うさぎ
目が覚めると少年は居なかった。代わりに、僕は今よりずっと小柄になっていた。カレンダーを見ると一九九八年、僕が小学一年生の頃だ。
家は今とは違っていた。
「そういや昔は借家だったっけ。」そう思いながらリビングへ降りる。
「おはよう。」やさしい母の声。
そういえばこの頃の母はこんな顔してたっけなぁ、そうぼんやりと思う。
子供の頃の僕は紅茶を一杯、ゆっくりと飲み干すとまだ硬いランドセルをもって家を出る。
通学路は今もよく通る道だ。でも、今の僕は普通に通っていたけれど、この頃の僕にとってはとても長い、長い道だった。
「コンビニって、こんなに大きかったか。」何もかもがこの僕には大きい。
けれど、大きすぎる世界は僕がいた人間で窮屈な世界よりは心地よかった。
辺りには近くにある畑の所為か独特の、青臭さと肥しの饐えた臭いの混じったものが漂っている。子供の頃はただ臭いとしか感じられなかったそれも今となっては懐かしささえ感じた。
「僕は、この世界で、やり直すんだ。」そういうと、だっ、と春の、少し湿ったアスファルト踏みしめ、駆け出した。
*
通学路の一部と化している校庭を横切る。
一つ、軽く過ごしてわかったことがある。それはこの世界の理だろうか、どうやら僕が意識して行動を起こさなければ世界は記憶の中のそれをそのままなぞるようなのだ。僕としては選択肢を間違えにくくてありがたいが、シミレーションゲームをしているようで何ともまぁ奇妙なものだった。
軽く思考してると朝の予鈴が鳴る。小学生にとって日常の一環で気にかけてすらいない凡の凡の、いや僕がそうだった頃は授業の始まりと忌まわしくさえ思っていたかもしれないその音はやけに僕の心に響いた。
幾年聞いていないだろうか、確かに高校の時もチャイムはあったがデジタルな安い音のチャイムだった。だから、こういった“チャイム”を聞くと自然、心が揺さぶられる。
「裕也」、友達の声。まだ甲高い。顔も今よりずっと滑らかな曲線を描いている。僕の記憶の中でもっともま新しい彼等はもっと岩のような出立で、声ももっと地響きの様だった。
この校庭だって祭りでしょっちゅう使っていたから知っている筈なのに、この小さな僕には他がそうだった様にとても広く感じられる。
僕は校庭を通り乍次々に友達と合流し教室へ向かう。
その友達の中には今、現実では既に疎遠になってしまっているものも数多くいる。
――きっと、アイツもいるんだろうな。
ざっ、と周りを見渡す。居た。
僕たち同年代から比べるとずっと小柄で、それでいつもよれた服を着て、爪を噛み、ボロボロの手をしたアイツ。
「よ。」子供の僕はあいさつする。
アイツも満面の笑み、無邪気な笑みで「よっ」と返す。
僕ははっきりと思い出していた。この時の僕はこいつを体面上友人と扱っていたが、心内、そんなこと思ってなかったことを。
「ねぇねぇ裕也はさぁ」と世間話。
こいつはやたら馴れ馴れしいのと、その癖の所為でいろんな奴らが避けていた。
――だからこそ俺はこいつと友達になった。
はっきりとした思いはなかったが、今から思うと僕は僕の存在を保つために自分の下が欲しかったのだろう。
この頃の僕はクラスのボスみたいな奴の下にくっつく金魚の糞みたいなもんだった。だからこそ、なおさらだったのだろう。
僕は一緒になって無邪気っぽく笑っている。
だけど、もしものセカイとして、時を遡りここにきている今の僕にはその僕の笑顔は無邪気なんかでなく、更に笑いは笑いでも上に“嘲”とつく笑いであると容易にわかる。
――こいつ、バカだ、という、そんな、醜い。
今の僕だからわかる。いずれ僕はこいつに勉強で抜かされるのだ。そして途轍もない劣等感に苛まれる未来。
子供の僕は彼に対して相も変わらず見下した態度をとっている。
「もしものセカイにいるんだ。今からでも僕は、彼にこんな嫌味な態度をとるべきではない。」、心の声。
