第十三話 え?これ観るの?
あっという間に過ぎ去る時間。そして、約束の休日。
智昭は悩んでいた。
ウェルテルほどではないが、智昭も苦悩することはある。主に服に関してだったが。
誘ってきた理由は、本人曰く、まだこの街を案内してもらってないとのことだった。が、2人きりで出かけるのだ。色々と気を遣わなくてはならない。けれど、生憎智昭はそういう経験が皆無に等しい。どんな服装をすればいいか、考えている。だが、結局いい案は出ず、普通の格好をすることにした。
そして、家を出る。ここで、出来るなら智昭は隣に住んでいる玲奈と共にマンションを出たかった。それは適わないことではあるが。
玲奈は、智昭に近くにある駅で待ち合わせをしようと言ってきた。智昭としては、そんなのは願い下げで一緒に行った方が効率的だし、無駄な時間がないと思ったのだ。けれども、そのときの玲奈に逆らってでも主張は出来なかった。妙な気迫があったのだ。
そういうわけで、待ち合わせの時間に間に合い、且つバッタリと出くわさないように早々と家を出る羽目になった。別にそのこと自体に不満があるわけではないが、どうにもわからない。何故、わざわざ待ち合わせをする必要があるのか。それは所謂女心というやつで、多分智昭には───ほとんどの男も含めて───一生かかっても理解できないに違いない。
したがって、理解するのは諦めているが、そもそも一緒に出掛けるのも、別に俺じゃなくても良かったのでは・・・と思っている。本人曰く、出かける理由はこの街をまだしっかり案内してもらってない、ということらしい。
でも、それならば有希とでも出かければよかったのだ。同じ女性なら、全く気兼ねせずどこにでも行ける。男が入り辛い、入れない場所にだって行ける。智昭である必要はほとんど感じないのだから。
と、そんなことをつらつらと考えながら、玲奈を待つ。
やはり、少し早かったか、と智昭が感じ始めた頃、遠目に玲奈がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。これならば、あと五分もすれば到着するだろう。そう考えた智昭は一応目立つところに立つ。なんだかんだ言っても、休日の駅には人がたくさんいる。見つけられない可能性がある以上、目立つところにいるのは当然だ。
ややあって、智昭の姿を視認した玲奈はそちらへ駆け寄る。
「待ちました?」
「いや、そんなに待ってない」
玲奈の登場により、周り───おそらく智昭同様待ち合わせをしている人たちだろう───は彼女に目を奪われる。普段見ているので忘れがちだが、玲奈はかなりの容姿である。
そして、その玲奈が普通の顔の智昭に駆け寄っていくのを見て、周りは目の前の理解し難い現実を見て、一瞬フリーズする。要は現実を受け入れられないのだ。容姿端麗な人には同じく容姿端麗な人が付き合うべきだと、世の中の大半の人は考えているので、それが非常に納得がいかない。やがて、現実を認識し始めた者から、智昭は嫉妬の眼差しを向けられるのだった。
日々の生活で慣れたとはいえ、気持ちのいいものではない。故に智昭はさっさと退散しようと考える。
「取り敢えず、どこ行く?」
冷や汗交じりに智昭は尋ねる。嫉妬の視線は痛いのだ。もっと鈍感であれば全く気にせずにいられたのかもしれないが、智昭はそこまでの鈍感力は持っていなかった。
「そうですね。映画館でも行きましょうか。丁度見たい作品があるんです」
若干いつもよりテンションの高い玲奈。
智昭もそれに気が付いたが、見たい映画が見れるからだろうと考えていた。
「わかった。じゃあ、その映画でも見に行こうか」
「はい」
話し終わると周りの視線から逃げるように去っていく智昭であった・・・。
ここで言うのも何だが、智昭達が待ち合わせに使った駅はこの苑宮市に於いて、中心部にある駅だった。つまり、その駅の周辺には大体の施設があると考えて相違ない。映画館など、徒歩数分の場所にある。
映画館に着いた2人。
「えと。何見るんだ?」
「あれです」
