【3-4】合理主義者の瞳
翌日。権藤から指定された場所は、警視庁本部でも、科捜研でもなく、都心から離れた、廃工場の立ち並ぶ、人気のない埠頭のカフェだった。日曜の昼間だというのに、客は和樹以外、誰もいない。窓の外の海は鈍い色で、風だけがやたらと元気だった。
(…最悪のロケーションだな)
和樹が、不味いコーヒーを啜りながら待っていると、入り口のベルが鳴った。
白衣ではなく、仕立ての良い黒いスーツに身を包んだ権藤が、アタッシュケースを片手に、無表情で立っていた。日常から一歩外れた場所に、よく似合う顔だ。
「…久しぶりだな、堂島」
「ああ。相変わらず、愛想のない顔だ」
権藤は、和樹の軽口を無視し、対面の席に深く腰掛けると、アタッシュケースから一枚の紙を取り出し、テーブルに滑らせた。
「まず、これを見ろ」
それは、DNAの鑑定結果報告書だった。
和樹は、震える手でそれを掴んだ。そこに、何が書かれているのか。アヤメの「異常性」を告発する、絶望的な文字列が並んでいるのではないか。
だが、報告書の内容は、あまりにも平凡だった。
『対象者:イワクラ アヤメ(推定5歳・女性)』
『判定:データベース上に、一致するDNAパターン、及び、近親者のパターン、検出せず。身元不明』
「…これが、どうしたんだ?身元不明なんて、最初から分かってたことだろ」
和樹が、訝しげに権藤を見ると、権藤は、その無機質な眼鏡の奥で、瞳をギラリと光らせた。
「…それは、貴様の上司に提出する『表向き』の報告書だ」
権藤は、そう言うと、アタッシュケースから、今度は分厚いファイルの束を取り出し、テーブルに叩きつけた。湿った音が、やけに響いた。
「堂島…お前、あの娘を、どこで拾ってきた?」
その声には、明らかな興奮と、科学者としての抑えきれない好奇心が滲み出ていた。
和樹の背中を、再び冷や汗が流れ落ちる。心の奥の警報が、音を立てて鳴り始める。
(バレた…!あやめの力が、バレたんだ…!)
「…どういう、意味だ」
平静を装う。声が、震えていないか心配になる。喉の奥が乾く。乾いているのに、唾が出ない。
「とぼけるな。あの施設での立てこもり事件。あの現場の状況と、あの娘の出現状況、全て鑑識の御子柴からデータをもらった。そして、俺は、あの娘のDNAを、独自に、徹底的に解析した」
権藤は、ファイルの最初のページを開き、和樹の前に突きつけた。そこには、人間には到底理解できない、複雑な三重螺旋のようなDNA配列図が描かれていた。
「な、何がありえないんだ…?俺には、ただのミミズの行列にしか見えんが」
「ミミズだと!?この、人類の至宝とも言える配列が!?」
権藤は、立ち上がり、興奮した様子で捲し立て始めた。その様は、まるで難解な現代アートの素晴らしさを説く、狂信的な学芸員だった。
「いいか、堂島!この専門的な話をお前に理解させるのは、ゴリラに微積分を教えるようなものだが、敢えて言ってやる!」
権藤が指し示すグラフ、数値、配列図。和樹には、何一つ理解できない。理解できないからこそ怖い。知らない言葉は、刃物よりも厄介だ。
「要するに!」
権藤は、ファイルの最後のページを叩いた。
「あの娘のDNA配列は、基本構造こそ我々ホモ・サピエンスと同じだが、その『情報量』が、桁違いだ!我々のDNAが、埃を被った百科事典だとしたら、彼女のは、最新鋭の量子コンピュータだ!」
「…はあ?」
「彼女のDNAには、人類には見られない、未知の構造が組み込まれている!それは、あらゆる病気への完全な耐性を持ち、テロメア(寿命)の概念すら書き換えかねない!そして、何より…!」
権藤は、声を潜め、恍惚とした表情で言った。
「彼女のミトコンドリアDNA…エネルギーを生み出す器官は、我々のそれとは比較にならない、異常なほどの『出力』を持っている!あれがもし、全て解放されれば…それこそ、核融合炉並みのエネルギーを生み出すことも可能だ!」
「……」
「結論を言う。磐座アヤメは、この地球上で、最も『進化』した人間だ。…いや、もはや、別の生物だ」
和樹は、権藤の言葉に、眩暈を覚えた。喉の奥で、乾いた笑いが鳴りそうになるのを堪える。笑える状況じゃない。
