法使いさんは驚いたように目を丸くした後……何でもないことのようにくすりと笑った。
「なんだ、そんなことを気にしていたのかい? 何も心配はいらないよ」
彼はぱちんとウィンクすると、そっと私の耳元で囁いた。
「裏の畑からカボチャを一つ取っておいで。君のお姉さんが育てているだろう?」
「は、はいっ!」
慌ててカボチャを取ってくると、彼はそのカボチャを地面に置くように指示した。
そっとカボチャを地面に置いて、彼がぱちんと指を鳴らした瞬間――なんと、カボチャが光り輝き始め、むくむくと大きくなっていくではないか!
「ま、眩しい……!」
眩しさに思わず目を瞑って……光が収まった数秒後に目を開く。
そこに現れた光景に、私は驚いて声も出なかった。
なんと先ほどカボチャが置いてあったはずの場所には、金色に輝く立派な馬車が鎮座していたのだ。
「これで、舞踏会に行けるだろう? あ、次はドレスだね」
魔法使いさんが再び指をパチンと鳴らす。
すると、今度は私のぼろぼろの仕事着がキラキラと輝きだしたではないか!
眩しさにまた目を瞑って、再び目を開けた時には……私の襤褸切れは、オーロラ色に輝くドレスへと変わっていた。
「うそ、うそ……!?」
「一時的なものだけどね。午前零時の鐘が鳴るまでの、つかの間の魔法だ」
私が少し動くだけでドレスの裾がふわりとひるがえり、幻想的な色合いがまるで本物のオーロラのように揺れる。
すごい、こんなに綺麗なドレスは初めて見た……!
「馬と御者と従者は……僕一人でいいか」
うんうんと頷いた魔法使いさんが、私の方へ振り替える。
彼は頭のてっぺんからつま先まで私の姿を確認して、私の足元へと目を留めた。
「靴も合わせた方がいいね、いったん脱いでもらっていいかな」
「脱ぐ!?」
「靴を脱いでほしいんだけど……ダメかな?」
あ、脱ぐって靴のことか……。
早とちりを恥じながら、そっとボロボロの靴を脱ぐ。
すると、彼は私の足元に跪いてそっと足先に触れた。
「あ、あの……」
「じっとして」
「はいぃ……」
彼のしなやかな指先が、私の足に触れている。
それだけで、頭が沸騰しそうだった。
「大丈夫、靴は得意なんだ」
足先に、固い感触が触れる。
……と思った次の瞬間には、私の両足は見たこともないガラスの靴に包まれていた。
「それでは参りましょう、僕のサンドリオン」
「…………はい♡」
本当に、夢みたい。
もう、夢でもいいや。少しでも長く、この夢に浸っていたい。
彼にエスコートされるままに、金色のカボチャの馬車に乗り込む。
一緒に乗り込んだ魔法使いさんがぱちんと指を鳴らすと、馬車はひとりでに走り出した。
「あれ、でも馬なんていなかったのに……」
「魔法での自動操縦なんだ。事故を起こすつもりは無いから、心配しなくても大丈夫だよ」
「ふふ、馬のいない馬車なんておかしいですね♡」
お城へ向かう間、魔法使いさんは「そのドレス、よく似合うよ」とか「すごく綺麗だ」とかひたすら私を褒めてくれた。
馬鹿な私は、すっかりと舞い上がってしまったものである。
そんな気分がぶち壊されたのは、お城についてからだ。
「ここから道なりに進めば、舞踏会の会場だ。ただし、午前零時の鐘が鳴ると魔法が解けてしまうから、それだけは気を付けて。……さぁ、行っておいで」
魔法使いさんはそう言って、優しく私を送り出そうとしてくれる。
だが、彼自身は動く様子はない。
「あの……魔法使いさんは?」
「……もしかして、不安かな? でも大丈夫。君はプリンセスで、王子の運命の相手なんだから。王子なら、すぐに君を見つけて好きになるよ」
「………………ぇ」
……今、彼はなんて言ったの?
