第二話 学校生活
蓮華 智昭は暇を持て余していた。
当たり前のことだが彼は身分的には高校生であり、今は絶賛授業中である。それなのに暇を持て余すということは端的に言えば授業を聞いていないということに他ならない。
確かに授業など、普通の神経を持っている人間であればできる限りサボりたいと思うだろう。しかし、多くの人間は様々な思惑から授業を受けなければならない。もっとも、それでもサボる人間はいるのだが。
この場合、智昭は積極的に授業をさぼる人間ではない。それどころか驚異の出席率を誇っていた。あくまで出席率だけで、まともに受けているかどうかは別問題である。
「退屈だ。何か起こらないかな」
彼がそう思ってしまっても無理はない。彼の日常は一般のそれから逸脱しているということはいたってなく、平穏な日々を送っているのだ。そんな日々を送っていれば、男であれば誰しも非日常を求めたくもなる。決して中二病を疑ってはいけない。平穏に生きていれば非日常を求めてしまうのは男の性なのだ。ああ、いと悲しきかな男の性よ。
彼の呟きが聞こえていたらしく、チョークが飛んできて彼の額で弾けた。チョークが弾けるなんて一体どんな初速で飛んできたのだろうか?というよりそんなものが直撃すればただでは済まない気がする。
そういうわけでチョークの直撃した智昭は机にバタリと倒れ込んだ。しかしクラスメートは何事もなかったかのように振る舞う。これが噂の事なかれ主義だ。全員この男と担任との諍いに関わるのを避けているのである。
こんな若いうちから世間との付き合いを覚えるなんて何か物悲しさを感じないでもない。こうやって擦れた子供が増えていくのだろう。
「退屈なのか? なら楽しくなるようにこれから授業で私の有難い訓示を毎回聞かせてやるか? または毎回宿題を大量に出せばいいのか?」
件の担任教師である方波見 春奈は微笑みながら尋ねる。だがこの時の彼女の顔をしっかり見た生徒は気付いただろう。彼女の顔に青筋が浮いていることに。
「今のままでお願いします」
なんということだろうか。あんな威力の攻撃を食らったというのに智昭はムクリと顔を起こして額をしきりに擦りながら答えた。
しかしだ。この驚異的な出来事が起こったというのに彼の級友たちは普通に流していた。なぜなら、この風景は最早このクラスの日常と化していたからである。生徒たちにとっては見慣れた風景なのだ。正直こんな日常は御免こうむりたい。
「いつもそんなことばかり言っているだろうが。少しは学習しろ。まさか貴様は3歩歩けば忘れてしまう鶏みたいな鳥頭です、とでもいう気か? まあ、そんなこと言ってもやることは同じだがな」
「勘弁してください。そんなこと言っていつも大量の課題を出すでしょう。いい加減教育委員会に訴えますよ」
「ほう。随分と面白い冗談を言うようになったな。よし後で職員室に来い。たっぷりと可愛がってやろう」
ところでこの担任は見た目がかなり良く、スタイルもばっちりなのだ。ええ、決していやらしい視線はしていませんとも。そして生徒には隠れファンが大量にいると専らの噂である。噂とは名ばかりの事実ではあるが。そして比較的智昭達と年齢が近い。
そして、極めつけのこのセリフ。
俄然教室は盛り上がった。いつの時代も若者たちが好む話題は変わらない。
───おおー!遂に春奈チャンが蓮華に愛の告白を!
───式は一体いつ挙げるのかしら?式場を予約しなきゃ。
───スピーチはどうしようかな?
───俺が二人を結びつけた愛のキューピッドですって言おうかな。
───ブーケは私がゲットするのよ!
