第7話 手違い
「月島さん。あなた」
和花さんは眉間に皺を寄せていたので、僕は慌てて首を振った。
「すいません、変なこと聞いて。気にしないでください」
素直に謝り、僕はもらった名刺をテーブルに置く。しかし、和花さんの訝しげな表情は、変わらないままだ。相変わらず、凄い目力だな。
「心理学に興味があるの? あなた大学生だったっけ?」
「ええ。一応、大学では心理学科を」
「へぇ。君、いくつ?」
「21歳です」
「あら。柚と同級生じゃない」
そう言って、和花さんは柚の方を見る。
「ええ! 同い年。なんだ、もっと若いと思ったよ」
対して柚さんは、目を丸くして驚いたような顔をする。
いや、それはこっちのセリフだよ。君、20歳過ぎてたのね。小さいし、童顔だから高校生くらいかと思ったよ。とは、言わない方がいいだろう。
「じゃあ、これからもよろしく。私のことは柚ちゃんって呼んでいいから。ね、歩君」
と、柚は人懐っこく笑う。
「うん。よろしく」
と、僕も頷くが、なにがよろしくなのか、さっぱりわからん。面倒臭いから一応、その場は話しを合わせておくが。
「ごめんなさいね、話しが脱線してしまって。でも、あなたも将来、カウンセラーを志す者なんでしょ。私達みたいなやり方に、賛同するタイプなのね」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味よ。同じ業界では、私達あまり好かれてないのよ。やり方が特殊だしね」
言葉の意図が読めず、僕の頭にはクエスチョンマークが付く。日本語なのに、なに言っているかさっぱりわからない。
「というか僕、なんでここに呼ばれたんですか?」
ここが確認をとるいいタイミングだと思い、僕は和花さんに事の真相を尋ねる。
が、その質問、相当マズイものだったらしい。僕が聞いた途端、和花さんと柚ちゃんの動きが止まった。
最初に動き出したのは柚ちゃんの方。焦ったような様子で、和花さんに視線を移す。
「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん、どういうこと?」
「し、知らないわよ!」
そして、二人は急に揉めだした。柚ちゃんが、和花さんの肩を揺らしており、目を瞬かせながら、和花さんがされるままになっている。
なんだか不思議な光景だな、と思いながら、僕はぼんやり二人を見ていた。きっと、想定外のことが起きたのだろう。まあ、そんなことだろうと思ったけど。
「だって、あなた、私にコンタクトとってきたじゃない!」
冷静沈着だった和花さんが、狼狽えた様子で僕を問い詰めてくる。
コンタクトをとった。なんのことだ?
「僕、なにかしましたっけ?」
身に覚えがないので、僕は反対に聞き返す。すると和花さんは、嘘でしょ、みたいな顔で頭を抱える。
「私達のカウンセリングを受けるには、手段があるのよ」
僕を一瞥しながら、和花さんは口を開いた。
「手段って?」
当然、僕はまた聞き返す。
和花さんは一瞬、話していいものか、顎に指をあて、考え込むような仕草をみせたが、しばらくして顔をあげた。
「うちの店でカツ丼を単品で注文する。そして、会計の時、一万円札で支払いして『お釣りありますか?』って聞くの。それがお助けマンにコンタクトする手段」
「はっ?」
それだけで、コンタクト出来てしまうのか。それ、僕じゃなくても、知らずにコンタクトしてしまう人、いるんじゃないか。
思ったことが顔に出てしまったのか、和花さんは眉の辺りに嫌な線を刻みつつ、すぐに補足を加えた。
「うちは、蕎麦が看板メニューなのよ。うちの店に初めて来る人や、ネット情報を見て来る食通な人も多い。だから、必ず蕎麦を注文する。なにも知らず、こんなど田舎に来て、セットならまだしも、カツ丼を単品で注文する変わり者はいない」
「そんな、ここのカツ丼は美味かったですよ。またここに来たら、僕はカツ丼をまた注文すると思う。毎日でも作って欲しいと思ったくらいだ」
それは違うと思い、僕は強い口調で反論する。途端、場の空気が急に静かになった。そして、何故か和花さんは俯いて顔を真っ赤にさせている。
えっ、和花さん。なんで顔赤くなってるの?
