第1話 巻き込まれる
「やっぱりR15指定ってだけはあったな。なんか、最後クラクラした」
映画館を後にしながら僕は光瀬に言った。光瀬も頷く。
「原作の小説よりもかなりグロかったんじゃない? 血しぶき半端ないもんな。やっぱりソラを連れてこなくて良かったよ」
光瀬はそう言いながらも楽しそうだ。
こうやって光瀬と二人で映画を見るのは初めてだった。
ルームシェアし、共同生活しているとはいえ、休日に二人で出掛けることはあまりない。
それなのに、どういう風の吹き回しか、今朝になって僕の部屋に入ってきた光瀬が、
「なあ比奈木、この映画観に行こう。こんなの貰ったんだ」
そう言って大学生200円引きの映画の割引券をピラピラさせた。
けっこう話題になっている『告白』というサスペンス系映画で、僕も気にはなっていた。
だが、まさか普段映画なんか興味無さそうな光瀬が誘ってくるとは思っても見なかった。
「あ、いいなあ~。二人で映画行くの? ボクも行きたいな。ちょうど学校も部活も休みだし」
僕が返事をする前に、後から顔を覗かせたソラが羨ましそうにつぶやいた。
そうなのだ。ソラはまだこの部屋に居候している。
僕と光瀬がルームシェアしているこの2Kのアパートに「ちょっとの間」と言うことで光瀬が連れてきたこの14歳の少年は、一ヶ月経った今も、まだ居る。
彼の姉の海外研修が伸びてると言うことなので、仕方がない。
ソラは恐縮がっているが、よく気が回り、掃除、片付け、朝食まで作ってくれるその少年を、僕はとても気に入っていた。
寝起きは光瀬の部屋でしていることだし、僕に何の支障もない。ずっとこのままいてくれればいいとさえ思う。
そんな少年の願いも、何ともかわいい。
「ソラも連れて行こうよ」
と僕が提案すると、意外にも光瀬は、
「ダメだよ、R15指定なんだから。ソラは14歳だ」と、風紀委員のように腕組みをした。
そんな杓子定規なヤツだっただろうか。
そんなこと気にしなくても、と弁護する僕に、ソラは「いいんです。僕、やっぱり血とか苦手だから」と
健気に引き下がった。
僕は後ろ髪を引かれながらも素直な弟分の頭を撫で、光瀬と二人、出かけたのだった。
◇
「復讐モノの中では、僕は好きなタイプの映画だったけど、やっぱり中学生には見せるの迷うよね」
僕がそう言うと光瀬は、
「そうか? あの演出は芸術だよ。純粋にあの演出の巧みさを中学生にも味わって欲しいと思うけどなあ」と、やはり楽しげに言った。
あれ、今朝と話が違う。
14歳だからダメだと真面目に却下したのは光瀬なのに。
まあ、彼は彼なりに、友人の弟を預かる保護者として自覚をもってるんだろう。
そういう律義なところは、少し見直した。ただの物理バカではなかったのかもしれない。
まだ昼過ぎだったが、二人とも遊び回るほど金があるわけでもなかったので真っ直ぐ帰ることにした。
そこからは電車よりもバスの方が乗り換えも無くて早い。僕らはバスターミナルに並んだ。
「でもさ、俺思ったんだけど」
光瀬が思い出したように口を開いた。
「あの映画のラストシーンはまるで、あれじゃね?」
「ん? あれって?」
「シュレーディンガーの猫」
「・・・は?」
また光瀬は妙な事を言い始めた。
「シュレーディンガーの猫って、あのシュレーディンガーが提出した有名なパラドックスだろ?」
「そう。波動方程式を完成させ、量子論にめちゃくちゃ貢献したにもかかわらず、彼は量子論の曖昧さが大嫌いだった。そこで提示した思考実験だよ」
「え? どこら辺が映画と重なるんだ? ミクロの量子の世界の奇妙な法則を、マクロの猫に当てはめて、『ほら、変でしょ?』って言ったんだよね」
「そうだ。量子の不思議な『重ね合わせ』を猫に反映したんだ」
僕は、数ヶ月前読んだ科学雑誌での記述を思い出してみた。
この「シュレーディンガーの猫」の仕組みは簡単だ。
(もちろん思考実験なので、実際に実行するわけではない。)
先ず、鉄の箱の中に、猫と放射性物質と放射能探知機、そしてそれに連動した青酸ガス発生器を入れてフタをする。放射性物質は1時間の間にある一定の確率で原子核崩壊を起こし、放射能を放出する。
もしも放射能が放出されれば検知器が働き、青酸ガスが発生し、猫は死んでしまう。
もちろん、原子核崩壊が起こらなければ猫は元気でいる。
ここで1時間後フタを開けた瞬間、猫の生死は分かってしまう・・・というのは当たり前のこと。
けれどもこの実験の奇妙なところは、フタを開ける前の状態についてだ。
フタを開ける前の猫は、生きているか死んでいるかのどちらかではなく、「生きている」状態と、「死んでいる」状態の両方であるということ。
なぜなら、そのきっかけとなる原子核の崩壊というのはこの世界とまるで法則の違う、量子の世界の出来事。
観測者が観測するまで、その結果は存在しないのだ。
これが量子の「不確定性の法則」。
原子核崩壊は、観測した瞬間に決まるのであって、観測する前は何の決定もされない。どちらでもないわけだ。
これこそアインシュタインが量子論の学者達に嫌みっぽく言った、
「君は、君が見ているときだけ月がそこに実在すると、本気で思ってるのかね?」
と言った、事柄なのだ。
観測するまで原子核は崩壊しているし、崩壊していない。
だから猫も、死んでいるし、死んでいない。
両方の『重ね合わせ』なのだ。
そして、フタを開けて確認した途端、結果が決定され、それまでの時間が巻き戻り、その事実に収まる。
観測する前は何の決定もされていないというのだ。
これが何とも不思議な素粒子の世界。つまり量子の世界。
そう。ミクロの世界はこういう不思議なものであり、「なぜ?」なんてことは学者ですら分からない。
けれど量子論の学者達は「そういうもんなんだから、理解しろ」と言い張る。
だからアインシュタインやシュレーディンガーは量子論を嫌ったんだ。
シュレーディンガーは『納得のいかないモヤモヤ』を示すためにこのパラドックスを提出した。
ミクロの量子の現象をマクロの猫に反映させてみたんだ。
「ほら、猫って、フタを開ける前は死んでいるか生きているかのどちらかでしょ? 生きていながら死んでいるなんて事、あり得ると思うかい? だから、量子論は間違ってるんだ」と。
結果的に、量子論が間違いでないことは証明されている。
けれど、「生きながら死んでいる」状態がありえるとも思えない。
両方間違っていないとすれば、この奇妙な結果はどう見ればいいのだろう。
一見すればシュレーディンガーの負けに見えるが、量子というものはまだ、完全に解明されてはいない。
と、いうことは、このパラドックスも実は完全に崩れてはいないのかも知れない。
「それで・・・」
僕はチラチラと、腕時計とバスの時刻表を交互に見ている光瀬に聞いてみた。
「さっきの映画の何がシュレーディンガーの猫なんだ?」
光瀬はゆっくりと視線を僕に合わせ、にんまりと笑った。
ああ、また今日もこうやってこいつを嬉しがらせてしまう。
いつだってこうやって光瀬の歪んだ物理の世界に引き込まれていく。
いや、これは何となく予感なのだが、もう朝の段階で僕は、彼の仕組んだ何らかのカラクリに巻き込まれていたのかも知れない。