第6話 柊家への訪問
約束の火曜日。
当日、緊張からか、8時に目覚ましを付けたはずが、7時に目を覚ました。二度寝する気にもなれなかったので、僕は近くに置いてあった読みかけの小説を読み、時間を潰した。
8時の目覚ましが鳴ったのを確認してから立ち上がり、部屋から出て階段を降りる。
台所には母さんがいた。扉の開くと同時に振り返り、少し驚いた顔をしている。
「おはよう。あれ、今日、学校休みって行ってなかったっけ?」
「急遽、出席しなきゃいけない授業が入ったんだ。大事な実習授業だよ」
ちょっと、含みを込めて言うが、母さんは「ふーん」と、作業の手を止めず、空返事する。どうやら、息子の学校生活の実態など、興味ないようだ。ちょっと虚しい気持ちになる。
父さんは昨日から出張で今日は不在。テレビは点いているが、居間には誰もいない。
僕は朝ご飯を食べ、着替えを済ませる。しばらく、テレビを観ていたが、時間が9時になったところで、立ち上がった。
ちょっと早いが、そろそろ出るか。
玄関で靴を履いていると、母さんが「ちょっと!」と声をかけてきた。振り返ると、母さんは品定めするような目で、僕の服装を上から下まで観察する。
「いつもより、お洒落じゃない。なに、あんた、学校なんて言いながら、本当はデートなんじゃないの?」
問いただす尖った声とは裏腹に、顔は完全にニヤけていた。先程は興味ゼロだったのに、凄い変わりそうだな。
「違うよ。実習授業の先生が美人でさ。いや、自分では気が付かなかったけど、そっか。無意識に気合入っちゃってたかなぁ」
僕は嘘を含めながら、ヘラヘラとして答えると、ニヤけていた母さんの顔が急に真顔に戻る。
「なんだ、つまんない」
「なんだよ。つまんないって」
話しを勝手に盛り上げて、いきなり冷めた顔されても困る。
「どうでもいいけど、あんた。そろそろ彼女作りなさいよ。そして、母さんに早く紹介しなさい」
「それは司法試験に合格するより、難しい気がするな」
「は? なに、バカなこと言っているの。女なんて、ちゃちゃと話しをして、ちゃちゃと済ませちゃえば、簡単でしょ。全く、バカね。誰に似たんだか」
バカなのは、あんただ。と言ってやりたかったが、僕は我慢して口を噤んだ。その代わり、軽蔑するような冷ややかな目を、熱意を込めて送ってやった。
「なに、目細めてんのよ。まだ、眠いの? 顔洗ってらっしゃい」
どうやら、母さんに遠回しな攻撃は通用しないようだ。
自宅から蕎麦屋、柊まで大体、車で一時間程度の道のりだった。
向かっている途中で気がついたが、今日は火曜日。店は定休日のはずだが、と懸念したが、心配無用だった。
「お待ちしておりました」
柊に到着し、車から降りると、僕が来るのを待ち構えていたのか、庭の方から彼女が出てきた。
「あっ。どうも」
彼女の服装は、こないだ店で着用していたエプロン姿ではなく、スーツ姿だった。Tシャツに、ハーフパンツを履いてきた自分の姿が、途端に恥ずかしくなる。
「こちらへ、どうぞ」
僕は彼女に促されるまま、後ろへついて行った。店とは別の玄関から入り、10畳以上はある和室の部屋に案内される。
テーブルには、既に別の誰かが一人座っていた。僕の姿に気付くと、その場を立ち上がり「こんにちは」と、挨拶される。
僕も「こんちには」と、同じように会釈を返し、テーブルに腰を落とす。正面には案内してくれた彼女(蕎麦屋の店員さん)と、今挨拶してくれた彼女(今のところ正体不明)が座っている。
「自己紹介が、まだだったわね」
案内してくれた蕎麦屋の店員さんが、胸ポケットにある名刺入れから、名刺を取り出し、僕に差し出してきた。
「私、柊和花と申します」
「どうも」
僕は会釈し、名刺を受け取った。名刺を見ると、柊メンタルクリニック。柊和花。心理カウンセラー。後は、電話番号とメールアドレスが記載されていた。
柊メンタルクリニック? なんだ、これは。名刺に心理カウンセラーと書いている以上、この人はカウンセラーって思って良いとは思うが。すると、この二人が、独立して事業をやっているのだろうか?
和花さんを見つめていると、今度は先程座っていたもう一人の彼女の方が、僕の方を見て会釈する。
「私は、柊柚お姉ちゃんの助手です」
僕のことを真っ直ぐに見据え、 お辞儀をする。一見した印象、声のトーンなどを聞く限り、明るく、社交的な印象を受ける。姉である和花さんのように尖ったイメージはなく、小動物のような雰囲気で、タレ目で童顔だ。座っているところを見る限り、身長は和花さんより小さいだろう。この子がとんでもなく座高が低ければ、話しは別だが、大体、150センチ中間くらいといったところだろう。長い髪をポニーテールにしている。
ただ、今はそれよりも彼女の名前が引っ掛かった。
さっき、柊と名乗ったか。それにお姉ちゃんって今、言ったよな。ということは、この二人は姉妹か。確かによく見ると顔立ちが似ている気がするが。
僕は先程もらった名刺を裏返す。すると、そこには和花さんのプロフィールが書かれていた。
1995年8月27日。A型。乙女座。
1995年生まれということは、2000年生まれの僕より、5歳年上の26歳か。確かに同級生の女の子達と比べて、落ち着いた印象もあるし、なにより大人の女性と呼べる魅力を感じる。
保有資格の欄をみると、臨床心理士と記載されていた。
「臨床心理士を取得されているんですね」
不意に質問すると、和花さんは不意打ちにあったように目を丸くする。
しまった。余計なこと言っちゃったな。確かに和花さんが、そういう反応をするのもわかる。きっと、名刺を見て臨床心理士の資格に対して、突っ込んでくる人は、そういなかっただろう。同じ分野の人を除けば。
臨床心理士。カウンセラーの代表的な資格といっていい。
心理学は代表的な資格として、認定心理士と臨床心理士がある。
認定心理士は大学で心理学を勉強し、一定以上の単位を取得した者が、得ることのできる資格。
一方、臨床心理士は大学に出た後、大学院を修了した上で、試験に合格した者だけしか取得できない資格だ。
世の中にあるほとんどの資格は、独学で勉強をして取得できるが、この二つの資格はいくら心理学に興味があり、独学で勉強してもダメ。受験資格すら与えてもらえない。
その理由は定かではないけど、人の心を扱う重要な資格。それだけ責任ある資格だと僕は考えている。よって、和花さんは、大学と大学院を卒業し、試験に合格した人。
3年間、心理学を勉強してきた僕の倍以上の知識。そして、それ以上の実務経験をしてきた人だと思っていい。ある意味、僕の先輩に当たる存在だ。