煙草の匂いは君の匂い
台所の片隅、換気扇の真下には折り畳み式の小さな椅子が置いてある。
「……ふぅ」
その椅子に座っていたミカンは、口からシガレットを離すと煙を吐き出した。灰皿にぐりぐりと押し付けている彼女を影から眺めていると、こちらに気が付いたミカンが不思議そうに首をかしげ、再びシガレットを咥えた。
黒ジャージ姿で煙草を吸ってると、なんかこう……ヤンキー感が漂っている。顔もイケメンだしタッパもあるし。
「ミカン、煙草好きだよね」
今から数か月前、同僚に半ば強引に渡された煙草を試しに吸ってみたが、私は思い切りむせてしまい、即座に煙草は苦手だと認識した。そんな私を見ていたミカン。煙草に興味を惹かれて吸ってみたところ、えらく気に入ったらしい。それ以来、買い物ついでによく煙草を買ってくるようになったのだ。買ってくるのは、決まって初めて吸ったのと同じ銘柄である。
ミカンが煙草を吸うとき換気扇の下に行くのは、煙が家に充満しないようにという心遣いだ。
「私は煙草好きだけど、ビールの旨さは分からんな」
「ミカンと私って真逆だねぇ」
煙草もお酒も身体にあまりよろしくないため、ミカンは一週間にひと箱。私は飲むのは金曜日だけと決めている。しかし、私は毎週酔い潰れるほど飲むので、制限している意味があまりないぞとミカンによく叱られている。
私がリビングで書類をまとめていると、煙草を吸い終えたミカンが覗き込んできた。
「なんだ、休みの日なのに仕事か?」
「うん……私仕事遅いから休みの日も進めないと」
書類に向き直り、黙々と仕事を消化していく。職場の仲間の足を引っ張らないためにも、頑張らなきゃ……と意気込んでいたのだが、私の集中力はいまいちだった。その原因は、私の隣に座りこちらをじーっと見つめてくるミカンだ。そんなに見つめられると恥ずかしい……。一体どうしたのだろうと、仕事を進めながら考えると、一つの予想が浮かび上がった。
「もしかして、構ってほしいの?」
私のその問いに耳と尻尾がぴくりと反応したのを、見逃さなかった。ミカンは「何言ってるんだ」とそっぽを向いてしまったが、尻尾がぶんぶんとはしゃいでいる。まったく、素直じゃないなぁ。
椅子を少しずらし、ミカンの座っている椅子とさらに密着すると、私はミカンにぎゅっと抱き着いた。
「エネルギー補充!」
ミカンも私を優しく抱きしめ、頭を撫でてくれる。ちらりと顔を見て見ると、優しさを帯びた切れ長の瞳と目が合い、恥ずかしくなってまたミカンの胸に顔をうずめた。
いくら換気扇の下で吸っているとはいえ、やはりミカンのジャージには煙草の匂いが染みついている。だが、不思議と嫌いではない。むしろ安心するのだ。
「煙草の匂いするだろ。苦手じゃないのか?」
「んーん、これはミカンの匂いだから、好き」
この後、めちゃくちゃ仕事が捗った。