ジンジャーと白銀の騎士
それから数週間程経った頃、ジンジャーと兄弟達がやっと使い魔らしく二本の足で立って歩けるようになると、使い魔としての本格的な仕事が始まる。
ジンジャー達は母親の後をまだ覚束ない足取りでヨタヨタついて回り、彼女のやる事を見よう見まねでやってみるのだった。
「にゃ、にゃ、にゃにゃ!?」
「こらー駄目にゃ!ジンジャーにはまだ無理にゃ!!それは高価なお薬の入っ…にゃぎゃあ!?」
兄弟で一番元気で一番好奇心旺盛なジンジャーは、なんにでも挑戦してみてはその分毎回のようにやらかしてしまい、その度に母に叱られるのだった。
「ははは、やる気があっていいじゃないか。なあに、たくさん挑んでたくさん失敗するといい。一つや二つの失敗で萎縮するんじゃないよ」
「一つや二つや三つどころじゃないから頭が痛いんですにゃ!!ほんとうにあの子ときたらもう、一旦決めたらどこまでも向こう見ずにやってしまうものだから…」
豪快に笑う魔女と、こめかみを押さえる母猫。
目を回して地面に伸びるジンジャーは、あきれた顔の兄弟達に引きずられて行く。
ジンジャーが産まれてから数ヶ月程たったある日。いつものようにやらかしてしまったジンジャーが、森の泉で薬まみれになった体を洗っていた時の事だった。
「またやってしまったにゃ…ぶえぇ臭い、臭いにゃ、鼻がジンジンするにゃぁ…」
わざわざ嗅ぐ必要もないのに、つい体に付いた薬の匂いを嗅いでみては、鼻に皺を寄せて顔をそむけるジンジャー。
そんなジンジャーの様子をじっと伺うように、すこし離れた茂みの陰で四つの目が光っている事にジンジャーはまだ気付いていない。
それは二匹の狼のつがいだった。
動物達が集まる水場に餌を求めてやってきた彼らは、のんきにばしゃばしゃと大きな音を立てているジンジャーに狙いを定めたのだった。
足音を殺し、ゆっくりとジンジャーを挟み込むように近づく狼達。
息をひそめ慎重に、深く身を沈めながら徐々に獲物へと距離を縮めていく。
「臭いにゃあ…あでもちょっとこの匂いがやみつきに…ってにゃにゃ?」
しょうこりもなく匂いを嗅ごうとして顔を上げたジンジャーが、やっと狼達の存在に気付く。だがその時は既に彼らに挟まれてしまっていた。
「あれ?狼?あ、こっちにも…てまずい、まずいにゃ!?」
わたわたと左右を見回すジンジャー。
気付かれた狼達は地面を蹴って走り出し、一気にジンジャーとの距離を縮める。
「グルルルゥ、ウォウッ!!」
「わ、わにゃあ!!」
驚き目を見開いたまま動けないでいるジンジャーへ、左右から狼達が同時に飛び掛ったその瞬間。
突如ジンジャーの目の前に、狼をさえぎるように何かが割って入る。
すっと流れるような所作で静かに、そしてすばやく腰を落とす何か。
その直後、目の前を白い閃光が疾る。
どうと音をたてて地面に倒れこむ狼達。
横たわった体は胴体から真っ二つにされていた。
血なまぐさいはずなのに美しいとさえ思えてしまうようなその一連の動きに、
日の光を浴びて白く輝く後ろ姿。
ジンジャーは自分が獲物にされかけていた事も忘れ、その場に佇んだまま呆然とその姿に見とれていた。
「こんにちは、黒猫さん。私は王都から遣わされた騎士、オルランド・ルフェイ。その黄金の瞳の色からすると、君は西の魔女様の使い魔かな?」
白髪を馬のたてがみのように後ろで束ね、白銀色に輝く鎧を着た人間の男は、
背後のジンジャーへと振り返ると、にこりと微笑みそう問いかけた。
「そ、そうですにゃ、はじめましてにゃ。私は西の魔女様の使い魔、ジンジャー・ビスケットと申しますにゃ。この度は危ないところを助けて頂いて本当に感謝いたします、にゃ」
どぎまぎしながらも、ジンジャーはオルランドに助けて貰ったお礼を述べてぴょこんと頭を下げる。
そんなジンジャーの様子をにこにこと眺めながら、オルランドは更に話しかける。
「やっぱりそうか、それは丁度良かった。実は私は王様から西の魔女様に会うように仰せつかっていてね。もし良ければ魔女様の所まで案内して貰えないだろうか」
「にゃ。もちろん喜んでご案内いたしますにゃ!こっちですにゃっ」
ジンジャーはその場でぴょんと跳ね上がると、オルランドを連れて元気良く魔女の元へと向かうのだった。
「お初にお目にかかります、いと美しき西の魔女殿。あなた様に我が名を名乗る栄誉をお与え下されば、この上なき幸いです」
「いいよ、堅苦しい挨拶は。用件もだいたい想像は付く。北の魔女の件だろう?」
オルランドは優雅に膝を折り口上を述べようとするが、魔女はそれをわずらわしそうに手を振ってあしらう。
それを気にする風でもなく、にこやかに微笑みながらオルランドは話を続ける。
「それは助かります。実は私もこの手の挨拶には未だに慣れなくて。
お察しの通り北の魔女殿のご乱心についてご相談したく、王より命を受け罷り越した次第です」
「…変わった騎士もいたものだね。まあいいさ、関わりたくは無いが、関わらざるを得ない事でもあるからね。
ただしその件についてどこまで関わるかは、話を聞いてから決めるよ。それでいいね?」
オルランドの飄々とした姿に毒気を抜かれつつも、西の魔女は厳しい顔で彼を家へと招き入れる。
「ジンジャー、案内ご苦労さん。仕事に戻りな…いや、あんたまだちょっと臭うよ。もう一回洗ってきな」
「にゃにゃ!?私ちゃんと洗って…あ、ほんとだ臭い」
ふがふがと自分を嗅いでは顔をしかめつつ立ち去るジンジャーを見て、魔女は小さく笑いながらも寂しそうにぽつりと呟く。
「ご乱心…ね。全てを捨てさせられた女が狂う事が国家の一大事とは。魔女ってのはつくづく業が深い…」