第十二話 翌日
「眠い・・・」
智昭はフラフラしながら、通学路を歩く。
「しっかりしなよ~。夜更かしするからいけないんだよ」
悪いことをした子供を叱るような口調の有希。
「別に夜更かしがしたかったわけじゃねえ。ただ、昨日なかなか眠れなくてな」
「そういうことってあるよねー。そんな時はホットミルクを飲むと良いそうです」
どうだ見たか、と言わんばかりの有希の自慢げな顔を見て、智昭はゲンナリする。
「アホか。こんな季節にホットミルクなんて飲めるかっ」
ただでさえ、徐々に暑くなってきているというのにホットミルクなんて熱いものを飲めるはずがない。暑くて余計に眠れなくなるのがオチだろう。それを実行するのは、冬にすべきだ。
「え~。でも眠れないんでしょ? だったらわた」
「よお、元気だったか? どうしても抜けられない用事があって、一緒に帰れなかったのは悪かったな」
有希の言葉を途中で遮るようなタイミングで和宏が現れる。
途中で遮られた有希は不満そうな顔をしている。
「まあ、気にすんな。別に問題とかなかったし。それと、有希は一体何を言おうとしたんだ?」
「別に何でもない」
ふくれっ面をして、顔を背ける有希。
何か悪いことしたかな?と智昭は今朝の行動を思い出してみるが、特に思い当たる節もなく。俗にいう、女心は自らには理解不能だと改めて思ったらしい。
「それにしても、いつもに増して眠そうだな・・・」
「まあな。有希にも言ったが、昨日なかなか寝付けなくて」
「そうかそうか。全く嘆かわしいことだよ。城戸崎さんはこんなにも元気だというのに」
「そういうわけでもないですけど」
朝っぱらから何でこいつはこんなに元気なんだ・・・と周りは思った。
眠い朝に一人テンションの高い奴がいて、そいつが騒がしかったら不愉快な気持ちになるだろう。ウゼぇとか思う。人によっては殺意さえも芽生えるかもしれない。いや、『かも』じゃなくて普通に芽生える。
つまりはそういうわけで、智昭の機嫌は最悪となった。
「ちょっと静かにしろよ。葱でも鼻に突っ込んで死ね」
不機嫌なために普段より口が悪い智昭。
かなり斬新な死に方をしなくてはならなくなった和宏は顔を引きつらせる。
「なかなかに難しい死に方だな。それを実行できた奴は寧ろ尊敬されそうだ」
正直な感想だろう。こんな死に方出来たら、笑われるか、尊敬されるかのどっちかしかない。有り得ないようなことをしでかすと、周りの反応は極端に分かれるものだから。
そもそも、なぜ葱なのだろう・・・。
そんなことは関係ねえ、とばかりに不機嫌な智昭は一人でさっさと教室へ行き、寝ようと考える。
「おい、早く学校行くぞ。あんまり遅いと遅刻するだろ」
とか言って、一人でどんどん行ってしまった。
残された3人は顔を見合わせる。どう考えても遅刻はしないような時間にも関わらず。
「どうしたのかな? まだまだ時間に余裕があるんだけど」
「さっさと学校に行って、寝ようって魂胆じゃねえのか?」
流石は付き合いの長い和宏である。
智昭の企み、と言えるほどではないが、思惑をあっという間に看破した。
それを聞いた2人も苦笑する。
「随分とわかりやすい人ですね」
「ん~。いつものことだよ。夜更かしとかすると、いつも授業中寝てばっかりでね。その度に方波見先生に怒られてるんだ」
「あはは」
その情景がありありと脳裏に浮かびあがってきて、玲奈は乾いた笑い声をあげる。
所変わって、授業中。
智昭は、寝ようと思っていたのだが、眠れない。様々な感情がグルグルと脳裏を駆け巡る。魔方陣グルグ・・・こほん。何でもないです、はい。
昨夜のことで、納得がいかないことが多すぎるのだ。まず、わけのわからない男。こいつのせいで、どうにも不完全燃焼気味なのである。いざやるぞ、と思ったら、横から掻っ攫われていったのだ。到底許せるような出来事ではない。
2つ目だが、自分の実力を確かめることが出来なかったこと。折角の機会だし・・・とか考えていたのに、蓋を開けてみれば何もしていない。
何のために参加したのかわからなくなってしまったのだ。
事前に考えていたことを何一つ実行できなければ、不完全燃焼にもなる。
そんな思いが渦巻いていて、寝ようと思っても眠れない。
更には、昨日帰ってきた時間が遅くて───時間的には最早今日であったが───あまり眠れていなくて機嫌が良くない。
人間、生理的欲求が満たされてこそ心に余裕が出来る。つまり、今の智昭には余裕が、なかった。
「おい、蓮華。ちゃんと授業聞け!」
方波見の言葉も聞こえない。
完全に自分の世界に入り込んでいる。
そんな智昭にどんな手を使って呼び戻すか、というと、勿論想像通り。
全力でぶん殴った。
それだけのことである。だが、その時人を殴ったような音が聞こえなかった。鳴ってはいけない音だった、と見ていたクラスメイトは語る。
普通の人間ならば頭蓋骨が陥没してもおかしくない一撃だった。しかし、それほどの衝撃を受けて、やっと智昭は現実に戻ってくる。それ程までに、思考に没頭していた。
「しっかり集中しろ」
