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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

英雄協定

作者: 白銀

 豪勢な料理が並べられた円卓を、十人の影が囲み、食事を共にしていた。

「まさか、魔王と会食をすることになるとは思っていなかったよ」

 どこか呆れたように、黒髪を後ろで纏めた少女が呟いた。

 要所にのみ金属製の装甲を配し動き易さを重視した軽装の革鎧に、腰には剣を携えている。二十に届くかどうかという年齢に似合わず、彼女が纏う雰囲気は歴戦の猛者のそれと遜色がない。

 美しいとも可愛らしいとも取れる顔立ちは、釈然としないような何とも言えない表情を見せている。

「応じてくれて感謝しているよ」

 少女の向かいに座っているのは、端正な顔立ちをした銀髪の男だ。左右のこめかみからは黒い角が生え、虹彩は金、瞳孔は吸い込まれるような真紅、青白い肌に、黒いコートを身に着けている。

 彼、魔王は穏やかな笑みを浮かべ、向かい側に座る勇者たちを一瞥した。

 全身を覆うフルプレートに身の丈ほどもある肉厚の大剣を背負ったいかにも戦士といった風情の青年。複雑な輝きを宿した宝玉の埋め込まれた杖を携え幾何学紋様の装飾が施されたローブを纏う女魔術師。大きな盾と鈍器と聖書が特徴的な男の神官。弓と短剣と罠の扱いに秀でたエルフの少女。彼らが勇者の仲間たちだ。

 そして、それに相対するように魔王の左右にも四人の配下が座っている。

 大柄で筋肉質な体躯、溶岩のような肌と持ち燃え盛る炎のような鮮やかな赤い髪が特徴的な焔魔将アガレス。水色の肌に翡翠の髪、すらっと伸びた手足に豊満な胸と、妖艶な雰囲気を漂わせる氷魔将アスタロト。狼や狐に似た頭に、毛並みに覆われた体ながらローブを纏い知性を感じさせる獣人の風魔将フォカロル。甲虫を人型にしたような、外骨格に覆われた異形のシルエットを持つ地魔将ダンタリオン。

 魔王軍の最高幹部であり、四天王と呼ばれ人類に恐れられていたのが彼らだ。

「で、これはどういう意図なの?」

 女魔術師は料理をつつきながら、不審そうに問う。

「お気に召さなかったかな?」

「いや、確かに美味しいけどさぁ……」

 僅かに苦笑する魔王に、エルフの少女が口を尖らせる。

 魔族といえど、口にする食材は人類たちとそう変わりはない。多少、味付けの差はあれど、人類たちでいうところの地方の差と大して違いはないだろう。

 彼女たちが困惑するのも当然ではある。

 人間を筆頭に、彼らに友好的なエルフなどの亜人種を含む人類と、人型ではあるが人間とは異なる身体的特徴を数多く有する魔族は真っ二つに別れて全面戦争をしている。

 繁栄を謳歌していた人類たちに対し、突如として魔王率いる魔族軍が侵攻を開始したのが始まりとされるこの戦争は、一時は人類を滅亡寸前にまで追いやった。その状況をひっくり返したのが、彼女たち勇者の一行だ。

