第二話
お待たせいたしました…!
「エステル!こっちよ!」
真っ白になったシーツを詰め込んだカゴを抱えて、声が聞こえた方に駆けていく。
その動きに合わせて、耳元では土色の三つ編みがパタパタと揺れた。
「ティティア!今の時間は別の担当じゃなかった?」
「そうなんだけど、変えてもらったの。またうちの兄が王子様との時間を邪魔しちゃったみたいだからね」
真っ赤な髪を背に流してカラカラと笑う彼女ーティティアは、その見た目で分かる通り、今朝方殿下を回収して行ったレンロード様の妹である。
ハクライン家の長男は代々殿下に仕えてきたため、長女である彼女もお城で働くことが決まっていたのだと言っていた。
私はシーツを干しながら、ティティアに向かってふるふると首を振った。
「ううん、むしろ助かったわ。レンロード様がいらっしゃらなかったら今頃、私心臓発作で倒れてたかもしれない……」
「発作?…あぁ、王子様スマイルに当てられてってやつね」
ティティアは一瞬考え込んでから、納得したように笑う。
よく殿下との話をティティアにするのだが、私が話すと彼女はいつもこうやって笑うのである。笑い事じゃないの!と私は頬を膨らませてティティアに言った。
「ティティアみたいに美人さんだったら、そりゃあ社交界でも言い寄られることが多いんでしょうけど、私は地味だし貧乏だし、イケメンに免疫なんてあるわけがないじゃない」
そう、男性に好意を寄せられること自体あり得ないのだ。両親が私のことを可哀想に思って一度だけ社交界に出た時も、陰で地味な女だと噂されているのを耳にした。それにーー……
ーー随分とおめかししたんだな?なに着たって似合わないくせに。
ーーチビでのろま、そのくせ地味。ほんと、救いようないよな、お前。
「ーーエステル」
「っ!」
頬に触れる温かな感触に、心を巣食う嫌な記憶が一気に霧散した。
ハッとして顔をあげれば、ティティアが両手で私の頬を挟んでいる。
「過去に何があったのかは知らないけど、あんまり引っ張られてばっかいると本当のことが見えなくなるわよ」
真剣な瞳で、彼女は言う。その声に自分でも分からないが"何か"を伝えようと口を開きーー…
「エステルさん!メイド長が呼んでいるそうです!」
「あっ、今行く!」
頭に浮かんだその言葉は、私を呼んだメイドの声と一緒に何処かへと消えていってしまった。
「あら、テリビアからの呼び出し?何かしたの?エステル」
ティティアは次に干すシーツを手に持ちながらもう片方の手を頬に当てて首を傾げた。
「してないけど……どこか人手不足な場所があるのかも」
宮廷付きメイドはその殆どが花嫁修行でやってくるので、3、4年働くと皆寿退職してしまう。そのため、もう結婚してメイド長に就任しているテリビアと、結婚する気のない私、ティティアはメイドの中でも年長者で、付き合いが特別長いのである。
普通、メイド長からの呼び出しとなると重要な案件だと思われがちだが、私とティティアだけは、テリビアのちょっとした悩み事なども相談を受けると、3人で昔約束をした。
メイド長だって同じ人間で悩むこともあるのだから、私とティティアの前だけでは、完璧な上司でいなくていいのだと。
今回、呼び出されることに関して心当たりがないので、おそらくなにかの頼み事だろう。
「ま、何かあったら教えて。これは全部私が干しちゃうから、気にしないでいってらっしゃい」
ティティアはそう言ってニコッと笑った。彼女のこういうラフなところに、私はよく助けられているのである。
「うん、ありがとう。行ってくる!」
ここから少し遠くにあるので、なるべく早足で行かなければいけない。
私はティティアに手を振って宮殿の方を振り向いた。しかしそこで、後ろから声がかけられる。
「あ、また心臓発作起きたときはちゃんと教えなさいよ!」
この長い付き合いで何度目か分からないその台詞に、分かってるー!と声だけ向けて私は走り出した。
「心臓発作、らしいですよ。噂のキラキラスマイルさん?」
ティティアは、数分ほど前からなんとなく感じていた気配にそっと声をかけた。実際に目で見ていなくても前科があるため、そこにその人がいる確信があった。そして案の定、想定していた声が返ってくる。