玲奈は現在上映されている映画のポスターを指差す。それを見た智昭は目を疑う。何度も見間違えじゃないか、と思って目を擦ったり、瞬いたりするが、玲奈の指は変わらずに一つの作品をさし続けている。
「え? マジで?」
「そうですよ。マジ、です」
玲奈が指差していた作品とは、とあるアニメ映画である。もともとテレビアニメだったのが、かなり人気が出たために、映画がつくられたという話の作品である。社会現象が起きた程の超有名アニメなのだ。放送時間は深夜だったが。
「・・・そうか」
人の知られざる趣味を知ると、意外に悲しい気持ちになるのだな・・・とまた一つ智昭は学習した。見た目とのギャップが大きすぎるのだ。最早ギャップ萌えも何もなかった。残念という言葉が浮かんできそうになったが、慌てて智昭はそれを脳から打ち消す。女性は勘が鋭いと昔から言われているので、その思いが読み取られる可能性があったからだ。
「じゃあ、俺がチケットを買ってくる・・・」
後半にいくにつれて語気が弱くなる智昭。売り場の人にに自分がどう思われるか考えた結果である。そういう趣味を持っているわけではないのに、持っていると確実に勘違いされるだろう。遠慮願いたかったが、無理である。
哀愁漂う智昭の背中を玲奈は見ることなく、映画館内をウロウロと歩き回る。事前に情報は得ていたが、実際に訪れたのは初めてなので、色々と物珍しいのだ。その為に、智昭の哀れな姿を見ずに済んだともいえるのだが。
智昭が売り場の人───案の定女性だった───のところへ行き(これからは売り場のお姉さんと呼ぼう)、様々な己のプライドとかその他諸々を捨てて、その映画のチケットを買う。
「この作品のチケットを高校生二枚で」
生徒手帳を出しながら言う。
智昭は恥ずかしくて、売り場のお姉さんの顔もまともに見れず、俯いたままだ。いくら自分の趣味ではないといっても、こういう作品を見るのだと思われると、流石に羞恥を感じる智昭であった。
本編開始前のCM中に着席した2人。
かなり楽しみにしているのが良く分かる玲奈。
それとは対照的に、落ち込んだ空気を醸し出す、智昭。実際に泣いてはいないが、内心さめざめと涙を流しているのであった。
売り場のお姉さんの顔をチラリと見てしまったために、そんな状態になったのである。その時に見た顔は・・・生暖かい笑みを浮かべていた、と智昭は語る。
そんな顔を見て平常心でいられるほど、智昭は図太くなかったので、そのような心理状況となっている。意外と繊細な男なのであった。
だが、そんな智昭の様子に気づくでもなく、もうしばらくすれば上映されるであろう作品に心を奪われている玲奈がそこにいた。それを見て智昭は何となく、ヒーローショーに夢中になる少年を思い浮かべた。特に意味はないが。ただ、そのような感じを今の玲奈から受けたのだった。
ふと、周りを見渡してみる智昭。そこには、予想通りというか、当然というか、あからさまな連中ばかりである。僅かに、子供連れの親子や、カップルなども見られたが、大凡はそういう連中であった。
どう見ても玲奈はこの空間から浮いているように思えたが、本人が見たいと言っているので、まあいいか、と智昭は考え直す。どうせ後ろの方の席なのだ。ほとんど気が付かないに違いない、と考えたのである。
そのように思考に没頭していると、いきなり暗くなる。何だ?と一瞬思ったが、冷静に考えるとそろそろ時間のようなので、どうやら上映が始まるようだ。あまり知っているわけでもないのだが、和宏によってある程度の知識は無理矢理教え込まれたので、『毒も食らわば皿まで』の精神で見ることを決める。
始まると、玲奈が身を乗り出すようにして観ているのがわかった。
時々、「えっ!?」だの「そんなっ!」だの感想を口に出しているのが微笑ましいくらいである。相当夢中であることに間違いはないだろう。皆さんは映画を観る際には静かにしましょう。
智昭は横目で玲奈の様子を見ながらも、本当に意外なことだが、映画をそこそこ楽しんだ。
