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盗み癖のある令嬢と笑った皆様へ――その日記、被害記録として王宮監査局に提出済みです  作者: 平八


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1/1

「これは泣き言ではありません。被害記録です」

霜月三日。


 金貨二枚を持ってこいと言われた。


 断ったら、学院中に「盗み癖のある庶子令嬢」だと広めると言われた。


 霜月七日。


 母の形見の真珠の耳飾りを持っていかれた。


 返してほしいと言ったら、笑われた。


 霜月十日。


 マリウス・グラン様が、私の机に手を置いて言った。


「次は指輪だ。お前の家の古いやつでいい」


 担任のロダン先生は、廊下の端で見ていた。


 目が合った。


 けれど、すぐに逸らされた。


 霜月十一日。


 私は、盗んでいるのだろうか。


 盗みたくて盗んでいるのではない。


 でも、私の手で持ち出している。


 私の名前で、家のものがなくなっている。


 私の名前で、笑われている。


 誰かがこの日記を読むなら、お願いです。


 私は、ただの盗人ではなかったと、少しだけ覚えていてください。


 そこで、日記は終わっていた。


 ヴァイス・クラウゼンは、細い指で頁を押さえたまま、しばらく黙っていた。


 王宮監査局の監査官だった彼は、死んだはずだった。


 最後に覚えているのは、王宮裏門へ向かう馬車の軋む音。


 貴族家の横領記録を持ち帰る途中、雨で車輪が滑り、視界が傾いた。


 胸を打つ衝撃。


 散らばる書類。


 部下の叫び声。


 次に目覚めた時、彼の身体はなかった。


 代わりに、薄い寝間着を着た少女の身体があった。


 腕は軽い。


 指は細い。


 肩は頼りない。


 立ち上がるだけで、足元がふらついた。


「……羽根ペンより軽い身体だな」


 声は、少女のものだった。


 鏡の中には、青ざめた顔の令嬢が映っている。


 灰茶色の髪。


 痩せた頬。


 怯えを染み込ませたような薄い唇。


 机の上には、開いたままの日記。


 名は、表紙の内側に震える文字で書かれていた。


 リリアナ・エーベル。


 エーベル伯爵家の庶子。


 学院では、盗み癖のある令嬢と呼ばれている少女。


 ヴァイスは日記を読み返した。


 最初は、ただの悲鳴に見えた。


 だが、読み進めるうちに、監査官としての目が静かに開いていった。


 日付がある。


 品目がある。


 受け渡し場所がある。


 脅迫文言がある。


 目撃者候補がある。


 担任が見ていた日時まで残っている。


 ヴァイスは、頁の端に指を置いた。


「よく残した」


 返事はない。


 しかし、身体の奥で、かすかに何かが震えた。


 リリアナの意識が、まだそこにいる。


 ヴァイスは、鏡の中の少女へ向かって言った。


「これは泣き言ではない」


 身体の奥で、少女が小さく息を呑む気配がした。


「被害記録だ」


 窓の外は、まだ朝になる前だった。


 ヴァイスは、机の引き出しを開ける。


 白紙。


 封筒。


 古い封蝋。


 折れかけた羽根ペン。


 伯爵家の庶子に与えられたものは少ない。


 だが、紙とインクがあれば足りる。


 監査官にとって、剣より役に立つものだった。


 ヴァイスは日記を横に置き、書き始めた。


 返還請求目録。


 被害品目一覧。


 受領者名。


 受領日。


 受領場所。


 目撃者候補。


 脅迫文言。


 教師黙認記録。


 未成年貴族令嬢への財産持ち出し強要疑義。


 名誉毀損疑義。


 継続的受領疑義。