 勇者たちは進撃を続ける魔王軍を尽く打ち破り、ついには人類の劣勢を跳ね除けて魔王城にまで辿り着いた。

 そこで待っていたのは戦争の決着をつけるための死闘ではなく、豪勢な料理と会食の誘いだったのだ。

 進攻を阻むような魔族の出迎えもなければ、侵入者を排除するための罠なども一切なかった。

 普通に考えれば、勇者は魔王にとってこれまでに数多くの同胞を殺し、野望を打ち砕いてきた憎むべき宿敵である。勇者にとって魔王は倒さなければならない敵のはずだ。

「……そうだな、本題に移るとしよう」

 魔王は小さく頷いて、一同を見渡した。

 何から話そうか、そう魔王が一瞬思案した時だ。

「この会食の意図は何?」

 勇者が口を開いた。

 一番の疑問はそこだろう。魔王が勇者と楽しく会食など、今の情勢下ではできるはずがない。

 毒などが入っていないことは事前に伝えたが、勇者たちは警戒を解かなかった。それでも、一番最初に会食に応じたのはやはり勇者だった。

「最後の晩餐、とでも言うべきかもしれないな」

 魔王は肩を竦めて苦笑した。

「どの道、私の役目はお前たちがこの城に辿り着いた時点で終わっているのだよ」

「役目、だと……?」

 魔王の言葉に、神官である男が眉間に皺を寄せる。

「今回は私の順番ターンだったということだ」

 そう答える魔王の声音は落ち着いている。全てを知った上で受け入れているとでもいうかのように。そこに、まともに戦おうという意思も、どうにかしてこの場から逃れようという思いも感じられない。

「……大人しく私に殺されるとでもいうつもりか?」

 信じられないとでも言うように、勇者は問う。

「私が戦おうが、戦うまいが、結果はもう変わらんだろう」

 結果は目に見えている、と魔王は告げていた。

「勇者が魔王を倒し、それでこの戦争は終わる」

 魔王は敗れ、生き残った僅かな魔族たちは領内の奥深くに逃げ延びて身を潜めるだろう。人類は手を取り合い、これまでに受けた傷を癒すかのように再び繁栄への道を歩み始めるだろう。

「どうしてそんなことが言えるのよ? まだ戦ってもいないじゃない」

 女魔術師は不可解そうに言った。

 この場にいるのは、魔王軍の最大戦力と言っても過言ではない。魔王本人は当然のことながら、直属の配下である四天王たちもそれぞれが無類の強さを持っている。その戦闘能力は、人類としては規格外の力を備える勇者たちと、同等かそれ以上と言われている。

「無抵抗で殺されてくれるってんなら楽でいいじゃねぇか」

 戦士が吐き捨てるように呟いた。パーティの中で、彼は最も魔族を嫌っている。この戦争の中で何もかもを奪われたという過去の経験がそうさせるのだ。

「私は戦ってもいいんだけど、魔王様がそれを望んでいらっしゃらないから」

 突き放すような冷たい声で、氷魔将アスタロトがつまらなさそうに言った。彼女は四天王の中で最も人類を忌み嫌っている。彼女にも、幼い頃に酷い迫害を受け、身も心も壊れる寸前まで追い込まれたという過去がある。

「結果が変わらない……?」

 睨み合う戦士とアスタロトをよそに、勇者が眉根を寄せる。

「そうだ」

 魔王は頷いた。

「この戦争の結末は初めから決まっている。それに、私は気付いてしまったのだよ」

 気付きたくはなかった。魔王の声音にはそんな思いが滲み出ていた。

「私は魔王の一族として生まれ、時が来たら魔族を救うために戦うのだと教えられてきた」

 魔王は左手で頬杖をつき、ナイフを持った右手を見つめる。

 この戦争が始まる前、魔族は人類に迫害されていたと言って差し支えが無い状態だった。住む場所を追いやられ、僻地で細々と暮らしていたのだ。人類たちは魔族を蔑み、忌み嫌い、差別を強いてきた。

 マイノリティだった魔族を変えたのは、魔王の存在だ。

 魔王の存在が導火線となって、溜まりに溜まった感情を爆発させたと言っていい。一度火がついたら、もう止まらなかった。

 これまで迫害されてきた腹いせもあっただろう。魔族たちは人類に戦争をしかけ、暴虐の限りを尽くし始めた。

 元々、魔力や身体的能力に優れた種族だけあって、魔族ひとりひとりの力は人類よりも上だ。大義名分と鬱憤を晴らす理由を得て、箍が外れた魔族たちを止めるのは困難だ。

 立ち上がった魔族たちは魔王の下で一丸となり、人類へと反旗を翻し、いくつもの町や村を滅ぼしていく。

「最初は訳も分からずに祭り上げられ、良い気になって指揮をしていた」

 かつての自分を思い返して、魔王は小さく首を横に振った。

 魔族が迫害されず、普通に生きている世界を作りたい。若き日の魔王の理想は、憎悪や怨恨を募らせた爆弾に炸裂する機会を与えただけだった。魔王の理想を理解する者も中にはいたが、ごく僅かだった。彼らだけで、暴走し始めた軍団を止めることは不可能だった。