───蓮華め。よくも僕の方波見先生を・・・。
盛り上がり方が若干おかしい。何故か結婚式を挙げることになっている。まだ二人は付き合ってもお見合いをしたわけでもないのに不思議なことである。おそらくだが理由はなんだかんだで方波見が結構智昭に目をかけているからである。見ている人は見ているものだ。しかし彼らは重大な点を一つ見逃していた。智昭はまだ18歳ではない。この国の法律では18歳未満は結婚できないことになっている。故に残念ながら結婚式は挙げられないのであった。本当に残念である。
それと最後のセリフは聞かなかったことにしておくべきだろう。危険な香りが漂ってくる。新月の晩とか気をつけなきゃいけないタイプの。闇討ちとかは勘弁してほしいものの一つである。隠れファンは本当に怖い。饅頭怖いとかじゃなくて真剣にこわいです。
これに大きく反応したのは方波見だった。顔を真っ赤にして怒鳴る。
「お前ら黙れ! 教師をからかうな」
「え~。そんなこと言って先生も満更じゃ無いくせに~」
「井上、後で覚えておけ」
「すみませんでした!」
「弱っ!」
あまりの変わり身の早さに智昭はついツッコミをいれてしまった。そして、不覚とばかりに肩を落とす。智昭は自称お笑いにうるさい人間だ。あくまでも自称である。そこでついツッコんでしまうのは仕方がないにしてもこの場では一応真面目でなければ後が怖い。おそらく方波見には智昭が巫山戯ている様に見えたに違いない。面倒なことになったと智昭は内心頭を抱えた。
「ほう。私の説教の最中に遊んでいるとは命が惜しくないと見える。覚悟しておけよ」
予想通りの結果に智昭は思わず天を仰いだ。しかし見えるのは教室の汚い天井であった。
そしてまるで何の問題もなかったかのように授業は再び再開されるのである。それに慣れたクラスメートもまた授業に集中し始める。智昭一人が置いて行かれた形となった。
「あれ、なんか目の前が霞んで良く見えないや。あはは」
乾いた笑いを上げながら、智明は机に突っ伏し仮眠をとることに決めた。
◇
気が付くと放課後であった。しかし智昭はそれを知らない。取り敢えず智昭は近くにいた西田君に質問してみる。
「今何時だ? 誰か起こしてくれなかったのか?」
「いや、先生たちが必死に起こそうと色々試してたけど全く起きなかったのは君だよ。それと今はもう放課後だよ」
西田君の顔を見つめながら智昭の思考は暫し停止した。その言葉を理解するまで時間が異様にかかる。寧ろ脳が考えることを放棄していると言っても過言ではない。
ようやく西田君の言葉を脳で処理し終わった智昭は無言で汗を流す。
彼は今日学校に来てから一限目を受けている途中にふて寝をした。本人は仮眠と言い張っているが。
すると、なにが起こったのか目が覚めると放課後なのである。誰かがタイムマシンを発明したか、時間を進める能力を持つ敵の仕業に違いない。誰の思惑だろうか、と現実逃避気味に考えてみるが、現状に変化はない。
「マジで・・・・・・・?」
「そうだよ。そう言えば方波見先生はカンカンだったね。頑張って」
「そ、そうか。逃げようかな? いや逃げても無駄だな。腹を括るしか道は残されてないな。────じゃ職員室にでも行きますかっと」
無情な現実に涙しながらも弱者はこうやって強者から一方的に都合を押し付けられるのか、と妙に達観し、墓場もとい職員室に向かうのであった。
「と、そういや昼飯も食ってなかったな。食べてから行くかな。どうせ今更急いでも無駄だし、どうせなら最後の晩餐の気分でせめて腹だけでも満たすか」
とか言いながら、職員室に向かうために立ち上がったのをそのまま座りなおして既に買ってあったコンビニのおにぎりを鞄から取り出し、食べ始める。
勿論前述のとおり最後の晩餐の気分ではあるが、晩餐ではない。
寧ろ間食に近い。
時間的にも。
とすれば、これは最後の間食とでも呼称するべきだろう。
『何か名前が今一つだな。でもこれ以上の名前はまるで思いつかない。俺にはネーミングセンスがなかったのか・・・』と新しく浮かび上がった事実に愕然としながらおにぎりを食す。
そして智昭は悪魔の居城・・・ではなく職員室に入った。そして悪魔ではなく方波見の机へと歩を進める。
「やっと来たか・・・。遅すぎだ、ボケが」
「いやー、こんな時間まで爆睡してまして。さっき起きたばかりなんですよね」
「そんなことだろうと思ったよ。他の先生が昼なのに蓮華が起きないなんてブツブツ言ってたのを聞いてたからな」