(力がバレた、とか、そんなレベルじゃねえ…。存在そのものが、『規格外』だっていうのか…)
和樹は、震える声で、一番聞きたかった、そして、聞くのが一番怖かった質問をした。
「…そのこと、上に、報告したのか?」
権藤は、ふう、と息を吐き、再び椅子に座った。
「…いや、まだだ。このデータは、俺の個人端末にしかない」
「!」
「なぜだ、と聞きたいか?簡単なことだ。こんな世紀の大発見、報告書一枚で上司に手柄を横取りされて、たまるか。それに…」
権藤は、和樹をじっと見つめた。
「…この『核融合炉』が、本当に起動するのかどうか。この目で確かめるまでは、報告はできん。そのために、磐座アヤメの、追加の血液サンプルと、身体データの採取が必要だ。だから、保護者である、お前に連絡した」
「…そうか」
和樹は、心の底から安堵した。権藤の歪んだ功名心と、科学者としての探究心が、最悪の事態を、寸前で食い止めていたのだ。世の中、善意だけで回らない。だからこそ、悪趣味な欲が助けになることもある。
和樹は、椅子から立ち上がると、権藤の前に、深く、深く頭を下げた。
「権藤。…頼む」
「…なんだ」
「このことは、秘密にしてくれ。このデータも、全て処分してくれ。あやめのことは、忘れてくれ」
「…は?」
権藤は、眉をひそめた。
「貴様、自分が何を言っているか、分かっているのか?これは、人類の未来を変える大発見なんだぞ。それを、隠蔽しろと?」
「ああ。頼む」
「なぜだ?磐座アヤメは、お前にとっては他人だろう。たまたま保護しただけの、赤の他人だ。情でも移ったか?だが、所詮は、血の繋がっていない他人だ。貴様の感傷と、人類の未来と、どちらが重いか、士官学校卒のエリートなら分かるだろう」
その言葉に、和樹は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もう迷いも、焦りもなかった。言葉にしてしまえば戻れない。だが戻るつもりもない。
「あやめは、俺の親友の娘だ」
「…親友?」
「12年前に消えた、たった一人のダチの、忘れ形見だ。俺には、あの子を、もう一度、親である護に会わせるまで、守り通す義務がある」
和樹は、権藤の目を、真っ直ぐに見据えた。
「今、あやめのことが上に報告されれば、あの子は、間違いなく俺の手から離れる。どこかの研究施設に送られ、モルモットのように扱われるだろう。…これは、俺のエゴだ。俺の、感傷だ。だが、俺は、それが嫌なんだ」
和樹は、テーブルに両手を突き、再び頭を下げた。
「頼む、権藤。この通りだ」
権藤は、無言で、和樹の土下座を見下ろしていた。カフェの古時計の音だけが、チクタクと響く。
やがて、権藤は、大きなため息をついた。
「…はぁ。貴様が、そこまでの馬鹿だったとはな。士官学校、首席で卒業した男が、聞いて呆れる」
権藤は、アタッシュケースから、USBメモリを取り出し、和樹の前に置いた。
「…ここに、全てのデータが入っている。処分するなり、隠し持つなり、好きにしろ」
「権藤…!」
「ただし、条件が二つある」
権藤は、冷たく言い放った。
「一つ。俺を、その磐座アヤメに会わせろ。俺は、科学者だ。この目で、本物を見ないことには、納得できん」
「…ああ。分かった。合わせる」
「もう一つ。…貴様の親友、磐座 護のデータも、俺に渡せ。あの娘が『突然変異』でないのなら、父親である彼もまた、『異常』である可能性が高い。俺は、そちらにも興味がある」
「…分かった。俺が持っている、12年分の捜査資料、全て渡す」
「フン…取引成立だな」
権藤は、立ち上がると、テーブルにコーヒー代を置いた。
「堂島。俺は、貴様のような感情論は理解できん。だが…貴様が、その『エゴ』とやらのために、どこまで堕ちるのか。それには、少し興味が湧いたよ」
そう言い残し、権藤は、嵐のように去っていった。
和樹は、USBメモリを固く握りしめ、冷え切ったコーヒーを、一気に飲み干した。苦味が、遅れて喉を焼いた。これから先の道も、たぶん同じ味がする。
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