 勢力図は反転して月日が流れ、人類が滅びに瀕した頃に、それは始まった。

「目を覚ましてくれたのは、お前たちだったよ」

 魔王は、勇者一行に視線を向けた。

 そう、勇者の誕生である。

 人類との戦争において、魔族の敗北が一度も無かったわけではない。だが、大勢に影響はなかった。

 だが、勇者が戦いに加わってからは、それまでと明らかに状況が変わってきたのだ。

「それに気付いた時、私は自分の役割というものを知ったのだ」

 魔王は勇者を見た。

 確かに、普通の少女よりは筋肉質だ。だが、もっと大柄で逞しい女戦士はいくらでもいる。まるで神に祝福されたとでもいうかのような特異体質を持って、彼女は生まれた。体はある程度鍛えているだろうが、その強さの本質は並の魔族を遙かに凌駕する魔力の才だ。純粋な魔術師とは異質なその才能は、身体能力や感覚を何倍にも跳ね上げ、強大な魔族を真っ向から捻じ伏せることに長けていた。それでいて、並以上の魔法を扱うだけの知恵と技能を備えてもいた。

 まるで、魔族を倒すための旗頭として生まれてきたかのようだ。

「……!」

 言外に含ませたその意図に、勇者は気付いたようだった。

 目が見開かれる。

「そういう、ことか……」

 額に手を当て、勇者は呟いた。

「私も、世界を救うのはお前だって、言われて育ったよ」

 仲間たちが驚いたように勇者に注目する。

「ずっと、疑問に思ってはいたんだ」

 人々が滅びの危機に瀕した時、救世主が現れて世界を救うだろう。

 よくある言い伝えだ。

 そして、人類にも、魔族にも、同じ内容の伝説がある。言葉や、対象の違いはあれど、意味は同じだ。

「おい、どういうことだ? 疑問に思っていたって……」

 あまり考えるのが得意ではないのだろう、戦士が答えを求めて勇者に詰め寄ろうとする。

「……違和感があったんだ」

 ぽつりと、勇者が呟いた。

 俯いて、自分の手のひらに視線を落とす。

「私は勇者なんて言われて、これまで苦しむ人々を救おうと戦ってきた。だけど、いつも肝心なところには居合わせていないんだ」

 仇は討てても、救えていない。

 勇者はそう言って、苦い表情で見つめていた手を握り締めた。

 魔王の軍勢が町や村を蹂躙し、極僅かに逃げ延びた一握りの住人たちが助けを勇者に求めてくる。勇者たち一行が駆けつけた時には既にその町や村は壊滅しており、そこにいた魔王軍を倒して仇を討つとともに無念を晴らす。勇者たちの旅はそんなことの繰り返しだった。

 一度として、魔王軍が攻めて来る前に駆けつけることは出来ず、勇者たちの行動は全てが後手に回っていた。

 まともに考えてみても、先手を打つことが困難なのは火を見るより明らかだ。

 魔王軍が優勢で、人類が圧されていた状況下では、勢力図は魔族側に大きく傾いている。いくら卓越した能力を持って生まれた勇者といえど、いつどこが攻められるのかを事前に知ることは難しい。人類側にいくら抵抗する騎士団や自警団があっても、魔王軍には歯が立たなかった。そんな情勢の中で、たった五人の勇者のパーティでは全ての戦線に参加することは不可能だ。彼らパーティの仲間たちも頭一つ抜けた強さを持ってはいるが、各々が散り散りになって一人で戦線を支えるというのも到底無理な話だった。勇者の下に集い、力を合わせることで一つ一つの局面を覆していける。示し合わせていたかのようだ。

 結局、一箇所に対処している間に別の場所に攻め入られてしまえば、駆けつけた時には手遅れで、せいぜい数人の命が助けられれば良い方だ。一割にも満たない命を助けられたところで、その集落を救ったと言えるのだろうか。そんな人数では、復興されままならない。

