緩まった誤解と襲来
好奇心旺盛な者同士は通じるものがあるのではないかと。
小気味いい蹄と車輪の音、草木が風に凪いでサラサラと流れる音に、まるで合わせたかのような小鳥の囀りが眠気を誘う。
途中うとうととしてしまったので何時間経ったのかは正確ではないが、あれから一時間ちょっとは経っている気がする。
いい加減喉も乾いたし、休憩でも挟んでくれるのを待つばかりだ。
私といえば、異世界に来た時と同様の格好――血腥い首輪以外は――で、相変わらず、この馬車に揺られている。
手持ちの荷物は気が付いたら無くなっていたので、この真正面に座っている男が何処かに隠したのだろう。
学生の本分である勉学には毎度毎度手を焼いているので、短期集中型の私では、敢えてテスト期間前に詰め込んでしまわないように自習・復習時間を一日に数回暇な時に持つようにしていた。
教室で授業を受けている時は、多少聞いていてはいても右から左な部分もあったので、この勉強していないお昼の時間帯が逆にむず痒い。
気を抜いたら詰め込んだ数式やあれこれが抜け落ちていく気がする。
特に、何時帰れるか分からない異世界に居る分には、知識として持っておいた方が良いように感じた。
しかし、何なんだろうか。
さっきから、膝の上のちびドラゴンがちょっとおかしい。
「どうおかしいの?」と聞かれれば、なんというか、何か解らないがおかしいのだ。
「どうしたの?」
気になって頭を撫でれば、びくっと全身が跳ね上がった。
冷やりとしていた鱗が、何処となく熱いように思える。
熱? いや、ドラゴンが風邪になるわけがないだろう。
治癒力が桁外れな彼らドラゴンは、"万年病気知らず"と公式では記載されていたはずだ。
「? お腹すいたの?」
かなり的外れだとは分かっているけれど、この違和感が言葉では言い表せないのは確かだ。
おどおどと視線を彷徨わせていたちびドラゴンだが、目が合わさった後、くぅんと子犬に似た甘えた鳴き声を上げるとそれからは押し黙ってスカートに顔を押し付けている。
熱を帯びた鱗が程良く暖かい。
そこで、目の前から注がれる視線に気が付いて、顔を上げた。
「……何、何か文句あるの」
喧嘩腰なのは大目に見て貰いたい。
射殺さんと睨みを効かせる相手に、友好的な言葉は掛けられない。
いや、掛ける必要性を感じない。
「今更だが……お前は、何処から来たんだ。その可笑しな服に髪の色、瞳にさえ漆黒を持っている人間を、今まで一度も見た事がない。それに、ドラゴンを犬のように扱うなど――何なんだ、お前は」
こっちが何なんだ、と言うのは困惑の上に更に混乱を上塗りさせるだけなので思い留まった。
公式設定でも、召喚した王が主人公の標準的な日本人の姿に危惧を示し、好奇の目に晒されるのを恐れた為、保護に選んだ場所は王族でも許可がないと入れない神殿で――ヒライニアという、立ち絵すら美しい最高神官に衣食住保証された上に呪いで色を隠されていたんだった。
神官様には、物語を通して尊敬の念が絶えない。思い出しても優しくていい人だ。
しかし、てっきりこの男は知っていて、私を『売る』と言っていたのだと思っていた。
思い返すと、何か引っ掛かりを覚える。
抵抗しないちびドラゴンに対しては暴力を振るうのに、暴れる私には毒舌はあれだが、手を上げる事すらしない。
もっと、奴隷は奴隷らしく虐め抜くのかと想像していた私からすれば、何となく腑に落ちない部分だった。
何を意図しているかは今の所判断が着かないけれど、疑問が疑惑に変わる前に真実を話した方が良いだろう。
そう思い立ち、これまでの事を説明した。
が。
「そうか。では、これは何だ?」
予想以上に食い付きが良かったですこの人。
突飛な話に反発したい部分もあるけれど、知識欲が優った感じだ。
相手の手元に有る、社会科の世界史Bの教科書を捲って、疑問に対する答えを出す。
「これですか? これは、私が居た世界には五大文明という――」
敬語で取り繕った私の拙い説明にも、興味深そうに頷く。
何だったんだろうか、今までの誤解。というか、誤認識で腹の探り合いをしていたようです。
そりゃ警戒するし疲れるわな。
「それの残した遺産です」
暫く示されたページを食い入るように見詰めていたが、ふと、こっちを敵意のない目で見て口を開く。
「……これを誰かに話した事はあるか?」
そういえばこの人以外と会ってないなと思い出し、「無いです。」と嘘偽りなく答えた。
いや、私が主人公じゃないのは理解しているけれど、巻き込まれるのはご免です。
現在自分の意志で巻き込まれかけてると言えなくもないですが。
「それならば、ヒライニアに会いに行けば何とかなるかも知れんな」
「へぇー、そうなんです、か……って」
うっかりスルーしかけた呟きに全力で反応する。
「え?! 神官様に会えるんですかっ!?」
まさかの言葉に興奮してしまった。
心根も麗しい人なのは確かで、ちびドラゴンに次いで私の心をかっ攫っていった人物です。
何で5人の攻略対象内に居なかっ(略)……ゲーム一番の良心です。マジで。
「何故、異世界から来たというお前が、あいつを知っている」
私の不用意な発言で、元の怪訝そうな顔に戻ってしまった。
異世界から来ただけでも非常識なのに、更にこの世界がゲームだと言う事は、余りに飛躍し過ぎていて信じられる気がしないので秘密にしてある。
私だって、元の世界でそんな事言い出す人間がいたら、頭がおかしいんじゃないかと疑ってしまうだろう。
まぁ、どこでも私はモブだとは思いますが。モブ万歳!
今はそんな事より、と事前に考えていた言い訳を上げ連ねた。
「えーと、貴方に出会う前に小耳に挟んで……」
「誰とも擦れ違わなかったと言っていなかったか」
「ほらっ、森の中だと内緒話も響くじゃないですか!」
「あの森は侵入禁止区域に指定されている、誰もが通れる所ではない」
「い、異世界人のスキルですよ……!」
「そんな能力、お前からは微塵も感じられん」
この私の足りない頭で捻り出した言い訳を、尽く包んで突き返される。
何らかの事情を察して流すぐらいの広い心はないのか。
って、この人に言ったって『白々しい嘘を吐く馬鹿に、気を利かせても得はない』と詰られそうだ。
まぁ、八つ当たりなのは判ってます。痛い子になりたくないだけ!
「……この世界に来る前に、この国に関する色んな事を知っていたんです」
精一杯の事情を一言に込めた。
これなら、何処から詮索されてもボロは出まい。
いっそゲームじゃなくて、本とかに擦り替えても良いかも知れない。
そんな事を考えていたからか、咄嗟の事に身構える事も出来なかった。
魔法生物が何かに慄いて、緩やかだった振動が急激に平衡感覚を失う。
「……チッ、伏せろ」
僅かに苛立った声に反応して、ちびドラゴンを庇うように身を縮こめる。
荷台の上から発生した爆発音が二度、三度と鼓膜を響かせた。
咄嗟の事に訳が分からなくなりパニックに陥りかけたが、この爆音。
攻撃した時に、防御魔法に弾かれるSEに似ている事を思い出す。
そう思うと、急激にこの世界は現実ではなくて、唯のゲームなんだと思い至り安堵した。
未だ鳴り止まない、防御壁と何らかの武器との衝突音を遠くに聞いて、そういえば、この道は何処へ行っているのか分からないな、と呑気な頭で考えていた。