けれども僕は子供の僕と一体化している筈なのに結局用意された台本と違う事を何も言えなかった。
これはこのセカイの理かや。否、僕は幾ら違う何かを言おうとしても、何も言えなかったのだ。
この後続く、懐かしい授業の数々も台本、嘗てのシナリオをなぞる丈だった。
*
全ての授業が終わり、放課。子供の僕は乱暴に、整理整頓という言葉の概念すら無いかのように乱暴にプリントと教科書をランドセルに押し入れる。中身は“僕”なのだから整理しようと思えばできたし、“僕”のすべき事なのでは、とさえ思ったが、心何とも大人げない。放課という事に浮足立っているのだ。
「お前ん家、空いてっか?」と当時仲の良かった、少し太った褐色の少年が聞いてくる。
当然これにはかぶりを縦に振った。それもその筈。僕は当時放課後ずっとこいつと一緒に探検と称し山や川に遊びに行ったものだ。今日は確か、川に行った日の筈だ。――ずぶ濡れ泥だらけになって夫々のおっかぁ(僕は普段母を母さんと呼ぶもののなぜかこういった時は少しなまって呼ぶ)に怒られたっけなぁ。
そう懐かしみ乍歩くが考えは巡らせた。が、どうしたものか未来の変え方は全く思い浮かばなかった。当然、僕が今こうしてここにいる意味も分かっていたし、確りと頭に張り出されていたが、思い浮かばないのだ。
少し考えてみるが、白。漸く出た唯一の考えは、“まだ変えて大きな影響のある物がない”という事だった。先程の“アイツ”の件にしても、僕のいたセカイに大きな影響はない。詰まるとこ、そう言う事なのだろう。影響があまりないからいまいち変える必要性が見当たらないのだ。
「なるほどなぁ。」気が付けば口を飛び出していた。下校道という比較的静かな道に居る為か、今更ながら自分の声の高さにも驚く。こんなにも喉のつっかえはないものだったか、と。
「いきなりどうしたんだ、お前。」そう問うは友人。
当然だ。僕はいきなり「なるほど」と言ったのだ。エウレカ、と叫び裸で街を駆け巡ったアルキメデス程ではないが子供目にはなるほど奇怪である。
「ごめん、ごめん。考え事をしてたんだ。」、と咄嗟に笑顔を取り持って言い、友人はそれに対して「ばぁか」と朗らかに言い「じゃあ早くしろよ」と続け駆け出した。
まだ高い日に照らされ影になった彼の背中は僕の心に何かノスタルジックな物を運び入れる。しかし直に「俺は馬鹿か。今はそこにいるじゃないか。僕は今、戻ってきてるんだ。」と言い聞かせる。僕はもしものセカイにいる、と。
*
大人の僕が戻ってきて、しかも展開のわかっているセカイにいると元よりも速いながれの中にいるように感じた。
実際、この四年間というのはあっという間で、五年生、僕の小学生時代で最も濃い一年間に差し掛かっていた。
話は突然にして飛び込んでくるものだ。この時も同じ。親がとある中学受験で有名な塾のオープン模試のチラシをもらってきたのだ。
普通受験を意識する人は小学三年生の頃から受験勉強を行うのだが、当時楽しいことにしか頭にない僕は受験などせず、公立中学に進学することは殆ど明らかで受験なんてする気は毛頭なかった。勿論これは後悔に繋がる。面白いこと、その中には理科も含まれていた。僕は当時からキュリオスティ、つまり好奇心丈は常に旺盛で、自ら発明と称して色んなものを作ったものだ(尤も今となってはガラクタだが)。それにそもそも、理科のテストで百五十点中百四十点を下回った事がなかった。尤も子供の僕はそれは僕の頭の賜物ではなくただ簡単であったという事に気づいていない馬鹿者であった。
詰まり要約すると、僕は自信過剰状態にあったのだ。
受験など意識していなかった。けれども、ただ心赴くままにかの模試を受けたのだった。
結果は、良かった。それはもう、受験生すら追い抜かす程に。
これは今の僕が干渉したからではない。元々こういう未来だったのだ。そもそも算数は多少センスが必要だがこの模試はそうでもなかった。小学生の国語なんて、読み書きさえできればいい。英語だって読んで聞ければいいだけ。そんなもの取れないほうがおかしいのだ。
