【3-2】護が遺した、温度
ギリギリの日常を支えてくれたのもまた、護が遺した「繋がり」だった。繋がりは目に見えないくせに、必要な時だけ手を伸ばしてくる。あいつらしい。
「よぉ、カズキ!あやめちゃん!今日も美味いもん食いに行くぞ!」
週末になると、派手なアメ車(会社の営業車らしい)で乗り付けてくるのは、元ヤンキーの武田だった。
「うわーい!タケおじちゃん、だーいすき!」
あやめは、すっかり武田に懐いていた。
それもそのはず、武田は「育児はまず、美味い飯からだ!」という護と同じ理論の持ち主で、あやめを高級な焼肉屋や、寿司屋に連れ回し、その規格外の食欲に目を丸くしながらも、嬉しそうに勘定を払うのだ。金で片が付く問題ばかりじゃないと知りつつ、それでも腹が満たされると、人は少しだけ優しくなれる。
「カズキ、お前、あやめちゃんにちゃんと肉食わせてんのか?女の子は、栄養が大事なんだぞ」
「うるせえ。お前んとこの特上カルビと、うちのスーパーの特売肉を一緒にするな」
武田の父――武田が「オヤジ」と呼ぶ、いかにも昔気質な運送会社の元社長も、あやめを孫のように可愛がった。
「おう、嬢ちゃん!食ってるか!その食いっぷり、護のガキの頃とそっくりだ!ガハハ!」
武田の会社の屈強な従業員たちも、あやめを「姫」と呼び、事務所に遊びに行けば、代わる代わる肩車をしてくれた。肩車の高さは、子どもにとって世界の広がりそのものだ。あやめの笑い声が、倉庫の天井に反響するたび、和樹の心のどこかが救われていく。
そんな武田には、最近、大きな変化があった。
「紹介するわ。俺の嫁の、明美」
武田が、照れくさそうに紹介したのは、彼とは対照的な、物静かで、芯の強そうな女性だった。彼女のお腹は、新しい命を宿し、大きく膨らんでいる。生まれる前から、周囲の空気が少し柔らかい。そういうのが、分かる。
「初めまして、あやめちゃん。主人から、いつもお話は聞いていますよ」
明美は、しゃがみ込むと、あやめの目線に合わせて、優しく微笑んだ。
あやめは、最初は緊張していたが、明美の持つ、母親のような温かい空気に触れ、すぐに心を開いた。
「アケミおばちゃん、おなかに、あかちゃん、いるの?」
「はい。もうすぐ、あやめちゃんの『弟』か『妹』が生まれてくるんですよ」
「やったー!」
あやめは、無邪気に明美のお腹に飛びつき、和樹を慌てさせた。
「こら、あやめ!明美さんは大事な体なんだぞ!」
「ふふ、大丈夫ですよ、堂島さん。この子、すごく優しい、良い子ですね」
明美は、あやめを優しく抱きしめ、その髪を撫でた。撫でる手つきに、余計な力がない。和樹はそれが羨ましくて、同時に少し怖かった。自分にはまだ、そんな自然さがない。
「なあ、カズキ。お前、本当にすげえよ」
焼肉屋からの帰り道、助手席で眠るあやめを見ながら、武田がぽつりと言った。
「こんな可愛い子、一人で育てて…尊敬するぜ、マジで」
「…別に。俺がやりたくて、やってるだけだ」
「そういうことにしといてやるよ。…にしても、護の奴、本当に愛されてたんだな」
武田の言葉に、和樹は頷いた。
あやめという存在が、護の記憶を呼び覚ましたかのように、和樹の元には、かつての仲間たちが次々と訪ねてくるようになっていた。顔ぶれが揃うほど、護がいない現実が輪郭を持つ。嬉しいのに、少し痛い。
市役所勤めの鈴木は、週末になると、大量の児童書や知育玩具を抱えてやってきた。
「堂島、あまり変なアニメばかり見せるな。教育に悪い。女の子には、こういう情操教育が必要だ」
彼は、あやめを自分の膝の上に乗せ、絵本を読み聞かせるのが、最近の最大の楽しみらしかった。ページをめくる音が、部屋の静けさに馴染む。
雑誌記者の佐々木は、どこからか聞きつけた最新の子供服や、人気のオモチャを大量に持ってきた。
「あやめちゃーん!これ、新作の仮面ライダー変身ベルトよ!カズキには絶対買えない、プレミア品なんだからね!」
「わーい!ササキおばちゃん、ありがとう!」
「誰がおばちゃんよ!」
佐々木は、あやめに着せ替え人形のように服を着せ替え、スマホで写真を撮りまくっては、「カワイイ!」と叫んでいる。その賑やかさが、和樹にはありがたい。静かすぎると、思考が勝手に暗い方へ落ちるからだ。
護と和樹が高校時代にお世話になった、元担任の教師。
施設に多額の寄付をしてくれていた、地元の名士。
護がバイトしていた、中華料理屋の頑固オヤジ。
彼らが、代わる代わるあやめに会いに来ては、その小さな顔に、護の面影を見出し、目を細め、そして、和樹に「何か困ったことがあったら、いつでも言え」と声をかけてくれる。
護は、いなくなってからも、その人望で、和樹とあやめを支えていた。
和樹は、改めて、自分が失った親友の大きさを、痛感していた。いなくなった後のほうが、存在が重いなんて反則だ。
そんな日々が数ヶ月続いた、ある日のことだった。
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