 最初は、己の無力さを悔いていただけだった。

 だが、いつしか疑問が浮かんできた。

「私は……本当に勇者なのか?」

 誰から見ても、彼女が特別な存在であるのは明白だ。彼女が持って生まれ、これまでの人生で培ってきたあらゆるものは、誰もが持てるようなものではない。

「断言してもいい、私とお前が戦えば、どのような経過があったとしても、最終的に私は命を落とすだろう」

 勇者の問いに答えるかのように、魔王ははっきりと告げた。

 どれだけ圧倒しても、どんなに粘っても、どこまで逃げようとも、魔王は勇者と対峙した時点で既に敗北が決定する。そんな確信が魔王にはあった。たとえ勇者を追い詰めても、相打ちが関の山だと思っているのだ。

「我らは、そう言う風に生まれてきたのだろう」

 魔王の言葉に、勇者が顔をあげる。

「どういうことだよ……?」

「分からないか? 全ては仕組まれていたということだ」

 苛立つような戦士を諌めるように、それまでずっと黙って静かに食事をしていた地魔将ダンタリオンがくぐもった声で答えた。

「遙か昔より、歴史は繰り返されてきたのだよ……それが伝承となり、今また現実となっているだけの話だ」

 人類と魔族の歴史を紐解いていくと、同じような状況が起きていることに気付く。それが伝説を生んだ下地になったのだという学者はいるだろう。

 だが、魔王が気付いたのは、その繰り返される戦いの流れが同じであることだった。

 人類が繁栄すれば魔族がそれを滅ぼし、魔族が栄えれば人類がそれを打ち砕く。まるで、最初かそう仕組まれているかのように、どちらか一方が栄え続けることなく争いが繰り返されてきたのだ。

「……神の意思、とでも?」

 神官が問う。

 人類の宗教観のほとんどは、すべての人は神に祝福されているということになっている。そして、魔族とは神に見放された汚らわしく罪深い存在である。人の繁栄を妨げるかのようなことが神の意思であるはずがないとでも言いたげだ。

「そこまでは分からん」

 魔王は冷静に答えた。

 神の存在については証明のしようがない。いるとも、いないとも、断言することは不可能だろう。不毛な議論となるだけだ。

「ただ、何かしらの作為めいたものは感じている。これは仮説に過ぎないが……」

 そう前置きをしてから、魔王は語り始めた。

 世界の最大人口を仮に十とする。

 人類が栄えて人口が八を超え、魔族が追いやられて二を下回ると、魔族側に魔王が発生する。魔王は人類を減らしていき、それによって世界全体に余裕ができた分、魔族が増えて栄えていく。そうして今度は魔族が八を超え、人類が二を下回っていると、人類側に勇者が発生し、魔族を減らし始めるのだ。

 世界の総数は十を超えることなく、二つの勢力は栄え過ぎることもなく、かといって完全に滅ぼし切ることもない。

「まるで、英雄という名の見えない協定が結ばれているかのようだろう?」

 魔王の表情には諦めにも似た何かが見てとれた。

 栄え過ぎた文明は自らを滅ぼしてしまうと言われている。それを防いでいるかのようにも見える。互いの勢力を生かさず殺さず、程好いバランスを保ち、多少の誤差はあるものの一定のリズムを刻んでいる。

 暗黙の了解か、世界の総意なのか、二つの勢力は交互に繁栄と没落を繰り返していることに気付いてしまった。

「……それで、お前は何をしようとしている?」

 勇者は、魔王の目を見返した。

 その瞳はとても真っ直ぐで、彼女が勇者と呼ばれていることを実感させる。何者にも屈しない意思の強さが垣間見えた。

「ふっ……聡いな」

 思わず、魔王にも笑みがこぼれた。

 戦えば負けると確信してはいても、だからと言って何もせずに死にたいとは思っていない。呆れや諦めの表情を見せてはいても、何もかもに絶望してはいない。

 仮にも、魔王として、魔族の英雄と呼ばれる存在だ。本質的に、勇者とは同じ資質を持っている。

「この連鎖を断ち切ってみたくはないか?」

 魔王の言葉に、勇者たちが目を見開いた。

「どうやって?」

 エルフの少女が問う。

 人と魔の争いの連鎖を断つ。魔王の言葉は、つまりそういうことだ。

 だが、これまでの歴史が積み重ねてきたのは勢力の均衡という事実だけではない。互いに殺し合い、追いやり合ってきたことで、人類と魔族は相容れぬ存在となっている。敵意、憎悪、怨恨、そういったものは人々の中に深く根付いてしまっている。そう簡単に取り払うことなどできはしないだろう。

