第7話 ひどい奴
少年達は顔を引きつらせながらジリジリと冷蔵庫から離れた。
どうにかしてこの状況から逃げ出したいらしい。
「あれ? 見ないの?」
光瀬がつまらなさそうに言い、そして不意に笑う。
二重だが切れ長の涼しげな目、スッキリと通った鼻筋、少し長めの前髪が目元に陰りを落とす。
意味ありげに笑うと、それら全てがゾッとするような狂気じみた怪しさを醸し出す。
僕が一緒に住んでたのは、本当にこいつだったのだろうか。
「う・・・うん。実験は中止します。僕たち、帰るから」
目を合わせないようにゆっくりと後退していく少年3人。
「なんだ、残念だなあ。楽しみにしてたのに」
カラリと光瀬が言うと、3人は申し合わせたように今来た方向に走り出した。アスファルトと溝蓋の段差につまづきそうになりながら。
あれ? 行っちゃうよ? いいのか、光瀬。
そう思った矢先、鋭く光瀬が少年達を呼び止めた。
「ちょっと待て! そこのA、B、C!」
20メートル先で、雷に打たれたように立ち止まる3人!
僕とソラも、ぴりりとした空気に緊張し、固まった。
光瀬はスッと首を伸ばし、よく通る声を少年達に投げつけた。
「いいかお前ら。二度とソラに悪さをするな。もしもまたソラを標的にするようだったらこの映像は関係各所に配信する。それからついでにソラをいじめるヤツがいたら、おまえ達が守れ。いいな。これがおまえ達の悪事との交換条件だ。簡単なことだろ? 守れるよな?」
有無を言わさぬ気迫に、少年達は口々に「はい!」と叫ぶと、再び全速力で走り去っていってしまった。
乾いた風が巻き立てたホコリっぽい匂いが辺りに残った。
「バカな中坊だなあ」
光瀬はゆっくり振り向くと、のんびりとした声で僕らに笑いかけた。
「ありがとね、光兄」
「おう! かわいい弟を虐めるヤツは許しちゃおかねえ」
芝居がかった口調で言う光瀬に、ソラが嬉しそうに笑った。
けれど「ソラも、もう少し強くならなきゃダメだぞ」と、忠告するのも忘れなかった。
一件落着。
・・・一件落着なのか?
「光瀬」
僕は恐る恐る聞いてみた。
「猫は・・・猫はどうなったんだ?」
そう言った瞬間、光瀬の顔がサッと曇った。
僕はそれを見逃さない。
「なあ、猫はどうなっちゃったんだよ」
僕はその不気味に錆び付いた黒い箱に目をやりながら、もう一度聞いた。
「比奈木・・・残念だよ」
光瀬がさらに顔を曇らせた。
「残念って何だよ」
「開けてみろよ、このドア」
「嫌だよ。なんで僕が開けるんだよ」
「君が酷いヤツだからだ」
「僕の何がひどいんだよ」
「比奈木はこの中の猫が生きてると思う? 死んでると思う?」
「そ、そんなのわかんないよ。考えたくもない」
「生きてると思う?」
「そりゃあ、生きていて欲しい」
「死んでると思う?」
「・・・死んじゃってるのか?」
「君はやっぱり酷いやつだ」
「だからなんでだよ! ひどいのは光瀬だろ」
「よく見て」
光瀬は僕の肩を持ち、グッと前屈みにさせると勢いよくその黒いドアを開けた。
目を閉じる暇も無かった。
使い古した冷蔵庫特有のムンとした嫌な匂いが鼻をつく。
けれど中身は空っぽだった。
ポッカリあいた庫内は、ハナマルをあげたいほど綺麗で何もなかった。
「カラッポだ」
「当たり前だろ?」
光瀬はしゃがみ込んだ僕の横に同じようにしゃがみ込むと、顔をぐっと近づけて不満そうに言った。
「比奈木は俺をなんだと思ってたんだ。さっき言ったばかりだろ? 俺は猫好きなんだぞ」
横でソラが堪えきれないように笑い出した。
ソラはきっと光瀬が猫を救出したのを疑わなかったのだろう。
そりゃあ、おかしいはずだ。
僕も最初は疑いもしなかったのに。
「ごめんな光瀬。そう思ってたんだけど余りにも光瀬が迫真の演技だったんでさ。本当にそんなマッドな人間じゃないかと一瞬思った」
「お、そうか? じゃあ、あの3人も騙せたかな」
「気の毒なほど騙されたと思うよ。だから動画は消してやれよ」
「は? 動画? そんなもん無いよ」
「あ?」
「昨日たまたま奴らが猫を放り込むのを見かけただけで。動画なんて撮ってないよ。そんな趣味もない」
「なんだ、・・・そうなのか」
まったくどこからどこまでがウソなのか分からない。
光瀬は役者より詐欺師に向いていると激しく思う。
「まさかまたあの3人に出くわすとは思わなかったよ。しかもソラを虐めてる奴らだったとはね。ソラのかたきも打てて良かった」
光瀬はご機嫌に笑った。
なんだか僕一人ハラハラして少しばかり損した気分だ。
そんな僕に気付いたのか、ソラは「ごめんなさい」と謝ってきた。
「光兄から子猫を助けた話は聞いていたんです。でも、あの連中が犯人だなんて知らなくて。途中で気が付いたんだけど、光兄のお芝居に圧倒されて説明する暇がなかったんです」
相変わらず、かわいい奴だ。
「いや、ソラが謝る事じゃないって」
僕がそう言うと光瀬はうんうんと頷き、「そうだ。俺を信用しない比奈木が悪い」と何度も言った。
このあと僕たち3人はどうでも良いことで談笑しながらアパートに帰るのだが、
僕はアパートの鍵を開ける時になって、ある疑問にかられた。
“光瀬が助けた猫は、どうしたんだろう”
その答えはドアを開けた向こう側にあった。
白と黒の手のひらサイズの可愛らしい子猫が、僕らを出迎えるように玄関マットの上にちょこんと座り、小さな声でミャーンと泣いた。