第五話 力を溜めるとテンションが上がるのはおかしい気がする
その日は若干のイレギュラー的要素があったにしても、智昭は凡そ今までの日常と変わりない平穏な日々を過ごしていた。
イレギュラー要素とは、玲奈の転校である。
彼女は転校してきて、すぐに容姿故に校内で一躍有名になった。
しかし、それを快く思わない連中がいた。妬みや僻みを持つ人間というのはどこにでもいるのである。連中は最初、玲奈の容姿に嫉妬する。そしてあることないこと誹謗中傷を流そうと企む。
だが、それは彼女の人当たりの良さ、そして能力の高さによって一旦は諦めるしかなかった。それ程までに彼女は圧倒的だった。
まず、授業では当てられた問題はすべて即答の上に悉く正解であった。次に、運動神経の抜群さ。才色兼備という言葉のこれほどに当てはまる人物は他ではお目にかかれないだろう、とほぼ全校生徒に言わしめる存在だった。
天は二物どころか3つも4つも一人に与えるのだなあ、と多くの生徒に思わせたのであった。
多くの生徒たちは好意的な感情で玲奈を受け入れた。
その一方で、それを羨望や跼蹐の念を持って玲奈を受け入れるものは皆無ではなかった。彼等は、最初から玲奈を快く思わない人間と結託して彼女に対する嫌がらせを企むのであった。
だが、そう簡単に上手くいかないのが現実の厳しさであった。
玲奈には付け入る隙がまるで無かった。
彼等だって、これほどに周囲の注目を浴びる玲奈に表立って嫌がらせをするわけにはいかない。学校での立場があるのだ。あからさまに嫌がらせを行えば、彼らの方が拙いことになることが十分に考えられるからして、そう簡単にいかないのが現状である。
そんな彼等にも吉報が届いた。
玲奈と智昭の関係という情報である。これを上手く活用すれば、玲奈を今の状態から引き摺り下ろせると狂喜乱舞する。
◇
「ちょっといいですか?」
そうやって智昭を呼ぶ声がする。
智昭は、誰だ?とばかりに周りをキョロキョロと伺う。
すると、玲奈が智昭に向かってこっちに来い、と手で合図していた。アレである。手をクイックイッと動かすあのジェスチャーのことだ。この合図は海外でやるときには注意しましょう。
無視するわけにもいかないので、智昭は玲奈の許へと向かう。
「何の用だ?」
「一緒に帰りませんか?」
危険な言葉であった。主に智昭にとって。
当然、クラス全体がざわめき始める。
───蓮華の野郎が城戸崎さんと一緒に帰るだと・・・
───許すまじ、蓮華智昭。
───夜道は精々気をつけろ。
───方波見先生と神谷さんの二人も囲っておきながら、さらに増やすだと・・・
───ああ、憎しみで人を殺せたら・・・。
色々と物騒な言葉ばかりが聞こえてくる。
智昭は聞こえない振りをして会話を続ける。
「どうしてだ? お前なら一緒に帰ってくれる奴なんてたくさんいるだろ。わざわざ俺と一緒とか冗談は止めてくれ。心臓に悪い」
「冗談じゃないですよ。蓮華君と一緒に帰りたいんです。どうですか?」
どうですかの言葉と共に首を軽く傾ける所作に、頼まれている智昭を差し置いて何故かテンションMaxの男子。スーパーハイテンションになりました。
『俺に頼む必要性は本来ないだろうが。目的が別にあることぐらいすぐわかるわ!』と言いたかったが、周りの空気を読んで言わないことにする。というか、そんな空気でなくとも言えないのはここだけの秘密だ。
言いたいことをぐっと飲み込んで当たり障りのない返答をする。
「まあいいぜ。ただ、もれなく和宏と有希が付いてくるけどな。それでもいいか?」
「それでもいいですよ」