にも関わらず、僕は途端に塾というものに魅入られた。当時から小達に乗りやすい阿呆だったためだ。
「母さん、受験したい。」僕はそういう。けれど僕が居た時間では中学受験などしなかった。当然だ。これまで何もやってきていないでしょう、と。そういわれ言いくるめられて結局何か自分の頭を振り返り納得してしまった。
でも、今は違う。“僕”の頭脳があるのだ。卑怯な話、大人の僕の頭脳を使えば、どうってことない。そう思っての事だ。
だが、母のセリフは意外なものだった。
「あなたは今までそういって数多通信教育を辞めてきたでしょう。」
後頭部と旋毛の間程に鎚が振り下ろされた気がした。
受験を辞めさせた理由、それが自分が考えていた理由とは大きく違っていた。忘れていた。自分は当時ただ馬鹿だから受験を辞めさせられたのばかり思っていた。――こいつぁしくじった、僕はそう思った。もしものセカイに来てまで選択肢を間違えたのだ。ここがこうなった理由は僕の頭ではなく、当時の僕に対する母の信用の問題だったのだ(ある意味でこれも頭と言えなくもない)。
しかし、今の中味は現在の僕。小学生ごときにという余裕もあれば母を説き伏せることだって余裕だ。
「否、僕は――」そう言葉をはじめ、母を説得にかかった。
*
交渉は成功、僕は少しだけ、もしもを達成した。中学受験なるものをやることにしたのだ。最初こそ反対されたものの元来教育家の母、更にいうと両親がかぶりを縦に振るまでそう長くはかからなかった。
口、鼻から嫌な笑い、もとい“嗤い”が漏れ出す。当然だ。僕は僕でも“僕”なのだ。幾ら落ちぶれたといえど、この大人の脳みそがあれば赤子の手を捻るが如く、そう確信していたからだ。
この日、もしものセカイに来て初めての大幅な人生変更、僕の中学受験が決定した。
*
学校の風景も、当たり前だが慣れてしまい既に懐かしさすら覚えなくなっていた。
教室の扉を開けると同時に小学校独特の甲高い声が飛び込む。
「動物園かよ。」、愚痴を漏らす。
こんな騒がしい教室にもやはり空白のスペースというものはある。
――アイツの席の周りだ。
五年の頃、僕とアイツは同じクラスだった。そしてアイツは相変わらずの癖とその挙動から避けられがちだった。しかし、僕は彼のそばにいた記憶がある。勿論この時も、僕は彼を見下し、優越感に浸っていたという覚えがある。
彼は何かを凝視しながら時たま、「うむ」と呟いていた。
「なにをやってんだ?」僕は動いた。なんとも目立ちたがりで高慢ちきというのは困ったものである。
先述通り、このセカイで特に意識しなければ自然と嘗ての行動に従って動く事になる。僕は大きく変えたいと願ったところ以外は原則、嘗ての其れに従っていた。勿論、億劫だからという溢れんばかりの怠惰さも理由にあるが一番大きかったのが変に行動して予想できなくなってしまうというのが最も怖い為である。
そういう経緯から僕は自分の後で見直すと自信過剰極まりない行動をも見守っていた。全く自分で自分を見守るとはいといとおかしな話である。
彼の何か作業してるところを盗み見る。そこに在るのは算数のワークだろう、そう思っているとやっぱりそうだった。
「宿題のところがわからなくて終わらないんだ。」彼は籠らせた様な声で言う。
彼には前述の癖の他にごにょごにょとしゃべる癖もある、これもまた皆が彼に近寄らない理由の一つ。小学生とはなんとくだらないもので仲間外れを作りたがるものだ。尤も言い換えれば純粋という事もできる。
宿題がわからない、彼は授業を聞くのが苦手だった。真面目に受けていても、授業というものが彼の頭に幾ら知識を書き入れようとしてもウォータプルーフ紙の様に次から次へと弾いてしまう。だから、勉強が出来なかった。
嘗ての僕は彼に勉強等を教える、自分の知識をひけらかすために。