 ヴァイスは怒らなかった。


 叫ばなかった。


 潰してやるとも言わなかった。


 ただ、日記を清書した。


 読みにくかった震える文字を、監査局で通る形に整えた。


 涙で滲んだ行間を、証拠として並べ直した。


「復讐ではない」


 ヴァイスは、封筒に宛名を書いた。


 一通は、王宮監査局。


 一通は、学院長室。


 一通は、エーベル伯爵家家令宛て。


「提出だ」


 身体の奥で、リリアナが小さく震えた。


 怖いのだろう。


 当然だ。


 彼女はずっと、声を上げることを禁じられてきた。


 断れば、もっと奪われる。


 訴えれば、盗み癖だと笑われる。


 泣けば、弱いから悪いと言われる。


 だから、日記にだけ残した。


 ヴァイスは、封を閉じる。


「正面から怒鳴れば、握り潰される」


 封蝋を押した。


「だから先に、握り潰せない場所へ紙を置く」


 朝一番の使いに封筒を渡し、ヴァイスはリリアナの制服を整えた。


 髪を結ぶ手つきは不慣れだったが、最低限、乱れは隠せた。


 鏡の中の少女は、まだ弱々しい。


 だが、その目は昨日までと少し違っていた。


「行くぞ、リリアナ・エーベル」


 ヴァイスは静かに言った。


「お前の名前で盗まれたものを、お前の名前へ戻しに行く」


 学院に着くと、廊下の空気が変わった。


 いや、正確には、何も変わっていなかった。


 生徒たちはリリアナを見て、いつものように視線を逸らす。


 数人の令嬢が扇の陰で囁いた。


「来たわ」


「盗み癖のある子でしょう」


「昨日は来なかったのに」


 誰も近づかない。


 誰も助けない。


 それが、リリアナの日常だった。


 教室へ入ると、窓際にいた青年がこちらを見た。


 淡い金髪。


 整った顔。


 よく通る声。


 マリウス・グラン。


 グラン侯爵家の次男であり、学院内では華やかな中心人物として扱われている男。


 リリアナの日記に、最も多く名が残っていた男だった。


「遅いじゃないか、リリアナ」


 マリウスは、楽しそうに笑った。


 教室の数人が、同じように笑う。


 いつもの合図なのだろう。


 弱い相手を囲むための、ぬるい笑い。


「今日も持ってきたよな?」


 ヴァイスは、リリアナの顔で彼を見た。


「何をでしょうか」


 マリウスの眉がわずかに動いた。


 昨日までなら、リリアナはこの時点で俯いていたはずだ。


 答えられず、震えていたはずだ。


 だが、今日は違う。


「何を、じゃないだろ」


 マリウスは机に片手をついた。


「指輪だ。お前の家の古いやつでいいって言っただろ」


 周囲の笑い声が少し大きくなる。


「忘れたのか? それとも、また盗み癖を俺に注意されたいのか?」


 ヴァイスは、すぐに目録を出さなかった。


 まず、言わせる必要があった。


「確認してもよろしいでしょうか」


「あ?」


「これまで私がマリウス様へお渡しした金貨や装身具は、すべて私が自分の意思で差し上げたものだと、そうおっしゃるのですね」


 マリウスは、一瞬だけ呆気に取られた。


 それから、吹き出した。


「何だよ、急に」


 教室の後方で、誰かが笑った。


 マリウスはその笑いに気をよくしたのか、さらに声を張る。


「当たり前だろ。お前が勝手に持ってきて、受け取ってくださいって泣きついてきたんだろうが」


 ヴァイスは頷いた。


「返してほしいと申し上げたことは、一度もないと」


「あるわけないだろ」


 マリウスは鼻で笑った。


「お前が勝手に貢いだんだよ。庶子のくせに、侯爵家の俺と関われて嬉しかったんだろ?」


 教室に、また笑い声が起きた。


 担任のロダン教師が、扉のそばに立っていた。


 止めない。


 見ている。


