第二話
二年前。
それは「私」にとっても大きな転機となった年だった。
私が故郷を離れ、こうしてリリアンヌという名の娼婦になる前。確かに私はミリーという少女だった。物心ついて気付いた時には孤児院で暮らしていた、取り立てて珍しいところもない普通のガキ。
そのまま何事もなく暮らしていれば、きっとミリーは孤児院を出て日銭を稼ぐ最下層の労働者にでもなっていたはずだ。消費され蹂躙されていくだけのちっぽけな存在として。
その運命が大きく変わるきっかけになったのが、同じ孤児院にいた「オフィーリア」という同い年の少女と親友とも呼べる間柄になったことだ。
親友と言っても、今の私と違ってミリーは大人しくて内気な、はっきり言えば根暗なヤツだった。対してオフィーリアは明るく朗らかで優しく活発、理想の少女像ここに極まれりといった感じの天下無敵のヒロイン様だ。しかも少しオツムが足りないのかあまり空気も読めず他人を振り回す性格だった為に、根暗で鈍臭いミリーは孤児院連中の中でも一番巻き込まれていた。
今思い返してもオフィーリアは本当にクソ迷惑な馬鹿女でしかないが、オフィーリアの容姿は子供ながら整っており、またその無駄に明るい性格からも孤児院の関係者を老若男女問わず籠絡していた。そんな超人気者に可愛らしく「私たち、ずっと一緒の大親友よね!」と言われて「ざけんなクソ女」などと思っていても根暗女が言い返せる訳がない。
毎日毎日馬鹿女の起こす騒動に巻き込まれ、妬み僻みに満ちた視線に突き刺され、大好きな本を読む時間すら奪われて、無理矢理巻き込まれた騒動の罰則を受けなければならない地獄のような日々。曖昧な笑顔の裏で根暗女が馬鹿女への恨みを募らせていくには十分過ぎる日々だった。
そうして屈折した毎日を送って迎えた、オフィーリアの十二歳の誕生日。たまたま院長から遣いを頼まれ外出していたミリーが戻ると、孤児院は異様な熱狂とただならない騒動の中にあった。大体想像はつくと思うが、長年恨みの対象だった馬鹿女がお貴族様の一人娘だったことが発覚したのだ。ミリーが好きだった童話のような、手垢のつきまくったクソ展開の始まりである。
訳のわからないままミリーは興奮で頬を赤くしたオフィーリアとその実父である男爵に男爵邸に拉致られた。着の身着のまま混乱して説明を求めるミリーに対して、オフィーリアがした説明はこうだ。
「だって、約束したじゃない! 私たちはずーっと一緒の親友よ!!」
これには流石のミリーもブチ切れて怒鳴りそうになっていたが、いくらミリーが騒いだところで既に馬鹿女にメロメロになっていた親馬鹿が聞く耳を持つわけがない。
むしろ、「おお、オフィーリアはなんて優しい娘なのか! えー、たしかきみはミリーと言ったね、本来はきみのような孤児は我が家では下働きとしても雇わないのだが、我が娘の最初の我儘だから仕方ない。特別にきみをオフィーリアの遊び相手として、そして将来的には侍女として雇ってあげようではないか。はっはっはっ、オフィーリアの慈愛に感謝するんだよ?」などとミリーに対して容赦なく追い打ちをかけてくる始末だ。
この男爵の言葉に、ミリーは隣で喜ぶオフィーリアと全く真逆の、絶望と失意の底に叩き落されたのだ。自分の居心地の良い場所と時間を奪い、いつもいつも傍迷惑な騒動に巻き込んでくるオフィーリア相手にミリーが怒りを堪えていたのは、周囲の目を気にしてということもあった。しかしそれ以上に、孤児院さえ出てしまえば穏便に縁を切ることが出来たからだ。それなのにまたしてもオフィーリアはミリーの意見など聞かずに、勝手にミリーの一生を、こんなにも簡単に決めてしまった。
この世で一番大嫌いな相手に、一生傅いて奉公し、感謝を捧げ続けなければならないぐらいなら、それこそ死んだ方がマシだった。
自分は犬猫と同じか、それよりもちっぽけな存在でしかないということを思い知らされたミリーの心に、初めて亀裂が走った瞬間だった。
もう少しリリアンヌによるミリーの話は続きます。