「今までよく頑張ったね。もうすぐ君は誰よりも幸せな女の子に……この国の王子の妃になれるんだ」
それは夢みたいな、私の夢をぶち壊す言葉だった。
こんな時だけよく働く私の頭は、すぐに彼の言わんとしていることを理解してしまう。
……なんだ、そういうことだったんだ。
彼が今まで私を助けて、ダンスを教えてくれて、綺麗なドレスにガラスの靴まで用意して私を舞踏会に連れて来てくれたのは……彼が私と踊るためじゃない。
私と、私の運命の相手である(なんて信じられないけど)王子を出会わせるためだったんだ。
そう気づいた瞬間、私の初恋は砕け散った。
「…………サンドリオン?」
魔法使いさんが心配そうに私を呼ぶ。
……駄目だ、泣くな。
そっと顔を上げると、彼は慈愛に満ちた目でこちらを見つめていた。
……望みがないのは、嫌でもわかってしまう。
もし彼が私と同じ気持ちなら、私を王子様の元へ行かせようなんてしないはずだから。
「……ねぇ、魔法使いさん」
遠くから、舞踏会の音楽がかすかに聞こえてくる。
私はそっと彼に向って手を差し出した。
「王子様と踊るときに失敗しないかどうか不安だから……もう一度だけ、一緒に踊ってもらえる?」
これで、最後にするから。
あなたの望むとおりに、王子様の所へ向かうから。
だから、もう一度だけ……私に思い出をください。
魔法使いさんは驚いたように目を丸くした後……そっと私の手を取ってくれた。
「僕でよければ、喜んで」
華やかなダンスホールではない、お城の片隅で。
舞踏会の音楽を遠くに聞きながら、私たちはそっとワルツを踊った。
普段は饒舌な魔法使いさんにしては珍しく、この時の彼は言葉少なだった。
楽しい時間は、あっという間に終わってしまう。
曲が終わり、私は想いを断ち切るように彼の手を離した。
「……ありがとう。これで、もう大丈夫」
そう口にした声は、少し震えていたのかもしれない。
くるりと背を向けると、背後から彼の声が聞こえた。
「……上手くいくことを願っているよ」
その声がいつもより平坦に聞こえたのは……きっと、私の気のせいだろう。
後ろは振り返らなかった。振り返ったら、決心が鈍ってしまいそうだったから。
ゆっくりと、一歩一歩足を踏み出す。
……さようなら、私の初恋。
◇◇◇
着飾った私を、城の者たちはどこぞの令嬢だとでも思ったのだろう。
聞いてもないのに「舞踏会の会場はこちらです」と案内してくれた。
ガラスの靴が大理石の床に当たり、硬質な音を響かせる。慣れないことばかりで、どうにも落ち着かなくなってしまう。
案内された舞踏会の会場は、綺麗に着飾った人でごったがえしていた。
きょろきょろとあたりを見回したけど、誰が王子様なのかはさっぱりわからない。
アデリーナたちの姿も見当たらない。
――『でも大丈夫。君はプリンセスで、王子の運命の相手なんだから。王子なら、すぐに君を見つけて好きになるよ』
もし、今夜王子と出会えなかったら……私の運命の相手は、王子じゃないのかもしれない。
王子様と会えなかったと魔法使いさんに伝えたら、彼は……私の方を向いてくれるだろうか。
そんなことを考えて、注意が散漫になっていたのかもしれない。
どん、と人にぶつかり、はずみでバランスを崩してその場に倒れそうになってしまう。
だが……私の体が床に打ち付けられることはなかった。
「……大丈夫か」
気が付けば、私の体は知らない男の人に抱き留められていた。
おそるおそる視線を向けると、身なりからとんでもなく身分の高い人だということが分かった。
これはまずい。早く非礼を詫びなければ……!