「今直ぐに仲良く、というのはさすがに無理だろうな」

 魔王は言った。

 理屈ではなく、感情や本能的に相手を敵と認識してしまっている。それが、繰り返される争いにとって都合が良いからと、計算されていたことなのかまでは分からないが。

 ただ、魔王の至った結論や考えを種族問わず全ての人に伝えたとしても、直ぐに和解などできはしないだろう。家族を殺された者、故郷を奪われた者、人としての尊厳を踏み躙られた者、多くの者が癒えることのない傷を負っている。たとえそれを負わせた者と同一人物ではなくとも、その同胞たちを受け入れるというのは生易しいものではないはずだ。

「ならどうするの? そこまで言うからには案はあるんでしょうね?」

 魔術師の疑問に、魔王は頷いて見せた。

「我々が世界全ての新たな敵になる」

 その言葉を告げる魔王は、真剣なものだった。

 概要はこうだ。

 魔王と四天王、勇者とそのパーティは相打ちとなり、死んだことにする。そうして今起きている戦争をひとまず終わらせる。

 続いて、頃合を見て魔王と勇者たちはその正体を隠し世界の敵として、人類、魔族問わずに攻撃を始める。どれだけの時間がかかるかは分からないが、いずれは同じ敵を持つ者同士、人類と魔族が共闘するようになるだろう。そうでもしなければ双方が滅びると思うほどに一切の容赦なく追い詰めていく。

 そうして、過去の遺恨も受け入れられるようになった段階で、世界の敵は敗北し、滅び去ればいい。可能ならば、これまでの人類と魔族の禍根さえもその身に引き受けて。

「……人と魔族の戦いが、生み出した敵ってことにするわけか」

 魔術師の言葉に、魔王は頷いた。

 理由はどんなものでもいい。人類と魔族の負の感情が生み出した敵でもいいし、逆に人類と魔族を長年争うように仕向けていた黒幕のようなものにしてもいい。重要なのは、人類と魔族が協力しない限り、打ち滅ぼせない存在だと思わせることだ。

「もし、その後も人類と魔族の争いになったら?」

「さすがに、そこまでは責任が持てんな」

 戦士の指摘に、魔王は苦笑した。

 そうはならないという確信を得てから退場する必要はあるだろう。だが、長い年月が経つ間に再び元の形に戻ってしまうことが絶対に無いとは言い切れないのもまた事実だ。

 人類と魔族が互いに手を取り合って生きていける世界になるまでどれだけの月日がかかるのか、そしてそれがいつまで続くのか、見通しまでは立たない。

「……当然ながら、言うほど容易いことではないぞ?」

 魔王の言葉に、勇者は思案するように目を伏せた。

 これまで守ろうとしてきた全てに牙を剥かなければならない。救うと誓った者たちを幾度と無く窮地に追い込み、傷付けなければならない。成功するとは限らず、途方も無い時間をかけなければならない計画でもある。恐らく、今の魔王と勇者が生きている間には成し得ないだろう。

 次の世代に繋げていく必要がある。子孫たちにも、世界の敵であることを強いなければならない。理解させ、納得させ、そしてこの意思を継いで行かせなければならない。最後には滅び去るという運命も背負わせることになる。

「この提案に乗るかは、各自の判断に任せる。気に食わないというのであれば、これまで通りに振舞ってくれて構わない」

 魔王は言った。

 既に、四天王たちには話をしてある。結論は勇者たちが来る時まで待てとだけ指示をして。

 この場にいる全ての者に対して、魔王は提案をしていた。

 計画に乗るというのであれば、理想のために果ての無い修羅の道へと踏み出すことになる。

 だが、それを良しとしなくてもいい。計画通りに事が運ぶとは限らない。どんなイレギュラーが起こるか分からない。軌道修正が不可能な事態に直面する可能性もある。最終目標に届く前に、志半ばで敗北を喫してしまう事だって十分に有り得るのだ。