 記録通りだった。


 ヴァイスは、リリアナの唇で静かに言った。


「確認しました」


「は?」


「自発的譲渡の主張。継続的受領。返還請求の否認」


 マリウスの笑みが止まる。


「すべて、記録対象です」


 ヴァイスは鞄から、一枚の書面を取り出した。


 返還請求目録。


 その表題を見た瞬間、マリウスの顔から軽薄な余裕が一瞬消えた。


 だが、すぐに笑い直す。


「返還請求目録?」


 彼はその紙を奪い取った。


 品目一覧に目を走らせる。


 金貨十二枚。


 真珠の耳飾り。


 銀の髪飾り。


 家紋入り懐中時計。


 母の形見の指輪。


 受領日。


 受領場所。


 目撃者候補。


 脅迫文言。


 マリウスの頬が引きつった。


 しかし、彼は教室中の視線を浴びていた。


 ここで怯えれば、負けを認めたように見える。


 だから彼は、声を大きくした。


「こんな紙切れ一枚で、侯爵家の俺に勝てると思ったのか?」


 ビリ、と紙が裂けた。


 リリアナの身体の奥で、小さな悲鳴が上がる。


 だが、ヴァイスは動かなかった。


 紙はさらに破られ、床に散った。


 マリウスは勝ち誇ったように顎を上げる。


「これで終わりだ」


 教室の何人かが笑った。


 その笑い声は、長く続かなかった。


「破っても構いません」


 リリアナは静かに言った。


「写しですので。原本は今朝、王宮監査局と学院長室へ提出済みです」


 空気が止まった。


 マリウスの指先が、紙片を握ったまま固まる。


 笑っていた生徒たちの顔色が変わった。


 ロダン教師が一歩動く。


「エーベル嬢」


 声が硬い。


「教室で騒ぎを起こすのはやめなさい」


 ヴァイスは、ゆっくりと教師へ顔を向けた。


「先生」


「何ですか」


「先月、私がマリウス様から金貨を要求されていると相談した際、先生は『貴族同士の贈答に教師は口を出せない』とおっしゃいました」


 ロダン教師の顔が凍った。


「それは……その場を収めるために」


「本日、同じ説明を学院長室と王宮監査局の立会人へお願いいたします」


 教師は何も言えなかった。


 ちょうどその時、教室の扉が開いた。


 学院長付きの書記官が立っていた。


 その後ろには、王宮監査局の灰色の制服を着た男がひとり。


 教室の空気が、完全に変わる。


「リリアナ・エーベル嬢」


 書記官は言った。


「学院長室へお越しください」


 そして、視線をマリウスへ向けた。


「マリウス・グラン様、ロダン教諭もご同行を」


 マリウスの喉が、かすかに鳴った。


 学院長室の机には、すでに書類が並べられていた。


 リリアナの日記。


 返還請求目録。


 被害品目一覧。


 告発状。


 教師黙認記録。


 王宮監査局の立会印が押された受領控え。


 マリウスは、それらを見て顔色を変えた。


 先ほど教室で破った紙は、確かに写しだった。


 原本は、もう握り潰せない場所にある。


 学院長は青ざめた顔で、王宮監査局の立会人へ視線を送っていた。


 ロダン教師は、汗を拭うことも忘れている。


 王宮監査局の立会人は、目録をめくりながら眉をひそめた。


「よく整理されていますね」


 ヴァイスは、リリアナの口で答えた。


「日記を清書しただけです」


「清書?」


「日付、品目、受け渡し場所、脅迫文言、目撃者候補。すでに揃っていましたので」


 立会人が、日記の頁を確認する。


 少女の震える文字。


 その横に、整えられた目録。


 彼はしばらく黙り、低く言った。


「監査局では、これを被害記録と扱います」


 マリウスが声を荒げた。


「違う! あいつが勝手に持ってきたんだ!」


 ヴァイスは彼を見る。