「……失礼いたしました。危ない所をお助けいただき、感謝いたします」
そっと淑女の礼をとり、文句をつけられないうちにこの場を後にしようとしたけれど――。
「これも何かの縁かもしれない。よろしければ、一曲どうかな?」
恭しく手を差し出され、私はうっ、と言葉に詰まってしまった。
ちらりと周囲を伺うと、周りの人たちは皆息を飲んで私と彼の一挙一動に注目しているようだった。
どうやら目の前の彼は、よっぽど身分の高い人のようだ。
うわぁ、ここで断ったら背中から刺されるかもしれない。
形だけでも、踊っておいた方がいいだろう。
「はい、喜んで」
彼の手を取って、ダンスホールの中央へと進み出る。
……それにしても、四方八方からチクチク痛いほどの視線が突き刺さる。
この人って、そんなに有名人なの?
曲が流れだし、彼にリードされるままにゆっくりとステップを踏む。
彼のリードは、魔法使いさんに負けないほど上手だった。
さすがは上流階級。社交界慣れしてるって感じだね。
豪華絢爛なお城のホール。頭上にはシャンデリアがきらめいて、磨き抜かれた床には私の姿が映っている。
流れる音楽は本物のオーケストラで、私はお姫様みたいに綺麗なドレスを身に着けて、王子様みたいに素敵な人と踊っている。
……まるで、夢みたいな世界だ。
一緒に踊ってくれた男性は、しきりに私を気遣うような言葉をくれた。
さすがは上流階級のお坊ちゃま、エスコートもお手の物だ。
気が付けば私は、目の前の彼と踊る時間を楽しんでいた。
こんな、おとぎ話みたいな素敵な舞踏会で、王子様みたいに素敵な人と踊れるなんて!
きっとこんな機会は二度とない。今は、精一杯この時間を楽しもう。
でも……ふとした瞬間に頭をよぎるのは、前に魔法使いさんと踊った時のこと。
豪華絢爛なお城のホールじゃなくて、とっても狭い屋根裏部屋で。
シャンデリアじゃなくて、窓から差し込む月明かりの元で。
音楽も、綺麗なドレスもなかった。
それでも……私にとっては夢のような時間だった。
だって、大好きな初恋の人と踊れたのだから。
……できれば、魔法使いさんと一緒に、ここで踊りたかったな。
なんてことを考えているうちに曲が終わり、一緒に踊ってくれた男性へと礼をする。
「是非もう一曲踊らないか?」
いつまでも私がこの人を独占してちゃ悪い、と思って立ち去ろうとしたけれど、軽く手を掴んで引き留められる。
彼はすごくキラキラした目で私の方を見ていて、私は思わず戸惑ってしまった。
だって……周りには綺麗に着飾ったお姫様お嬢様方がたくさんいらっしゃるのだ。
皆ちらちらとこちらの様子を伺っている。
……それにしても、いくら何でも見られすぎじゃない?
この男の人って、そんなに有名な人なの?
「ねぇ、あの女性はどなた?」
「さぁ……見たことがないわ」
「今夜の舞踏会って、王子のお妃様選びの場でもあるんでしょ? じゃあ、あの子はどこかの王女様かしら」
「だって……王子殿下はあの子の手を放そうとしないわ」
風に乗って聞こえてきた声に、心臓がどくりと音を立てる。
ここは、王子の妃選びの舞踏会で。
今の私たちは、ほとんど会場中から注目されていて。
今私の手を握っているこの殿方は……まさか、王子様!?
そう気づいた瞬間、私は反射的に彼の手を振り払っていた。
「えっ?」
驚く彼に済まないと思いつつも、全力でその場から駆け出す。
この会場から、逃げ出すために。
「待ってくれ! 誰か、彼女を引き止めよ!!」
先ほど私と踊ってくれた男性――王子様がそう叫んでいる。
でも、私は待つことも止まることもできなかった。
とにかく、この場から逃げなきゃ。
そんな思いに突き動かされるままに、日々の家事仕事で鍛えた脚力を全力活用してやる。
「っ……!」
あまりに急ぎすぎたのか、階段の途中で靴が片方脱げてしまった。
慌てて履きなおそうとしたけど、背後から追ってくる足音が聞こえて断念する。
えいやっ、ともう片方の靴も脱いで、そのまま裸足で走り出す。
だって、ダンス用の靴って走りにくいから!!
