第六話 危険な〇〇
翌日のことである。
智昭がドアを開けると、玲奈が立っていた。
「ん?」
一旦ドアを閉め、目を擦ってからもう一度ドアを開ける。
そこにはさっきと変わらない現実があった。つまり、玲奈がドアの前に居るというのは現実であるということだった。幻覚のような気がしたが、現実である。
しかし、智昭はそれを認めようとはしなかった。
「あれ?遂に俺も精神を病んでしまったらしい。幻覚が見えるなんてな。精神科にでも行くとするかな」
ズイっと玲奈は身を乗り出す。
「いい加減、事実を認めたらどうなんですか」
「幻覚どころか、幻聴まで聞こえてきたな。本格的に末期らしい」
無言で智昭に近づく玲奈。
「イテテ」
あまりに認めようとしなかったので、玲奈に頬を抓られた智昭は思わず声を上げる。
「痛えだろうが!」
「現実逃避を行おうとした罰です」
玲奈は無表情だった。
それに何故か悪寒を覚えた智昭は目の前の現実と向き合うのだった。
「罰ってどういうことだよ、罰って。そもそもお前がそこにいるのはおかしい。一人で学校でも何でも行けよ! 俺を巻き込むな。ただでさえ、嫉妬に狂う男子の相手は大変なんだからよ」
「仕方ないじゃないですか。できる限り一緒にいろ、という命令ですし」
「何だ? 命令だから一緒にいるってか」
「個人的にも興味がありますし」
不覚にもドキッとする智昭。容姿端麗な玲奈からこんな思わせぶりなことを言われて動悸が不自然にならない男はほぼいない。何故、『ほぼ』なのかというと、趣味が一般的ではない男もいるからだ。
「個人的な興味ってどういうことだよ。俺に何かそんなに興味を引くような部分があったか?」
「勿論〈神殺し〉の力についてですけど」
何でもないような玲奈の様子を見て、智昭は自分が少々自意識過剰だったか、と反省する。
「そうか・・・はぁ、絶対危険な目に遭いそうだが、一緒に登校してやるよ」
「どうもありがとうございます」
玲奈はニヤリとする。
「思うんだけど、お前って丁寧語使ってるけど絶対相手を敬ってないよな。慇懃無礼って言葉が良く当てはまる、稀有な例だと思うぞ」
「そんなことありなせんよ。ただ・・・」
「ただ、なんだよ」
「相手によって敬意のレベルが異なるだけです。それで、あなたは下から二番目のレベルなだけです」
「いけしゃあしゃあとよく言うよな、全く。それじゃ、一番下は誰だよ?」
「それは秘密です」
人差し指を立てながらそんなことを宣う玲奈。
「それじゃ、学校へ行きますか」
これ以上ツッコむ気力も失せた智昭は強引に話を打ち切って、学校に行くことにした。
智昭達は一緒に通学路を歩いている。
聞こえてくるのは、呪詛の声。それ以外は全然聞こえては来ない。いつもならあるはずの登校途中の生徒達の話し声、その他諸々がまるで存在しないかのような、そんな登校風景となっている。
感じるのは、恨みの籠った視線。登校中の生徒がほぼ全員智昭達、否智昭だけを睨んでいる。最早視線だけで生き物を殺せそうなレベルに達していた。気の弱いものならば、一瞬で参ってしまうだろう。
「朝からこれだもんな。この先が思いやられるぜ。無事に家に帰れるか心配になってくる」
「凄いですね。でも、蓮華君なら何とかなるんじゃないですか? 生命力強そうですし」
「お前は本当に失礼な奴だよ」
肩を竦める智昭に、ふと背中を叩かれる感覚があった。
「よう、お二方青春してますね~」
「からかうのも大概にしろよ、和宏。こちとら命の危機さえ覚えてるんだから」
そんな智昭に首を振る和宏。こいつ何もわかってねえな、とでも言いたげな表情である。
智昭はそれに軽くイラッときた、という。
「もう手遅れだ。昨日の騒ぎの時点で智昭、お前の寿命はカウントダウンが始まっていた。男なら潔く諦めろ。それが賢い選択だ」
「どういうことだ!? それを言うなら和宏、お前も対象に入ってるんじゃないのか?」
「良く考えてみろ。昨日、どういう状況だった? 俺は誘われたか?」
「はっ!」
智昭は何かに気付いた素振りを見せ、玲奈に告げる。
「俺は用事が出来たから、後は頼んだ」
そう言い残すと、智昭は脱兎の如く走り去っていった。