ここまでは変わらない、変えるつもりもなかった。実際これで上手くいったのだから。けれど一点僕は言葉を飲み込み、少し変えた。その言葉とは「お前も塾に行こうぜ。」だった。
前の世界では受験などしなかったから勿論乍某大型中学受験塾には通ってなかった。しかし、受験用ではなく中学への備え用としての塾には通わされており、僕は彼に其処を勧めた。勿論最初は僕の圧倒だった。しかし彼には塾のやり方があっていたのだろう、彼はあっという間にその実力を伸ばし、僕のそれに肉薄する。そして此処から近い未来、高校受験に於いて、彼は僕より偏差値が七も高い進学校に入る事になる。それが僕に何の害を及ぼすともなかったが、それでも心持好かなかった。そしてそれは今も同じ、何か劣等感を感じるのだ。
今でも自己嫌悪の種だが、僕は気が付けば人を見下している。そして何より一度でも自分よりも下だと思った人間に抜かされるのはなによりもどうしようもない気色にさせた。そう、それはまるでヒョードル=ドストエフスキーが著作、罪と罰のラスコーリニコフの様に自然と自分が天才と同化している様に思えて仕方がないのだ。
話は戻り、詰まる所、私は彼の成功が憎くて仕方ないのだ。――例えそれが彼の努力の末の結果だとしても、である。
「わからないとこがありゃ聞けよ。」、一言。下衆に。
彼が頷くのを見ると何故か少し安堵した。達成感、それと同時に激しい嫌悪感。僕の心は何故か晴れることなく、時が進むことになるのだった。
*
そこから一年の時が経つ。もう六年生だった。
そしてこれでもう彼が上がってくることはない、という確信因り安堵感に満ち満ちていた。
だが一方で、僕の受験は近づきつつある。だが、慌てる事はない。周りは所詮小学生なのだから。
そう自分に言い聞かせ人生二度目の小学生生活を楽しんでいた。
けれど、憂いがないわけではなかった。この時から、僕の家族関係は少しずつ崩れ始めていたことを思い出したためだ。今日この日だって家に帰るのが憂鬱であった筈だ。
「何がもしも、だ。」少し投げやりに呟く。
幾らこの先どうなるかを知っているこの“セカイ”でも、これだけは如何にもならない気がしてならなかったためだ。
家に入ると空気は重い。この頃、父と母は互いにあまり話さなくなっていた。最早末期的である。そして母の鬱病はこの頃から酷くなる。
原因は明らかなのにどうしようもない不甲斐なさ。
「畜生。」、一言それは部屋の奥闇に吸い込まれていく。
「結局、もしものセカイ、もしもあの時に、のセカイに居ても何も変わらないじゃないか。」
今更乍、気づいていた。僕はずっと、もしもあの時に、と言って、実行できていたなら未来は変わっただろうと思い込んでいた。でもそれは違った。簡単な話だ。幾ら先に問題がわかっていても、必ずしも答えられるとは限らない。この世界、セカイはそういうものなのだ。
父親の心が離れた原因、よくはわからないがそれは家族に愛想尽きた為なのだろう。元々浮気性な父だ。もしも、もしも僕等が彼を引き留めるような魅力――例えば僕がもっと賢い子供でさえあれば。そう思った所で重要なことに気が付く。
「もしも僕が父の心を引き留められるだけの賢い少年であれば。」
つまり、もしも僕が中学受験に合格し彼に認められればこの崩壊は止められるかもしれないという事だ。
部屋の奥、嘗ての優し気な表情はどこへやら。目の下の隈がやけに黒々とし、目玉を不気味に浮き上がらせている。「ただいま」という僕の一言すら聞こえていないようだ。
この後父と母は何度も持ち直してはこうなる。それは知っていたが、やはり決定的に繋ぎとめるには僕がこのセカイで受験に合格することだった。
小学六年生の頃の我が家は既に一軒家に住んでおり、僕に部屋もあてがわれていた。後の、僕の“殻”だ。僕の部屋は六畳程と平均的な大きさだったが、子供時代憧れて購入した下段に箪笥、勉強机のついた大型のベットで豪くスペースを占領していた。
