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柊メンタルクリニック  作者: 結城智
第2章 依頼
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第14話 くるみちゃんの決断

「入ってこないで」


 そこで、始めてくるみちゃんの声が廊下の方まで響く。怒鳴り声ではないが、人の動きを停止させてしまうような、冷たい声だった。


「くるみ。歩が来てるんだ」


 蓮は横にいる僕に対し、目で合図する。中を覗こうとするが、真っ暗なため、どこにくるみちゃんがいるのか判断しにくい。


「くるみちゃん。ちょっとでいいから、話し出来ないかな?」


 僕は優しく声をかけた。


 実際「なんで、あんたと話しをしなきゃいけないわけ?」と、くるみちゃんに言われる覚悟は出来ていた。所詮、僕は兄の友達というだけの立ち位置。そう言われるのは自然だろう。


 結果、返事は返ってこない。やっぱり、無理か。


 僕は蓮の肩に手を当て、首を振った。蓮も悪あがきはせずに頷くと、半開きだったドアを閉めようとする……その時だった。


「いいよ」


 小さい声だったので、僕は聞き違ったのではないかと一瞬、思った。しかし、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする蓮を見る限り、聞き違いではなさそうだ。


「歩ちゃんだけだよ。お兄ちゃんは入ってこないで」


 更に衝撃的な言葉が部屋の中から、聞こえてくる。気まずくて僕は、蓮の方に目を向けられなかった。


 しかし、蓮はすぐ僕の手を両手で握ると、真剣な眼差しを向ける。


「歩。後は頼むぞ」


 てっきり、蓮は嫉妬心に顔を歪めると思ったが、実際は違った。頼み綱が出来たという期待心から、蓮の目は輝いている。


 そうか。蓮は嫉妬心なんて、安っぽい感情を抱く奴じゃない。


 蓮は大事な妹を助ける方法があるなら、それが自分ではなく、他人の誰であっても構わない。とにかく、くるみちゃんを助けることだけで頭が一杯なのだ。


 僕は頷き、そのまま、くるみちゃんの部屋に入る。背後にいた蓮が気を使って、廊下側からドアを閉めてくれた。


 部屋は薄暗い。目を凝らすと近くにベッドがあり、そこにくるみちゃんが壁際を背に、体育座りしていた。


 まずは表情を見たかったが、ここで電気を点けたら、追い出されそうなので、僕はその場に腰を落とす。


「くるみちゃん。お母さんの件は、残念だったね」


 最初、どう切り出していいかわからず、ありきたりなことを口にする。対し、くるみちゃんの反応はない。


「みんな、くるみちゃんのこと、心配しているよ。無理に今、顔を出さなくていいと思うけど、蓮や蓮のお父さんには顔を見せて、ちゃんと話しをした方がいい。家族なんだから」


 理想としては、ここで説得して、親戚の人達にも顔を出させるのが一番いい。だけど、それを無理強いして、くるみちゃんの心に壁を作らせてしまったら意味がない。


 僕は腫れ物に触れるよう、出来るだけ慎重な対応を心がけた。


「そう、だよね」


 すると、気持ちが通じたのか、くるみちゃんが同調してくれた。僕はホッと胸を撫で下ろすが、それは大きな勘違いだと知る。


「今まで一緒に暮らしてきた家族なのに。なのに、なんでお兄ちゃんやお父さんは、平気でいられるの?」


 くるみちゃんの声が急に涙声になってしまう。


 僕は愕然とした。それはくるみちゃんが、泣きそうになったことではなく、くるみちゃんの言葉に対してだ。


 蓮や蓮のお父さんが平気だって? そんなわけがあるか。二人だって今、泣きたいのを必死に堪えている。泣き出して、投げ出したいのは二人だって一緒なんだ。


 くるみちゃんは今、投げやりになっているのだと思うが、僕は少し咎めたい思いになる。が、それを必死に抑えた。


「平気じゃないよ。二人共、泣きたいと思う。でも、頑張って乗り越えようとしているんだ」


 どう足掻いても、時間は止まってはくれない。蓮ならまだしも、蓮のお父さんは仕事がある以上、これからも変わらず、二人を養っていかなければならない。


 だから、人は立ち直れなくても、立ち直った振りをしなくてはならない。自分の気持ちに嘘をついてでも。


「歩ちゃんは、お姉ちゃんが死んだ時、どう立ち直ったの?」


 この瞬間。僕は雷が脳天を貫くような感覚を覚えた。


 暗くてはっきり見えないが、俯いていたくるみちゃんが、顔を上げ、真っ直ぐ僕の顔を凝視している。この時ばかりは、部屋が暗くて良かったと思った。


「……立ち直ってなんかいない」


 迷ったあげく、僕は正直に答えた。


 本当は、時間が解決してくれた、とか。親や友達に助けられた。と、答えるのが無難なはずだ。その答えも、けして嘘ではないのだから。


 なにより、カウンセラーを目指すなら、本心など胸の奥にしまい、彼女の救いになる言い回しをするべきだと思う。


 だけど、それが出来ない。赤の他人ならまだしも、蓮やくるみちゃんには、嘘をつきたくないという、自分本位の甘えた感情を抑止できない。建て前と本音を使い分けることのできない僕は、きっと子供なのだろう。