流石は社会現象になったの程の作品である。構成もなかなか良かったし、手に汗握る展開も見られた。大したことない作品が犇めき合う最近にこれほどの作品があるとは、と素直に感心したのだった。
上映が終了し、明るくなってからも玲奈はなかなか立ち上がろうとしなかった。
「どうした?」
心配になった智昭。
けれど、その心配は杞憂に終わった。
玲奈は静かに寝息をたてていたのだった。
上映はもう終わったので、仕方なしに肩を揺さぶって起こそうと試みる智昭。
「おい、もう終わったぞ。起きろ」
しばらくして。
「んあ? どうしたんですか?」
目が覚めた玲奈はあたりをキョロキョロと見渡して、しばらく考える。
「あれ? 映画は・・・?」
「もう終わったよ」
「そんなっ!?」
玲奈は落ち込む。最近の言い方だとorzだった。
「兎に角、映画はもう終わったから、出るぞ」
「了解です・・・」
今にも泣きそうな声であるが、智昭は意図的に無視した。自業自得だ、とか思ったとか思わなかったとか。
その約20分後のことだ。彼等2人はファミレスにいた。
映画が終わると、時間的にも昼だったので、何処で食べようかという話をしたら、玲奈がファミレスに行ってみたいと熱く語ったからである。
これまで、ファミレスに入ったことがないそうだ。
「これが噂のドリンクバー・・・」
玲奈はドリンクバーを見ながら感嘆のため息を漏らす。
「いやいや、これくらいで感動しすぎだろ。こんなのどこにでもあるぞ」
やれやれと言いたげな顔をする智昭。いまいちその感動が理解できない。
取り敢えず、ドリンクバーで機械を見つめながら動かなくなった玲奈が他の客の邪魔になるので、智昭は席まで引きずっていく。
席についたので料理をそれぞれ注文することにする。
そして、注文した料理が来るまで暫し話をする2人。主な話題は先程観た映画についてだ。
「あの見せ場は良かった。日頃そういうのを見ない俺でも良い作品だと言える」
満足そうな智昭。
一方、不満げなのは玲奈だった。
「そんなの知りません」
「そうか? ああ、そうだったな。寝てたもんな。折角の映画だというのに寝てちゃ世話無いよな」
「別に昨日あまり寝てないとかそういう訳ではないです」
玲奈はにやにや笑っている智昭を睨みつけながら、自爆した。正に、自分でしかけた地雷を自分で踏んだ、という所業に等しい行為だと言っておく。
「なるほど。昨日楽しみで眠れなかった、と」
智昭の言葉は正鵠を得ていた。
あまりに的確に言い当てられた玲奈は言葉に詰まる。自爆した故に仕方がないという他ない。
そんな遠足前の小学生みたいなことすんなよ、この年にもなって・・・とか思わないでもないのだが、特に言葉にすることはない。本人もわかっているからだ。
若干顔を赤らめながら、反論する。
「そんなことないですよ。ただ、最近疲れてて」
視線を逸らしながら、あからさまな嘘を吐く。本人はわかっていないが、バレバレだった。更には、吹けていない口笛まで吹く様である。けれどもフーフーという音しかしなかった。それでも、誤魔化しているつもりだったのは残念を通り越して哀れという言葉がお似合いである。
「それで誤魔化せているつもりか?」
はあ、とため息を吐きながら智昭は問う。
「昨日の夜、楽しみで眠れなかったなどと言うことはあり得ません。事実無根です」
意地でも認めない玲奈だった。
このままでは同じ話で延々とループしそうだと感じたので、強引に話題を変えようかな、と考え始める。
「あれは寝ていたのではなく、心の眼で見ていたのです」
そんな考えは玲奈の発言により、頭から吹っ飛ぶ。
「それは無茶だ!」
はははと笑いながら智昭は身を攀じる。いくらなんでも無茶苦茶である。それは無い。ツボに入り過ぎたのか、いつまでも笑い続ける智昭。段々辛そうである。その内、息が切れたのか、笑い止む。
「笑い死ぬってのは本当にあるんだな!」
微妙にまだ顔が笑い顔のまま、智昭は言う。
「失礼です」
ムッとした顔をしながら反論する玲奈。
「そもそもお前が無茶なことを言い出すのが悪い」
そんな感じで料理が来るまで、智昭は笑い顔だった。