余談だが、クラスメート達は男子がスーパーハイテンションになったあたりから自分たちの騒ぎのせいで、智昭達の会話を聞き取れた者は皆無であった。
「というわけで、これから城戸崎も一緒に帰ることになったから」
クラスメートである和宏と有希もまた、クラスの喧騒のせいで会話が聞き取れはしなかったが、途中までの経緯から予想はしていた。
智昭と玲奈が二人きりで帰ることを。
ところが実態は2人の予想と違い、4人で帰ることとなった。
これに内心喜んだのは・・・言わなくてもわかるだろう、とのことで明記はしない。
「これからよろしくお願いしますね」
「ああ」
「こちらこそ」
和宏と有希の返答。
「それじゃコイツにこの街でも案内してやるか」
智昭の提案に快く賛同したのは有希であった。
「転校してきたばっかりじゃ、わかんないもんねー」
「そうですね。案内していただけるとありがたいです」
「も~。同級生なんだから敬語なんて使わなくていいんだよ。あと、名前で呼んでくれると嬉しいな」
「わかりました」
「また敬語だよ?」
有希は苦笑気味だ。
「わかったよ? ゆ、有希」
「ん~。まだまだ修行が必要って感じだねー」
智昭と和宏もあまりの不慣れさに苦笑を禁じ得ない。
「どうにも不慣れで・・・」
「これから練習していけばいいと思うよ」
有希の暖かい励ましに顔を綻ばせる玲奈。
「そういや、何で智昭なんだ?」
暖かい空気を吹き飛ばすような和宏の質問。
今までとは打って変わって有希が不安げな顔で玲奈を見つめる。
「家が近いからです・・・・近いからかな。今、蓮華君の隣の部屋に住んでいますので」
敬語になりそうな時に、有希の言葉を思い出したのか、喋り方を変える玲奈。
が、最終的には敬語に戻ったのであった。
長く続けてきた習慣は簡単には直せないといういい例であろう。
一方、恐れていた様な内容ではなくて、有希はそれに安心したかのようにほっと溜息をつく。
しかし、先ほどの玲奈の台詞の内容を理解した時点から有希から禍々しいオーラが噴き出てくる。
今まで避難のつもりで会話に参加せず、彼等の後ろを考え事をしながら歩いていた智昭にその矛先が向かう。
「隣・・・・て初めて聞いたんだけど・・・。どうして黙ってたのかなぁ?」
ある蝉の鳴き声が聞こえてきそうである。ヒグラシのことか?いいえハルゼミです。なんだ、それならば問題ない。
そんな真夏に味わうべき恐怖を初夏である現在、智昭は味わおうとしている。
本人の望みとは無関係に。
ただ見てるだけでも面白いと和宏は思っていたが、このままでは目的が果たせないということで、智昭を助ける。
「まあまあ、有希も落ち着けよ。昨日分かったんだろ? だから報告できなかったって感じか。それにあの状況じゃ、騒ぎになることも避けられなかっただろうしな」
智昭は必死にコクコクと頷く。生死が関わっているから当たり前だが。
その言葉に溜飲を下げたのか、落ち着く有希。
ちなみに溜飲だが、『胃の具合が悪く、酸性のおくびを生ずること。むなやけ。』と広辞苑第五版に書かれている。これが下がることと不平不満がなくなることは、同じように胸がすっきりするから、現在の意味で使われるようになったとか。
「じゃあ、歓迎ってことでまずはカラオケでも行くか」
「案内するんじゃないのか?」
「カラオケに向かうまでの道のりの途中で色々と店を紹介するんだよ」
忘れてたな・・・と智昭は思ったが口には出さなかった。わざわざ指摘するほどのものでもないからである。
「カラオケはいい案だと思うよ。打ち解けられるし」
「そんなこと言って、歌いたいだけじゃないのか?」
「俺は勿論そのつもりだが」
「自信満々に言うんじゃねえよ。それに和宏には聞いてねえ」
「漫才でもやってるんですか?」
