第5話 怪しい電話
その日は午後から仕事があった。
僕は書店の店員として、アルバイトをしている。時給は他のアルバイトと比べて安いが、大好きな本に囲まれての仕事は楽しい。
バイトが終わったのが夜の9時。更衣室で制服のエプロンを脱ぎ、スマホの画面を開くと、液晶画面には『着信1件』と表示されていた。
知らない、電話番号だ。登録されていない為、番号だけが表示されている。
一体、誰だ? もしかして、女の子からか。
『もしもし。月島ですが、どなたですか』
『あっ、突然電話してごめんなさい。私、水野って言います。その、拓也君から月島君の電話番号聞いて』
『どうして、僕の番号を』
『私、月島君のこと好きです』
『よし、わかった。結婚しよう』
と、いう展開にはならないよな。ああ、モテキこねぇかな。
基本的に僕は、知らない番号からの電話は折り返さないタイプだ。いつもなら、そのまま、放置するのだが、昨日、蕎麦屋で電話番号を教えたことを思い出した。
「あっ。月島さん。仕事あがりですか?」
スマホを見つめていると、女子更衣室から、後輩の武井ちゃんが出てくる。
一つ年下で、バイトでは後輩にあたる子だ。仕事の飲み込みが早く、明るく社交的なので、他の先輩達からも可愛がられている。
僕と同じで読書好きだが、彼女の場合、もっぱら小説ではなく、漫画専門のようだ。
「武井ちゃんも、今あがり?」
「はい。月島さんが、スマホ見ているなんて、珍しいですね。彼女からですか?」
「ははっ。僕が彼女いそうに見える?」
武井ちゃんのジョークに、僕は笑って答える。
「えっ。いそうに見えますよ。てか、いないんですか?」
僕の話しを信じられないという様子で、武井ちゃんは真顔になる。
「私、月島さん、全然ありですよ。顔だって悪いわけじゃないし。なにより、優しい人だから」
嘘だろ。ついに僕にもモテキ、きたー。
「じゃあ、武井ちゃん。僕と付き合う?」
僕が恐る恐るそう言うと、お互い見つめあったまま、沈黙の空気が流れる。すると、いきなり武井ちゃんが、プッと笑いを吹き出した。
「ごめんなさい。私、今、彼氏とラブラブなんですー」
「……」
「彼氏と別れたら、月島さんのこと考えておきますね」
「うん。気長に待つとするよ」
まあ、そんなことだろうと思ったよ。
武井ちゃん、年下なのによく僕のことからかってくるんだよな。いや、武井ちゃんだけじゃない。大抵の女子はみんなそうだ。普段、ぼーとしている感じだからな、僕。異性からは人畜無害な存在だと思われることが多いみたいだ。
草食系男子だと思っているけど、実はロールキャベツ男子なんだぜぇ。ワイルドだろぉ。
あっ、もうこのネタ、死語だよな。危うく口にするところだったぜぇ。
「じゃあ、月島さん。お疲れ様です」
武井ちゃんはニコニコして手を振るので、僕も「お疲れ様」と言って手をあげた。
事務所に残された僕は虚しくなり、一人佇んだが、スマホをポケットにねじ込み「帰るか」と一人呟くと、天井を見上げ、その場を後にした。
外に出ると、クーラーの効いた室内とは違い、もわっとした蒸し暑い空気が肌にまとわり付く。昼と比べて気温が下がっているものの、乾燥した空気は相変わらずだ。車に乗ると更に暑さが増すので、エンジンをかけるのと同時に窓を開ける。音楽のボリュームを下げ、しばらく惚けた後、着信があった電話番号に折り返すことにした。
コール音が耳に響き、3コールくらいで繋がった。
「もしもし。すいません、着信があったので折り返したんですが」
第一声は、僕の方から放った。その言葉に対し「月島さんのスマホでよろしいですか?」と、電話越しから、女性の声がする。
聞き覚えのある声だった。
「はい。えっと、どなたですか?」
この時点で誰かは察してしまったが、一応確認する。
「柊です。昨日、蕎麦屋でお話しした」
「ああ。どうも」
やっぱり、と思った。結局、折り返す、といった彼女の言葉に嘘はなかったようだ。そして、この瞬間、告白だと思った一縷の期待は、崩れ去っていった。
「早速ですが、月島さん。カウンセリングの日程、今週の火曜日で良いかしら?」
カウンセリング日程? なんの話しだ。意味がわからず、僕は無言になってしまう。
「今週の火曜日では、都合が悪いの?」
「いや、そんなことはないですが」
火曜日は夜、バイトがあるが、大学の方は必修科目がないので、大学へは行かない予定だった。なので、火曜日は家でのんびり小説を読もうと思っていたのだが。
というか、気のせいだろうか? 彼女の口調が会った時とは別人と思うくらい、サバサバとしている。口調もなんか冷たい感じに聞こえる。
「都合が悪ければ、来週の火曜日でも構わないわ。だけど、そんな悠長なことを言える状況なのかしら?」
口調は相変わらず、トゲだらけ。咎められている気がしてならない。
「人の命が関わることでしょ? 早くした方がいいわよ」
と、彼女は最後にぽつりと静かな声で囁いた。
人の命に関わること。という言葉を耳にした途端、僕の脳はフラッシュバックし、姉さんの顔が走馬灯のように蘇る。瞬間、一刻の猶予もない。そんな焦燥感が脳裏を過る。
「いえ、今週の火曜日で構いません」
この時、僕は意味もわからず、そう答えていた。
「そう。じゃあ、今週の火曜日。時間は午前10時。蕎麦屋、柊で待っているわ」
一方的に待ち合わせ場所と時間まで決められ、電話までも一方的に切れてしまった。ツー、ツー、ツーという、音で呆けていた僕の意識が正常に戻る。
一体、なんなんだ? 用件も言わず、呼び出してくるなんて。と、僕はスマホを睨みつけていた。
何故、呼び付けられたのかも不明だし、カウンセリングを頼んだ覚えもない。
しかし、一体、どこで姉さんの情報が漏れたんだ? 名前と電話番号だけで、僕の素性を調べたというのだろうか。一日という短期間で。
やばい。悪質な詐欺が、待ち受けているような気がする。嫌な予感がして、僕はもう一回、電話をかけて、状況を聞いてみようと思った。
いや、待て。相手は詐欺師だ。無視したって構わないはずだ。と、そう考えたが、一瞬、彼女の顔が脳裏に蘇った。
あの人が、詐欺。本当にそうなのだろうか?
いくら心理学を勉強しているとはいえ、僕はまだ人の心どころか、世間も知らないヒヨっ子だ。人の内面性を見抜く力はない。それでも、彼女が悪い人だとは、どうしても思えなかった。
まあ、騙されて罠にかかるのも、社会勉強だと割り切ることにしよう。
結果、またしても不安より、好奇心の方が勝ってしまうのであった。
こんなんじゃ、将来、絶対苦労するだろうな。と、僕は心の中で苦笑していた。