第六十五話 戦略
「そうか、止める…か、
ならば、ならばならば!かかってこい!クラルス・ナルヴィー!
僕を止めてみろ!…出来る、ものならなぁ!!」
マグヌムが腕を大きく広げた
かかってこいとでもいいたげに、無防備に隙をさらしている
ここは、二人しかいない空間だ
広くも、狭くもない
この状況で、勝つためには
"幻楽器を見つけることだ"
本を読みわかったことだ
幻楽器アルカナブラスセクションの洗脳効果
恐らく、マグヌムの別の人格はこれによって発生した
この幻楽器の洗脳効果は、ただ単に人の思考を操作する訳ではなく、精神を二つに分離させ、片方に元の精神を、もう片方は空にすることで、空の精神を表に出し、命令を聞かせやすくする力だという
ただ、特に自我が高い者は、空になるはずの人格にも精神の欠片が残り、それが空を埋め尽くすことによって新たな人格が芽生えるらしい
つまり、元の人格を表に出すことで、欠片に乗っ取られたマグヌムを、救うことが出来るというわけだ
どうすればいいのかは不明だ
だが、他の幻楽器と同じであった場合、洗脳された幻楽器の音を再び聞くことで元に戻るはずだ
その点に関してはマグヌムも理解しているだろう
であれば、今の精神が消える可能性のある、その幻楽器をオーケストラに使用しているとは考えにくい
ならば、今置いておける場所は、このコンサートホール以外にはない
その場合、現在の最適解は…
逃げだ
自分は、腰にかけていた木刀に手を掛けながら後退する
マグヌムはその様子をじっと眺めており、動く気配はない
そうして、舞台裏のギリギリまで近づいた瞬間、自分は後ろに走り出した
見つけるべきは、金庫などの厳重に封がされているもの、意味深に設置されている金管楽器…
マグヌムに追いかけられたとしても、マグヌムは自分が秘密を知っていることを知らない
そもそも、マグヌムからしてみると追いかける得がないはずだ
そう思い、走りながら誰もいないはずの後ろを振り返る
─だがそこには、狂気に包まれ、走り方さえ歪になった一人の男が、自分だけを睨んで動いていた
「マテぇぇぇぇああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
もはやその動きは人とは呼べない
関節が脱臼するほどの、骨が意味を成さないほどの、痛みを忘れた獣のような動き
オーケストラを公演したとは思えぬほどの、激しく荒々しい咆哮
速度はなくとも、それが自分の恐怖を生み出さないはずがない
感情が希薄になったこの世界で、これほどの恐怖に包まれた記憶がない
初めてマグヌムに出会った時よりも、鐘を盗んだ時よりも、管弦楽が三日後と知った時でさえ、ここまでの恐怖は感じなかった
捕まった瞬間殺される
そう直感するからだろうか
恐怖でこわばりそうな体を、恐怖による興奮で無理矢理動かす
速くはないとはいえ、追い付かれる可能性がないわけではない
だが、思考がまとまらず、ただただ全力で通路を走った




