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リトル・スターマイン

作者: モグラ

 赤、青、黄色。鮮やかな光の残滓が、空に無数の軌跡を描く。遅れる破裂音。方々から上がる賑やかな歓声。スターマイン。それは、夏の夜を盛り上げる花の茎。


「本日、最後となりますスターマインは……」


 伸びのある凛としたアナウンスが響き、最後の刻が迫っていることを告げた。

 打ち上げられた閃光弾が、濃紫の空に花を灼く。


「綺麗だね」


 君が笑った。



 昨晩は雨だった。約束の時間は十八時。駅前に集合する約束が、僕にはあった。


「おーい、菊池!」


 駅構内に居た菊池が、僕を見つけて傘を振る。側を過ぎた通行人が、迷惑そうに顔をしかめているのが目に入り、僕は小走りになった。


「バカ。それ振ったら危ないよ」

「ん、ああ。大丈夫だよ、誰かに当てたりしねえからさ」


 そういう問題じゃないんだ。何度繰り返したか分からない忠告を、変わらず今日も、彼へとかける。竹内には、精神的な成長というものが何時まで経っても見られなかった。それなのに、気が付くと、僕は何故かこいつとつるんでいる。理由は僕にも分からない。


「じゃあ、行くか」


 今日は二人で外食をする約束だった。ディナーと言えば、少しは聞こえが良いかもしれない。けれど、幾ら取り繕ったところで、野郎二人飯という事実は変わらない。そんな華々しいもんじゃあないのだ。


「お前ってさ、ラーメン好きだっけ?」


 二人で駅構内を進む最中、竹内は僕に訪ねた。


「頻繁に食べるわけじゃないけど、嫌いじゃないよ」

「そ。なら良かったわ」


 店は駅の南口にあった。新潟県内で展開しているラーメン店で、竹内が通い詰めている店だった。週に三日以上はその店に立ち寄っているらしい。明らかな不摂生だというのに、彼は比較的スタイルが良い。きっと、部活でテニスをしている功名だろう。


「味噌ラーメンで良いよな?」


 券売機の前で彼は振り向く。


「ああ」


 一昨日、竹内が僕を誘ってきた時も、熱心に味噌ラーメンの味について語っていた。彼のオススメなのだ。それを断るのも申し訳ないし、勝手も知らなかったから、彼の提案に乗っておくことにした。


「俺は特盛にするけど、お前は?」

「食い切れる自信が無いから、いいよ」


 店内は比較的混みあっていたが、僕たちは、偶然空いた対面席に、幸運にも滑り込めた。


「ラッキー。全然待たなかったな」

「いつもは待つの?」

「そ。五分くらいね」


 彼はおしぼりの封を破る。手を拭きながら、店内をぐるりと見回していた。

 カウンターには、背広を椅子に掛けた白シャツの中年男性、上下ジャージ姿の青年、家の近所の高校の制服も並んでいた。


「土曜も学校なんて、あいつら気の毒だよなあ」


 竹内はカウンターを指さして嗤う。


「よしておけって」


 制服の肩パッドが、もぞりと動いた気がした。

 店内は、鼻腔を刺激するスープの匂いで満たされていた。


「はあ、この匂い、たまんねえんだよな。俺さ、今日昼飯抜いてっから、今マジでヤバいんだよね」

「形容詞の暴力だね」


 おいしそうな匂いに対し、僕の心境は彼と対立していた。服に匂いが移らないかが心配だったのだ。麺を待つまでの高揚感よりも、後先の細事から来る不安感に、僕は支配され始めていた。


「ところで、最近どうよ?」


 竹内は呑気にしていた。今更気にしても、後の祭りだ。ならば、気にしない努力をすることにした。


「どうって、何が?」

「そりゃお前、コレだよ、コレ」


 竹内は小指を立てて意味深に揺らす。生憎、僕に彼女はいなかった。


「僕はお独り様だよ」

「気になってる娘くらい教えろよ」

「嫌だよ」

「お、なら居るんだな!」


 手口が巧妙だ。言い換えるなら卑怯。にやにやと僕を眺める竹内の目は、ラーメンへのフラストレーションもあってか、大分気色が悪かった。


「その目やめてくれない?」

「誰か教えてくれたら、止めても良いぜ」


 食い下がるな。少し睨んでみたが、効果がなかった。彼は、その名前が出るまで、永遠に問答を続けるつもりだろう。僕は途方に暮れていた。

 救いの天使は、随分と低い声をしていた。


「味噌ラーメン特盛です」


 大柄な男性店員の慣れた手つきが、僕たちの前に、瞬く間に二杯のラーメンを出現させた。


「ごゆっくりどうぞ」


 去って行く背中。ロゴ入りのシャツは、汗に濡れて染みを作っていた。


「おっしゃ、いただきます!」


 小気味いい音と共に、割り箸が二つに割れる。竹内は、犬のように目の前の一杯に飛びついた。


「いただきます」


 僕も彼に倣う。割り箸は片方に寄って、不格好に割れた。少し悔しかった。


「旨いだろ?」


 まだ一口目をつけていない僕へ、竹内は満面の笑みで話しかける。僕はその輝きをスルーして、スープの内へと箸を潜らせた。


 黒のレンゲでスープを、その上に持ち上げた麺をゆっくりと落とす。二つを口許へ運び、一口に放り込む。程よい味噌の塩味と甘みが口一杯に広がった。太めの麺が、ピリ辛のスープと良く絡み、芳しい香りが口腔奥から鼻へと突き抜けてゆく。確かに。