 どれだけ崇高な理想であったとしても、リスクの方が目立つ計画であることは魔王自身も自覚している。

 だから、魔族であろうと、勇者のパーティであろうと、この提案は断っても良い。

 この計画に乗る者だけを新たな味方として、今、この場から動き出す。それを良しとしない者がいるならば、この場で戦うだけだ。その結果、魔王が敗北しても構わない。

 ここで途絶えてしまうような理想なら、初めから叶うものではなかったというだけのことだ。

 同時に、たとえ今まで仲間だった者がこの場で敵となったとしても、揺るがずに戦えるだけの鋼のような覚悟が要る。

「……本当に、全ての人が手を取り合える未来が訪れると思うか?」

「私はそんな未来を作り出したいと思っている」

 勇者の問いに、魔王は答えた。

 まるで世界の意思とでもいうかのような、均衡を保とうとする安全装置のような決められた役割から逸脱し、手探りで新たな可能性を求める。永遠に繰り返される繁栄と悲劇の連鎖を断ち切り、定められたものとは違う未来を作り出す。

 壮大で遠大で、途方も無い計画に、どれだけの者が理解を示してくれるだろうか。

「……魔王、お前に兄弟はいるのか?」

「妹が一人」

「私にも、弟がいる」

 その質問の意図は、直ぐに分かった。

「やはりな……良くできているとは思わないか?」

 魔王は、皮肉っぽく笑った。

 そう、英雄の血筋には今、予備がある。現行の勇者、あるいは魔王が死を迎えても、その血筋は途絶えない。勇者や魔王として立てるだけの力を持った者はそうそう生まれることはない。魔王の妹も、勇者の弟も、多少才能に恵まれている程度だ。英雄と呼ぶには何もかもが足りていない。

 だが、また必要な時が来れば、英雄と呼ばれるだけの才覚を持った者が生まれてくる。勇者と魔王、それぞれの血筋から生まれるとは限らないのだろうが、途絶えてなければ最も可能性が高いのはそこだ。

 まるで、反乱にも似たこの計画を見透かされているかのようでもある。

 もしかしたら、魔王と勇者が手を組んで計画を実行に移した時、世界の流れをかつてのように戻すための存在として立ちはだかるかもしれない。

「それでも、だ」

 この時代に生まれた二人の英雄が手を組んでいるとしたら、それを打ち倒すのもまた、二人の英雄ということになるのではないだろうか。とはいえ、一人で魔王と勇者を葬ってしまうような化け物じみた存在が発生しないとも限らないのだが。

「……あいつの子供でも産む気か?」

 低い声で、戦士が勇者に尋ねる。

 次の世代に繋ぐとは、そういうことだ。賛同した者の中で、つがいになって子を生さねばならない。

 仕組まれていたことだとしても、魔王が魔族を率いて人々を苦しめた存在であることに違いはない。苦しむ人々を見て、救いたいと思い立ち上がった感情も、偽りのものだとは思えない。

 個人的な感情も、過去も、未来も、思想も、個としての幸せまでも、何もかもを捨てて、本当に訪れるかも不明瞭で曖昧な理想の未来のために苦行とも言える道を歩む。

 そんなことに果たして耐えられるのだろうか。途中で嫌気が差してしまうとも限らないのに。裏切られる可能性だってある。

 疑い出せばきりがない。

 だが、それでも、そうまでする価値があるのだろうか。

「いや、違う」

 勇者は小さく呟いた。

「そうでもしなければ、もう手を取り合えないんだ……」

 長い年月をかけて積み重ねられた両者の遺恨は、それに見合うだけの対価が無ければ受け入れることはできない。このまま、同じことを繰り返していては、終わることのない争いが周期的にずっと続いていくだけだ。

 変えようと思ったのなら、断ち切ろうと思うのであればこそ、些細な事象では駄目なのだ。直ぐに押し流されてしまうような、誰も傷つけることのない小さな力では変えることができない。大きな痛みを伴うようなものでなければ、呑み込まれてしまう。

