まわりみち
きみ、進路で迷ってるんだって?
悪いことは言わないよ。
自分の好きなことを目指しなさい。
いやいや、違うよ。他人事だと思って、いい加減なことを言ってる訳じゃないって。
好き嫌いと仕事とは別だって?
うーん、そうだよねえ。
うん、やっぱりそう思うか。
でもさ、それはさ、なんての?
あのお、自信過剰ってやつだよ。
いやいや、君だけのことを言ってるんじゃないの。
いやね、何を隠そうこの僕だって、仕事は生活していくためにするもの、好き嫌いとは関係ない、って言ってたんだよ。
ははは、想像がつかないって?
そうだよねえ。
え?
僕がいま好きなことやって、気ままに暮らしてるって?
ははは。
まあねえ、そう見えるかねえ。
道楽者?
おいおい、失礼なヤツだな君は。
でもまあ幸せなんじゃないかねえ。
え?ついてたかって?
うーん、多分違うんじゃないかな。
別に僕が例外的に幸運だった訳じゃないと思うよ。
そもそもさ、幸運ってのは、自分が乗ってるときにやって来るものでしょう?
そう。来るもんなんだよ。
だからさ、自分が好調でいる環境をつくらなきゃならないわけ。
早い話、好きなことやったらいいってことだよ。
わかんない?
酔っぱらってるのかって?
ばかもの。飲んでないよ。
疑り深い人だね。
いいよ。とっておきの話を聞かせてあげよう。
僕はねえ、こう見えてジャーナリスト志望の大学生だったんだよ。
なんで笑うんだよ!
君は進路で迷う前に、まず人の話を聞く練習をしなさい。
当時、大学の一年先輩に綺麗な人がいてね。
一年先輩と言っても僕はほら、一年浪人してるからさ。
代々木ゼミナール。
だから、その先輩は学年は一つ上なんだけど、歳は同じなわけ。
彼女は雄弁会にも所属しているような、いかにもキャリアウーマンの卵っていう感じだったよ。
雄弁会が分からない?
あとで自分で調べなさい。
僕はたまたまその授業で彼女を見かけて、懸命に近づこうとしたんだよ。
勉強?したよ。
その授業だけはね。
哲学。
うん。お、良く知ってるじゃない。
そうそう「我思う、故に我有り」ってやつ。
でさ、教授に質問をして褒められたりすると、彼女が感心したような顔を向けてくれるわけ。
彼女は忙しそうで、時々休んでたりしたから、休み明けに思い切って「ノート貸しましょうか」って言ってみたり。
そのお礼に学食でランチをおごってもらったりしてね。
そうなると、ますます勉強したよ。
もっとも、試験では彼女の方が常にいい点をとってたけどね。
あれおかしいよね。
勉強しても点数悪いヤツと、勉強しないで点数良いヤツ。
どっちが偉いと思う?
うん。
点数良いヤツ。
そうか、まあ、そりゃそうだな。
いや、でもさ、自分を弁護する訳じゃあないけどもさ、……
そうね。価値観の問題、話してもしょうがないよね。
いや、哲学だけじゃないよ。
彼女はジャーナリスト志望だったからさ、マスコミ学なんかも専攻してた。
僕も次の年にはマスコミ学取ったよ。
笑うなよ。
柄じゃない?分かってるよ。
浮いてたろって?
いや、意外と……まあ、浮いてたかもね。
でも、そうやって、同じ事をやってると、近くにいられる気がしたんだよなあ。
彼女は大学を卒業後、大手出版社の政治部に配属になった。
いやそれがさ、実は、卒業してから何度か食事に誘ってもらったことがあるんだ。
卒業前に「給料取りになったら時々ごちそうしてあげる」って言われてたんだ。
ホントだよ!
見栄張ってないよ!
君ねえ、進路に迷う前に、人を信じることを学びなさいよ。
うん。社会人になった彼女は生き生きして見えたねえ。
まさに、水を得た魚って感じだったよ。
このたとえは判るよね?
あ、ごめんごめん、バカにしてるわけじゃないって。
でね、僕も大学卒業後、ジャーナリストの道に進んだのさ。
いや、ホントだって。
あれ?
そんなに信じられない?
どっかに名刺取ってあるよ。後で見せてやろう。
なんなら今探して……。
そうね。後でいいね。
でもね、やっぱり元々向いてなかったらしくてさ。何をやっても人並み以下。
プロ野球で言ったら一軍と二軍を行ったり来たりしてるって感じだったねえ。
しかも弱小チームの。
君はどこのファン?
あ、野球は見ないのね。
いやいいんだ。
変に贔屓のチームの悪口言っちゃ悪いと思って聞いただけだから。
彼女の方は次々と活躍の場を広げて、忙しく暮らしているらしかったよ。
さすがに、あんまり連絡も取れなくなってたからねえ。
その出版社で出してる雑誌をチェックして、記事の署名で名前をよく見かけたよ。
僕がやった仕事かい?
