【4-3】屋上の風と、死の報せ
本富士署の屋上。立入禁止の札がかけられたフェンスの隅。そこが、大山の、そして和樹の、唯一の喫煙所だった。
冷たい風が、二人のくたびれたスーツを揺らす。街の音は遠い。ここでは風がいちばん大きい。
「…チッ。ライターの調子が悪ぃ」
大山が、古いジッポライターを苛立たしげに振る。
「最近、家で、妻と娘に『いい加減タバコやめろ』って、うるさくてな。肩身が狭いぜ、まったく」
カチ、カチ、と金属音が響く。
「やめようと思ったんだが、やっぱ、やめらんねえなぁ」
ようやく火がついたタバコを、大山は美味そうに肺の奥まで吸い込んだ。
「お前らに、初めて会ったのも、あそこの公園だったよな」
大山が、煙と共に、眼下に広がる小さな公園を指差した。
「馬鹿だと思ったぜ、ったく。警察署が真ん前にあるってのに、堂々と喧嘩なんかしやがって。…まぁ、喧嘩っつっても、護の独壇場だったがな」
大山は、懐かしむように、フッと鼻で笑った。
「あん時のクソガキが、十二年前に、神隠しみてえに消えちまって。…今度は、そいつの娘だっていう、訳の分からんのが出てきて、お前が、その面倒を見てる」
大山は、和樹の横顔を見つめた。
「…これも、運命ってやつなのかねぇ」
「大山さん…俺…」
和樹は、言いかけて、口を噤んだ。
目の前の男は、警察官であり、部長だ。だが、それ以前に、護と自分を、ガキの頃から知る、数少ない「大人」の一人だった。この重すぎる秘密を、相談すべきか。
大山は、そんな和樹の葛藤を見透かしたように、深く、紫煙を吐き出した。
「歳食うとよ、カズ。嫌でも、色んなことが、分かっちまうんだ。お前が隠してる、デカい秘密。たぶん、それは、あの『養護施設強盗事件』から始まってる」
「……!」
「あの時、お前、錦山の部隊に、無理やりくっついて、現場に入ったそうじゃねえか。生安のお前が、だ。…あの時、お前は、何かを見た。違うか?」
和樹は、観念した。
「…大山さんって、エスパーだったんですね」
「年寄りは、みんなエスパーだよ。特に、面倒見てきたガキの、嘘だけはな」
大山は、和樹の前に、火のついたジッポライターを差し出した。
「ここには、誰もいねえ。風の音だけだ。…話してみねえか?お前一人で背負うには、ちと、重すぎる荷物だ。警察ん中にも、味方が一人くらい、いた方がいいだろ」
「……」
「俺も、護には、世話になってんだ。昔、娘が溺れているところをたすけてもらったんだ。あいつには借りがある…お前の背負ってるもん、半分、俺にも背負わせろや」
和樹は、懐から、潰れたタバコの箱を取り出し、一本を咥える。大山のジッポから、火をもらった。
「…大山さんは、ずるいっすね」
「大人は、ずるいもんなんだよ」
和樹は、タバコの煙と共に、この数週間で起きた、あまりにも非現実的な「真実」を、全て吐き出した。
あやめがトイレから現れたこと。施設での、ありえない犯人の怪我。あやめの告白。割れたカップを元に戻した「錬金術」。そして、先日、科捜研の同期、権藤から告げられた、衝撃のDNA鑑定結果。
「…権藤は、あやめのことを、『人類が進化すべき未来』だとか、『核融合炉だ』とか、興奮してました。そして、そのデータを、俺に…」
大山は、話の腰を折らず、ただ黙って、和樹の話を聞いていた。
和樹が全てを話し終えると、大山は、複雑そうな、そして、心の底から疲れたような顔で、三本目のタバコに火をつけた。
「…信じられん話だ。薬でもキメてるのか、ってな。…普段の俺なら、そう言って、お前を精神病院にぶち込んでる」
「……」
「だが、お前の話を聞いて、全ての辻褄が合った」
「どういう、ことですか?」
大山は、懐から、一枚の、シワの入った書類を取り出し、和樹に渡した。それは、内部回覧用の、簡素な「死亡報告書」だった。
『死亡者:権藤 一』
『所属:警視庁 科学捜査研究所 第一法医課』
『死因:捜査中(詳細は不明)』
「なっ…!権藤が、死んだ!?いつ!」
「今朝方だ。自宅マンションで、死体で発見された」
大山の声は、重く、沈んでいた。
「第一発見者は、同僚の科捜研職員。公式発表は『捜査上の事故死』だが…俺が、捜査一課の仲間から、こっそり聞いた話じゃあ、状況はまるで違う」
