第十五話 届かない
玲奈は油断なく構える。
「一体何が目的ですか?」
そう言いつつも突然に現れた男に警戒している。
「そんなに警戒しなくても」
苦笑しながらも、まるで殺気を隠そうとしない男。
実は実戦経験など皆無に等しい玲奈は内心冷や汗をかく。あまりの殺気に中てられているのだ。
正直、自分の実力でどこまで相手できるかは未知数。あの手練れの方波見からも不意を突いたとはいえ逃亡できたのだ。果たして、どうなるか・・・。
玲奈は知らずの内に唾を呑みこんでいた。口の中は乾ききってカラカラである。
「ここに僕が来た理由は1つだけだ。君の力を貰う。それだけだ。どうやら君はかなりの力を持っているようだからね」
こんな状況でなければ、赤面の一つはしそうな程の笑顔。良く見れば、男の顔は非常に整っている。金髪碧眼の青年である。身長もかなり高めだ。185ぐらいはある。
けれども、そんな笑顔を向けられてさえ、玲奈は寧ろ緊張する。男は笑顔だが、目がまるで笑ってはいない。さらに、彼の手の内さえ不明だ。
実力的にも厳しいのに、これだけ悪条件が揃っている。
絶望的ともいえる状況だ。
しかし、玲奈は絶望はしていなかった。彼女の作戦と言うにはあまりにもお粗末なものだが、ただ一つ状況を打開する術はあった。逃げることに専念することだ。それに、上手くいけば、智昭が戻ってくる可能性もある。智昭がいれば、勝つことが出来なくとも、負けることはないと踏んでいるのだ。
それはその通りだと言えるし、そうではないとも言える。
さきほどの状況から見るに、どうもこの男は人払いの結界か何かを使ったようだ。とすれば、智昭が来る可能性は五分五分であると、玲奈は考えている。(玲奈がそう考えているだけで、実際はそうではない。実のところ、智昭をこの程度の結界で阻むことなど不可能だ)
だから、智昭が来ることは確実だ。だが、智昭が彼と戦ってどうなるか、までは実際に戦ってみないとわからない。
なんて言ってはみるが、先に言ってしまうと負けることなど有り得ないはずだ。なんだかんだ言っても、智昭は曲がりなりにも〈神殺し〉なわけで、展開自体は読めないが、負けることは有り得ないだろう。勿論勝てるかどうかは知らないし、そもそも負けるというのがどういう状態なのか定義されていない以上、それも微妙といえるかもしれない。
そんなことを玲奈は考えているので、彼女は智昭を待つ。
だが、これがどういうことなのかというと、智昭以外の助けは全く期待できない状況で、智昭が来るまで時間稼ぎをしなくてはならない。
これは言葉で言うのは簡単だが、実行するのはとても難しいことだ。明らかに自分より格上の相手に、よりにもよって時間稼ぎという消耗戦をしなくてはならないのだから。
本来、実力が劣るものは、素早く相手を殲滅できなければ負けると古来から決まっている。それは当たり前のことで、基本的にそういう明らかに力の違う者同士の戦いで、不意打ちやら搦め手やらそういう方法以外で勝つことは古今東西存在しないといっても過言ではない。
つまりはそういうことなのだ。
その考えが行動に出ていたのだろうか。
「どうしたんだい?ああ、焦っているのか・・・。無理もないね。こっちの言葉にもあるものね。『蛇に睨まれた蛙』って言葉が」
わざとらしく微笑んでいる男。
「一体何者ですか?そもそもあなたは誰ですか?」
やはり焦っているのか、それとも時間稼ぎなのか、はっきりはしないが、玲奈は男に問いかける。
「そうだったね。やっぱり名乗るのが礼儀かな。僕はジョアッキーノ・コンコーネ。だけど何と呼んでくれても構わないよ。どうせ君は死ぬんだし」
あまりにあっさりと、宣言してきた。
明らかに危険な空気がこの男───ジョアッキーノ───から噴き出している。
せめてこの男の目的だけでも、と玲奈は必死に食い下がる。
「私が死ぬのに、なぜ、この間の彼等は生きていたのですか?」
「ああ、あれか。あれは後から殺すつもりだったんだよ。だけど思わぬ邪魔が入ってね。結局殺すことは出来なかったんだよね」
あっけらかんと、まるで庭で子供たちが遊んでいるとでもいうような、そんな何でもないような口ぶりである。
その態度に玲奈は戦慄を覚える。
敵で最も危険なのは精神がおかしい者だ。異常な精神をしている者は予想外の、非効率的な条理に合わないことをすることがままある。
予測ができない。それだけで途方もない危険性が内包されているのは火を見るより明らか。しかも力量が相手の方が上。