夢中で走って、走って……お城の入り口に差し掛かった時に、午前零時を告げる鐘の音が響き渡った。
その瞬間、光り輝いていたドレスは輝きを失い……もとの襤褸切れへと戻ってしまった。
「そっか……魔法が、解けたんだ」
――『ただし、午前零時の鐘が鳴ると魔法が解けてしまうから、それだけは気を付けて』
彼の言うとおりだった。魔法は解けて、私はただの小汚い小娘に逆戻り。
なのに何故か、手に持っていたガラスの靴だけはキラキラと輝きを失わなかった。
何でだろう……と不思議に思っていると、背後から複数の足音が聞こえてくる。
慌ててガラスの靴をエプロンに包んで隠すのと同時に、何人もの貴族が私の前を走り抜けていった。
「くそっ、あの姫君はどこへ行かれたんだ……!?」
「門を封鎖しろ!」
「なんて足の速い姫だろうか……ん?」
その中の一人が、こちらへと振り返る。
思わずどきりとした私に、その貴族は問いかけた。
「そこの召使の娘、今しがた、美しいドレスを身に纏った姫君が通らなかったか?」
……目の前の貴族は、私がその姫君だとはまったく気づいていないようだった。
そっか、そうだよね。ただ魔法で変身していただけで、本当の私は惨めな灰かぶり。
とても……プリンセスなんて呼ばれる器じゃない。
「……とても急いだ様子で、あちらの方へ走って行かれました」
見当違いの方向を指さすと、貴族は礼も言わずにその方向へ走っていった。
ガラスの靴を隠し持ったまま、何食わぬ顔で「いなくなった姫君を探します」と嘘をつくと、門番は訝しむこともなく私を門の外へ通してくれる。
……これで、一夜の夢はおしまい。
「はは……馬鹿みたい」
お城を出て、誰もいない道外れに座り込む。
……私、何をやってるんだろう。
「…………サンドリオン」
背後から声を掛けられて、信じられない思いで振り返る。
そこに立っていたのは、私をここまで連れて来てくれた張本人――魔法使いさんだった。
「王子が、君を探してる」
どうやら彼は、今の状況をきちんと把握しているようだった。
ふるふると首を横に振ると、彼は困ったように笑う。
「……私は、ただの灰かぶりです。あなたの言うように……プリンセスなんて器じゃありません」
「そんなことはない、君は間違いなく王子の運命の相手なんだ。彼のところに行けば、君は幸せになれ――」
「私の幸せを、勝手に決めないで!」
思わずそう叫ぶと、魔法使いさんは驚いたように目を見開いた。
……やってしまった。
彼は、何も悪くない。彼がこんなに執拗に私と王子を結び付けようとするのも、きっと私の為を思ってのことだろう。
そうわかっているけど、でも……好きな人にそう言われるのは、すごく辛い。
「……ごめんなさい」
「いいや、僕も配慮不足だった。済まなかったね」
魔法使いさんは私の前に膝をつくと、そっと私の手を取って立ち上がらせてくれた。
「今日は、君の家に戻ろうか」
「はい……」
いつの間にか、魔法使いさんは箒を手にしていた。
彼がふわりと優しい手つきで投げると、箒はふわふわと空中に浮いた。
「すごい……!」
魔法使いさんは私を抱き上げるようにして、箒に乗せてくれる。
そして、自身も箒へとまたがった。
「しっかり掴まってて」
「はい!」
ふわりと箒が浮かび上がり、ぎゅっと魔法使いさんの腰にしがみつく。
やがて煌々と明かりに灯った宮殿を見下ろすほどの高さになって、私はさっきまでの沈んだ気分が嘘みたいに歓声を上げてしまった。
「こんな綺麗な景色を見たの、初めてです……!」