カレンダーに現時期は十月とある。――受験は間近だ。
やや緊張はあるものの、当然受かると心の余裕は充分にある。
「念には念を、とも言うか。」僕はそばにあった小学生の頃の、ドリル等とも呼ばれる問題集を開く。が、暇なく僕はそれを閉じる。
「やっぱり、小学生の問題のやり方なぞ、忘れるわけない。そもそも覚えてなくてもできる。」この程度、小学生など歯牙にもかけん、と言わんばかり。
こうして僕は、残りの数か月、さして気に留めもせず、受験の合格と家族再生を確信したのだった。
*
時は受験、会場は沢山の小学生であふれかえっている。
メガネ、メガネ、メガネ。彼方此方にステレオタイプのガリ勉小僧が散らばっている。見た目の利口さにやや圧倒されるが、彼等は所詮小学生、恐れるに足らん事を思い出し、元の安静を取り戻す。
やがて、一番最初の教科、英語の試験が始まった。
英語は高校の頃も一番好きな科目だったため、初めて見る中学受験英語というものが全くもって簡単に見え、回答を終えるまでにそう長く掛らなく、終わりを告げる鐘が鳴るまでの間長らく鉛筆で宙をなぞっていた。
これはもう半ば決まったようなものだろう。そんな確信は算数の時間に覆された。
問題用紙には一面の図形、僕はこんな“算数”を知らなかった。
やはり乍大人になると生半可知識が付く所為か、柔軟な発想というものが出来なかった。やがて回収、解答用紙は殆ど配られた時の儘だった。
これには流石に焦りを隠せない。心臓が何時もの倍以上の速度で脈打ってるようにさえ感じられ、頭は麻酔を打たれたかの様にセメント化、足は電流が流れているかの様に痺れていた。
何にせよ一旦落ち着くべし、と思えば僕は席を立ち、行きに見かけた自動販売機に向かった。
自動販売機で紅茶を購入すると一口だけ口に含んだ。
喉はとっくに乾いており、何時もなら缶を急にし一気に飲み乾しているところだ。しかし、不思議とそういう気にはなれなかった。寧ろ喉の奥に何かが詰まっていて、先程の紅茶すら喉より下に下らない気さえした。
「畜生」と悪態をつき、外の風を浴びる。
心の中では「大丈夫だ。次は国語、更に次の試験が始まる迄に大分時間はある。落ち着くのだ。」と反復し、先程の失敗に対する焦りを抑えようとしていた。
しかし、次の瞬間、目の前に或る人物を見つけ、それはそうもいかなくなったのだ。
――アイツだ。
全身を細い毛先で撫でられた様な寒気。軈て噴出した冷や汗で前髪が額に張り付く。
彼が成長する切っ掛けは奪った筈なのに、何故か彼は目の前、ここ受験会場にいる。僕の頭上に沢山の疑問符が浮かび、先程とは別の類の焦りが生まれていた。
暫しの間、セメント化された空間を破り、目の前の人物、アイツに「よぉ。」と声をかける。
「あ、裕也じゃないか。」彼は微笑み言う。その無邪気さ相変わらずと言ったところだろうか。何故か少し怯んでしまったものの、直ぐに聞き返す。
「お前、何故ここにいる。」何よりまず気になった事である。答えは当然と言えば当然だが、「受験」と短く帰ってきた。
僕はすぐに何の事物が彼を此処に導いたのか、というディティールまで聞き出そうと、言葉を続けた。
「あれからね。」、あれから彼は自ら現状を憂い、一発蜂起しようと受験をすることを決め、受験塾、嘗て僕が勧めた様な中学準備塾でなく、嘗てラコニアで行われていた教育の様な厳しい行いの塾に通うことにしたのだという。
当然、最初はこの学校でなくもっと下の学校を受けるつもりだったが、塾で勉強する内間もなく彼はこの点に到達したそうだ。
僕はあまりの様、目の前の光景に愕然とする。まさか僕が潰したと思った芽がこんな風になるとは、と。
もしも、もしも僕が彼に塾を勧めていなくても彼は自らこういった運命を選んでいたのだ。
そうこうするうち、予鈴がなり、僕らは「じゃあ」と一言背を向け互いの席に戻った。