かなり本気らしく、あっという間に背中が小さくなっていく。
「一体どうしたんでしょう?」
「さあな。何か用事でも思い出したんじゃないか? あんなに焦っているみたいだし。火急の用が突然出現したに違いない」
笑いを堪えながら和宏はそう言うのであった。
もし、智昭がこの場に居たら和宏を問答無用で殴り飛ばしていただろう。巫山戯たこと言ってんじゃねえ、とばかりに。しかし、残念なことにこの場に智昭はいないのだった。既に彼の姿は、玲奈や和宏の位置からは確認できないほどに遠くにあった。
騒ぎは玲奈が教室に入ったと同時に起こった。一斉にクラスメートが玲奈に詰め寄ってきたのである。
「城戸崎さん、大丈夫だった?」
「蓮華の野郎に何かされなかったか?」
「私が城戸崎さんを守ります!」
「蓮華智昭に罰を!!」
「城戸崎さんの貞操は渡さない!」
「寧ろ私がもらいます」
若干勘違いしている阿保が混じっているようだが、全体の意見は凡そ纏まっていた。
『蓮華智昭許すまじ!!』と、ほぼ全クラスメートは考えている。その為に、率先して見張りまでこなしている始末だ。これが本当の始末に負えないということ。はい、寒いですね。
くだらない洒落を言っている暇があったら助けてくれ、というのが現在、智昭が置かれている状況である。クラスメートは智昭を目下捜索中である。
見つかったらどんな目に遭うかわからん、と考え、隠れているわけだが、彼が隠れているロッカーの中も直に捜査の手が伸びてくるのは自明の理である。智昭はそろそろ隠れ場所を替えようと動き出す。
彼が次の隠れ場所に選んだのは───
◇
「つまり、そんなくだらない理由でここに来た、と」
方波見はこめかみを指で押さえる。
「確かに一見くだらなく思えるでしょう。しかし、現実に俺は生命の危機を感じたのです。だから、授業が始まるまでここで匿ってくれませんか」
「却下。と言いたいところだが、そんな状況では授業もままならんだろうな。取り敢えず、その馬鹿騒ぎだけは私が責任を持って潰してくる。安心しろ。私は有言実行タイプだ」
「誰もそんなことは心配しちゃいませんけどね」
幸いなことに、最後の智昭の呟きは方波見には聞こえなかったらしい。もし聞こえていたとしたら、先に潰されるのは智昭だった。(あらゆる意味で)
そんなわけで職員室を避難場所に選んだ智昭は賢明な判断だと言えるだろう。なんだかんだで隠れる場所も多いし、こんなところで騒ぐ馬鹿もいない。理想的な環境と考えられる。
十分程経っただろうか。方波見が戻ってくる。所々赤いものが付いているが、それはただの絵の具だと信じたい。あるいはケチャップか。
「馬鹿騒ぎは潰してきたぞ。後、特にうるさい奴は特別に締め上げておいた。これで、今日の放課後までは安心だろう」
さも自分が素晴らしいことをしたかのように語る方波見。
「良く今までそれで教育委員会に訴えられませんでしたね」
戦慄する智昭。
「教育的指導の賜物さ」
ニヒルに微笑む方波見の姿がそこにあった。
絶対違う・・・と、智昭は思ったが、口には出さなかった。我が身可愛さ故に。
一方、教室は死屍累々たる有様であった。いたる所で、嘗ては生徒であったものが地に伏している。
ピクピクと痙攣している程度ならまだいい、と言えるぐらいの惨状であった。何人かはピクリとも動かない。調べても、『ただの屍のようだ』としかならなかった。
「まるで台風のような凄まじさだったな」
「ええ。まさかあれほどとは・・・」
「本当に方波見先生は凄いよね~」
台風一過の如き教室には3名ほど無事な人間がいた。
和宏と玲奈と有希である。
彼等は改めて、自分たちの担任の危険さを確認したのであった。
「これを考えると、毎回あの担任に逆らってる智昭はかなりのものだよな・・・」
「智昭君は実はかなりすごかったんだ・・・」
本人のいないところで、勝手に評価が上がってる智昭なのであった。
「うお、なんじゃこりゃ」
智昭が教室に入るとすぐに、教室の惨状が目に入った。
「何をどうしたらこうなるんだ・・・?」