 全く。こんなんで、カウンセラーを目指しているなんて、笑えている。


 ああ。もう、どうせなら。と思い、子供のまま僕は、話しを続けた。


「結局、立ち直るしか選択肢がなかったから、無理矢理に立ち直っただけだよ。完全に立ち直るなんて有り得ない。確かに、昔と比べれば、姉さんを思い出して、胸が痛くなる回数は減ったよ。でも、完全になくなったわけじゃない。姉さんが死んで、六年経った今も、痛みは残り続けている」


 自己嫌悪に陥りながら、僕は眉間を抑え、嘆声を発した。


「ごめん、くみちゃん。こんな時、もっといい励ましか方があるはずなのに」


 僕は謝った。だけど、くるみちゃんは「ううん」と首を振ってみせ、壁際に背をつけていた体を離し、僕の方に一歩分ほど近寄ってきた。


 はっきり見えないが、相手の表情が読み取れる至近距離になったため、くるみちゃんの表情がぼんやり見える位置になった。


 くるみちゃんは、少しやつれていた。きっと、泣き疲れたのだろう。普段、活発で明るい彼女には想像もつかない、疲れた顔だ。


「正直に話してくれて嬉しい。歩ちゃん、いつも嘘つきだから」

「僕、嘘つきなの?」

「うん、嘘つき。歩ちゃんのお姉ちゃんが死んだ後、ずっと無理しているのがわかった。笑いたくないのに、皆に心配かけないようにするため、ニコニコしてた。私もお兄ちゃんもずっと辛かったんだよ。本当は私達の前で、たくさん泣いて欲しかったって」


 六年越しに語るくるみちゃんの本心に、僕は言葉を失う。


 ずっと、身近にいた蓮やくるみちゃんが、僕に対してそういう感情を持っていたのは、薄々気付いていた。でも、それを今、口にされるとは思わなかった。


「ごめんね。私は歩ちゃんみたいに強くない。皆に心配はかけたくないけど、私は立ち直ったふりも出来ない」


 反省するように、声を落とすくるみちゃんに、僕はなんて声をかけていいか迷った。

最初はくるみちゃんを励まし、早く立ち直らせようと考えていたけど、それで本当にいいのだろうか? 


 このまま、無理に気持ちの整理をさせたら、くるみちゃんは僕と同じ道を歩むんじゃないだろうかと危惧していた。


「くるみちゃん……」


 しかし、僕が姉さんを失った時の気持ちと、くるみちゃんがお母さんを失った気持ちには大きな違いがある。


 それは、罪悪感という重みだ。くるみちゃんのお母さんが死んだのは、不慮の事故だ。くるみちゃんの責任ではない。だから、構わず僕はくるみちゃんを立ち直ってもらうよう、畳み掛けることにした。


 立ち上がり、くるみちゃんの肩に手を当てようとし、口を開こうとした瞬間、僕より先にくるみちゃんが呟いた。


「でもね、お母さんを殺しちゃったの、私なんだ」


 僕は耳を疑った。くるみちゃんに当てようとした手も途中で止まる。


「どういうこと?」


 口にした言葉通り、どういうことだ? と思った。


 くるみちゃんがすぐには答えてくれなかったが、10秒くらいの間を置いた後、再び口を開いた。


「あの日の朝、私が無理言って、ケーキたべたいって言わなければ、お母さん、ケーキ屋さんに行かなかった。だから、私がお母さんを死なせたの」


 くるみちゃんが、泣いているのは明らかだった。嗚咽で声を詰まらせている。


 それは違う。それはくるみちゃんのせいじゃない。


 そう言ってあげるべきなのだろうか? だけど、そんな当たり前のフォローすら、僕は口に出来なかった。


 僕にはくるみちゃんの気持ちがわかるのだ。それは理屈ではない。その気持ちは、蓮や他の人達に説明しても理解できない、この複雑な感情。


 僕と一緒なのだ。誰にも口外しないが、僕は姉さんが死んだのは自分の責任だと思っている。

それを両親や他の人達に話したところで、歩のせいじゃない。と、みんな口を揃えて、励ましてくれるだろう。


 でも、そう言われても、僕は納得なんで出来ない。きっと、くるみちゃんも同様のはず。ここで下手な励ましを口にしたら、彼女は僕に対して心を閉ざしてしまう気がした。


 こんな時、器用な言い回しが出来ない自分を恨みたくなる。最終的に僕は立ち竦んだまま、くるみちゃんにかけようとした手が、今だ宙に浮いた状態になった。


「大丈夫だよ」


 くるみちゃんは、僕の浮いた手を両手で掴むと、顔を上げる。涙を流していたが、ぎこちない微笑みを浮かべていた。


「私、明日から頑張ってみるから。だからお願い。私の頭撫でて」


 弱々しい声で、くるみちゃんは必死に強がった言葉を口にする。僕はなにも言い返せず、ただ、くるみちゃんの願いを叶えるために。


 ぎこちない手で、僕はくるみちゃんの頭を優しく撫でてあげた。

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