【2-1】仮初めの保護者
署での保護手続きは、予想通り困難を極めた。
戸籍なし。身元を証明する物は着衣のみ。五歳の少女が、防犯カメラの監視網を掻い潜り、密室のトイレに出現したという事実。
合理的な説明など、できるはずもなかった。
「堂島、お前、何を言ってるんだ? 超常現象か? 疲れてるんじゃないのか」
生活安全課の課長は、和樹の報告書を「非科学的だ」と突き返し、あやめを単なる「身元不明の迷子」として、児童相談所へ引き渡すよう命じた。事務的で、冷淡な処理。それが組織の論理だ。
だが、和樹の本能が警鐘を鳴らしていた。
この子を、どこの誰とも知れない他人の手に渡してはいけない。彼女は、護が十二年ぶりに寄越した『メッセージ』なのだ。
(護の娘だ。俺が守らなきゃならねえ)
和樹は、持ちうる全ての職権と、強引な理屈を振りかざした。
「DNA鑑定の結果が出るまで、一時的に所轄と繋がりの深い施設で保護します。身元引受人は、俺がなります」
「堂島、貴様……!」
「課長。もしこの子が何らかの事件の重要参考人だった場合、児相に回して行方が分からなくなったら責任取れますか? 俺は、最悪の事態を想定して動いているだけです」
半ば脅しに近い説得で上司を黙らせると、和樹はあやめをパトカーに乗せ、アクセルを踏み込んだ。
助手席のチャイルドシートに、小さな体を窮屈そうに収めるあやめ。和樹はバックミラー越しに、その不安げな横顔を盗み見た。
窓の外を流れる東京の景色を、彼女は食い入るように見つめている。その瞳に映る光景は、彼女にとって「日常」なのか、それとも「異界」なのか。
やがてパトカーは、文京区の閑静な住宅街の一角、少し古びた二階建ての建物の前で止まった。
児童養護施設『ひだまりの家』。
門構えも、玄関先に植えられたクスノキも、十二年前と何も変わっていない。かつて護が枝を折ってこっぴどく叱られたあの木だ。
和樹はあやめの小さな手を引き、インターホンを押した。
「はーい」という朗らかな声と共に、一人の女性が姿を現す。
「まあ、カズ坊じゃないの! どうしたんだい、制服なんか着て。……あら?」
施設の長、園田芳江。
かつて、身寄りのない和樹と護を実の息子のように育ててくれた「おばちゃん」は、今や白髪の似合う、優しげな老女になっていた。
彼女は、和樹の後ろに隠れるようにして立つあやめの姿を認めると、その目をゆっくりと見開いた。
「…………その、子は……?」
芳江は震える手であやめの頬に触れようとし、そして、確信したように息を呑んだ。
「護……?」
その目元。鼻筋。そして何よりも、瞳の奥に宿る、決して折れない強い光。
「……いいや。この子は、護の子だね……?」
芳江の目から、大粒の涙がシワの刻まれた頬を伝ってこぼれ落ちた。
「まあ……! ああ……! 護はやっぱり、生きてたんだね……!」
彼女はその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、あやめを、壊れ物を扱うかのように、しかし力強く抱きしめた。
「おかえり……。いいや……ようこそ、だねぇ。ああ、よく来てくれた……!」
あやめは芳江の温かい胸の中で、戸惑いながらも、和樹の服の裾をギュッと握りしめていた。
十二年間、凍り付いていた「家族」の時間が、軋みながらも再び動き出した瞬間だった。
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