「自発的譲渡という主張ですね」


「そうだ!」


「では、贈与契約書は」


「そんなもの、あるわけないだろ!」


「受領書は」


「必要ない!」


「家紋入り財物を、未成年の伯爵令嬢から継続的に受け取ったにもかかわらず、受領記録はない」


 ヴァイスは目録の一行を指で押さえた。


「そういうことですね」


 マリウスの口が止まった。


「違う、俺は……受け取っただけだ!」


 言った直後、マリウスの顔が引きつった。


 しまった。


 そう言いたげに、唇だけがわずかに動いた。


 だが、言葉はもう戻らない。


 学院長室の空気がさらに冷えた。


 ヴァイスは、ほんの少しだけ首を傾ける。


「受け取ったのですね」


 マリウスは息を呑む。


「六回」


 目録の頁が静かにめくられた。


「金貨二枚。真珠の耳飾り。銀の髪飾り。懐中時計。母の形見の指輪。追加金貨三枚」


「だから、それはあいつが」


「受け取ったのですね」


 同じ言葉だった。


 だが、二度目は刃のように落ちた。


 マリウスは、ようやく自分が何を口にしたのか理解した。


 顔が青ざめる。


「俺は、そんなつもりじゃ」


「つもりは、記録対象ではありません」


 王宮監査局の立会人が淡々と言った。


「確認対象は、受領の有無です」


 マリウスは学院長を見る。


「学院長! これは庶子の女の虚言です! 俺はグラン侯爵家の」


 学院長の顔がさらに青くなった。


 侯爵家の名を出されれば、今までなら黙ったかもしれない。


 だが今、机の上には王宮監査局の受領印がある。


 侯爵家の顔色より、王宮監査局の照会の方が重い。


「マリウス様」


 学院長は、乾いた声で言った。


「発言にはご注意ください」


「何だと?」


「本件は、すでに監査局立会いの記録対象です」


 先ほどまで教室で笑っていた男が、今度は笑われる側に立っていた。


 だが、誰も笑わなかった。


 笑えば、自分もこの記録に近づくと分かっていたからだ。


 ロダン教師が、震える声で割り込む。


「私は、まさかそこまで重大なこととは思わず……」


 ヴァイスは、教師へ視線を向けた。


「先生は、先月の相談時に『貴族同士の贈答に口を出せない』とおっしゃいました」


「それは、双方の意思があると思ったからで」


「私が『要求された』と申し上げた後です」


 ロダン教師の唇が白くなる。


 立会人が記録用紙へ一行を書き加えた。


 教師黙認疑義。


 相談受理後の不対応。


 ヴァイスは、淡々と続けた。


「返還請求額は、金貨換算で七十八枚」


 マリウスが目を剥いた。


「七十八!? ふざけるな、そんな額受け取って——」


「奪われた貴族家の財物の価値評価に加え、返還遅延損害金、および名誉毀損に伴う慰謝料を監査局の規定に基づいて換算した金額です」


「っ……!」


「現物返還が可能な品については現物返還。不能な品については評価額での弁済となります」


「そんなもの、払えるか!」


「では、現物で返還を」


「もう手元にあるわけないだろ!」


 言ってから、マリウスはまた口を閉じた。


 立会人の羽根ペンが動く。


 現物保管否認。


 処分済み疑義。


 ヴァイスは、声を荒げない。


 ただ、相手が自分で落ちていく穴の深さを測っているだけだった。


「加えて、学院掲示板への訂正文掲載を求めます」


 学院長が顔を上げた。


「訂正文、ですか」


「はい」


 ヴァイスは一枚の文案を差し出した。


「リリアナ・エーベルに盗み癖があるとの噂について、学院側は事実確認なき流布を確認した。該当する金品移動については、本人の自発的窃盗ではなく、脅迫および継続的受領疑義として王宮監査局立会いのもと確認中である」


