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『Returnees』〜残された世界と、帰還した「親友の娘」〜  作者: NewSankin


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【3-1】1Kの戦場

堂島和樹の日常は、あの日を境に、文字どおり一変した。

警視庁本富士署、生活安全課の「窓際」警官。その肩書に、新たに『五歳児(訳あり)の保護者』という、あまりにも重い職務がねじ込まれたのだ。拒む余地など、最初からなかった。


和樹の住む、築三十年の1Kのアパート。男の一人暮らし(と、十二年分の諦念)を象徴するかのように、床にはコンビニ弁当の容器や脱ぎっぱなしの靴下が散乱し、万年床の布団が部屋の大半を占拠していた。乾いた生活臭が、部屋の隅に澱のように溜まっている。そこへ、磐座あやめという「日常の破壊者」がやってきた。たった一人ぶんの体温が増えただけで、空気の質が変わる。逃げ場だったはずの部屋が、責任の匂いを帯びる。


「あやめ、飯だぞ」

「…はーい」


和樹は、慣れない手つきでフライパンを振るう。今夜のメニューは、スーパーの特売で買った冷凍餃子と、パックご飯、そしてインスタントのわかめスープ。お世辞にも「育児」と呼べる食事ではない。だが、今の和樹にはこれが精一杯だった。火を通す。皿に出す。湯を注ぐ。


――たったそれだけの工程が、妙に重い。


「ほら、熱いからフーフーして食えよ」

「…うん」


小さな折り畳みテーブルで、二人は向かい合って座る。あやめは、小さな口で餃子を頬張りながらも、その視線はテレビ画面に釘付けだった。


「へんしん!とう!」


日曜朝の特撮ヒーロー、『仮面ライダー』が、派手な爆発を背景に、怪人を蹴り飛ばしている。


「…かっこいい」


あやめが、ぽつりと呟いた。

和樹は、その横顔に、忘れることのできない親友の面影を見た。胸の奥に、古い痛みが鈍く触れた。


まもる…お前も、そうだったな)


護は、仮面ライダーが大好きだった。施設にいた頃、二人で毛布をマント代わりにし、「ライダーキック!」と叫びながら、芳江社長おばちゃんに飛びかかり、こっぴどく叱られた記憶が蘇る。笑い声まで、なぜだかやけに鮮明だ。思い出は優しい顔をして、いつも遅れて刺さってくる。


「あやめも、仮面ライダー、好きなのか?」

「うん。パパと、いっしょに、みてた」

「…!」


和樹は、思わず身を乗り出した。護の情報を得る、千載一遇のチャンス。


「パパと…そうか。パパは、どんな仮面ライダーが好きだったか、覚えてるか?」

「えっとね…つよくて、かっこよくて、ごはん、いっぱい食べる」

「…それ、仮面ライダーじゃなくて、パパ本人のことじゃねえか」

「ううん。パパ、いってた。『おれは、さいきょうの、かめんライダーになる』って」

(あいつ、娘の前でもそんなこと言ってんのか…)


和樹は、頭を抱えた。息が漏れるのを堪えたつもりが、どこか苦笑いに似た音になってしまう。

あやめの口から語られる「護」は、あやめの幼い記憶の中で、断片的なイメージとしてしか残っていないようだった。


『パパのおしごと、なに?』と聞けば、『わるいやつを、やっつける、おしごと』と答え、『パパはどこにいるの?』と聞けば、『とおくに、おしごと』と答える。

核心に迫ろうとすればするほど、答えは要領を得ず、あやめの表情が不安げに曇るのを、和樹は何度も目撃していた。その曇りは、子どもが嘘をつく時のそれではない。知らないことを聞かれて、世界が少し揺れる時の顔だった。


(…ダメだ。焦りすぎだ)


護の情報を引き出したいというエゴが、あやめを追い詰めている。和樹は、自分を戒めた。守ると言った。なら、まず息を整えろ。警察官のくせに、いちばん危ないのは自分の焦りだ。


育児の難しさは、食事だけではなかった。


「あやめ、風呂入るぞ」

「…やだ」

「やだ、じゃねえ。女の子は、綺麗にしとかねえと」

「…おじさん、エッチ」

「どこでそんな言葉覚えてきたんだ!?」


三十歳、独身。娘どころか、まともに女性と付き合った経験すらない和樹にとって、五歳児の女の子の世話は、ソタイ(組織犯罪対策局)の突入作戦よりも難易度が高かった。銃も盾も役に立たない。必要なのは、手順と、根気と、同じ説明を何十回も繰り返す喉の強さだった。


最大の難関は、夜だった。

あやめは、施設での事件以来、夜になると決まってうなされるようになった。


「…いや!やめて!おばあちゃん、ち、いっぱい…!あやめが、わるいこ、だから…!」


真夜中のアパートに、甲高い悲鳴が響き渡る。壁の薄い部屋が、そのまま拡声器になる。隣の部屋の気配が、息を潜めるのが分かる気がした。

和樹は、飛び起きて、汗びっしょりで泣きじゃくる小さな体を、強く抱きしめた。抱きしめる力加減さえ、いつも怖い。強すぎれば壊れそうで、弱ければこぼれ落ちそうだ。


「大丈夫だ、あやめ。怖くない。あれは、夢だ」

「…おじさん…」

「あやめは、悪くない。お前は、社長を、みんなを守ったんだ。お前は、ヒーローだ」

「…ヒーロー…?」

「ああ。仮面ライダーみたいに、カッコよかったぞ」


和樹は、あやめの背中を、ポン、ポン、と優しく叩き続ける。芳江社長が、かつて自分たちにしてくれたように。叩くたび、胸の奥で何かが軋む。あの日、護を失った自分が、今ここで、護の娘をなだめている。人生は皮肉にしても趣味が悪い。


(護…お前、本当に、とんでもねえもんを俺に預けていきやがったな…)


腕の中で、再び小さな寝息が聞こえ始める頃、窓の外は、すでに白み始めていた。和樹は、一睡もできないまま、タバコに火をつけ、警察官の顔に戻っていく。煙を肺に落として、感情の温度を下げる。

仕事と育児。二つの、決して両立しない現実が、和樹の精神と肉体を、容赦なく削り取っていった。削れたぶんだけ、何かが研がれている気もする。それが救いなのか、破滅の前触れなのか、今はまだ分からない。

お読みいただきありがとうございます!


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