きらきらした宮殿も、おもちゃみたいに小さな街も、どこまでも広がる森も、悠々と流れる川も、こんな風に見下ろしたのは初めてだ。
喜ぶ私に、魔法使いさんはくすりと笑う。
「お気に召しましたか、姫君?」
「もう……! でも、本当に綺麗……」
きっと、今日の舞踏会で見た本物の王女様だって、こんなに綺麗な光景を見たことはないだろう。
そう思うと嬉しくなって、ぎゅっと魔法使いさんの背中に額を押し付ける。
彼は驚いたようにびくりと反応したけど……文句も言わずに飛行を続けてくれた。
「……君が王子の運命の相手であることは本当だ。彼の元へ行けば、君は何不自由ない生活を送ることができる」
「…………」
私も、考えてみる。
あの豪華絢爛なお城で暮らして、結婚相手は、素敵な王子様で。
きっと、幸せになれる。もう灰にまみれることもない。お義母さまやお義姉さまに、辛く当たられることもないのだろう。
でも……きっと、こんな風に魔法使いさんと一緒に、夜空を飛んだりすることも二度とない。
そんな生活が、待っているのだ。
黙ったままの私に、魔法使いさんはそっと声を掛けてくれた。
「……サンドリオン。王子は間違いなく君を幸せにしてくれる。でも……もし――」
◇◇◇
夢のような一夜が明けて、いつもと変わらない日々が帰ってきた。
お義母さまにいびられて、ヒルダ義姉さまに文句を言われて、アデリーナに慰められる日々が。
あれから、魔法使いさんは一度も私の前に姿を現さなくなった。
本当に、何もかもが今まで通り。ただ、屋敷の外の様子は騒がしくなっていた。
「王子様が、いなくなったどこかのお姫様を探しているそうよ!」
「なんでも、その女性が落としていったのが、とても小さなガラスの靴だそうで――」
「そのガラスの靴がぴったりの女性を、お妃様に迎えるのですって!」
王子様は、あの日踊った運命の相手を――私を、探している。
国中を駆けまわってしらみつぶしに探しているようなので、いずれ……うちにもやって来るだろう。
お義母さまは私を王子様の前に出すだろうか。もしも本当に、運命の相手だというのなら……彼は、私を見つけるのだろうか。
その時、私は……。
「くっ……もうちょっと! もうちょっとだからっ!! オラァァァ!!」
なんとかガラスの靴に足を押し込もうとするヒルダを、お城の人たちが慌てて引きはがそうとしている。
「もうよい! 次の娘!」
「…………駄目でした」
「ちょっとアデリーナ! これはチャンスなのよ!? もっと死ぬ気で押し込みなさい!」
「お母さま……お城の方々の前ですから口を慎んで――」
ガラスの靴が履けなかったヒルダは周囲に当たり散らし、アデリーナは一瞬ガラスの靴に足先を入れて、すぐに「王子殿下のお探しの相手は私ではなかったようです」と引っ込んでしまった。
イライラした様子の王子様は、剣呑な目つきで室内へ視線を走らせる。
「他に娘はいないのか!?」
「えぇ、おりません。残念ながら――」
「いいえ王子殿下。もう一人、妹が」
「アデリーナ!」
「……その娘を連れてこい」
今のは間違いだと騒ぐお義母さまを物ともせずに、アデリーナは部屋の隅に控えていた私の元にやって来る。
「……エラ、念のために、履いてみてくれる?」
……これも、運命なのだろうか。
王子様は私の元へやって来て、私はガラスの靴を履くチャンスを与えられた。
これが、正しい形なの?
こうして王子様とお姫様は、いつまでも幸せに暮らしました……なんて、私は、それでいいの?