そうだなあ。「過疎と村興しパート2」とか、「都市の下水道工事パート3」とか。
お、ここは笑わないんだな。
そうそう、地味でも大事なテーマがあるんだよ。
分かってるじゃない。
腹減ったな。
おおい!ねえちょっと!
あのさ、スパゲティかなんか作ってちょうだいよ。
お客さんの分も。
え?そうだよ。お客さんだよ。
君に自覚があろうがなかろうが、手ぶらでふらっと訪ねて来ようが、状況からすると、お客さんなんだよ。
まあ、なにはともあれ、仕事にはなじめなかったねえ。
落ちこぼれ社員として無為な日々を送ってた気がするなあ。
その頃、風の噂で、彼女が海外で知り合った青年実業家と結婚したって聞いたんだよね。
それからも、ますます活躍を続けてるらしかったねえ。
僕はその頃からまた、絵を始めていたんだ。
趣味でね。
最初は現実逃避だったんだけどさ、活動としてはこっちの方が全然現実味がある訳よ。
何か生み出してるっていう自覚が持てるというかさ。
募集の広告を見つけては応募したり、仕事がらみで出歩くたびに見つけた画廊に知り合いを作ったりね。
それで、イラストの小さなコンテストに入賞することを密かな楽しみにしてたのさ。
無名のコンテストに入賞しても何の実績にもならないんだけど、どんな小さな事でも、人に認められるってのはうれしいことだよ。
副業?まあ基本は禁止だったけど、憲法に違反してるわけじゃないからね。
余暇の活動は自分の裁量で決めればいいんじゃない?
咎められたら、副業をやめるか仕事をやめるかすればいいんだから。
そのうち、投稿で常連になってた雑誌から、挿絵のイラストを描いてみないか、っていう連絡をもらって、描き始めたんだ。
でも、いざやり始めると結構ハードな仕事でね。
とてもじゃないけど、片手間にはやってられないんだよ。
幸い、担当者にも気に入られて、順調に仕事が入ってくる見込みがあったんで、思い切って会社を辞めることにした。
こっちは一大決心して「やめます」って言ってるのに「はい、わかりました」だって。
そのシーンだけでも、いかに僕が戦力になってなかったか判るでしょ。
そこは笑っていいんだよ。
そんな悲しげな顔をされるとこっちが哀れになるよ。
で、改めて、イラストレータの仕事を始めたわけ。
それを機に部屋も引っ越して、心機一転。
気が楽になったねえ。
生活は別に楽にならなかったけどね。
やっぱり好きなことというのは違うよ。
そりゃ、クラブ活動じゃないから、楽しいばかりじゃないよ。
というか、ほとんど楽しくはないよ。
でもさ、同じように仕事に不満があったとしても、ぎりぎりのところで我慢ができるというかな。
我慢できるラインが高いんだよ。
そりゃそうだよ。
その仕事を請けるかどうかの判断は自分でできるんだし、自分の好きな要素がその仕事の中にあるんだもん。
ある日、突発の仕事が入って、クライアントとの打ち合わせに出かけた。
僕は落ちこぼれとはいっても元ジャーナリストだからね。
客との交渉というか雑談めいた顔合わせを嫌がらないイラストレーターということで、重宝がられたのさ。
うん、多分、他のイラストレーターはそんなに社交的じゃないのかもね。
ところが行ってみてびっくりしたねえ。
クライアントはあの、あこがれの彼女だったんだよ。
何でも、自分が初めて手がけるエッセイのイラストなんで、直々に出てきたって言うのさ。
彼女もまさか僕がいつの間にかイラストレーターになってて、自分の本の挿絵を担当することになったなんて思ってもみないからね。
びっくりしてたよ。
懐かしがって、学生時代のノートのお礼なんて言ったりしてさ。
エッセイ?
いや、大して売れなかったよ。確か。
売れっ子ジャーナリストが書いたっていうのが売りだったんだけどね。
結局さ、僕は、高嶺の花の彼女に近づこうとして、無理して自分を殺すようなことをしてたわけ。
それは無駄だったんだよね。
まあ、全部無駄とは言わないよ。
面白い経験もあったから。
でも、いくら頑張って同じ世界にいようとしても、近付けるわけじゃない。
持っているエネルギーの強さみたいなものが違うと、人としてのレベルが釣り合わないわけ。
むしろジャンルが全然違ってても、エネルギーが釣り合っていれば接点が生まれやすいんじゃないかなあ。
だから僕が出来るアドバイスは、好きなこと、得意なことをやった方がいいと思うよってことだ。
え?でも、もうその人は結婚してたんだろうって?
いや、それがさ、実はその時、彼女の差し出した名刺は旧姓に戻っていたんだよ。
仕事上の都合で旧姓を使っていたのかなと僕も思ったけど。
その時はもう独身に戻って結構経ってたらしいよ。
うちのかみさんも再婚だろうって?
そうさ。
で、元敏腕ジャーナリスト。
終わり