その疑問は尤もであると言える。クラスメートのほとんどはまだ立ち上がれないようで、伏せたまま。辛うじて、机の並びやらなんやらが無事なのがより怖ろしさを助長している。
机の配置が大きくずれることなく、ただ生徒だけが斃れている状況はかなり異常だ。ホラーの域に達している。寒気がしてくる。
「やっと戻ってきたか。これはお前の仕業だろ?」
和宏が目敏く真実に気付く。
「まあな。間接的にだが」
「どういうこと?」
有希が首を傾げる。
「逃げるのが段々困難になってきた智昭は職員室に避難した。そして、春チャンに直談判したってことだろ。何か間違っている所はあるか?」
和宏が智昭に一切事情を聴くでもなく、状況からすべてを察し、智昭の代弁をしたのだった。
「間違いではないけど、本人に春ちゃんって言ったら即アウトだと思う」
「勿論本人の前でいう訳ないだろ。そのくらい考えてるって」
親指をグッと立てる和宏。立てているのである。決して下に向けてはいない。
「そうか・・・。頑張れよ」
智昭は教室の入り口に目を向けながら、和宏の肩をポンと叩く。和宏には意味が分からない。生憎、和宏は智昭と向かい合っている構図なので、教室の入り口は見えなかったからだ。
「随分と面白い渾名をつけてくれたようだな。有り難く頂戴しておこう」
「え・・・?」
ギギギと音がするようなひどくぎこちない動きで和宏は振り返る。
そこには魔神・・・もとい方波見が立っていた。事情を知らないものが見れば、一目ぼれは確実なほどの微笑みと共に。
「ヤア、コレハコレハ。方波見先生ガココニイルナンテ知リマセンデシタヨ」
不自然な片言で和宏は言う。
なんというか、見にくいなこれ。片仮名は意外と読み辛い。多くの人が経験あると思うが、片仮名で書かれたものって結構覚え間違えとかあったりする。世界史なんかは特にそれが顕著だ。
「何は兎も角、大類には面白い渾名をつけてもらった礼をしなくてはな。私は礼を忘れるような失礼な女ではない。故に────後でたっぷりと礼をしてやろう」
「結構です。わざわざお礼をしてもらうほどのことでもありませんから」
とれそうなくらいの勢いでブンブンと首を振る和宏。哀れである。
「渾名云々は後にして、朝のHRでも始めようか」
元は生徒であった屍が教室内に散乱している中、方波見はHRを始めるのであった。
◇
一限目の途中辺りから徐々に復活する屍たち。
字面だけを見れば、どこのハイスクール・〇ブ・デッドだよ、と叫びたくもなるが、実態は方波見によって教育的指導をされた生徒たちがなんとか授業を受けられる程度まで回復しただけのことである。別にゾンビとかはいない。いてもいいかもしれないが、いないのだった。
時間が経つのは早く、昼休み終了五分前である。
和宏が職員室から戻ってきた。
「意外と無事っぽいな」
心配して損した、という感じで智昭は肩を竦める。
「目に見える部分はな」
憮然とした声で和宏は告げる。
「どういうことです? 目に見える部分に傷を残すと拙い、という虐待みたいなことでもされたんですか?」
「あながち間違えでもなさそうなところが怖いな」
初夏だというのに、智昭は体を震わせる。
「俺は心に深い傷を負わされたんだよ。それなのに誰もそんな考えには至らないとは。誰か慰めてくれないかな」
遠い目をして語り始める。それを聞いて、クラスの一部の女子たちはうずうずし始めるが、和宏は───智昭達も含めて気が付かなかった。勿論、ここでうずうずし始めた女子は和宏のことが気になっている者たちである。すっかり忘れがちなことではあるが、和宏は少なくとも顔だけはいい。顔だけは。
だからこそモテてはいるが、残念なことに彼は二次元を愛する残念な輩であるので、あまり色恋沙汰に興味がない。口ではそんなことを言いながら、まるでそんなことを期待しているわけではなかった。故に、女子の動きに気が付かなかったのだった。
「言い方がねぇ。普通に聞いたらそうかもしれないけど、相手が方波見先生だもん。仕方ないよ」
結局和宏を励ましてくれたのは有希だけであった。
「うおおーーー」
薄情な連中相手に悲しくなったのか、和宏は叫びながら何処へと走り去ってしまったのだった。