「この家の娘なのか? 下働きではなく?」
「王子殿下。間違いなく、エラはこの家の正当な娘です」
アデリーナに促されるままに、私は用意された椅子に腰かける。
こんな小汚い娘に試す価値はあるのか? みたいな顔をしていた王子様が、私の顔を見た途端驚いたように目を丸くした。
ガラスの靴を持つ彼の手が、少しだけ震えている。
丁寧な手つきで、王子様はそっと私の足に、ガラスの靴を履かせてくれた。
ガラスの靴は、ぴったりと私の足にはまる。
……当然だよね。
だって、魔法使いさんが私の為に魔法で作り出してくれた物なんだから。
「君だったんだね……僕の運命の姫……!」
王子様が感極まったように、そう口にする。
……彼はこの国の王子さまで、とっても素敵な人で。
彼の手を取れば、きっと私は幸せになれる。
でも……。
――『王子は間違いなく君を幸せにしてくれる。でも……もし――君が、別の道を望むのなら』
めでたしめでたし……ではなく、もっと他の……別の道を望むのなら。
――『僕を、呼んで』
あの時、彼が教えてくれた。
“物語の中の魔法使い”ではなく、彼自身の……本当の、名前を。
「…………シャル」
自分にしか聞こえないような小さな声で、そう呟く。
その……ほんの数秒後だった。
ガラスが割れる音と、集まった人々の悲鳴。
思わず視線を向けると、割れた窓ガラスを突き破るようにして現れたのは……ずっと、思い描いていた姿。
「迎えに来たよ、マイハニー♡」
慌てふためく人々をものともせずに、彼は優雅に地面へと降り立った。
その瞳はまっすぐに私を見つめていて、いつものどこか一線を引いたような態度とは違う。
――まっすぐに、私を求めている。
彼の手がこちらに伸ばされた瞬間、私は立ち上がり彼に飛びついた。
「……来てくれるって信じてた!」
「僕が君を置いていくはずないだろう?」
そう言っていたずらっぽく笑う彼に、胸がいっぱいになって、泣きたいような笑いたいような不思議な気分になってしまう。
……彼は、来てくれた。
王子と姫を結び付ける魔法使いの役割を放棄して……私を選んでくれたのだ。
だったら、もう何も怖くない!
「それじゃあ行こう、果てしない魔法の旅へ!」
「はい♡」
きらびやかなお城も、舞踏会も、王子様も、嫌いじゃない。むしろ大好きだ。
でも、箒に乗って世界中を駆け巡るような、そんな物語も私は好き。
だから、これからも追いかけ続けるの。
ごめんね、王子様。でも、たとえ運命の相手じゃなくても……きっと、あなたには素敵な相手が現れるはず。
ごめんね、アデリーナ。ずっと私のこと、気にかけてくれてありがとう。
血は繋がっていなくても、離れていても、私たちはずっと家族だよね!
魔法使いさん――シャルに手を取られ、箒に飛び乗り、そのまま外へと飛び出す。
どんどんと空高く飛び上がり、屋敷が、街が、地上に広がる大地が……どんどんと小さくなっていく。
「ねぇ、どこに行くの?」
「君はどこに行きたい? 千夜一夜の砂の国? 茨に閉ざされた城? それとも、雪の女王の支配する宮殿かな?」
「シャルと一緒なら、どこへだって行きたい!!」
ぎゅっと抱き着くと、彼は嬉しそうに笑った。
「仰せのままに、僕だけのサンドリオン――エラ!」
これは、他の誰でもない私だけの物語。
王子様ではなく魔法使いに恋をした、灰かぶりのお話。
午前零時の鐘が鳴っても、私の魔法は終わらない。
ガラスの靴を履いたら、あなたと一緒に広い世界へ飛び出すの。
次のページは白紙でいい。
だって、私が作っていくんだから!
「そういえばエラ、君の故郷の王子様、君のお姉さんと結婚したみたいだよ」
「…………え?」
――それはまた、別のお話。
この話は、「シンデレラの姉ですが、不本意ながら王子と結婚することになりました」という作品の前日譚になります。未読の方は是非そちらもどうぞ!
→(https://ncode.syosetu.com/n0540gn/)
今後は「シンデレラの姉ですが~」の方を、王子の視点やその後の話などいろいろを追加した長編連載化を予定しています。
是非また見に来ていただけると嬉しいです!
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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