「わかってたなら少し軽めにしてくださいよ」
「それは無理な注文だな。諦めろ」
方波見は嘆息しながら机の上の書類をゴソゴソやり始めた。なかなか目的のブツが見つからないようで次第に焦る教師の姿がそこにあった。
「きちんと整理したらどうです?」
机の上のあまりの惨状に思わず智昭は口出しした。それ程までに悲惨な状態である。机の上は書類でぐちゃぐちゃで辛うじてB4の紙一枚分のスペースが空いている。これは酷い。何と言うか酷過ぎる。目も当てられないとはこのことだ。
「そんな目で見るなっ!」
本人も気づかぬうちにどうやら憐みの目というか、生暖かい目で方波見を見ていたようだ。
方波見の顔は真っ赤である。恥ずかしがっているらしい。
パンツじゃないから恥ずかしくないっていうのは間違いである。パンツだろうとパンツじゃなかろうと恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。これがこの世の真理だということに智昭は気付いてしまった。
「大体お前は教師である私に対して尊敬の念がない」
方波見は今までの鬱憤を晴らすかのごとくブチブチ言い始める。そして止まらなくなる。愚痴は1回言い始めるとなかなか止まらないものであるからだ。
それを華麗にスルーして、智昭は本題に入るよう促す。
「クラスの誰も先生に尊敬の念なんて持ってませんよ。そんなことより、呼び出した目的を早く果たしてくれませんか? 俺、さっさと帰りたいんで」
「そうなのか!? ならば私はどうすればいいんだ? 思い切って恐怖政治に手を出すか? しかしアレだと反乱が起きるかもしれないし・・・」
予想外である。まさか方波見が前半のセリフにここまで反応するとは夢にも思わなかった智昭は無理矢理本題に入るしかないと考える。
──────パンパン
あまりに方波見が思考に没頭するので、智昭は手を叩いて正気に戻させた。もっと違う方法を使えばよかったと智昭は後悔する。理由は後でわかる。
──────ガスッ
急な音に驚いた方波見は思わず近くにいた智昭を反射的に殴ってしまった。思わず反射的に殴ってしまった。大事なことなので2回言いました。
故意ではないことを説明するためである。
大事なことなので3回言ったらどうだろうか。若干くどい。
「痛っ。何すんですか。体罰で教育委員会に訴えますよ」
「悪いな。つい驚いて反射的に殴ってしまったではないか」
「まるで俺が悪いかのように・・・」
あまりの無責任さに涙したくもあるが取り敢えず耐える。だって男の子だもん。自分で言っておきながら少々気分が悪くなった。
「それで、何で呼び出したんですか?」
「いつものように大量の課題と、連絡事項がある」
「連絡事項ってアッチのほうですか?」
智昭の顔が少し真面目っぽくなる。しかしいつもユルユルな表情をしている為、少し真顔をした程度ではあまり変化が見られない。つまり一般的に言う真顔にはならなかったのである。
余談だが、彼はいまいちしまりのない顔をしているわけである。決して顔が悪い訳ではないが締まりのないせいであまり良く見られない。要はモテなかった。でも、もしかしたら隠れファンの一人や二人ぐらいはいるかも知れない。人の好みはそれぞれだから。そんな希望を持たせるようなことを言ってみる。
「そうだ」
「一体何の用ですかね?」
智昭はある程度予想はついているが、それでも敢えて尋ねる。
「そろそろお前の正体が国内の主だった機関・組織にバレそうだ。だから注意しろ、ということだ。正直そろそろヤバいとは思っていたがな。所詮私の力ではこの程度が限界だ」
方波見は声を潜めながら言う。身を潜めてはいない。身を潜めるのは忍者だけで十分だ。
それはそうと、本人はやや自虐的だが、結果自体は素晴らしいと言える。そもそも、方波見一人でここまでの間、隠蔽できたことが奇跡に近い。
「先生は頑張った方ですよ。まあ、取り敢えず注意しときます」
そう言うと、智昭は方波見に背を向け職員室を出て行った。取り敢えず何だかうやむやな感じで説教が終わり、智昭の機嫌はストップ高となった。思わずスキップしてしまうぐらいである。でもスキップはしなかった。怒られるからである。そんな風に気分よく智昭は下校する。
「杞憂に終わるといいんだが・・・」
方波見は智昭が職員室から出ていってから誰ともなしに呟くのであった。