「歩君。その発言さ、お姉ちゃんに、俺のために毎日、味噌汁作ってくれないか。みたいな感じになってるよ」
いや、そういうつもりで言ったわけじゃない。和花さんみたいな美人で、料理上手な人と結婚できたら、大万歳だけど。でも、逆に息が詰まって大変か。
母さんも言ってたな。美人と結婚すると苦労するわよ、お父さんみたいにねって。全くどの顔が言ってるんだか。
しばらくすると、和花さんはわざとらしく、大きく咳き込んだ。
「とにかく、仮にカツ丼を単品で注文したとしても、会計時に『お釣りありますか?』なんて、普通聞くかしら? 普通は黙って一万円札出すわよね」
「いや、だって、僕の前、拓が一万円で、支払いしてたから。お釣りあるかなって。一応、確認したんですよ」
そんなの普通だ。確かにいちいち聞かないかもしれないが、聞いても別におかしいことではない。
「で、でも、百歩譲ってそうだとしてもよ。いきなり、名前と電話番号を書けって言われたら、変だと思わないの? なにより昨日、電話で呼び出された時に普通、不審に思って用件を聞かないかしら?」
責めるような勢いのある口調で、和花さんは僕を責め続ける。そのことに関しては、ごもっともなので、反論できない。ただ、一つ言い訳するとしたら、
「あなたが電話で、人の命に関わるって言うから」
と、僕は答えた。途端、姉さんの記憶が蘇ってくる。
頭の中が真っ白になり、僕はまるで、なにかが崩壊していく感覚が覚えた。
「モタモタしたら、あの時みたいに姉さんを見殺しにしてしまう。そうなるのが、恐かったんです。いや、もう死んでしまったから、違うことくらい普通わかるんですけど」
でも、あの時は恐怖心が蘇ってしまった。一刻の猶予もない選択に感じてしまったんだ。
ていうか、僕はなにを話しているんだ。ほぼ、初対面にあたる赤の他人を相手に、こんな告白しても仕方ないことだ。
少しずつ、平静を取り戻した僕は、急に恥ずかしくなった。参ったな。どう、この場面を切り抜けようか。
「なんてね。今の作り話しですよ。どうです、騙されました?」
冗談でしたというオチで誤魔化そうとしたが、こちらを直視していた和花さんは、僕に向けて指を差す。
「嘘ばっかり。涙零れているわよ」
不意に和花さんは、僕の顔向け指差す。その指摘に僕は、とっさに目元に指を当てる。しかし、涙なんて零れていなかった。
「嘘よ」
静かな声で和花さんは言う。嘘をついたことに対し、罪悪感ゼロといった顔だ。
「でも、あなたも嘘ついたでしょ。今の作り話なんかじゃないよね? あなた一見すると、穏やで、ほんわかとしてるけど、実際は相当な爆弾抱えてるわね」
和花さんに痛いところを指摘され、僕は目を逸らした。
その後、長い沈黙が流れた。こういう時こそ、明るい柚ちゃんが、なにか発言の一つや二つ言ってくれれば、場が和み助かるのだが、柚ちゃんも複雑な視線を僕と和花さん交互に向けている。
「そもそも、なんで、そんな面倒臭いことしてるんですか? 堂々と営業すればいいじゃないですか」
結局、先に口を開いたのは僕の方。話題を逸らす為、こっちから別の質問を投げかけた。
が、その質問は禁句だったのか、和花さん、柚ちゃんの目が急に泳ぎだし、二人はこそこそと相談し始めた。
仕事の質問するたびに、この二人は挙動不審になるんだな。別に答えたくなきゃ、企業秘密よ、って言えばいいのに。そして、僕を早く追い出してくれ。