性質の悪い冗談だとしか玲奈には思えない。
だが、やるしかない。やるしかないのだ、生き残るためには。
玲奈はジョアッキーノを睨みつけながら、いつでも動けるように四肢に力を込める。
その様子にジョアッキーノは気付き、
「どうやらやる気のようだね。まあ無駄だけど」
憎たらしいほどの笑みを浮かべる。
2人はジリジリと動きながら、ともに相手の隙を探る。
先に動き出したのはどちらであっただろうか・・・。
2人は高速───一般人では目で追えないほどの速さ───で激突する。
そして、次の瞬間にはバッと距離を取る。
玲奈の手にはいつの間にか薙刀があり、僅かにダメージを負ったようで軽くふらつく。
一方ジョアッキーノは全くのノーダメージと言ってよい状態。
「ふはは。なるほど、召喚法か・・・。なかなかに面白い。でも、この程度の腕では僕を倒すことは不可能だ。残念だったね」
心底楽しそうな様子のジョアッキーノ。
玲奈はそれを無視して、再び薙刀を構える。
目的はあくまで時間稼ぎであり、余計な挑発には乗らない、という思いが透けて見える態度だった。
普通の相手なら、ここで若干ムッとしないでもないだろうが、相手は異常な精神の持ち主。玲奈の態度など全く気にはしていなかった。
そして、再度ジョアッキーノに突貫する玲奈。
しかしそれを見越していたのか、軽く躱すジョアッキーノ。躱すついでにカウンターとして回し蹴りを決めようとする。
玲奈はそれを紙一重でヒラリと躱し、離れる。
と思いきや、またも攻める玲奈。
攻めに攻めに攻める。息を吐く間もないほどの連撃に次ぐ連撃。薙刀の先端が霞んで良く見えないほどの速度。一撃でも当たればただでは済まなそうなもの。
ところが、ジョアッキーノはそのすべてを悉く避けていく。そんなものは遅いと言わんばかりに。
「速度は70点てところかな」
躱しながら、そんなことを言う余裕まである始末。
玲奈は歯を食いしばり、攻撃を続ける。
何故、玲奈はこのような真似をしているのだろうか。時間稼ぎなのだから、守りに徹すれば良さげなものである。
だが、それではいけないのだ。彼我の戦闘力の差が良く分からない。とすれば、守りに徹することは寧ろ悪手であるとさえ言える。もし、相手がこちらの想定以上の攻撃力を持っていたとすれば、一瞬で沈められることも想像に難くない。
先人が『攻撃は最大の防御』と言ったように、相手に反撃する隙を与えないことが玲奈の命を繋ぐ手段であることは間違いない。
そのための連撃。
尤も、相手には簡単に避けられてはいるが。
そして、徐々にだが恐れていたことが始まってしまう。
玲奈の体力は無限ではない。勿論相手もだが。
だが、息も吐かせぬほどの連撃をしている一方、それをのらりくらりと躱すだけ。
どちらの方が体力の消耗が大きいかなど、馬鹿でもわかる。
徐々にだが、攻撃の手が遅くなっていく。
それが意味するのは、相手にも攻撃の機会が与えられたということ。
疲労の滲み出た攻撃は大振りになり、精彩を欠いている。
そんな隙をジョアッキーノが見逃すと思うだろうか。
答えは否。
「ぐっ」
遂にジョアッキーノのボディブローが玲奈を捕えた。
そのまま吹き飛ぶ玲奈。
「げほげほ」
何とか地面に激突する前に受け身を取ったはいいが、今さっき喰らったボディブローのダメージから咳き込む。
「うーん。なかなかの攻撃だったね。今まで戦った中ではそこそこ手ごわかったよ。もうすぐ終わりなのが少々勿体ないくらいにはね」
相変わらず憎たらしい笑顔を浮かべたままのジョアッキーノ。
玲奈は先程のダメージから動くこともままならず、憎々しげに見上げながら睨むことしかできない。
「その表情はいいねえ。万策尽きてどうしようもないけど、まだ諦めていない顔。でも君はもうおしまいだ」
そう宣言し、とどめを刺そうと手を振り上げる。
それを見ながら玲奈は思った。このまま自分は死ぬのか、と。
これまでの人生が走馬灯の如く頭の中を駆け巡るのかと思いきや、頭をよぎったのは一人の締まりのない顔をした少年。何故、今その顔がよぎったのかは定かではないが、その一瞬で色々な思いが駆け巡る。髪留めのお礼もしていないし・・・。
まだ、死にたくないな、と。そう思った自分にひどく驚き、そして同時に不思議と心が温かくなった。
だが、そんなことはお構いなしのジョアッキーノ。
しかし、その手が振り下ろされることはなかった。
なぜなら・・・
「おい、そこを退けよ。木偶の坊」
蓮華智昭がそこにいたからだ。