君しかいないから
ここ最近、新田先輩の笑顔を見る機会が増えた。というより、新田先輩がスマホを眺めながら笑みを浮かべていることが多々ある。何を見ているのか分からないが、時折何かを打ち込んでいるので誰かと連絡を取っているようだ。
(彼氏さんでも出来たのかな、新田先輩美人さんだし、彼氏さんも格好良いんだろうなぁ)
新田先輩の変化は気になるが、仲が良いとはいえプライベートに踏み込むのは失礼だろうから、訊ねたい気持ちはぐっと堪えている。
だけどやっぱり気になるわけで――。
「うーん」
「どうした、そんな難しい顔をして」
ソファで唸っていると、夕ご飯の食器を洗い終えたミカンが手を拭きながら戻ってきて、私の隣に腰を下ろした。なんだか最近、ますますミカンがお母さんみたいに見えてきた。手を拭きながら台所から出てくるところとか、私のお母さんにそっくりだ。
「んー、最近新田先輩が嬉しそうだから、どうしたのかなーって思ってただけ」
「……お前は本当に、新田苺が気に入ってるんだな」
その口調は明らかに不満そうで、顔を見遣るとやはりむすっと顔をしかめていた。ただ、心なしかいつもよりも悲しそうに見えた気がした。
「気に入ってるっていうか、一番お世話になってるし、仲が良いだけだよ」
そう弁解するも、ミカンは暗い顔のままだ。珍しい。こういうことはよくあるが、いつもはもっと軽く拗ねるくらいだ。今のミカンは、不貞腐れているというより、寂しそうな顔をしていた。
「……ミカン?」
心配になって顔を覗き込みながら声をかけると、ミカンはこちらへ身体を向け、暫く迷ったように視線を泳がせてから、意を決したように口を開いた。
「心配、なんだ」
振り絞るようにして発せられたその声は、いつもの声とは似付かぬほどにか細かった。
ミカンは顔をまっすぐこちらへ向け、不安を滲ませた表情を浮かべる。
「林檎には、同僚がいて、上司がいて、友達や親友もいる」
ミカンはそこで言葉を区切り、寂しそうに、ぎゅっと私の手を握った。その手から伝わる小さな震えに、私はミカンのやや潤んだ瞳をまっすぐ見つめ返した。普段のミカンからは考えられないような、抗えない寂しさと弱さを含んだ、今にも泣きだしそうな瞳。
「だけど、私には、林檎しかいないんだ……私は、自分を外に出せないから」
「うん」
相槌を打ち、握られた手を優しく、強く握り返す。ミカンは狼女だ。他人は恐らく、それを受け入れてはくれないだろう。ミカンがありのままの自分でいられるのは、基本的にこの家の中だけだ。
「私には林檎しかいないけど、林檎の周りには多くの人がいるから、不安で堪らないんだ」
倒れ込むように私の方に頭を預けてくるミカンを安心させるように、くしゃくしゃとそのグレーアッシュの髪の毛を撫でた。それから、優しく背中をさすりながら語り掛ける。
「不安にさせてごめんね。でも、大丈夫だよ。私はずっとミカンの同居人で、友達で、家族で、恋人だから。ね」
身体を起こして再び向き合ったミカンの瞳は濡れていて、いまだ不安が離れずにいるようだった。そんな不安を拭いたくて、私はそっとミカンを抱き寄せ、二回続けて口付けをした。
「ね、約束。私はずっと、ミカンと一緒だよ」
「……あぁ」
少し震えた、涙ぐんだ声で返事をすると、安心したようにぎゅっと私に抱き着てくるミカン。私はその背中をミカンが落ち着くまで撫で続けた。