 もしかしたら、人類対魔族という図式が、世界の全て対その敵、という形に変わるだけかもしれない。手を取り合った人類と魔族が、同じように手を組んだ人類と魔族の敵対勢力と争い続けるという形に置き換わるだけかもしれない。

 だが、少なくとも人類と魔族という種族による争いが終わる結果にはなる。

「俺は御免だね、そんな不確かな先のことなんかより、目の前のことの方が大事だ」

「気が合うわね……私も同じ意見だわ」

 真っ先に答えを出したのは、戦士とアスタロトだった。

 自分が死んだ後のことなど、どうでもいい。

 相手への憎悪の象徴とでも言うべき二人には、互いの未来を思うこの提案は受け容れ難い。その感情を押し殺すことができないのならば、ついてきてもいずれは限界がくる。今、この場で辞退する方が賢明だと言えた。

「私も同意し兼ねます」

 続いて異議を唱えたのは、神官だった。

 神に仕える彼では、宗教的な観点からも提案には乗れないということだろう。

「他の者は、賛同と見ていいのかな?」

 魔王は一同を見渡した。

「俺は強い奴と戦えるなら何でもいい」

 アガレスが言った。普段は口数の少ない寡黙で落ち着いた印象を与える彼だが、その実、戦闘狂の節がある。ただひたすら己の力の強さだけを求め、激しい戦場を好む。魔王軍に属する限り、同胞とは戦えない。世界の敵となることでそんな者たちとも戦うことができるようになる。それは彼にとっては好ましいものなのかもしれない。

「我が身は魔王様のためにある。是非もなし」

 フォカロルは忠誠心に厚い。彼は魔族のためというよりは、魔王個人に仕えていると言って良い。身寄りもなく、生きる目的さえ無かった彼は魔王と出会うことによって変わったのだった。恩義を感じているというのもあるが、魔王の人柄や思想に心底惚れ込んでいる。決して、彼の自我がないというわけではない。共に歩み、力になり、その視線の先に映るものを見たいと思っているのだ。

「私は変わり映えのしない歴史に興味は持てぬ」

 ダンタリオンはその外見に反して、学者気質だ。魔王が過去の歴史を調べる際にも、彼の知識や情報網が大きな助けとなった。同じような歴史が繰り返されてきたことに、彼は憤りを感じている。故に、彼は魔王の計画に真っ先に興味を示し、食いついてきた。誰にも知られることのないであろう、歴史の流れを変えるという偉業を、いつか日の目を浴びるかもしれない時のために自身が記録したいとさえ考えている。

「私は、乗るよ、その話」

 エルフの少女は、意を決したように言った。

 戦士と神官は驚いたように、エルフを見つめた。

「分かるんだ……エルフって、閉鎖的なところがあるし、ダークエルフとかも、いるから」

 人類の中でも、一際長命な種族であるためか、他種族を見下しがちで閉鎖的な面がある。種族全体として、あまり他者とは積極的に関わろうとはしない。それでも、人類の側に立っているのは、ダークエルフという種族の存在も一因だ。外見上のエルフとの違いは、主に肌の色だけだ。根本的な価値観をどこで違えたのかは分からないが、ダークエルフは魔族側に属する存在だった。

 彼女は、エルフの中でも珍しく、ダークエルフについてあれこれ考えを巡らせていたのだろう。元は同じ種族だったのではないか。元々反存在のように発生した種族とは考えられないか。

 魔王の推論や提案は、彼女も思うところがあったのだ。

「そうね……面白そう、なんて言ったら不謹慎かしらね?」

 魔術師も興味を持ったようだった。

「ただ……あたしは勇者についていくわ」

 少々変わった性格をしている彼女にとって、人類だ魔族だという境は元々どうでもいいことのようだ。魔法使いとして優れた才能を持つ彼女は、時として魔族にも似た扱いを受けたことがある。それでも性格が捻くれなかったのは、彼女自身が関心のあるもの以外には無頓着だったからなのかもしれない。