「出会った当初なんて、目も合わせてくれなかったからね。それを考えればだいぶ進歩したと思うよ」
その時のことを思い出しているのか、声の主はクスクスと笑った。
自分も思い返してみるが、エステルは自分や他のメイドに対しては至って普通だったと思う。本人からは何も言われていないので、彼女自身は気づいていないのかもしれないが、恐らく彼女は男性恐怖症だったのだろう。
ーーだった、と言うのは、それをこの男が見事克服させてみせたからである。
ぼそっと、男は声を漏らした。
「ようやく……漸くここまで来たんだ。思いの外時間がかかったけど、絶対手に入れてみせる」
そうして足音も立てずに男の気配は消えていった。
やはり6年も粘った男は違うと、心のうちでこっそり苦笑した。
それに執着されたかわいそうな少女のことも思って。
***
「失礼いたします、エステルです」
「…どうぞ、お入りなさい」
ドアをノックして許可をもらってから、もう一度失礼します、と声をかけて入室する。たとえ旧知の仲と言えど、こういう礼儀は仕事柄大切にしているのだ。
「ごめんなさいね、エステル。急に呼び出してしまって」
シンプルな部屋の中央にある、黒い机の側に立っている彼女こそ、メイド長テリビアである。
テリビアは紫色の髪を片方に流し、少し貫禄が出てきた綺麗な顔をくしゃりと曲げて笑った。
「この頃会えてなかったから、お話できて嬉しいわ」
「他人行儀ね、テリビア。遠慮なくいつでも呼んで良いのよ!」
私がぽんっと胸を叩けば、テリビアはありがとうと、ふふっと笑った。その姿は正しく品があり淑女の鏡である。
テリビアとは歳が一回り以上も離れているので、世代的に親しいわけではない。過ごした時の長さが、私たちの仲の良さを作り上げてきたのだ。
「本当はもっと話したいのだけれど、この後面会が入っていてあまり時間が取れないの。面会の前にとりあえず意見だけ聞いておきたくて……こちらの都合に合わせてしまってごめんなさいね」
テリビアは眉をへの字に曲げてそう話し、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
ーー"面会"。
メイド長がわざわざ話すくらいだからきっと相手はお偉いさんなのだろう。相手のこと、内容のこと。少し気になりはしたが、あえて口に出すことはしなかった。
「相談は一つだけよ。今度、舞踏会があるのは知っている?」
私の目の前まできたテリビアが少し首を傾げている姿を見ながら、ふと先日のメイドたちの会話を思い出す。
確か、数日後に珍しく国王陛下が主催する、なんとかパーティーが開かれると騒いでいたはずだ。きっとそれのことだろう。
私がはい、と頷けば、テリビアはそれなら話が早いとばかりに続きを話した。
「私の知り合いのとある方がね、好きな方がいらっしゃるそうなの。お二人の恋を応援したくて、その舞踏会で何かできないかと思ったのよ」
テリビアはじっと私を見つめてふわりと微笑んだ。
それはつまりーー……
「恋の相談……?」
「そ。私たち3人の中で一番若いエステルに意見を聞きたかったの」
それでティティアは呼ばれなかったのか、と納得して、まてまて気にするところはそこじゃないと踏ん張る。
「テリビア、知っていると思うけど、私恋愛経験なんてちっともないのよ?恋の相談はちょっと、のってあげられるかどうか……」
自信なさげな私の声をテリビアが食い気味に遮った。
「あら、だからいいんじゃない。乙女ならではの純粋な意見が聞きたいわ。…ねぇ、二人を結びつけるためには、何が必要だと思う?」
そしてにっこりと圧のある笑みで私の肩を掴むテリビア。気圧された私は、えぇっと……と、なけなしの恋心を引っ張り出してなんとか答えてみる。
「えと……二人っきりにする、とか?」
「あとは?」
「えぇ!?まだ…?」
まだ。と再度にっこり笑うテリビア。
そもそも私は舞踏会に出たことが社交界デビューの一回しかない。しかもそこで踊りもせず、食べもせず話もせず、ただただ参加者たちを見ていたのだ。だから同年代のお友達もいなくて、恋人という恋人たちももそこでしかちゃんと見たことがーー……
