第一話 涙子の悲劇
涙子は、じっと、ささくれを見つめていた。右手の指さき。人差し指。それはバンドエイドで手当てされていたのだった。手当をしてくれたのは、片山純一という、東京理科大学を卒業した、システムエンジニアの男性だった。
ロッジのかまどで、一〇名ほどの男女が火を起こし、バーベキューに興じているなかで、涙子は椅子に座って休んでいた。少し脚を伸ばして、大ボトルのコーラを紙コップに注いで飲んでいた。
隣を見ると、夜の闇に翳っている純一の姿があった。純一は背が高く、体格のよい好青年だった。
「さきほどはどうも」
「いえ、いいんですよ。切った枝を扱うなんて慣れないことをするもんじゃないですね。」
「用意がいいんですね。あら、あなたもケガを? 私と同じ場所に?」
純一はくすりと笑って見せた。涙子は、頬を真っ赤にした。
「いやだわ」
「そうですね」
しばらく沈黙が流れた。いくつもの灰が火をまとって、ほたるのように闇の中を舞っていく。
「あなた、バイト生活だっておっしゃってましたね」
「ええ、公立大学で研究に没頭しすぎてね」
「なるほど」
涙子は意地悪く微笑んで見せた。公立大学卒というのは嘘ではない。ただ、就活に失敗し、バイト生活で、稼いだ金をオンラインゲームに費やしているのだ。
「楽しいですか、バイト生活は」
「楽しいと思いますか?」
「可笑しくてたまらないんですよ、あなたの身分を聞いた途端、こんな意味の分からないアウトドアサークルに来たのがね」
はあ、と涙子は投げやりな返事をした。
「今夜は女子寮に泊まるつもりですね。大丈夫ですか」
「おせっかいね」
涙子には対等に話せる仲間がいなかった。
「じゃ、女子寮に泊まるんですね」
「テントを張るつもりですよ」
「ええ? よしたほうがいいんじゃ」
そう純一が言うと、涙子は立ち上がって、肉を取りに行った。
キャンプ場の灯りで、夜空の雲は光をくぐもらせて乱反射させ、熱をおびているかのように薄明るくなっていた。十一時にもなると、ロッジのテーブルにはビールの空き缶と、スナック菓子の袋などが散乱していた。机につっぷして寝ている者も何名かいる。いちおう、就寝時間ということにして、年長の青髭を生やした四〇代ぐらいの主催者の男が、彼の妻と一緒に、片付けを始めた。ロッジの電気も消えた。涙子は純一に話した通り、テントを張り、眠りについた。
涙子は、不快感で目を覚ました。男が3人、涙子のテントに入りこんで、そのうち2人が涙子の両腕を抑え、もう一人が彼女の服を脱がせかかり、唇を自分のそれで塞いでいた。涙子は声を上げようにも、強引なキスで口をふさがれ、体のあちこちをべろべろ舐められながら、そしてズボンを下ろされ、ついには、犯された。
「涙子さん!」
純一がやってくると、男たちは彼に相対した。
「なんだあ、てめえ」
「警察に連絡する。だが、今なら見逃してやるから去れ」
金髪の男と、背の高い男、それから唇にピアスをした男。3人とも迷彩服を着ていた。サバゲー仲間だろう。
「撃つぞ!」
金髪の男がライフルを構える。顔を狙っているらしい。だが、純一は掴みかかり、男を投げ飛ばした。
「てめえ!」
残りの男たちが来ると、
「君たち、何をやってるんだ!」
青髭を生やした、先ほどの主催者が来た。主催者は参加者のうち数名の男性を連れて、3人の男をとっつかまえた。
「大丈夫ですか、涙子さん?」
純一は涙子にかけより、泣きじゃくる涙子を抱きしめた。
「怖い……」
「なにが……?」
涙子はぎゅっと純一のジャージの袖を掴んでいた。
「赤ちゃんができるのが……怖いの……」
純一は涙子を自分の方に向かせ、
「僕が協力する。付き合おう、涙子さん。君のことが好きだった。結婚しなくてもいい、一緒にお腹の子を育てるんだ」
「でも……」
涙子は、まだ泣きじゃくっていた。涙を早く止めなくては、愛しくもない彼に抱きしめられるのは、何より辛い。
恐怖心で眠れない涙子は、その晩、主催者の妻の中年女性と一緒にテントの中で夜を明かした。中年女性は、ずっと、涙子をなだめてくれた。
眠りについた涙子は、目が覚めたとき、温かい感覚を覚えた。
「おはよう、涙子さん」
目をこすると、汗臭い匂いがした。しかし、決して不快ではなかった。
涙子は、純一に抱きしめられていた。彼女はそれを了解し、
「ごめんなさい」
と、再び泣き出し、彼を強く抱きしめた。
ごめんなさい。
これでもまだ、あなたと共に歩む勇気は、私にはない。