結局敬語に戻ってしまった玲奈は感心したかのように訊く。
100人中3、4人はお笑い芸人でも目指しているんですか、と聞きたくなるような会話であるかもしれない。そうだったらいいなあ。
「それもいいかもしれないな」
「無謀な挑戦だろ。どう考えても面白いとは思えん」
「本気にすんなよ」
そう言って和宏は智昭を軽く叩く。
「それがツッコミですか」
この話題はもう終わったと思っていたら、若干一名は目をキラキラさせながら見ていた。
どうしたものか、と智昭達は相談を始める。なんというか、ここまで世間擦れをしていないのは予想外であったといえる。
「いまのはツッコミじゃないよ」
まるで子供に教えるかの如き態度で有希は訂正する。
「はあ、お笑いには疎いもので」
あからさまにシュンとした態度をとられたので、有希はまるで自分が悪いことをしたかのような気持ちになったという。
「とにかく、カラオケでも行って気分を変えようぜ」
「俺もそれがいいと思う」
そんな感じで、カラオケ店へと向かう智昭一向。
「ふう~。満足したぜ!」
「そりゃそうだろうよ。自分の好きな歌を何曲も歌えばな」
苦々しげに智昭は言う。
「それにしても凄かったですね、大類君は」
「いつもより張り切っちゃって。確かに歌が上手くて、しかもいい曲なら良かったんだけど・・・」
有希もやや疲弊した声である。
「そうですね。コメントし辛い下手さと、アニソンとボーカロイドの曲ばっかりでしたからね」
「随分と辛口ですね」
和宏は泣きそうだ。
「仕方ないだろ。そもそも城戸崎を歓迎するとか言って、自分が一番楽しんでただろ」
「自分が楽しまなきゃ、人も楽しませられないんだぜ」
「程度によるだろ、程度に」
「それにしても城戸崎さん、ボーカロイドなんて知ってたんだ」
「そうですね。そういうのが好きな知り合いがいまして」
魔術師がそんなんでいいのか・・・と、智昭は思ったらしい。
「へえ~。でも、今日は楽しんでくれたかな?」
有希は不安そうに訊く。
「ええ、とても。こういう経験って今まであまりしたことがなかったので、楽しかったですよ」
満面の笑みを浮かべる玲奈。
『こんな表情もできたのか。』と、少し見惚れる智昭。
横を見ると、有希の顔は赤かった。和宏は平然としていたが。
「じゃあ、今日は解散ね」
そう有希が言って、智昭達はそれぞれ帰路につく。
尤も、智昭と玲奈は一緒だが。
◇
「今日はなんでまた俺と一緒に帰るだなんて酔狂なことを言い出したんだ?」
「建前上は観察あるいは監視ですね。でも、ぶっちゃけると友人が欲しかったからですかね。私は友人といえるような人はほとんどいませんから」
玲奈は翳のある笑みを浮かべる。
「・・・・・・」
無言の智昭。
こういう問題は下手につつくべきではないとの判断からであった。
「なら、お前は今日から和宏と有希の二人の友人を得たってことじゃねえか。良かったな」
ぶっきらぼうに智昭は言う。
しかし、玲奈はこれが智昭なりの照れ隠しであることに気が付いていた。
「あれ? 蓮華君は入ってないんですか?」
「俺は建前上友人じゃないんだろ?」
「あくまでも建前上です。実際は何でもいいんですよ」
顔を見合わせると、一斉に笑い出す智昭と玲奈。
本人たちもここまで短い期間で打ち解けられるとは思っていなかった。
そうして、2人で笑いながら家に着く。周りの人間に奇異な目で見られていたのは、この際無視をする。強調しても特にいいことはないので。
どうでもいいことだが、智昭が玲奈に街を案内することを思い出したのは、夕食を食べ、風呂に入って、のんびりと寛いでいるときだったらしい。
「あっ! 案内し忘れた」