君は私のもの
林檎はよく、唐突な提案をしてくることがある。小さい頃からも突拍子もない発言をしてよく親を困らせていたし、同居してずいぶん経つので私もそれに慣れていた。慣れたつもりでいたのだが……。
「ミカンにキスマーク付けたい」
流石にこの提案には、咄嗟に言葉を出すことができなかった。
◆
夕食も風呂も終え、あとは寝るだけの二十三時。ベッドの上で私は料理のレシピ本を読み、林檎は私の肩に頭を預ながらスマホをいじっていた。肩に乗っかる温もりに幸せを感じながらレシピを眺めていたら、林檎が唐突に提案してきたのだ。
「ねぇ、ミカン」
「ん、どうした」
「ミカンにキスマーク付けたい」
真顔で、至って真剣な口調で、林檎はそう言った。キスマーク。キスマークって、あれだよな。
林檎は私の顔を覗き込みながら、真っすぐにこちらを見つめてくる。普段だったらそのまま見つめ返すか、キスの一つや二つするのだが……今しがたの発言のせいで、私は硬直してしまう。
「キ、キスマークか? どうしたんだ急に」
なんとか声を振り絞ってそう訊ねると、林檎はスマホに視線を落として理由を述べた。
「キスマークって、自分のものだって証みたいな感じじゃん。だから、ミカンに付けたいなーって」
純粋な笑顔を浮かべて、林檎はスマホの画面をこちらへ向けてくる。そこには、キスマークを付ける心理などの解説が書かれていた。なるほど、これを見て付けたくなったと。なるほど。
理由は分かったが、いざ付けたいと言われるとどうにも恥ずかしい。どうしたものかと悩んでいると――
「ちゅぅぅ~」
「あっ、ま、待てっ、ちょ、林檎!」
私の返答を待たず、林檎が私の首元に顔を埋めてくる。そして、強く私の肌に吸い付いてきた。林檎の唾液で肌が濡れ、より唇と密着する。強く吸われるその感覚に、思わず身震いしてしまう。
止めようと林檎の肩を掴むも、林檎は頑なに離れようとしない。構わずに私の首元を吸い続けている。
酷く長い時間が経ったように感じたが、実際には十数秒程度だろう。
漸く顔を離してくれた林檎は、満足そうに微笑みながら唇をぺろりと舐めた。その仕草に自分の顔が熱くなるのが分かる。
ベッド脇の手鏡を取って首筋を見ると、それはもうくっきりと痣が出来上がっていた。キスマークというよりも、吸引性皮下出血と言った方がしっくりくるような濃さだ。
「これで、ミカンは私のものだね」
林檎はにこにこしながら私に抱き着き、そう言った。
こんなことをしなくても、私はこの先ずっと林檎のものなのに。自分のものだという証を、独占欲の証を付けたいのは、むしろ私の方だ。私には林檎しかいないけど、林檎は、そうじゃないから。
「私は心配ないが、林檎は心配だな。新田苺もいるし、今度昔の友達と会うらしいし」
「……じゃあ、ミカンも証、付ける?」
身体を離し、両手を広げて私を誘う林檎。その誘惑に誘われるように、私は――
◆
「あら、鈴木さん首筋どうしたの?」
新田先輩に声をかけられ、私は首筋に張った大きめの絆創膏に手を添える。
寝て起きても消えなかった、くっきり残った、独占欲。思わずにやけそうになるのを堪えながら、私は落ち着いて微笑んで答えた。
「飼い犬に噛まれただけですよ」




