第二話 新月
私が犯されたことは隠密にされていた。キャンプは終わった。今朝、少し吐いたとき、私はもうつわりがきたのか、と、ありえない被害妄想を抱き、そのあげく、願わくばこの場で出産してしまいたいとさえ思った。
「大丈夫?」
山を下りていくとき、純一が話しかけて来た。
「犬みたいね、私」
「ふざけるなよ」
純一は私の頭をぽんと叩いた。きゅうっと胸が締め付けられた。
「ありがとう」
「いいよ、手を繋がないか?」
「そのほうがいいかもね」
私は純一の手を取った。
「嬉しいよ」
「あなただけが嬉しがってどうするの」
「どういう意味?」
「自分で考えてごらん」
くすり、と彼は笑った。私は寒気を感じた。すこし頭痛がして、健康というものに対して恐怖を覚えた。
――そう、健康。赤ちゃんができることはファナティックに健康なのだ。健康というものは希釈することが不可能なのだ、それは健康が魂というか霊的なものでしかなく(少なくともそれは私の立場での弁明なのだが)、同時に、道標としての役割を果たしているからに過ぎない。単純に言えば、魂、道標、どちらの立場にせよ、健康は形而上的なので、形而上的なものは、形而上的なものでしか会話ができないのだ。
――人は道標に向かって生きる。この言葉は、どんな偉人、あるいは凡人が発しても、意味の量は同じなのである。それを抜きにしても、人は苦しむのだろうと、私は思う。
私はびくびくしながら、彼の手を取って山を下りた。他の男女は適当に群れ、適当な会話をし、私たちのことなど注目もしなかった。私と純一を助けてくれた男たちも、私たちとは少ししか口を利いていない。
「連絡先は交換したので、そうだ、明日は新月だね、電話でもメールでもくれよ」
「それより病院に行きましょう」
「それも……そうかな」
純一は眉間にしわを寄せた。なんだこいつ、と私は思った。
「病院にすぐ行かなくても、妊娠検査薬を使えばいいだろう。陽性なら、すぐ連絡をくれ」
「明日は新月なんでしょう。病院に行く前に忘れてたわ」
「なんだというのかな」
「セックスしましょう」
純一は腹を抱えて笑った。
「いいでしょう。あなたは傷ついている。いっぱい愛情を注いで、抱いてあげるよ」
「うん……」
どうして男というのはすれちがう生き物なのだろうか。私は一般化は好まない性質なのだが、彼との会話はあまりに下卑ていたので、そう結論づけてもいいと思ったのである。