「あ。一曲踊った後に、バルコニーに出ていった恋人たちがいた気がする。男性がエスコートをして、噴水をバックにプロポーズ、だったかな……?」
「まぁ、素敵!今の時期なら花園も満開でしょうし、とてもロマンチックだわ!」
どうやら模範解答ができたようで、気づけばテリビアはあーでもないこーでもないと、素敵なムードの作成に精を出していた。こうなったテリビアは基本人の声を受け付けなくなるが、ちょっと今はまずいのではないか。
「ちょっとテリビア!面会あるんじゃなかったの?時間大じょ」
「あら大変!ごめんなさいね、また後で話は聞くわ!」
ーーあ、
と言う間に、パタンッとドアが閉められていた。
テリビアはメイド長としてキリッとしてはいるが、実は結構ボケているところがあってお茶目さんなのである。
あまりに彼女らしい行動に、仕方がないなぁ、と笑いをこぼす。
そうしてティティアのところへ戻ろうと足を踏み出しーー
「やぁ、偶然だね、エステル」
「きゃあぁぁ!」
ーーと盛大な叫び声を上げた。
「ごめんごめん、なんだか楽しそうにしていたから、そんな君と早く話したくてつい」
そう言ってちっともごめんと思っていなさそうな顔で笑う第一王子殿下。そのキラキラスマイルに当てられる以外で心臓がバクバクすることもあるのかと、なんだか別の意味で驚いた。
「良い天気だね、エステル。落ち着いた?」
「ご機嫌麗しゅう、でん……え?」
ーーパシッと突然手を掴まれ、お辞儀をする前の前屈みの姿勢で私は止まる。
「フィーリって、呼ぼっか。とりあえず」
何がとりあえずなのだろう。
「とりあえず私は手を離していただきたいのですが、でん」
「フィーリ。簡単でしょ?ちょこっと3、4文字変えるだけだよ?ね?」
と、殿下はぐいっと顔を近づけてくる。殿下の瞳に変な顔をした私が写り、また、発作が起きた。
どくどくと心臓の音が響き、体全体が心臓になったかのような錯覚に陥る。掴まれている左手はびくともしないので、空いている右手を顔の前に突き出し、声を振り絞った。
「ち、近いです!離れてください!で」
「フィーリ。言うまで離れないからね。ほらほら、早く呼ばないと額がぶつかってしまうよ?」
「っ!」
意地の悪いその顔が、ピントが合わないほど近くにあった。
美しい碧眼の中の私がどんどんと大きくなっていく。
ーーこのままでは、まるでキスをするようなーー……
「ふ、ふぃーり、でん、か」
殿下の吐息がふっとかけられた瞬間、まるで魔法でもかけられたかのように、勝手に口走っていた。
「まぁ、及第点かな」
ーーそうして視界に映ったキラキラスマイルに頬が熱くなるのを感じ、そして何故だか今日は心の奥が暖かくなった気がした。
それからどうやって過ごしたのか全く覚えていない。頭の中ではティティアのもとに行こうとしていたので、多分、ずっと上の空で彼女には迷惑をかけてしまったことだろう。
そんなことを思いながら、私はいつも通り就寝した。
その夜、悪夢にうなされるとも知らずに。
幼少期ともに過ごしたあの声が、今でも鮮明に思い出される。
ーーお前が俺の従姉妹か?ハッ、ぶっさいくな顔。
なんで?なんでそんなこと言うの?あなたにそんなこと言われる筋合いなんて……!
ーー男の子と話した?そんなの罰ゲームに決まってんだろ?誰もお前と話したいやつなんていないんだよ。
そんな、そんな…こと……
ーーはぁ?お前見る目ねぇんじゃねえの?あいつこの間俺に、お前のことを気持ち悪いって言ってたぜ。みーんなみんな、お前なんかと一緒に居たくねぇんだよ。
そう…だったの?わたし、気持ち悪いんだ。誰にも、好いてもらえない……
ーー俺だってお前が可哀想だから話してやってるんだ。俺に感謝して一生言うこと聞いてろよ?そしたら俺だけは見放さないでいてやるから、な。
……わかった。兄さまの言うことは、ぜったい。
起きた時、悪夢によってかいた汗はびっしょりと体にくっつき、洗い流しても嫌な感触は離れなかった。
「こんなとき、殿下の笑顔が見れたら……」
ーーまた、心を暖かくしてくれるだろうか?
「え…」
私は今、なんて言った……?
二話目もお読みくださりありがとうございます!