「おいしいね」

「だろ」


 彼は自分のことのように喜んでいた。半分は正しいようで、半分は間違っているようで、なんだか可笑しかった。


 辛味噌の溶けたスープは、地獄の釜のような色合いをしていた。透明感なんて言葉はどこにもないような濃い厚い味の色。その水面が黙々と湯気を立てている間は、平穏だった。


 向かいのラーメン莫迦は、ひたすらに旨そうに麺を啜る。僕もそれに習って箸を進める。コップの水滴が落ち、スープに波紋を広げた。汗が流れる。二人の間に交わされたのは、あたりさわりのない、どうだっていい言葉だけだった。


「ふう……ごちそうさん」


 律儀に手を合わせて挨拶をする竹内。こういう所が憎めなかった。

 僕はというと、まだ三分の一は残っていて、腹は既に八分目に近づいていた。一向に減らない麺の量に、特盛を選んだ自信を呪う。値段で損をしたという感情ではなかった。ただ、食べきれないのは申し訳ないのだ。かといって、無理して食べるでは、金を払って外食をすることに、本末転倒を引き起こしかねない気がして、だから癪だった。


「で、キクチクン」


 妙なトーンだ。勿論、嫌なトーンだ。


「なんだよ」

「素っ気ねえなあ。さっきの続きに決まってんジャン?」


 ウインクを決めた彼の顔が、無性に腹立たしく見えた。


「続きも何もねえよ」


 質問を掻き消すように、大きな音を立てて麺を啜る。行儀が悪いかな、なんて罪悪感が頭を奔った。その瞬間に咽込んだ。


 彼が滑稽そうに笑っている。癪だ。


 氷水を喉奥へ流し込んだ。やけ酒をする大人に似ていたと思う。気分は自棄だ。執拗に聞いてくるこの男は、誰かの名前を出すまで本当に止めないだろう。本命の名前をだすのは気恥ずかしい。けど、適当に名を挙げるのは気が引けた。


「逃がさないぜ」


 男に掛ける言葉じゃないと思う。けれど、目の奥の炎は本気だった。


 うんざりする。仕方ない。


「鳥羽さんだよ。鳥羽、静さん」


 簡潔に言い切って、最後の麺を啜った。もう、何一つとして教えてやるもんか。

 辛味噌のスープが成す業か、衰えた湯気や店内の熱気が成す業か、僕の顔はやけに熱かった。鏡があれば、茹蛸のような己の姿が見られただろう。尚、理由はきっと、両者ではない。


「鳥羽さん……ねえ」


 囃し立てるでもなく、竹内は顎に手を当てていた。


「もう、帰ろうよ」


 僕は荷物を担いで立ち上がる。神妙な態度は、また別の感情を煽るので嫌だった。なんにしたって、意中の人を伝えた相手がとる行動なんぞ、嫌に決まっているのだ。


「ああ、うん」


 気の抜けた返事をして、竹内も席を立った。


「あいつ、明後日、浅間と花火行くって。確か、さ」


 店を出てすぐ、竹内は、まるで独り言のように呟いた。

 それきり、だ。僕が覚えている、彼の言葉は。



 帰り路。吹き付ける夜風が、熱を帯びた頭を冷やしてくれる。


 竹内は、明後日、彼女が浅間とデートするのだ、という趣旨のことを言っていた。


 混乱した。


 明日、彼女は僕と花火を見る。次の日は用事があるから、前座の方なら一緒に行ける、と。彼女は確かにそういったのだ。


「静さん……」


 彼女の微笑みがぬらりと浮かんだ。まるでそれは、なにもかもが虚構であると言わんばかりに。


「用事って、なんなのさ」


 一番がいるなら、僕はなんなのだ。キープ。現状を都合よく表す言葉の存在は、得てして僕には苦痛だった。


「僕は、なんなのさ」


 ネオンの痛い夜の街に、はたして嘆きは響かない。



「ねえ、どう……かな?」

「似合ってると思うよ。とても」


 花柄の、白い浴衣を羽織った彼女。染めたことなんて一度もないだろう、深く確かな黒髪が、夏の夕方を駆ける風になびいていた。


確かに良く似合っていた。それはそれは美しい姿で、目も心も奪われる程だった。

その心があるならば。今の僕は、空っぽだった。どうにも空虚だったから。

それを悟らせまいと笑顔を作った。きっと、ひどく歪だったろう。


彼女の顔が、僅か、翳った気がした。


「行こう。菊池くん」


 そうして河原に座り込み、二人で暮の空を見上げていた。

 空に光を描く無数のスターマイン。音楽に合わせて打ち出されるそれは、ある人には享楽で、ある人には芸術なのだ。


 僕には、救いだった。時間が早く過ぎるように感じたから。息苦しさを、持ち去ってくれるように思えたから。


「綺麗だね」


 まるで、最後通告のように、彼女は呟いた。



 好きなんだ、君のことが。

 明日の事を、どうして教えてくれなかったんだい?

 君はどう思っているの?

 ねえ、教えてよ。静さん。


 君の方がずっと綺麗なのに、なのに、なのに。息苦しくて、切なくて、寂しくて、僕は夜空の華に逃げてしまいそうなんだ。



 小さなスターマインは、喉元で弾けて、彼女にまでは届かなかった。


「綺麗だ」



 残響。

ポプラ社のヤツに出したいな、と、自分なりに頑張ってみたものの、無理でした……

これはその、足掻き跡みたいなものです


読んでくださり、ありがとうございました


何よりの供養です

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