大山は、声を潜めた。
「現場は、荒らされていなかった。だが、権藤が、常に肌身離さず持っていたという、例のアタッシュケース。お前の言う、あやめの『本物』のデータが入っていたはずのケースだけが、綺麗に消えていたそうだ」
「そん、な…!一体、誰が…!」
「あやめのDNA検査をしたことを、公式に知っているのは、誰だ?」
大山の言葉に、和樹は、血の気が引いた。
「…俺と、大山さんと、科捜研と…本冨士署の職員…」
「そうだ。…これが、どういう意味か、分かるか」
「身内の、仕業…?なぜ!あやめの情報を、権藤を殺してまで奪うんだ…!」
「落ち着け、カズ!」
大山は、興奮する和樹の肩を、強く掴んだ。
「俺だって、こんな胸糞悪い話は、信じたくねえ。だがな…」
大山は、ため息をつくと、決定的な事実を告げた。
「…公安だ。俺は、公安がやったと踏んでる」
「公安!?なぜ、公安があやめの情報を…」
「それは、俺にも分からねえ。だがな、お前をここに呼び出す、ほんの少し前だ。奴らが、俺のところに来やがった」
(回想)
部長室。ノックもなしに、二人の男が入ってくる。仕立ての良い、だが、何の個性もない黒いスーツ。感情というものが、完全に抜け落ちた、能面のような顔。
『大山部長。生活安全課の、堂島和樹について、いくつかお伺いしたい』
男は、警察手帳を一瞬だけ開き、すぐに閉じた。警視庁公安部。
『あ?なんだ、お前ら。公安様が、ウチの署の、それも生安の部長なんぞに、何の用だ』
『答える必要はありません。堂島和樹は、現在、誰と接触し、何を捜査しているのか。特に、彼が保護したという、身元不明の女児『磐座アヤメ』との関係。全て、詳細に報告していただきたい』
その、見下すような、有無を言わさぬ口調。大山は、デスクに足を放り投げ、わざとらしく煙草をふかした。
『知るかよ。あいつは、ただの、融通が利かねえ馬鹿だ。十二年前にダチが消えたのが忘れられねえ、ただのガキだ。ガキの面倒くらい、俺が上司として見てやる。…それより、公安様は、よっぽど暇らしいな。所轄のカラス退治の仕事でも、手伝ってもらうか?』
黒いスーツの男の目が、スッと細められた。
『…大山部長。あなたの、その非協力的な態度は、記録させていただきます。我々の『捜査』を、これ以上、邪魔立てしないことを、お勧めしますよ』
二人の男は、それだけを言うと、音もなく部屋から出て行った。
(回想終わり)
「…と、まあ、こんな感じだよ。お前のこと、根掘り葉掘り、聞きやがって。ムカついたから、追い返してやったがな」
大山は、悪態をつくように笑う。
「大丈夫なんですか、それ…」
「いいんだよ。元々、反りが合わねえんだ。俺たち現場と、あいつら『国の正義(笑)』じゃあな」
大山は、最後のタバコを、携帯灰皿に、ぐり、と強く押し付けた。
「カズ。用心しろ。公安が、何を狙ってるのかは知らんが、奴らが、権藤を消してまで、あやめのデータを欲しがったのは、事実だ。奴らは、国のためなら、何をしでかすか分からん連中だ」
「……」
「お前は、明日から三週間、休暇だ。俺の命令だ」
「え?」
「『先日の事故現場での過度なストレスによる、PTSDの疑い。要・長期療養』。そういう診断書を、俺の知り合いの医者に書かせた。お前のデスクに置いとく」
「大山さん…!あんた、そんなことしたら…!」
「うるせえ。年寄りの、数少ない職権濫用だ。…何かあったら、絶対に、署には連絡するな。俺の、私用の携帯にかけろ。いいな。約束だぞ」
大山は、そう言い残すと、和樹の肩を一度だけ、強く叩き、屋上から去っていった。
一人、残された和樹の足元に、権藤の「死」という、冷たい現実が、まとわりついていた。氷の上に、さらに重い荷が乗った。
(公安が、権藤を殺して、データを奪った…?なぜだ?あやめの、あの『進化』したDNAが、国にとって、それほどの価値があるっていうのか…?それとも…)
和樹の知らないところで、事態は、もはや「警察」という枠組みを、遥かに超えようとしていた。
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