国語の問題は最早巨大なバーコードだった。本来解ける筈の問題は読めど読めど頭に入ってこなかった。今度は僕の頭の記録用紙がウォータープルーフに成っているかの様に。
そこから長くて短い時間。刹那僕はなにを思っていたかすら覚えていない。ただわかるのは、絶対に失敗した。ただそれだけだった。
小学生に負けた、その事実は僕の心を深く深く抉りぽっかりドライソケットが出来上がる。
「そうだ、アイツは。」そう思ったが、直ぐにある種の確信が脳に弾け、隅々に広がり満ちた。
「アイツは、多分受かった。」十中八九、といった所だろう。彼は恐らく受かっている。高校受験の時の底力が何よりそれを物語っている。
憂鬱だった。これで、僕のもしもは消えて、家族の再生すらままならぬという自らの不甲斐なさに、憂鬱だった。
「もしもあの時。」皮肉にも僕はもしものセカイでそう呟いた。
帰り道、斜陽に包まれたセカイの色は元の世界と何ら変わりなく、心に突き刺さった。
*
合格発表の日はそれまでの日々より更に憂鬱だった。
「どうせ、見なくたってわかる。」絶対に、合格という文字の上に要らない文字が付いているという事が。
電車の中、アイツに会う。彼は最も会いたくないと思っていた人物の一人であるにも関わらず、皮肉なものだ。
彼はなんともまぁ明るい。僕とは対比的な程に。
彼に会いたくなかった理由は勿論劣等感が擽られる故、というのもあったが、それ以上に彼の空気の読めなさにある。
元の世界でも彼は中学の時、その空気の読めなさを発揮し、元来の癖とその影響で孤立していた。詰まる所、彼は僕の落ち込みようを見ても全く察す気配なしに語るのだ。それは僕を苛立たせる。然し乍、僕はそれに何の反応も示そうとしなかった。疲れや何より、これは一種天罰であると思ったためだ。僕は彼を見下すどころかあまつさえ彼を貶めようとした。そんな罪悪感が僕の八つ当たり的な反応を許そうとしなかったのだ。
合否通知の入った封筒。分厚さで一目で誰が合格かわかる。これはわざとやっているのでは無いかというぐらいに顕著な違いである。
アイツの封筒は分厚い。一方で、僕のそれは薄かった。覚悟はしていても現実こうなると、腹に手を入れられ下から上へ胃の中を絞り出される様な気分の悪さで、強い眩暈が襲う。
うさぎとかめ、そんな童話があったっけ、そんな事を思いながら茫然自失。
「もしも、もしも僕が怠けずに走っていれば。」このセカイのもしも、そして家族再生もあり得たのだろうか。目の前が真っ暗とはよく言うが実際体験してみると無数の星が飛び回るように、もっと身近なわかりやすい例で言えば目の前でストロボを焚かれた様な感覚だ。
「アーア、失敗だね。」、あの少年、もしものセカイに連れてきてくれた少年の声がする。セカイはいつの間に崩れ去り、ここに来る途中にもみたアブストラクチャの様な中にいた。
「俺、結局駄目だったや。」情けなく、言う。でも少年は和やかな表情を変えずに言う。
「大丈夫だよ、もしものセカイ、君がもしもと後悔する瞬間には何度でも行けるから。」
「何度でも?」思わず聞き返す。それに対し少年、かぶり縦に振れば「うん、君が望む限り、何度でもね。」と言い、「勿論、今回のもしもを無くして元の状態からもやり直せる。」と続けた。
「じゃあ、じゃあ元の世界と同じ条件で、高校の、頃から。」相変わらず焦りがちに言ってしまう。一方で少年はきょとんと間の抜けた面立ち。
「本当にいいのかい?高校の頃で。小学生時代はもう。」と問われる。
「いいんだ。俺にはもうあの時代にもしもはない。」半分諦めの表情。
「それにしたって中学時代があるじゃないか。」と返される。
「お前ならわかってるだろう俺の中学時代を。」そしてやや苛立ち目に言う。
「そうだね。」と少年やや鼻白んだ様な顔。
「じゃあ行こうか。」、こうして僕はまたもしものセカイ、やり直しの世界に行った。