 ロダン教師が震えた。


「そんなものを掲示したら、学院の評判が」


「評判を守るために事実を伏せることを、監査局では隠蔽と呼びます」


 立会人が静かに言った。


 学院長は、すぐに頷いた。


「掲示します」


 マリウスが叫ぶ。


「父上に言うぞ! グラン侯爵家を敵に回してただで済むと思うな!」


 ヴァイスは、鞄からさらに一通の控えを出した。


「グラン侯爵家への監督通知案です」


「は?」


「未成年貴族令嬢からの継続的財物受領、名誉毀損、脅迫疑義について、侯爵家当主による監督責任確認を求めます」


「やめろ!」


 初めて、マリウスの声に明確な恐怖が混じった。


「それだけは、やめろ!」


 ヴァイスは表情を変えない。


「破っても構いません」


 マリウスの肩が跳ねる。


「こちらも写しですので」


 学院長室に沈黙が落ちた。


 マリウスは椅子に座り込んだ。


 整っていた金髪が乱れ、先ほどまでの余裕はどこにもなかった。


 侯爵家の名を盾にして笑っていた男が、今は侯爵家への通知を恐れて震えている。


 ヴァイスは、それを見下ろさなかった。


 勝ち誇りもしなかった。


 ただ、書類を一枚ずつ揃える。


「ロダン教諭については、学院監督室への聴取を求めます」


 ロダン教師が目を伏せる。


「エーベル伯爵家については、リリアナ・エーベル本人の私物目録作成、および本人同意なき処分禁止を求める監督通知を送付済みです」


 学院長が驚いたように目を上げた。


「実家にもですか」


「はい」


 ヴァイスは言った。


「守られなかった場所にも、記録は必要です」


 リリアナの身体の奥で、何かが震えた。


 それは恐怖ではなかった。


 たぶん、初めて守られたことへの戸惑いだった。


 学院長室での確認は、昼過ぎまで続いた。


 マリウスは何度も言い訳を変えた。


 彼女が勝手に持ってきた。


 自分は知らなかった。


 受け取っただけだ。


 冗談だった。


 周囲もやっていた。


 父には言わないでほしい。


 言葉を変えるたびに、記録が増えた。


 ロダン教師も同じだった。


 知らなかった。


 気づけなかった。


 貴族同士の問題だと思った。


 大事にしたくなかった。


 そのたびに、立会人の羽根ペンが動いた。


 言い訳は、紙に乗ると逃げ場を失う。


 夕方近くになり、学院長が最後の確認書を手にした。


「エーベル嬢」


 その声は、朝とは違っていた。


 盗み癖のある問題児へ向ける声ではない。


 記録の中心にいる当事者へ向ける声だった。


「確認します」


 学院長は慎重に言った。


「あなたは、これらの金品を、自発的にマリウス・グラン様へ贈与しましたか」


 ヴァイスは答えようとして、止まった。


 この問いだけは、彼のものではない。


 リリアナの名前で奪われたものを、リリアナの声で戻す必要がある。


 身体の奥で、少女が震えている。


 怖い。


 怖いに決まっている。


 これまで何度も、声を出そうとして潰されてきた。


 否定しようとして笑われてきた。


 助けてほしいと言って、見ないふりをされてきた。


 ヴァイスは、内側へ静かに告げた。


 ここから先は、お前の名前で答えろ。


 唇が、小さく震えた。


 喉が音を拒んだ。


 それでも、リリアナは息を吸った。


「いいえ」


 声は小さかった。


 だが、消えなかった。


 学院長が顔を上げる。


 マリウスが、青ざめた顔でリリアナを見た。


 リリアナは、初めて彼から目を逸らさなかった。


「私は、盗んでいません」


 指先が震える。


 けれど、言葉は続いた。


「奪われていました」


 その一言で、部屋の中のすべてが決まった。


 王宮監査局の立会人が確認書に印を押す。


 学院長が訂正文の掲示を承認する。


 ロダン教師は、監督室での聴取を命じられる。


 マリウス・グランは、当面の登校停止とし、グラン侯爵家へ監督通知が送られることになった。


 返還請求額、金貨換算七十八枚。


 現物返還不能分については、侯爵家を通じて弁済確認。


 名誉毀損訂正文は、翌朝の学院掲示板に掲載。


 リリアナ・エーベルに盗み癖があるとの噂は、事実確認なき流布として正式に否定される。


 すべて、紙の上で進んでいった。


 泣いても変わらなかったものが。


 叫んでも届かなかったものが。


 日付と品目と場所と名前になった瞬間、動き始めた。


 その日の帰り、リリアナは学院の廊下を歩いた。


 朝、彼女を見て笑っていた生徒たちは、もう笑わなかった。


 視線を逸らす者。


 青ざめる者。


 何か言いたげに口を開き、結局閉じる者。


 そのすべてを見ながら、リリアナは一歩ずつ進んだ。


 彼女の中で、ヴァイスが静かに言う。


 歩けるか。


 リリアナは、ほんの少しだけ頷いた。


 まだ怖い。


 まだ手は震える。


 明日から急に強くなれるわけではない。


 けれど、もう自分を盗人とは呼ばせない。


 学院長室で、彼女は最後に一枚の確認書へ署名した。


 リリアナ・エーベル。


 文字は少し震えた。


 だが、途中で切れなかった。


 ヴァイスはその字を見て、身体の奥で静かに笑った。


 綺麗な字ではない。


 強い字でもない。


 だが、自分の名として書かれた字だった。


 泣きながら書いた日記は、泣き言ではなかった。


 それは、彼女が彼女自身へ戻るための、最初の台帳だった。

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