 彼女もまた、人類という括りではなく、勇者の仲間であることを重視しているのだろう。

「……」

 皆の視線が勇者に集まる。

 俯いていた勇者の顔がゆっくりと持ち上がる。同時に、その手が腰の剣へと伸びる。あまりにも自然な動きであったが故に、それに気付いたのは真正面にいる魔王だけだった。

 だから、魔王も動いた。

「ありがとう……そして、ごめんなさい」

 剣が閃く。

 勇者と魔王を除き、誰もが息を呑んだ。

 戦士と神官の首が宙を舞っていた。

 同時に、アスタロトとアガレスの胸が貫かれ、引き抜かれた心臓を魔王が握り潰していた。

 食卓に鮮やかな赤が撒き散らされる。僅かに残っていた料理が血に塗れる。

 勇者と魔王の視線が重なり合う。

「また同じことが繰り返されるだけだというなら、今、この世界を私が救っても意味がない」

「そうだ、根本から変えなければならない」

 種としては存在が続いていく。人類も、魔族も、滅びることがない。決められた役割に従って自らの勢力を救っても、次はもう一方の勢力が救われる番が来るだけだ。

 今というのは大事なことだ。決して、疎かにして良いものだとは思わない。

 だが、後に待ち受ける滅びも、更にその後に巡り来る救いも、定められたことだというのなら、今という一瞬のためだけに戦うのは酷く滑稽な話ではないのか。これまでの戦いや、ここに至るまでの全ての感情に意味があったと言えるのだろうか。傷ついた者たちの感情に偽りはない。だが、それを糧として、一つの戦う理由として進んできた勇者や魔王は、いくらそれが自ら考えて歩み出したのだ思っていても、そういう風に進むことが決められて生み出された存在だったのだとしたら。

 あまりにも、滑稽ではないか。

 自覚もなく、それが自分の意思だと信じて、決められた結末を自らの手で切り開いた結果だと思い込んでいたのだから。人々が救われるのも、その順番である時代に一方の勢力だけで、天秤のようにバランスが反対側に傾けば立場が逆になる。それの繰り返しを英雄による救済だと言えるのか。

 あまりにも突然のことに、魔術師とエルフが息を呑む。

「私怨で動く者に、この役割は果たせない」

 魔王が静かに呟いた。

 アスタロトと戦士の体が椅子から転げ落ちた。

「志の無いものでも、駄目なのだ」

 アガレスが崩れ落ちる。

「……この場でのことを知られるわけにはいかない。それに、きっとあなたたちこそが、総意なのだと思うから」

 勇者がぽつりと言った。

 頭を失った神官の体が力なくくず折れる。

 かつての仲間をその手にかける。何も感じていないはずがない。できることならば、こんなことはしたくない。胸が張り裂けるような、不快感、後悔、そんなものを、二人は押し殺し、表には決して出さずに噛み締め、呑み込んでいた。そうやって、世界の総意は英雄という名のバランサーの中に入り込んでいくのだろう。

 この世界を根本から変えるためには、そこまでしなければならない。知ってしまった、気付いてしまった、そう確信してしまったからには、課せられた役割を果たすだけの自分の人生に疑問を抱いてしまったからには、もう元には戻れない。

 戯言だと一蹴しても、頭の片隅からずっと離れはしないだろう。

「英雄という見えない協定が世界のバランスを保っていると言っていたな」

 勇者は刃に付いた血を払い、鞘に収めながら言った。

「それは違うぞ、魔王」

 立ち上がり、手を拭った魔王の前に立つ。

「今、この瞬間にこそ、協定が結ばれるんだ」

 強い意志の輝きに満ちた勇者の瞳が、魔族の英雄を映す。

 魔王は笑みを浮かべ、目の前に立つ人類の英雄に告げた。

「そうだ、それこそが――」

 やがて、世界はかつてない狂乱に見舞われた。

 先の見えない暗闇の中にいるかのような時代が訪れ、果てしない年月を重ねて、世界は少しずつ変わっていくこととなる。

 その始まりを、彼らは英雄協定と呼んでいた。

2015年10月頃に書いた作品です。

当時流行が過ぎようとしていた魔王と勇者モノを自分でもやってみるかと思い付きと勢いで書いた短編作品です。

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