「はあ。すいません、寝不足なもので」
クラスメイトはこの時ハラハラしていた。この先生にそんなこと言ってただで済むとは思えないからだ。クラスメイト達は固唾を呑んで見守る。
けれど、恐れていた様な事は起きなかった。
「そうか。眠いか。だが、授業中に眠るのは感心しない。後で、準備室に来い」
これを聞いた者達は、皆自分の耳を疑った。
あの方波見先生がそんなことを言うなんて・・・と誰もが思った。
彼女のかなり暴力的な指導はほとんどの人が知るところであり、同時に血も涙もない人物だと思われていた。その方波見がそんな優しい態度を取るのだ。おかしくなったか気が触れた、としか考えられない。と、周りのクラスメイト達。
方波見はすぐに授業を開始したが、周りは未だ混乱状態にあった。
遂にデレ期か!!と密かに叫ぶ奴もいたとか。
休憩時間。方波見に呼び出された智昭は数学準備室にいた。
「で、何が不満なんだ?」
妙に優しい方波見。
「え、ええと。あの謎の男とやらが気に食わないですね」
いつもと違う感じに少々面食らいながらも、訊かれたことにはちゃんと答えを返す。
と言うか、何故自分が不満であると思ったのだろう?と、智昭は考える。
それが顔に出ていたのか、方波見は簡単に説明する。
「それだけ不満げな顔をしていれば、誰でも気付くさ。それに、私も昨日のようなことは二度と御免だ。仕事をしに行ったら、何処の馬の骨かはわからんが、既に終わらされていたのだからな。許せん。今度会ったらただじゃおかん」
「・・・・・・」
「だが、奴のことについて考えてても埒が明かない。結局なるようにしかならないからな」
こうやって方波見が自身の感情を吐露することはあまりない。彼女は多くの人に分かり易い人物だと思われがちだが、決してそんなことはない。
感情を隠すことが非常に上手く、また分かり易い人物像を演じているに過ぎない。
尤も、すぐに手が出るのは演技ではなく、彼女の性格上仕方ないことだが。
「そんなに気にするな。と言っても無理だろうがな。兎も角、学校では授業をちゃんと受けろ。それだけだ。あと、課題は出しておく」
途端に智昭の顔が歪む。
え?何それ?といった顔をしている。
「情けない顔をするな。呼び出し理由の中に含まれているからしょうがないんだ」
方波見にしては珍しく、言い訳じみた台詞である。
「それでも、酷くないですか?」
「少なくしておくから。一応受け取っておけ。出さなくても構わないから」
職務熱心な方波見ではあるが、そもそも呼び出した本当の理由からしてアレなので、更に変な勘繰りを受けたくない。故に、形だけでも課題を出しておかないと拙い、という判断からのことだったが、当の智昭はそれに気が付かず、額面通りに受け取る。
智昭自身の感想は、今日は珍しいものを見たな。明日は吹雪か?ぐらいのものではあったのだが。
◇
いつの間にか時間は過ぎていき、気が付けば放課後である。
「悪い。今日も用事があってさ、先に帰っててくれないか?」
昨日と同じようにどうやら今日も和宏は用事があるようだ。
「ごめんね~。ホントは一緒に帰りたかったんだけど」
有希も同じ。
今日は珍しいもの祭りか!?と内心驚愕する智昭。一日に何度も珍しいものを見ていると、段々感覚が麻痺するようだ。2人のその言葉に智昭は表面上は大して驚かずに、普通に頷く。
「用事があるなら仕方ないな」
「そうですね。では、お言葉に甘えて先に帰りますね」
一瞬、有希の表情が険しくなった様な気がした。
が、次の瞬間にはいつもの表情。
智昭は、俺疲れてるのかな、とだけ思ったそうな。
昨日と同じ、2人だけの帰り道。
隣で歩く玲奈が何か言いたそうな顔をしていることに気が付いた智昭は話を振ってみる。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「・・・はい。どうも気にかかっているのですが、昨日の男の行動が今一つわかりません。何が目的だったのかな、と」
「あんまり気にしない方が身のためだぞ。俺も今日一日考えたが、さっぱりわからないし、授業中も怒られたからな。どうせ結果は2つしかない。その内わかるか、ずっとわからないかだけだ。それなら、悩んでも仕方ないだろ?」
「それも・・・そうですね。考えるのは止めにしましょう。でも、蓮華君がそんなことを言うなんて、正直意外ですね。」
「まあな。方波見先生に言われただけだよ」
ははは、と自嘲気味の笑いを零す。
「それでも、人の言葉をしっかりと受け止めることも大事ですよ。なかなかそれも難しいことですし」
「それもそうだな」
人は他人の助言を素直に受け入れるということがなかなかできない生き物である。受け入れたとしても実行できないことも多々ある。それでも、素直に聞き入れただけ、智昭はマシなのだろう。
ここで会話が一旦途切れる。
どちらも無言のまま、歩いていく。
だが、気まずい沈黙では、なかった。
「それはそうと、今度の休日に一緒に出掛けませんか?」
沈黙は、玲奈の爆弾発言によって、無残にも消え去ったのだった。